第5話
走る、走る。
幇会の連中か、この国の警察かはわからない、邪魔するものは悉く蹴り潰し、二人を抱え、灰色の街を当てもなく駆けていく。
狭い路地、人の群れの隙間を縫うように進み、迫りくる者を蹴り潰し赤黒い液体を噴出させると、脳内は歓喜で満ちていく。
こんなにも人間は柔らかい。
今まで俺を追い詰めていた人間を、こんなにも簡単に殺すことができるのだ。
だから、どうして俺はこの二人を抱えているのだろうと、疑問が湧いてしまう。
逃げ出すときに感じた彼女らへの同情は既に消え去り、今ではそれらに何の感情もないというのに。
『殺せ』
頭の中に誰かの声が響く。
思考は黒に染まり、抱える腕に力が籠る。
このまま捻り潰してしまおう。
「―――ぅ」
フェイの、ほんの少しの呻き声が漏れる。
鈍る、緩む。
そして、迷う内に、視界が一気に開ける。
どうやら、路地を抜け大通りに出たようだ。
しかし、そこには武装した無数の敵がいた。
防護装備に身を固め盾を構えた集団が、逃げ道を塞ぐようにこちらを取り囲んでいる。
退路も既に断たれたようだ。
「そこのお前!殺されたくなければ、今すぐ地面に伏せ投降せよ!」
どうする。
ここから抜け出し運よく希望号の元まで辿り着いたとしても、明日の朝まで平然と過ごすなんて到底不可能だ。
いや、何を考えている。
俺は、全てをぶち壊すと決めたんだ。
襲い掛かる者がいるのなら、全て迎え撃てばいい。
進む方向を定め、足を踏み出そうとしたその時。
『ユウキさん!聞こえていますか!』
ひりつく空気の中、耳元で聞こえる声。
そこには、人の形をした掌大の紙が浮いていた。
「誰だ」
『ラティですよ!あっ、そういえば名乗ったこと、無かったかも』
この声色と口調は、あの白スーツの乗務員か。
まったく、次から次へと不思議なことが起きるものだ。
『本当に、なんてことをしでかしていたんですか、あなたは!この国をここまで怒らせるなんて、命知らずの大馬鹿者にしかできませんよ!』
「お前たちには関係ない話だ」
『こんのクソガキがぁ。アンタのせいでこっちも奴らに目をつけられて危険な目にあってるんだ!そんで明日出発なんで悠長なことも言ってられなくなったのに、それでも、トーコさんがアンタが戻るまで待つって言ってるんだ!』
「俺なんて気にせず置いていけばいい」
『私だってそうしたいですよ!とにかく道案内は私がやるんで、そちらに送った援軍と共に早く戻ってきてください!』
早口で捲し立てる乗務員。
しかし、俺にはもう希望号に戻る理由はない。
「お兄ちゃん、素直に希望号に戻ったほうがいいわ。その鎧、ずっと纏えるわけじゃないから、このままここに残れば間違いなく死んじゃうわ」
再び、唐突に聞こえる声の方を向くと、いつの間にか、すぐ傍にアリスがいた。
「どこから湧いたんだ」
「そんなことより、まずはこの状況をどうにかしないとね」
既に、敵はジリジリとこちらへ距離を詰めている。
少しもしない間に、奴らは俺の元へと辿り着くだろう。
「本当に、無粋な役者だこと」
余裕綽々といった様子のアリスは呟き、俺の前に一歩踏み出し片足で踵の音を二回鳴らす。
そして。
「トランプ兵隊従えて、現れたるはハートの女王。行く手を阻む馬鹿者どもに、くれてやるのはいつものセリフ」
幻覚でも見ているのか。
アリスの周りの地面が光り、どこからともなく真紅の玉座に座る女王が一人、無数のトランプ兵を従え現れる。
アリスと女王を囲む様に並んだ彼らは一様に、こう叫ぶ。
「首をはねよ、首をはねよ!」
「首と胴が繋がっているのなら、切り落とすのも訳はない。これはアリスの物語、つもりだけでは終わらせない!」
ハートの女王の叫びに呼応し、トランプ兵は武器を手に迫り来る敵へ行進を始める。
そして、接敵するや否や、彼らは奴らの首をはねていく、首が跳ねていく。
響く怒号と銃声は悲鳴にかき消され、あっという間に血の海が地面を覆っていく。
「それにしても、その返り血、やっぱりアリスが見込んだとおりだわ」
喧囂の中、アリスは振り返り呑気におかしなことを口にする。
「何の話だ」
「お兄ちゃんも、人間を殺さずにはいられなかったってこと。それはとっても素敵なこと。だって、それは、この世界の欺瞞を殺す資格を手に入れたということだもの」
「……それより、何もしなくていいのか」
「心配いらないわ。道はもうすぐ開くから」
彼女の言う通り、俺を囲んでいた敵は見る見るうちに血に伏せていく。
その出来上がった死体の山を越えれば、もう道を塞ぐ邪魔者はいない。
『何を呑気にしているんですか!ぼさっとしてないで、早く行きますよ!』
すっかり存在を忘れていた、フワフワと浮かぶ紙が俺たちを先導するように、先へと進んでいく。
「お兄ちゃん、力を得たのなら、今後の身の振り方を考え直してもいいんじゃない?だから、今は希望号に戻るべきよ」
「……ああ」
何もかもを見透かした様な彼女の発言に薄寒さを感じながらも、その言葉には同意せざるを得ない。
ステップを踏み先に進み始めたアリスに続き、赤に濡れた屍を踏みしめ走る。
俺は、その非現実的な現状を他人事の様に受け入れていた。
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