第2話

白の列車に乗り込んだ後、今までとは全く違う気の抜けたこの環境に乗車前の勢いも萎み、この身をどこに収めればいいかわからない俺は列車内をさまよう。

とりあえず先頭車両のほうに向かおうと、車両の外見に反してシンプルな見た目をした木造の内装の客室を歩くと、様々な人物が座席の数より多い満員以上の状態で乗車していた。

老若男女、国際色豊かで身なりなども目にしたことがないようなものが多い。


「どうされました?何かお探しですか?」


客席をちらちらと眺めている途中、反対側からやってきた、おそらく乗務員であろう中性的な顔立ちをした人物に声をかけられる。

出発時にハンドベルを振っていた、あの。


「あ、ああ、いや、何も知らずに乗ったもんだから、どうしたものかと思って」


「ふむ、それでは、黒の切符をお持ちですか?お持ちでしたら、私に見せてください」


素直に自分の切符を彼へと渡す。


「はい、間違いありませんね。こんなところでうろうろしているなんて怪しいですが、まぁいいでしょう。それでは、部屋に案内いたしますね」


「部屋?」


「あれ、切符を受け取る際に聞いていないですか?」


「ああ、何も」


少しだけ怪訝な顔をする乗務員。

やはり、これは新興宗教の催し物ではないのだろうか。

そうであれば、何も知らない俺がこうして切符を持ち乗車していることを疑うのも理解できる。


「俺はただ、イかれた女に切符をもらっただけだ」


「いや、入手経路はどうでもいいですよ。さぁ、とりあえず、私についてきてください」


「場所さえ教えてもらえれば、それでいいが」


「そうですか。悪党に襲われ切符を奪われた、なんてことにならないように祈っていますよ」


奪われる?

歩き始めた乗務員の背中へ向けて、頭に浮かんだ疑問を口に出す。


「これに乗車している奴らは皆、切符を持っているんじゃないのか」


「へ?いや、黒の切符がなくても乗車はできますよ。ただ、ここにいる乗客みたいに個室や食堂車の利用ができないだけです。それで終点まで行こうと思ったら相当身体に堪えると思いますが」


それなら、日本での列車の旅なんてたかが知れているだろうに、皆が血眼になって黒の切符を求めるのは何故だろうか。


「まぁ、本来なら、黒の切符を渡された選ばれた人のみ乗車することができるのですが、できるだけ多くの人が望みを叶えられた方がいいという建前で、この列車の座席数ぐらいの人数は乗れるようにしているんです。今回は、例外が多くありましたが」


「建前?」


「おほん、何でもありません」


しかし、こんな馬鹿げた話に裏があるのは当然だろう。

だが、乗車する前に見た希望号の車両数は十を優に超えるほどの数があったと思うが、その座席数以上の人間が乗っているとなると相当な数になる。


「せめて、座席の数ぐらいに留めておけばよかっただろうに」


乗務員は呆れた顔をこちらへ覗かせる。


「ええ、ええ、ええ。そうですとも。この希望号が大飯喰らいじゃなきゃ、あなたの言う通り、乗客に制限をかけて乗務員の私たちも今頃ゆっくりお気楽の旅を満喫していましたとも。こちとら寝台列車の管理だけであたふたしているっていうのに」


「何の話だ」


「いえ、いいです。どうせあなたに話しても理解できないでしょう。とにかく、私の願いは乗客の皆様に大人しくしていただくことです。切符を持つおしゃべりなあなたも、ですよ」


「はぁ、さいですか」


「それでは、お部屋へご案内します」


一目惚れしそうな営業スマイルでそう言うと、再びさっさと歩いていく乗務員。

疑問に思う部分は多々あるため、これから根掘り葉掘り質問をしようと思ったが、それも無理そうだ。



そのまま、乗務員に続きいくつかの車両を移動し、また次の車両に一歩踏み入れた時。

全身が硬直し、前へ一歩も進めなくなってしまう。

ここだけ、明らかに空気感が違う。

冷たく、無数の針で全身を軽く刺されているような、今にも走り去ってしまいたいほどの空間。

そのせいか、この車両には乗客が座っていない。

たった一人を除いて。


「お客さん、ここは気にせず、さっと通り抜けましょう」


この畏れを感じていないのか、調子を崩さず平然と歩き出す乗務員。

その姿に少しだけ安堵を覚えた俺は、軽く深呼吸をし歩みを進める。

しかし、車両の真ん中の座席にぽつんと座る人物に近づくほど重力は増し、その足取りは重くなる。


「おや、赤子でも連れて、お散歩中かい?」


そして、そこを通り抜けようとした途端に響く低く芯のある声に、俺はとうとうその場に釘付けにされてしまった。

声の主は黒いタイトドレスに身を纏った黒髪の女性だった。


「ミス・アナ、勘弁してください。仕事中ですから」


「ほう、日本人か、珍しいね。ちょうど退屈していたところだ、そこに座り給え」


顔をこちらへ向けた彼女と視線がぶつかり、俺の全身の毛が逆立つ。

そして、なぜか俺の身体は勝手に動き出し彼女の対面に座ってしまう。


「はぁ。あまりいじめないでくださいね、彼は切符持ちですから。あっ、お客さん、ここから四両先が寝台列車になっています。部屋の番号は黒の切符に記載してますので、そちらをご確認ください」


それだけ言い残し去っていく乗務員。

助けを求めようにも、口は渇きうまく言葉を発することができない。

そのまま、冷や汗をかきながらも視線は彼女の漆黒の瞳から逸らせず、恐ろしい時間が淡々と過ぎていく。


「そんなに緊張しなくてもいい。私はただ話がしたいだけだ。ほら、声を聞かせておくれ」


その言葉を認識した途端、肺に溜まっていた空気が声帯のつまりを押し出し吐き出される。

なんだ、これは。

催眠術でもかけられたのだろうか。


「あんたに話すことなんて何もない」


一刻も早くここから立ち去ろうとするも、席に釘付けされたように動けない。


「そう言うな。ただ、君の話をしてくれたら、それでいい。君は今までどんな人生を送ってきたんだい?」


「俺の人生なんて聞いても、つまらないだけだ」


「それがいいんじゃないか。華々しい英雄譚なんて、もう聞き飽きたんだ。さぁ、君の人生を言葉で紡いでくれ」


なぜか、自分の意志とは関係なく自然と口が開いてしまう。

そして、気づいた時には全てを話してしまっていた。

日本人として生きてきたこと、何もない惨めな人生だったこと。

そして、アイのことも。


「なるほど、うん、実にいい。それでこそだ」


俺の話を聞いた彼女は何かを納得したように独り言ちる。


「それから君はこの白の列車に乗った。うん、俄然、興味が湧いてきたよ。その幼稚さも、むしろ新鮮だ。で、君は何のために、これに乗車したのかな?」


「別に、理由なんてない。ただ、あの場所から抜け出したかっただけだ」


「嘘はよくない」


「嘘じゃない」


「・・・・・・まぁ、いいさ。どんな願いも叶うというのに、ありきたりな復讐劇や幸福を求められても、それはそれでつまらないからね」


どいつもこいつも、さも当たり前のように馬鹿げたことをのたまっている。

どんな願いも叶うだと?

そんな簡単な話があるなら、この世の全ては光に満ちているだろう。


「なぁ、もういいだろう。さっさとここから解放してくれ」


「解放だなんて人聞きの悪い。だが、まぁ、今の君から聞き出せる話はこのくらいか。仕方がない、好きにするといい」


その瞬間、俺の身体は羽のように軽くなり今まで圧し掛かってきた恐ろしい空気も消え去っていく。


「長い旅路だ、また、話をしようじゃないか」


俺は挨拶も返さずにそそくさと彼女が居座る車両を後にした。



あの女がいる車両から次の車両へ移ると、先程とは打って変わって暖かな空間が俺を迎える。

内装が明らかに豪華になり、乗客も少なく静謐な空気に満ち溢れている。

元々、希望号はここが最後尾で、後方の車両は後付けされたのではないかと思うほどの変わり様を不思議に思いながら歩みを進める。

食堂車や共有スペースとして造られたような場所などが次々と顔を見せる中、厄介事が起きないようになるべく気配を殺しながら。


そして、ようやく通路が人一人が通れるほどの狭さになった寝台車両へたどり着き、右手にある個室の扉の番号と切符の番号を照らし合わせながら進んでいく。

それにしても、今の時代にしては随分と古い、いや、クラシックな造りをした列車に見える。

それに、この国で走っている列車なら乗客の国籍があそこまで多様なのもおかしな話だ。

終着点も国内のはずだが、乗務員とあの女は長旅になると、確かにそう言っていた。

次々と疑問点が溢れてくるも、いくら自分で考えても意味はないと思考に蓋をする。


そして、ようやく目的の部屋を見つける。

何も意識せずドアノブに手をかけ、赤黒く光沢を蓄えた扉を開くと、そこには目を疑うような光景があった。


―――美しい。

そう息を呑んだ原因は、左右に設置されたベッドの片方に腰を掛けた先客の存在だった。

清廉さに満ち世界から切り離された空間で窓から差し込む光に照らされながら外の景色を眺める彼女は、絵画に描かれた聖女のように眩い姿に見えた。

長袖のシャツにロングスカートと服装は至って普通だが、そのおかげで三つ編みに束ねられた金色に輝く長い髪が一層際立っている。

そして、止まった時を動かすように彼女はゆっくりとこちらに顔を向けた。

その顔には確かに見覚えがあった。


「あまりにも遅かったので、乗り遅れたのかと思っていました」


「お前は、あの時の宗教女」


幇会の追手を蹴散らしていたというのに、俺より早く乗車したのだろうか。

いや、もう深く考えるのはやめよう。

いくらでも不可解なことがあるんだ、その度に頭を抱えていてはきりがない。


「随分と失礼な物言いですね。さぁ、入り口に立っていないで、そちらにお座りください」


「何を我が物顔で、ちょっと待てよ。まさか、お前もこの部屋を割り当てられたのか?ああ、そんなわけがない、何かの間違いだ。乗務員に確認して変更してもらおう」


「その程度のことで一々騒がないでください。黒の切符に書いてあることは絶対です。同じ部屋になったのもこれからの旅に必要なこと、運命なのです」


これは、気にするなという方が無理がある。


「あなたは何も知らずにここへ来た。それなら、少しでも見知ったものと一緒にいた方がいいでしょう。それに、荷物すら持っていないようですし、あなたを援助するものがいないとどうしようもないでしょう」


「援助だと?」


「なによりお金も必要になりますし、私が融通してあげることも出来ますから」


「いや、なぜ俺に切符を渡したのか、この旅の目的は何なのか、それを教えてもらえればそれでいい。長い旅じゃないんだ、終点は日本国内だろう。金なんて、どうとでもなるさ」


「そう簡単に終わるのなら、私は少しの心配もしないでしょう。まず、確実に言えることは、終着点はこの国内にはありません。なので、今のあなたでは、到底この旅を乗り越えることはできないでしょう。それなら、素直に私の施しを受け入れた方がいい」


そんな馬鹿な。

俺が今乗車しているのは、地を這う列車のはずだ。


「何を言っている?列車が、どうやって海を越えるんだ?それとも、空を飛ぶとでも言うのか」


「あなたには、そうですね、今ここで説明しても信じてもらえないでしょう。実際に自分の目で見た方が理解できると思います。すぐにその時は訪れます。そうすれば自ずとわかりますよ」


勝手に人を巻き込んでおいて、いざ質問すれば煙に巻くような回答ばかり。


「ああ、そうかい。なら、余計なことはいい。勿体ぶらずに、この旅の企みを教えてくれ。もう、それだけでいい」


「初めに言った通り、皆の願いを叶えるため、それ以外にありません」


反射的に苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。


「そんな顔をしないでください。旅の目的がそうだからといって、あなたも同じようにそれを目指さなくてもいいのです」


「何も説明せずに散々振り回しておいて、その物言いか?」


「それに関しては心苦しく思っています。でも、決して、騙したり苦しめたりするためにあなたをここへ呼んだとは思わないでください」


そう言うのなら、俺はもう黙るしかないじゃないか。


「まだ時間はたくさんあります。あなたは自分の意思でこの列車に乗った。その理由を、余計な憂慮をせずに探せばいい。私たちがしていることは、ただのお節介だと思ってください」


これ以上、何を聞いても無駄なようだ。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私、カタリナと申します。あなたは?」


先程のやり取りの直後に、自己紹介なんてものに素直に応じると思っているのなら、彼女はよっぽどおめでたい頭をしているのだろう。

しかし、だからこそ、このまま黙っていると面倒くさいことになるだろう。


「日本人に名前があると思っているのか」


「あなたは特別だと、そう伺いました」


「誰に」


「あなたの近くに住んでいた人に。あなたはいろんな意味で有名でしたから」


それなら、俺の名も知っていそうなものだが。

それとも、俺の口から言わせたいのだろうか。

どちらにしろ、この名を呼ばれてしまうとあの女の顔が毎回ちらついてしまいそうで気が引ける。

しかし、ここで新たな名を名乗ったとしても馴染みのないそれは意味をなさないだろう。

気にすることはないか。

もう、あいつらと関わることはないんだ。

いつか、この不快な感情も時間と共に消えていくだろう。


「ユウキだ」


「ユウキさん、ですね。わかりました。これから、よろしくお願いします」


「ああ」


ため息を一つ、俺はようやく空いているベッドに腰を掛け、目の前の彼女と視線が合わないように窓の外を眺める。

灰色と緑が織りなす世界を青空が包み、ただ眺めているだけでも荒んだ心が洗われるような気分になる。

そのまま、この女と一緒の部屋ということはなるべく考えずに、無心で時が過ぎるのを待つ。


しかし、ここで俺の腹が鳴る。

何事もなかったかのように気に留めずにいると、目の前の彼女が口を開く。


「食堂車に行きましょうか」


「なんだ、何も教えてくれないくせに、保護者気取りか?」


「そう言わないでください。私だっていじわるで何も言わないわけではないのです」


それにしては、凛とした声色を少しも変えようとはしない彼女。

いや、もういい。

タダ飯が食えるんだ、余計なことを考える必要はない。


「それでは、行きましょうか」


その言葉には答えず、立ち上がり部屋を後にすることで意思を示した。



部屋を出て二つほど車両を抜け、食事がとれるであろう場所にたどり着く。

先ほど素通りした時よりも内装に注意を向けるとやはり後方車両より作りが豪勢である。

暖かみのある木造の内装を窓から差し込んだ陽の光が照らし、赤を基調とした絨毯やテーブルクロスが映えている。

右手中央の軽食が並ぶカウンターにはバーテンダーのような服装をした男性の店員が立っており、その後ろには酒瓶などが並んでいる。

テーブル席だけの車両とは別に、ここは軽食を摂る目的で造られているようだ。

そして、何よりも注目すべくなのは貫通扉の傍に設置されたガラス張りのケース内にいる、等身大の人形だろう。

白銀のウェーブがかった長い髪に白いドレス、まるで、物語に登場するお姫様のようだ。


「これが何かご存じですか?」


「いや」


物珍しく眺めていたところ、気を利かせたのだろう、カタリナに声をかけられる。


「これは遥か昔、ほんの短い期間に造られたゴーレムの一体です」


「ゴーレム?ただの人形にしか見えないが」


ゴーレム、実物を見るのは初めてだ。

えぐられた喉から見える灰色の機械がなければ、人間と見紛うほどの見た目。

とても戦うために造られた存在には見えない。


「彼女は戦場に咲く一輪の花のように、ゴーレムのため、戦い死にゆく者たちの魂を震わせ奮起させる存在でした」


「まるで、生きているかのような物言いだな」


「その通り、彼らは生きているのですよ。心臓を動かし血を巡らせることだけが生きることではありませんから」


「馬鹿馬鹿しい話だ。こいつらはただの戦争の道具なんだろ。そもそも、激しい争いの中でこの人形に何ができるって言うんだ」


ショーケースをノックしてもピクリとも動かない姿に、到底何かができるとは思えない。


「歌を謳ったのですよ、彼女は。そのおかげで絶望的な戦況で勝利を収めたと、逸話があるくらいです」


「はぁ」


真面目に話を聞いていた俺が馬鹿だったようだ。

それよりも、この腹の虫をどうにかするのが先決だと、さっさと話を切り上げ近くのカウンターテーブルへと向かう。


「いらっしゃいませ」


すると、紳士的な所作で店員が話しかけてくる。

そちらに一度目配せをし、ケースの中に並ぶ食べ物を品定めする。

しかし、そこにあるのはファストフードとは違う上等なパン類や洋風のお菓子ばかりで、そのような食べ物に全く馴染がない俺には選ぶのも一苦労だ。


「朝なら、これがおすすめですよ」


またしても、俺の思考を読みとったかのように話しかけてくるカタリナ。

本当に、他人を苛立たせることが上手い女だ。


「ああそうかい。だったら、好きにしてくれ」


そのまま先にカウンタ―の脇にある丸テーブル席に着く。

自分でもこのような行動はどうかと思うが、彼女がそこまでお節介を焼きたいというのなら一々口を挟むよりも全て任せた方が楽だろう。

幸い、朝から昼にかかる中途半端な時間のため、乗客は誰もおらず、カタリナのような女性と席を共にしても好奇の的にならないのは好都合だ。


一時が経ち、トレイを抱えたカタリナがこちらへ向かってくる。


「お待たせしました」


「ああ」


早速、野菜とハム等が挟まれたパンを手に取り、齧りつく。

固いパンを噛み締め咀嚼すると、素朴な味から具材の塩味や甘みが顔を出し、途端に鮮やかな味覚が呼び起こされる。

今まで犬のエサのようなものを食べてきたため、未知の旨味の暴力に耐えながら努めて表情を崩さず食べ進める。

途中で口に含む水すらも未知の飲料と感じるようだ。


しかし、時を忘れ夢中に食事をしていると、唐突に響いたシャッター音により、食べ物に引き込まれていた思考が現実へと浮上する。


「これは失礼。あまりにも珍しい組み合わせだったため、つい」


首にかけたカメラを構えながら気の抜けた謝罪をしたのは、白髪交じりの頭に無精ひげを生やし、よれよれのワイシャツを着た中年の男性だった。

いつの間に近くに来ていたのだろうか。


「何用ですか」


「いや、私、記者をやってるものでして、アジア人の男と見目麗しい西洋人が一緒に居るところを見て、つい手が動いてしまいまして」


次から次へと、全く退屈しない場所だ。

だが、今ですら新鮮で理解しがたいものに触れ疲弊しているんだ、このまま真正面から変人どもに対応し続けては、俺の頭はおかしくなるだろう。

そう考えた俺は、カタリナに全てを任せ気にせず食事をとる。


「なるほど、それは、お嬢さんの奴隷ですね?いやいや、他人の趣味に口を出すような無粋な真似はしませんが、しかし、もっとましな見てくれでないと、珍妙な視線を集めることになりそうですな。私でなくとも勘繰ってしまいそうだ」


今更騒ぐこともないそのセリフを無視して食事を続ける。

しかし、何を思ったかカタリナは立ち上がり、見たこともない険しい表情で記者の男を見据える。


「何も言わずにそのまま去っていただきたい。私の機嫌を損ねる前に」


「おっと、これは失礼。まさか、このような素晴らしい旅に奴隷なんてものを目にするとは思ってもなかったもので」


「その汚らしい口を開くなと言っている」


首に提げたカメラから手を離し、やれやれといった様子で軽く両手を上げそのまま去っていく男性。

何がそこまで彼女の気に障ったのか。

いや、落ち着いて飯が食えるならそれに越したことはない。


若干緊迫した空気感の中、ようやく食事を終えて一息をつく。


「さっきは、どうしてあんなに怒ったんだ?」


「あのような失礼な言い方をされたら、誰だってそうなるでしょう」


「今更腹を立てるようなことでもないだろ。それとも、あんたが奴隷を連れたいい趣味をした女性だと思われることに抵抗があるのか」


「そんなもの、気にするものですか。同じ人間なのにどうして奴隷なんて言葉が簡単に出てくるのか、それが許せないのです」


少しだけ口調が変わった彼女にたじろぐ。

まぁ、彼女は明らかに他人のことで感情を左右されるタイプだろう。

しかし、奴隷と馬鹿にされるよりも初対面の時に彼女が俺に言ったことのほうが、心に重く圧し掛かったのだが。


そんなやり取りをしていると、再びある人物が食堂車の貫通扉から現れる。

視界の端に捉えるだけで意識をそちらへ持っていかれるほどの存在。

跳ねるように大袈裟に歩く、童話の中から現れたような淡い水色のエプロンドレスで身を包んだ金髪の少女。

絶対にまともじゃない。

なるべく目を合わせないようにしなければ。


しかし、そんな抵抗も空しく、彼女は俺たちを視界に捉えると、これまた大袈裟な動きでこちらへ近づいてくる。

そして、立ち止まった彼女は両手でスカートを軽く引き上げお辞儀をする。


「ごきげんよう」


そう声をかけられるも、劇を眺める観客のように俺は動かないでいた。

それに対して少女もまた、決められた台本をなぞるような言動を続ける。


「ああ、素敵だわ。この旅での出会いといえば、話の通じないおじいさんや怖い魔女、不愛想な名もない役者たち。でも、ようやくまともな人と出会えたわ」


相手にされていないにも関わらず、俺らの隣の席に座る少女。

先ほどと打って変わってカタリナは特に行動は起こさない。


「私のことはアリスって呼んで」


「他をあたってくれ」


「他はもう全部あたったわ。でも、み~んな、お話をしようとしても似たようなつまらないことばかり話すの。悲しかったこととか苦しかったこととか、それをどうにかするために悲願の白の列車に乗ったって、涙ながらにね」


「残念だったな、俺も同じような話しかできねぇよ」


少女はつまらなさそうに頬を膨らませる。


「それを判断するのはこっち!このアリスが退屈しのぎに皆の望みを聞いて回ってるんだから、お兄ちゃんもこの列車に乗った理由を教えてくれればいいの!」


なんとも傲慢で自分勝手な少女だ。

他人の望みを聞きまわり、つまらない話だったと叩きつけるような輩に話すことなど何もない。

それに、そう問い詰められても今の俺に明確な目的などありはしない。


「そんなものはない」


「えっ、うそ!?ここにいるのに何も願いがないなんて、ありえないわ!そんなの、希望号に相応しくないもの!」


相応しくない、それは俺だって重々承知している。

ここは、俺のように何も知らず盲目でもない人間がいるべき場所ではないと。


「ああ。さぁ、用が済んだならさっさと」


「だったら、アリスがお兄ちゃんに目的をあげる!そう、アリスと同じ、人類を滅ぼす、っていう願いを!」


「は?」


「なにも可笑しいことじゃないよ。この世界って悲しみがいっぱいでしょ?でも、それも結局、人間が生み出したものじゃない?だったら、人間がいなくなってしまえばすべて解決だと思わない?」


唐突に何を言い出すかと思えば、とんでもないことを言い出す少女。

しかし、頭のおかしいその発言も、事実の一つではある。

それに、人間への嫌悪を抱きながらも宙ぶらりんな俺には理想にすら聞こえそうな響きだ。

そのおかげで、つい、不用心な肯定を返してしまう。


「まぁ、それも、そうだな」


「やっぱり!お兄ちゃんならわかってくれるって思ってた!」


嬉しそうに席を立ち、ぴょんぴょんと跳ねながら童話の中の少女のようにはしゃぎまわるアリス。


「やっと素敵なお友達ができそうだわ!これからの旅も楽しいものになりそう!できれば、そっちの仏頂面のお姉ちゃんとも仲良くしたいのだけど」


そして、次の標的はカタリナになる。


「それで、お姉ちゃんの願いは何かしら?」


「私はただ、皆の願いを叶えるためにここにいます」


「う~ん、自分の願いが他人の幸せ?それじゃあ、アリスの場合はどうなるのかしら?皆が死ぬことを望んだら、それも手伝ってくれるの?」


「そうなりますね」


「でも、皆の願いが叶うこともなくなっちゃうんだよ?たいへん!パラドックスが起きちゃうね!」


明らかに嫌悪を滲ませた表情をするカタリナ。

意外と、彼女は感情豊かなのかもしれない。


「あっそうか、生まれてこなければよかった、それは人類共通の願いだもんね。それなら、問題ないよね」


「いいえ、いいえ。それは違います。それはこの世界で幸せになれなかった、生きることに意味を見出せなかったものの言葉です。それに、あなたは誰かのために、なんて思いでその願いを抱えている訳じゃない。私には、あなたの思想が歪んでいるように見えます」


途端に、アリスは頬を膨らませ顔を上気させる。


「全く、失礼しちゃう!出会ったばかりのあなたに何がわかるのかしら!?自分が誰よりも正しいと思っているのかしら!」


「そんなつもりでは」


「お兄ちゃん、こんな女といちゃだめだよ!こんな奴はきっと、ことあるごとにその正当性を心の隙間に植え付けてお兄ちゃんを傀儡にしてしまうわ。いくら見た目がいいからって、惑わされちゃダメ!」


この少女も大概だと思うが、自分の意思でカタリナと共に居ると思われても困る。


「俺だって、好きで一緒にいるんじゃない」


その言葉を聞いた途端、彼女は眼を見開き口角を上げ俺との距離を詰める。


「それなら、これからはアリスと過ごしましょ?ああ、そうね、部屋だって変わってもいいわ。だって、アリスと同じ部屋の住人は一言も話さないつまらない子なんだもの。文句なんて何もないはずだわ」


「駄目です。黒の切符で決められたことは絶対です。あなたも運命に導かれた一員、下手なことは止めた方がいい」


口を挟んだカタリナに再び噛みつくアリス。


「運命?わけわかんない。そんなものを信じて何になるの?大事なのは自分の意思に従って行動することでしょ?所詮は結果の後付けである運命なんてくだらない言葉を口に出すなんて、詐欺師かよっぽどの馬鹿に違いないわ」


ああ、そうだ。

見た目はあれだが、なかなかいいことを言うじゃないか。

しかし、こんな小さい少女が放つセリフではない。


「言い争いなら他所でやってくれ」


「はぁ、そうね。この女がいる限り、楽しいお話しはできそうにないわ。まぁいいわ。お兄ちゃん、少しでも身の危険を感じたら、アリスに言ってね。アリスは一〇二号室にいるから、いつでもね。お茶を用意して待っているわ」


落ち着いたのか、再びスカートを持ち上げ会釈しフワリと去っていくアリス。


「ユウキさん、彼女を信用してはいけません。見た目は少女でも、中身は化け物のような歪なオーラを感じます」


「いや、あれは見た目だけでも避けるべき類の奴だろう。心配しなくても、あんな一緒にいるだけで疲弊しそうな奴と過ごすつもりはない。もっとも、アンタがこれ以上おかしなことをしない限りは、だが」


「ええ、わかっています」


それにしても、化け物とは随分と酷い言い様だ。

毛色が合わないと言うべきか、そもそも、彼女は他人と仲良くすることに向いていない性格と言うべきか。

これでは、皆の願いを叶えるなんて大それた目的には辿り着けないだろう。


「それでは、部屋に戻りましょうか」


「ああ」


立ち上がり、静まり返った車両を抜け部屋に戻る。

その後、狭い場所で彼女と長時間過ごす心配をかき消すように、食後の強烈な睡魔が俺に襲いかかる。

昨日は一睡もしていない上に激しい運動もしたんだ、それも当然だろう。


「少し、横になられますか」


「さすが、聖女様はなんでもお見通しってわけか」


「あなたの表情を見れば誰だってわかります」


それはそうだ。

ここは素直に睡魔に従おう。

俺はすぐにベッドに横になり意識を暗闇の中へ落した。



「ユウキさん、起きてください」


ふと聞こえた声に、闇から意識が引き上げられる。

薄く目を開くとカタリナが俺の肩を揺すっていた。

素直に上半身を起こすと、どのくらい眠っていたのだろうか、外はもうオレンジに染まっている。


「なんだ、用事でもあるのか」


「その通りです。今、希望号が停車しているのはお分かりですね?」


窓の外を見ると、確かに景色は流れていない。

また、周囲を注視すると建築物がほとんどなく田園や賑やかし程度の木々が生える緑の中を貫くように海へ続くコンクリートの橋の上で、希望号は停車している。

進行方向は間違いなく海だ。


「何やってんだ?」


「これから、海を渡るのですよ」


その言葉に眠気は吹き飛ばされ、不安が舞い降りてくる。


「冗談だろ?」


「降りて見学してみましょう。今朝も言った通り、それで全てがわかります」


立ち上がったカタリナに続き、俺も部屋を後にする。

とにかく、この状況をこの目で見て確認しなければ。



車両の外、橋の上に出ると、既に乗客らで人だかりができ、皆、視線を先頭車両へ向けている。

彼らに倣い俺もその先を注視するも、希望号の前に続く橋は崩れ落ち途切れている。

海を越え他国に渡る巨大な橋がある、というわけでもなく、この列車が空でも飛ばなければ、そのまま沈没して終わりという状況。

まさか、こいつらの言う願いが叶うとは、心中することではないだろうか。

俺はすぐさまカタリナに話しかける。


「悪いが、俺はここまでだ。こんな馬鹿げたことには付き合ってられない」


一応、現時点でもあのクソみたいな場所から抜け出すことはできているんだ、これで十分だ。

決して逃げているわけじゃない。

こんな、イかれた連中との関わりを終えるというだけだ。


「もう少しだけ、お待ちください。心配せずとも世界の果てまで進むこの列車に走れない場所はありません」


その言葉に否定を返そうと口を開いた瞬間、希望号から耳をつんざくほどの汽笛が鳴った。

そして、先頭車両が淡く輝きだす。


―――夢でも見ているようだ。

希望号から水平線へ向かって伸びていく光輝く何か。

目を凝らすとそれは線路であった。

そして、そこから枝分かれしていく無数の光輝く糸が巨大な橋を作り、あっという間に、先が見えなくなった。

それを見届けた後、乗客らの歓声が響く。


「魔装鉄路。これが、希望号に走れない場所はないと謂わしめる所以です。そして、試練の始まりでもある」


「魔装鉄路?試練?」


目の前の現実を受け入れられずに、間抜けな声を出してしまう。


「さぁ、乗車しましょう」


相変わらず、何も説明をせずに事を進めようとする彼女。

周囲の乗客も皆、希望に満ち溢れた顔で次々と乗車している。

俺はその中で立ち止まっていた。


「待てよ、こんなもの、信じられるか。これは幻覚か、いや、夢でも見ているんだ」


「そうやって常識ばかりを語っていては、あなたは一生、自分の人生を歩むことはできない。何も問題ありません。希望号は必ず、この橋を渡ります」


強い信念、疑念をかき消すほどの強い瞳の光。

わかっている。

日本で生きてきた俺の常識は誰かの一吹きで消え去ってしまうような未熟なものだと。

それに、疑念とは裏腹に、この高揚している気持ちも無視できない。

目の前でこれほどの奇跡を見せつけられては自分の過去を清算できる未来があるのかもしれないと思ってしまう。

人間として生きずとも良い見知らぬ世界があるのかもしれないと。

それは確かに漠然とした希望となり、この旅の進む先を照らしている。


ああ、考えがまとまらない。

それでも、確かなことが一つだけ。

罪の意識があるのなら、アイの生に意味を持たせたいのなら、進まなければ。


「行きましょう。あなたの迷いを晴らすために」


背中に吹き付けた一陣の強い風が俺の身体を動かす。

そのまま俺は、カタリナの後に続き乗車する。

そして、汽笛を鳴らした希望号は紫色に染まり始めた空へ向かって走り始めた。

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