6
…区一丁目の二階建ての住宅で女性の遺体が発見されました。
遺体はこの家の住民ではなく、住民である夫婦は宮崎沿岸で遺体で発見され、現場に残された凶器から、殺人事件は容疑者死亡という形で不起訴となりました。
残された夫婦の息子一人は、DNA鑑定の結果、住宅で発見された女性の子供だと判明。
関係者の証言から、養子として夫婦に引き取られていた男児は容疑者の関係する病院で出生を偽られていた可能性があり、〇〇病院での不正は余罪もあるとして調査を…
着替え終わって部屋から出てきた父さんが、慌ててニュースが流れているテレビの電源を消した。
「圭、準備はできたか?」
普段通りを装って明るく聞いてくる父さんに「うん」と端的に返す。絵の具ボックスとスケッチブックを持ち、玄関で靴を履いた。
この町で起こった凄惨な事件は、この町で一番大きな大学病院の不祥事をあらわにして、日本中で騒ぎになっているようだ。
遺体を発見した俺は、この事件の当事者だった。
あれから、証拠隠滅した後に日部と一緒に学校に戻り、日部が一人、職員室に行き先生たちに家にある死体のことを話した。それから、家に確認しに行った種田先生がそれを見つけ警察に通報。いままで怖くて黙っていた、と俺と日部は警察の事情聴取で話した。血で汚れた服を警察に渡し、恐ろしい思いをして慰め合う友人だと警察には思われている。町の人たちからも、同情の視線を向けられる日々だ。
あれから、俺たちは一方的な被害者として扱われている。
車が曲がりくねった林道を走る。
父さんが後ろに座る俺たちに話しかけるが、あの日から日部は反応が薄くなり、何も話さなくなってしまったから俺が相手をする。
日部の家には今も連日マスコミが張り付いているため、日部は俺の家で寝泊まりにして学校に行っていた。学校が休みの今日、死臭に慣れてしまった日部を気遣った父さんが自然溢れるところに行こうと提案し、車は貯水湖に向かっている。
晴れやかな空を塞ぐ木々の風景に飽き始めた頃、開けた湖が前方に広がる。駐車場に停まった車から降りると、こちらに向かって手を振る背の高い男性がいた。
日高先生だ。
父さんは驚いていたが「俺が呼んだんだ」と言うとまた驚いた顔をした。
「子供は、大人が思っているよりもずっと聡いですよ」
「は、…はぁ。そうですか」
父さんは理解したのか、バツが悪そうに頭を掻いた。
父さんが最近していた電話の相手は日高先生だった。
日高先生から病院の不祥事について密告を受けていた父さんは、病院を告発するために連絡を取り合っていたらしい。ところが、それより前に事件が起きてしまったと、日高先生に聞いたら教えてくれた。
対応が後手後手になっているが、日高先生は病院側の証拠隠滅前の資料を手元に持っており、全面的に父さんに協力すると俺に約束してくれた。
「日高先生には近いうちにこちらから電話しようと思っていたんですが、バタバタしていて連絡が遅れてしまって、すみません」
「いいえ。もう不祥事は世間にバレたのですから、こそこそとする必要もないでしょう」
「そうでしょうか、日高先生には、圭がお世話にまでなっているようで、なんと言っていいのか…、ありがとうございます」
「わたしのほうこそ、河野くんには話し相手になっていただいてます」
頭を下げあった後、日高先生は俺と日部を交互に見て、いつもより分かりやすく微笑んだように見えた。
「圭、悪いけど…」
父さんは申し訳なさそうにこっちを見る。目の周りに深くなるシワが情けなく、改めて日高先生と同世代だとは思えない。
「うん、俺たち、難しい話は分からないからあっち行ってる」
指差した方向に歩き出すと、横にいる日部は着いてこなかった。
鼻筋の通った顔は湖を見つめていた。
湖の表面には二羽のカモが気持ちよさそうに泳いでいる。
俺は、片手に持っていたスケッチブックを脇に挟んだ。
「努」
絵の具ボックスを持っていない手で手を繋ぐと、日部は意識しないと分からないくらいに瞳を瞬かせた。
「こっち」
緩く引っ張って、ようやく重い足は動いてくれた。
パタパタと後ろでカモが飛ぶ羽音がする。
湖の外周をなぞるように歩くにつれ、父さんたちの声が小さくなっていく。俺は努めて小さく、聞こえるくらいの声で日部に話しかけた。
「先生と父さんが見てないか、見張ってて」
「…」
先日の雨で貯水湖の水量が増し、水面が前来た時よりも上にあると柵を見下ろして判断する。このあたりで、日部はオムレットの紙をビリビリとちぎって捨てたのだ。
俺のアイデアは全て、日部のいたずらが影響している、と思う。
少し歩くと、父さんと母さんがよく座っていたドーム状屋根が特徴の休憩スペースが見えてきた。
休憩所に辿り着き、隣に日部を座らせる。
ここからだと広場近くの駐車場にいる父さんと先生がよく見える。
俺はちょうどあそこから、ここに座る母さんと父さんを描いていた。休憩所の屋根を支える太い柱によって見えない角度も把握している。
「最初に日部の父親の死体しか見つかってなくて助かった。ほんとに努は運がいいのかもな」
「……」
話しかけても返ってこない返事には慣れてきた。
日部は俺の声を聞いてはいるんだろうが、言葉にするのに時間がかかるようだ。
日部を診た精神科の先生が言うには、心的外傷ストレスによる一時的なものらしい。「圭には言っておいたほうがいいと思うから」と、父さんに聞かされた。
「2人一緒に見つかってたら、種田先生は日部を警察署まで連れて行っちゃってたと思う。そうしたら腹のナイフは取れなかった。偽装工作だって、なんだかんだ上手く行ってるのも、努の運のおかげかも」
横に置いた絵の具の収容ボックスのロックを外し、開く。
ペインティングナイフにしては鋭すぎるそれ。
何本もある七色の絵の具チューブの上にひっそりと置いてある、細いナイフを手に取る。開いたままのそれを折りたたむと黒い柄に刃先が綺麗に収まった。
この状態であれば光に反射することはないだろう。
日部は俺の言った通りに、日高先生と父さんがいる方向を監視してくれている。顔がこっちに向いていないから顔色を窺い知ることはできない。
「なんで手首が見つからないのか不思議じゃない?」
横目で見ると、日部は太ももに置いている手を僅かに動かす。
「俺がここに捨てたんだ」
「…え」と、掠れた声がした。
揺れるか細い声は、声を出さなくなったことで喉が弱くなったせいかもしれないが、日部の緊張が俺にも伝わってくるようだった。
父さんと貯水湖に行った時にちょうど電話が鳴ってくれてよかった。それがなければ、どうやって見つからないように捨てようかと思っていた。
「だってあれ、努の手にそっくりだったから。黒子の位置が同じだったから、努のお母さんの手だと思って、持って帰った。お前がやったんだと思って、見つからないようにって、ここに投げ入れた。
手首だけだと浮いてくるかもしれないから、新聞紙に丸め込んで中に重りもいれたから、水質検査とかで中を調べない限り見つからないと思う。雨で水量が増えても浮いてない、今考えても正解だったよ」
日部は黙って俺の言葉を聞いている。
「水に入れば指紋も消える。誰かに見つかっても、犯人が投げ捨てたんだって思ってくれる。だって俺ら、まだ中学生だしさ、父さんも日高先生も不審に思ってるかもしれないけど、優しいからきっと守ってくれる」
見つめる先に遠くから、一羽の鴨が飛んできた。
先ほど見かけた二羽のうちの一羽だろうか。
波立たせ、美しく水面に着地する。
「投げるよ」
「…」
日部が頷くのを見て、ナイフを放り投げた。
鴨のいるところは避けたが、敏感な野鳥は羽をばたつかせて飛び立った。
ぽちゃん、と水の音がする。
母さんの手首を切ったナイフが、静かに湖の底に沈んでいく。
「大丈夫、見てない」
そう、硬い声で日部が言った。
俺は数日ぶりに聞いた声に安心して、体勢を戻した。横を見ると、日部も同じように俺を見ていた。
「俺は異常なのかな」
掠れた声が確かにそう言った、話せるのか、と聞こうとしたが、意識は日部に釘付けになり、その問いかけは口を出なかった。
無機物に対して美しいと思う心に似ている。
整った顔に生気はなく、死人のような美しさになっている。
本来、日部はこんな人間だったんじゃないか。
学校での明るさも子供のように喜ぶ姿も全ては他人に愛されるための生存戦略で、解放されたいま、元に戻ったんじゃないか。全てのしがらみから解放されたら、人はこんなに美しくなるんだろうか。
それとも、日部だからなのか。
「本当に、河野が好きだ」
「…ひどいこと言って、ごめん」
日部が椅子の上の俺の手をかぶせるように左手で握る。体温が触れ合った肌から、生きている人間の熱が熱いほど伝わってくる。
「お前の、なんていうか、人と距離を取ってるのに人が好きなところとか、傷ついてるのに笑えるところとかが、いいなと思うよ。俺にはできないことだから」
「すきだ」
しがみつくような強い力に顔を顰める。
「…父さんが努を引き取るらしい。裁判がなんとか終わったら、俺たちは正式に兄弟に」
「河野だけだ」
開かれた目のはじから溢れるように一筋の涙がつたった。
「迷惑そうな顔も、嫌そうな顔もせずに、遅い俺をただ待ってくれるのは…河野だけだったよ」
ぎゅう、と痛いほど握ってくる青白い左手の甲には黒子がある。
俺はふと、日部の母さんだった人がリスクを超えて赤ちゃんの時の日部を選んだのは、手の黒子に運命を感じたからじゃないか、なんて思った。
「俺はどうして、河野を好きになったんだろう」
頬をとめどなく流れる涙に心がツキリ、と痛む。
「お前が悪いことなんか一つもないよ」
握られた右手をそのままに、左手を背中に回して抱きしめた。
日部が一瞬息を飲んだのが、触れ合う胸の動きで分かる。
「俺も一緒に、苦しむから、日部はもう、一人じゃないから」
俺は日部を許さないなんてできない。
母さんを見殺しにしても、手首を切り取っても、日部を責めることはできない。俺は日部に怒らないといけないのかもしれない、日部は自分のした罪の罰を、ちゃんと受けないといけないのかも知れない。
俺たちがやったことが俺と日部の心に永遠に残るしこりになって、これからずっと苦しむかもしれない。
「俺も、好きだよ」
抱き合った体がふるり、と震える。
肩にあたたかい滴が降ってくる。
肩を濡らす温かい熱を、感じたことのない切なさで愛おしいと思う。
同じ量の今までの、張り裂けそうな苦しみや悲しみも含んでいるそれを、かき集めるように強く抱きしめた。
鼓動が溶け合って一つになる。時間の感覚が消えて、空間に溶ける。罪を分け合うみたいに、なんの音もしない静かな空間が、俺たちを黙って包んでくれる。
「大好きだ」
ドーム型の屋根に守られて、世界から見えないように、いつまでも抱き合っていたかった。
ある日の殺人 @derara12124
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます