第7話

希望号は大量の燃料を乗せ、滞りなく街中を走っていた。

俺はといえば寝室で、情けないことに再びカタリナに介抱されていた。

まともに動かない身体を毛布で包み暖めてもらい快復に勤しむが、言葉を発するだけで精一杯の状況だ。


「今は、どんな、状況だ」


「まだ秦国から抜け出してはいませんから、油断はできませんね。……でも、ユウキさんはそのまま休んでいてください。今度は、必ず、私が守りますから」


……彼女は一体、何を考えているのだろう。

初めて会ったときは、いきなり相手を罵倒するような言葉を吐いたかと思えば、今はこうして聖女の様に他者に慈愛を注いでいる。

俺を絆すための行為とも疑えるが、彼女の表情には一つの嘘も見えない。

それこそ、荒んだ俺の心に愛情を期待する欲が生まれてしまうくらいには。


「ユウキさん!起きてますか!」


もう少し彼女の顔を眺めていようと思ったが、激しいノック音と大声に遮られる。

そして、こちらが対応する間もなく、ラティは扉を開け入室してくる。


「ユウキさんが運んできた人間の片方が目を覚まして暴れているんですよ!あんたを呼んでこいってね!責任とって収めてください!」


「彼は今、まともに動けるような状態ではありません」


「ああ、もう!こちとらあんたのせいで大幅に予定を狂わせられたっていうのに、自分の尻拭いすらできないなんて!ええい、あんたがどんだけ重要人物か知らないが、希望号から今すぐ追い出してやる!」


早口で捲し立てながら制服の袖を捲るラティ。


「待て。行くさ、行ってやるとも」


「そんな、無茶です」


「放っておいても、あの狂犬は、ここにやってくる」


「ええ、そうです。それでいいんです。まったく」


震える四肢を支えに立ち上がり、ふらつきながら歩くと、カタリナが俺を支える。

そのまま、フェイのいる場所へと向かった。



その車両は滅茶苦茶な光景だった。

真ん中にはもがくフェイを取り押さえるエイブの姿。

そのすぐそばには、遺体袋に納められる途中のシン。

その様子を、アリスと、あの俺たちを嵌めたジャーナリストの男が眺めている。


そして、フェイが俺に気づくと、彼女はより一層怒りを滲ませる。


「殺してやる!お前を、生まれたことを後悔するくらい、ぐちゃぐちゃにして殺してやる!!」


ああ、あの時と、すっかり逆の立場になってしまったな。


「感動の再会はできたか?」


唐突に、ジャーナリストの、確か、リュウという名だったか。

彼が口を挟む。


「どういう、意味だ」


「どうって、シン・イーと会って話をしたんだろう?まぁ、こんな残念な結果にはなったようだが」


「どうしてそう、平然としていられるのですか?ああ、ユウキさんを支えていなければ今すぐ痛い目に遭っていただくのに」


カタリナが強い口調で怒りを露わにする。


「おいおい、俺を責めるのはお門違いだ。あれは幇会に頼まれてやったことだ。親子の再会の場をセッティングしてくれってな」


何を言っているのか理解できない。


「なんだ、素っ頓狂な顔をして。シン・イーは、お前の母親だろ?」


「何を勘違いしているんだ、お前は」


「……なるほど、お前は知らされてないのか」


「ああ、そうさ!」


突然、感情が弾けたように、フェイが叫ぶ。


「そいつは何も知らないクソ野郎だ!お母さんの庇護のもとに生き、恩を仇で返した大馬鹿者だ!」


ああ、頭が上手く回らない。

彼らの言葉を認識できない。


「知らないのなら、教えてやろうか。一部界隈では有名な話なんだがな」


そして、リュウはつらつらと語り出す。


「シン・イー、彼女は元々、日本人の娼婦だっだ。それはそれは美しい顔立ちをしていてな、秦国の連中が何人も、彼女の身体を求めて押し寄せたぐらいだ。その中に幇会の人間もいたらしく、彼女はそいつらに取り入ったんだ。そして、生まれた国を裏切り、日本人を支配する側についた。ここからは、そっちのお嬢さんの方が詳しいだろう」


沈黙を保つエイブに抑えられたフェイが口を開く。


「……お母さんは、その容貌を最大限に活かし、幇会の幹部の懐に潜った。日本人を拷問して忠誠心を示し、それでもクズどもに日々凌辱されながら過ごしていた。何故だと思う?我が身可愛さじゃない。その時、既に、お母さんは誰の子かもわからない、お前を孕んでいたんだ」


「で、でたらめを、言うな」


「お前が他の奴隷より優遇されていたのは、お母さんの尽力のおかげだ。上の圧力と闘いながら、必死でお前を生かす道を模索していたんだ」


シン・イーが俺の母親?

俺は彼女に守られていた?


「それなら、奴は、なんであんなことをしたんだ」


「クソが、なんで、こんなやつのために」


フェイの歯噛みした唇から血が流れる。


「少し頭を使えばわかるだろ。我が子のために、幇会での地位を築き上げたなんて知られては、どういう目に遭うか。それを悟られないよう、お前を痛めつける必要があったんだ」


「だったら、初めから、俺にそう言えばよかったじゃないか。そうすれば、いや、それでも……」


「それでは、きっと、ユウキさんはここにはいなかったでしょう」


何故か、カタリナが口を挟む。


「他の奴隷よりも優遇されていると知ってしまえば、甘えが生まれてしまう。彼女の想いに甘え、奴隷としての一生を受け入れてしまう可能性もあった。だから、絶望の中から抜け出せるよう、ユウキさんの反抗心を育てたのでしょう」


どいつもこいつも、イかれている。


「信じられませんか。しかし、私があなたの元へ黒の切符を届けたのは、幇会から匿名の連絡を受けたからですよ」


吐き気がする。

自分の預かり知らぬところで物事が進み、俺はただ人形のように操られていただけなのか。

俺の怒りも、アイの死も、全て、仕組まれていたというのか。


カタリナの支えを払い除け、自重に耐えられなくなった俺は床に伏す。


「…… muspell domini surtr.da mihi vim.」


全てを壊してやろうと、もう一度あの時の言葉を呟くも、右手の手袋は何ら反応を示さず何も起きなかった。

その代わり、俺の脳内に。


『―――ユウキ。それがキミの名前だよ』


幼い頃、彼女に手を引かれて薄暗い路地を歩いていた記憶が蘇る。


『ごめんね。こんな世界に生み落としちゃって。でも、ユウキのことは、私が守るから』


何故、今になって。

こんな記憶、あの辛い日々の中でとうに消え去っていると思っていたのに。


「お前なんて、生まれてこなければよかったんだ!お前のせいで大勢が死んで、お母さんも死んだ!お前には死すら生温い、地獄に堕ちて永遠に苦しみやがれ!」

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