識別名・セルフィッシュ👤

 僕の熱は冷めてしまった。

 なんて事はない思春期に訪れるただの挫折である事は自分でも分かっている。

 高校受験でどうしても行きたかった第一志望校に落ちたからといって、今後の人生が全て変わってしまうわけでもない。

 そう、そのはずなんだ。

 だけど、僕は余裕で合格した滑り止めの高校で頑張る気にもなれず、ダラダラと惰性的に学校生活を過ごすのだ。

 当然、力をいくら抜いてようが行きたかった学校とは偏差値が全く違うわけで、定期テストなんかも簡単にクラス一位をとったり、側からみたらそこそこ真面目にやってはいるのだが。

 くだらなくて退屈な学校生活。こんなのが三年ほど続くのか。嫌気がする。

 周りの奴らは馬鹿ばっかで、休み時間中に騒いだり、走り回ったり、僕がいうのも何だが、少しは真面目にやったらいいんじゃないか?

 特に、だ。このクラスにはどうやら高校生にもなって、イジメをしているヤツがいるのだが、そいつは本当にそんな事をしている暇があるのが羨ましいくらいだよ。

 よって集って、一人の女子の物を踏みつけたり、身体に水を浴びせたり。

 あまりに幼稚と言わざるを得ないが、巻き込まれるだけ面倒だ。こっちに火の粉が飛んでこないように距離をとるのが賢い。


 キンコーンカンコーン…キンコーンカーンコーン…


 帰宅時間を知らせる鐘がなる。

 

 「おっと、もうそんな時間か。」


 僕は読みかけの辞書のように厚い本に付箋を挟み、手提げ鞄の中に、突っ込む。

 周りを見渡すと、すでに教室は自分以外の人はいなかった。

 夕日が机や椅子に長い影を作る。

 右に左に揺れながら気だるげに、教室を出て、廊下に出る。

 少し肌寒い。「そろそろ冬服の季節だ。」なんて考えながら廊下を歩いていく。

 空き教室を通り過ぎ、男子トイレを通り過ぎて、女子トイレを通り過ぎ、下りの階段を降りようと手摺に手をかける。

 その時だ。

 かすかに背後から、女子生徒の下卑た笑い声が聞こえてきたのだ。

 そのまま、帰ろうかとも思ったが興味本意で音の発生源である、女子トイレに近づき耳をすませることにしてしまったのだった。

 中からは以前として、嘲笑うような女子生徒の声が聞こえている。どうやら複数人のようだ。


「キッタナ〜イ。あんたの事この雑巾で拭いてあげようか〜?」

「それ、いいじゃん!あ!でも、雑巾が汚れちゃうよ?雑巾がか、わ、い、そ、う〜!」

「確かに〜!じゃあ、トイレにこの汚ったない服を流してあげたら〜?これで少しはマシになるかもよ〜?!」


 僕はこの声に聞き覚えがあった。同じクラスの校内カーストが高い女子達だ。猿山のボスにしか見えないが、これでも女子の中だと逆らったらイジメの対象になるらしい。イジメられているのはおそらく、最近目をつけられた同じクラスのカーストが低めの女子だろう。嘲り笑う声の合間から聞こえる嗚咽を僕は知っていると感じた。

 帰ろうと思った。ここで、何かしたら僕が標的になるかもしれない。だから帰ろう。そう思った。

 女子トイレに背を向けて、僕は歩き出す。

 無視だ、無視。どうせいい事なんて何一つないんだから。

 その瞬間、女子トイレの方から誰かが走ってくる音がする。

 そして、「助けて!!」と下着姿に剥かれ、擦り傷だらけのメガネ女子生徒が僕に助けを求めて来たのだった。

 まるで縋り付くように、僕の目の前にへたり込み、ズボンを掴んで助けを求める。

「お願いだから、お願いだから助けて」と。

 僕はその時、どんな顔をしていたのだろう。

 その涙でぐしゃぐしゃな顔とボサボサになった長い黒髪、剥き出しになった柔肌を見て、僕は美しいと感じたのだった。

 彼女にそのまま見惚れていると、直ぐにボス女がトイレから出てくると、「ヤベ!」と言って去っていった。取り巻きの女子も同様に。

 どうやら僕がチクったと思ったみたいだ。

 僕は涙が止まらない女子の背中に手をやり、側にいることにした。下心はあった。


 その日から僕の日常は熱を帯び始めた。

 イジメられている女子は「三宅 陽奈」という名前で、イジメられた理由は真面目に学校行事の仕事をやらずにカラオケ等に行っていたらしいという事を注意したからだと知った。

 僕は陽奈がなんとかしてイジメられないように、ボス女の派閥以外の奴らと積極的に絡ませるように、裏で手を回したり、ボス女の悪行を言いふらしたりした。

 陽奈と何回も話し合い、どうしたらいいか。どうすればイジメられなくなるのかなどと対策会議もした。

 その度に陽奈は「君って、優しいね。」と力無く言っていた。僕はそれがとても嬉しかったのだ。

 対策のかいがあってか、どんどんどんどん陽奈の顔色は明るくなっていった。

 黒く長い髪は艶やかになり、メガネをコンタクトに変えた。先生に注意されないレベルの薄い化粧もするようになった。

 三ヶ月くらい経っただろうか。もう殆どイジメの話も聞かなくなった頃。

 陽奈が男と付き合っていたという事を本人の口から、聞かされた。

 相手は僕がボス女の手から逃す為に、絡ませたグループの中にいたチャラチャラとした男だった。

 僕は怒りで頭がどうにかなりそうだった。

 僕が陽奈を助けたのに。

 僕のおかげで陽奈は助かったのに。

 なんで、僕以外の男と付き合ってるんだ?

 それも僕のことわりもなしに。

 ふざけるな。

 僕はそんな感情に任せて、男の方に突撃した。

 相手にとってはなんで僕がキレているのか分からなかったかもしれない。それでも怒らずにはいられなかった。僕のものだぞ。と。

 ただ、相手の男の反応は予想に反して、あまりにも拍子抜けであった。


「ああ、お前。陽奈ちゃん好きだったの?おーい!言えよ!友達だろ?!」

「………」

「言ってくれれば、よかったのに。俺も最近飽きて来たんだよね。ちょっと遊ぶくらいのつもりだったのに、陽奈ちゃん重くてさ。一回ヤった途端直ぐに彼女ヅラだぜ?面倒くね?」

「………」

「だからさ、お下がりで良かったら、あげるよ。アイツ別れようって言ってんのに鬱陶しくて困ってたんだわ。お前が貰ってくれるならWin-Winじゃね?これ、名案だろ?」


 黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。

 彼女はそんな女じゃない。そこら辺の馬鹿な女を語る様に彼女の事を語るな。アイツらと同じ扱いをするな。

 これ以上馬鹿にするな!僕も!彼女も!


 気づいた時には、手提げに入っていた厚い本で彼の頭をメッタ打ちにした後だった。

 廊下に飛び散る血、赤く滲んだ表紙。

 僕は何故か、とても清々しかった。

 そうだ。彼女に会いに行こう。陽奈にこんなやつだったと報告しに行こう。これで彼女は僕に好意を向けてくれるはずだ。そうに違いない。


「なんて事をしてくれたの!?」


 彼女が最初に発したのはそんな怒声だった。

 彼女には殆ど何も伝えずに、ただ彼はこんな事を言っていた。だから僕は別れた方がいいと言ったとだけを伝えたのだ。彼女の事を気遣って。

 だから彼女がなんで怒っているのかが少しも理解ができなかったのだ。

 

  「…え?」

 「彼が私の全てだったのに!どうして!どうして!これで本当に別れる事になったらアンタのせいだからね!」

 「でもアイツは!」

 「あなたが彼の事を語らないで!あなたが彼のなにが分かるの!?勝手に決めつけて、勝手に見下しているあなたに、何が分かるの?!私がイジメられてる時にいつも彼は側にいてくれた!私を励ましてくれた!一緒に立ち向かってくれた!」

 「で、でも、でも!僕は!君の事を思って!」

 

 頬を叩かれる。

 

 「あなたの事なんて嫌いよ。二度と話しかけないで!」


 彼女は背を向けて去っていく。あの日僕に縋り付いた女はもういない。

 ああ、そうか。君も結局同じバカなのか。僕はあんなに君の為を思って、助けてやったのに。君はそんな態度を取るわけだな。君もアイツらと同じバカなのか。

 

 「じゃあ。もう。どうでもいいや。」


 僕は手提げから、厚い本を手に取った。


 

 

 

 

 

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