第2話

 大和の纒向宮を出たのは晩秋、神無月のことであった。

 それからというもの、皇子と二人でひたっすら歩き倒すだけ歩き倒した。

 本当は海路を使えばもっと早かったのだが、さすがに瀬戸の内海を横断しようと思えば船団の世話にならなければいけない。船団は各地の豪族とも繋がりが深く、そこにばれたら密命にならないので、かれこれ二箇月ばかり毎日毎日陸路を辿った。川や海峡で時々渡し舟の世話にはなったが、元々怪しい身の上の俺は言うにあらず、さしもの皇子もいい具合に薄汚れていたので、誰にも看破されることはなかった。

 ともあれ、皇子と俺の前に名高い火の山が見えてきた頃には、既に年の瀬も暮れようとしていた。思いのほかに寒くないのは、熊襲がかなり南方に位置するからだろう。火山灰を含んだ海風はさすがに冷えるが、存外に陽脚は明るかった。

 熊襲の郷は随分と賑わっており、往来にも活気がある。遠方から交易に来たと思しき人々も珍しくないので、皇子と俺が紛れ込んでも怪しまれることはなさそうだ。そんな様子を里山から見下ろしながら、今日の晩飯を広げることにした。

 「熊襲の首長は一人ではないらしい」

 腹ごしらえに焼いた雉の串焼きを齧りながら、皇子はふと思い出したように言い出した。

 「え?」

 「熊襲には梟帥タケルという王がいるのだが、たくさんいるので八十梟帥というそうだ。通常はそれぞれの土地を統治しているが、熊襲全域での決め事は合議で行う。後継者が立つにしても、周りの梟帥の信認を得ない限りは認められないから、実力のないものは承認されにくい」

 「へー、大和とは違うんですね」

 大和の直接支配が及ぶ地域では、今上が唯一の大王として君臨し、各地の豪族も大王を中心とする集権体制の中に組み込まれている。てっきり熊襲も同じような体制だと思っていたので、社会制度自体が異なるというのは何だか意外だった。熊襲といっても一つの国というわけではなく、小国連合みたいなものなんだろうか。意外と画期的な制度みたいに思える。

 皇子は串に刺さった雉の腿肉を齧りながら頷いた。

 「熊襲の人々にはあの火の山が何よりの脅威だから、周辺の国同士で手を携える習慣ができたらしい。そこ行くと、我が大和は元々盆地だからな。水害も多くて食料が乏しい時期が長く諍いも絶えなかったから、最終的に一人の傑出した大王が立つことになったのだろう。そもそも我が父祖は日向から東征したと伝えられるが、結局は定住せずに戦力を蓄えることに特化してきた一族だ。別に大和を目的地としていた訳ではなく、大和が余所者でも統治できるほど政権交代の活発な土地だったので、そこに定住を決めたと見る方が正解ではないかと思う」

 物凄く知的なことを言った直後、皇子は焼きたての雉の皮から溢れた肉汁で口元を汚した。あつっ、とか言いながら腕で顎をぬぐう仕草がやけに子どもっぽい。

 「……皇子、何だか学者みたいなこと言いますね」

 「なに、大伴武日の受け売りだ」

 「あ、あの先生ならいかにも言いそう」

 宮中屈指の知性派の顔を思い浮かべながら俺は得心した。元は武門の出自と言うが、当代随一の学者で、今は皇子の教師を務めている男だ。老け顔だが俺とそこまで歳は変わらなかったように思う。真面目そうな男だが、今上や大王家に忠実と言うよりは学問的な事実を追及する人物なのだろう。さっきの説明を聞く限り、下手したら不敬で首を飛ばされかねないぎりぎりのことを考えているらしい。

 まあ、うちの皇子がそんなことを取り沙汰さないのは今に始まったことでもない。うちの皇子はさすがに聡明だ。

 「ともあれ、そういうことで少し厄介なのだ。一人二人斃したところでまだまだ梟帥はいるし、俺たちは追撃をかわして逃げ遂せなくてはいけない」

 うん、やっぱり聡明な皇子が考えても俺と同じ結論に辿り着くらしい。今上も無茶な指令を下されたものだ。そもそも自分だって六年がかりで軍勢を率いて平定したんだろうに、こっそり大和の他の面子にばれないように片付けてこいとか無茶ぶりにもほどがある。

 「……そもそも、今上は熊襲をどのように平定されたんですか」

 「当時の熊襲は、梟帥ではなく鹿文カヤという女王が席次の多くを占めていたらしい。そのため父上は何人かの鹿文を寵愛し、他のまつろわぬ梟帥や鹿文を殺させたり、父上の意に沿うように統治させた。で、鹿文たちが父上の御子を産んだらそれを国造にするよう定めた」

 「いっそ清々しいまでに今上らしいやり方ですね」

 「うん」

 皇子も慣れたもので平然としている。この歳でしれっとそんな話をしてしまえる皇子の身の上は、俺から見るとちょっと気の毒なのだが、皇子の方はまるで平気なようだ。

 「まあ、その影響かはわからんが、今は鹿文より梟帥の方がかなり数が多いらしい。女は男に騙されると教訓ができたのだろう」

 「それでは、熊襲には皇子のご兄弟がおられるわけですか?」

 「そういうことだが、生憎顔もわからんし、そいつがしっかりしていれば俺がここに来ることもなかったはずだ。どうせ名ばかりの国造で、八十梟帥に統治を任せきりにしているのだろう」

 身も蓋もない言い草だ。どうやら助っ人は期待できないらしく、俺はため息をついた。皇子は肉汁を啜りながら雉肉を完食すると、串をぽんと焚火の中に放り込んだ。ぱっと舞い上がった炎が脂の染みた串を舐め取る。

 「まあ愚痴を言っても始まるまい。里で物資と情報を集めるぞ」

 尻を叩いて立ち上がった皇子は、今はどう見ても流れ者の狩人だった。

 ただ、その顔に浮かぶ輝くような笑みだけは、只者とも思われぬものだったけれども。



 とりあえず物資を調達する元手として、皇子は山で狩ってきたキツネや雉をぶら下げて里に下りた。俺も適当に野草やキノコを取ってきたが、香りの強い野草や薬草の類はどこに行っても好まれる。訳知り顔のばあさんの相手をしながら井戸端会議に付き合えば、巷の話題くらいは把握できる。

 里市はさすがの賑わいで、早速有力な情報がいくつか集まった。

 「近々大きな宴会が開かれるらしいな」

 待ち合わせ場所にしていた街道沿いの泉に戻ってきた皇子は、何やら大きな包みを抱えてきていた。どうやら首尾は上場らしい。

 かくいう俺は、野草やキノコと引き換えに、保存に便利な干飯や干物や醤や芋茎をしこたま仕入れてきている。我ながら平常運転だが、まあ欲しかったのは物ではなくて情報だ。

 「みたいですね。屋敷の新築記念のお披露目だとか」

 「それも、かなり影響力の強い梟帥だという」

 「ですです。近隣の梟帥や鹿文が軒並み集まる機会だと聞きました」

 皇子と俺と、別々に市をうろついたのに同じ情報にたどり着いたということは、つまるところその話題で持ちきりだったということだ。里を見下ろす高台に、真新しい白木の屋敷がそびえているのは確認済みだ。

 ついている。討つべき相手が一同に会してくれればやりやすいことこの上ない。

 ただ、どうやって討つかが問題ではあるが。

 「川上梟帥と言う名前らしいですが、どうも兄弟で梟帥の任についているみたいですね」

 「そうなのか?」

 皇子は少し驚いたような声を上げた。

 「だとしたらまずいな、少し予定が狂うかもしれない」

 「皇子、何か策でもお持ちだったのですか」

 この短時間に案を見つけてきたとか、さすがはうちの皇子だ。感心しながら俺が訊ねると、皇子はこくりと頷いて恭しく包みをほどき始めた。

 綺麗な布で包まれたそれに、皇子は神妙に目を落とす。

 「俺が聞いてきたのは、梟帥の趣味だ。十代後半の清楚な雰囲気が好みだと聞いたので、いけると思ったんだが……」

 そう言いながら皇子が取り出したのは女物の装束だった。

 「……まずいな、兄弟どちらの好みなんだろう」

 いや皇子。お待ちください皇子。

 皇子が何をしようとしているのかはわかるが、何を考えているのか、凡人たる俺にはさっぱりわからない。



 ――さて、くどいようだがうちの皇子は美しい。

 今上の涼しげな麗質と母君の華やかな美貌を受け継いだ、世にも稀なる美しさの持ち主だ。

 そんなうちの皇子である。どんな姿形でもこれ以上なくお似合いになる。それが例え今流行の女物の衣装であっても。

 皇子が里で獲得してきたのは、宴席の酌女が纏う華やかな女物の衣装だった。都の宮女たちが纏うものに比べると色は濃いが生地の質は少し落ちるし縫製はやや甘い。だが、その分闊達な華やかさがあった。

 皇子は川で全身を洗い、念を入れて顔回りの産毛を小刀で擦り落とす。葛の汁で髪の毛を念入りに磨いてくしけずると、流浪の猟師にしか見えなくなっていた皇子は、生来の美貌を取り戻した。正直、見とれるほどの美人だ。

 さて、皇子はまだ十六歳である。身長もまだ伸びきってはいないし、手足も細いし胸板も薄い。そんな肢体を女物の衣装に通すと、まさしく女にしか見えない。水鏡に姿を映しながら、皇子は焚火で乾かした髪をちょっと摘んでみせた。

 「……髪型と化粧をどうしたものか」

 「いじってもいいですか?」

 櫛を取り出して皇子の髪の毛を梳く。艶のある黒髪を全部結い上げるとさすがに首周りが気になるので、半分解き下ろして上の方だけ小さめの髷に結う。椿の花を見つけたので、それを簪代わりに髪に挿す。

 皇子は紅ももらってきていたので、それを唇と目元に差す。頬にも少し乗せて指の腹で伸ばすと、色白の肌がほんのり上気したように仕上がった。

 やばい、自分でやっておきながら何だが、これガチのやつだった。

 皇子の女装の完成度の高さに俺は密かにうろたえるが、皇子は実にご満悦でおられた。いや、可愛く見える角度なんか研究しないでよろしい。どこから見ても可愛いのだから。

 さて、実に愛らしく仕上がった皇子は弾むような足取りでるんるんと新築の屋敷を目指す。女一人で出向いて大丈夫かと思ったが、門番は疑う様子もなくあっさり中に通していった。まああの出来映えであれば当然か。

 次は俺の番である。皇子の行水と一緒に俺も少しばかり身綺麗に繕った。熊襲風の服装に改め、背中にしこたま野草やキノコを詰めた籠を背負うと、屋敷の裏側を目指した。

 大体予想していたとおりだ、水回りというのはどこも似たような間取りをしている。紛れ込むのもそう難しいことではない。

 忙しく走り回る下男下女たちをかいくぐり、俺は井戸端に素知らぬ顔で紛れ込んだ。

 「あんた新入りかい」

 「いんや、助っ人さ。市鹿文の屋敷にいたもんだ」

 適当に小耳に挟んだ鹿文の名前を出してみたところ、案の定、誰も疑う気色もない。次から次へと猪や鴨が運び込まれてくるので、下男と一緒にとにかく流れ作業で捌いていった。元々相当な規模の宴会だとは目星がついていたが、獲物の数から察するに相当ガタイのいい連中ばかりのようだ。

 しかし野の獣は臭いがあるし、何より固い。かと言ってこの量の肉をいちいち丁寧に湯引きするのは難しい。どうしたものか。

 「――よし、肉はできるだけ薄く削げ」

 「どうせ食えば同じだろ」

 「酒と塩はあるんだろ? それなら生姜を刻んで一緒に揉めば臭みが消える」

 でかい酒船を準備させて、肉をぶち込み下味を揉み込む。幸い今日は宴会だ、酒も塩もこれでもかと準備しているので不自由はしそうにない。

 人間の出入りが激しいこういう厨房では、とにかく場を仕切ったもん勝負というところがある。有無を言わさず美味そうなものを仕上げてみせればこっちの勝ちだ。

 おっと、籠に小魚が大量に乗せられて入ってきた。身が太ったぴっかぴかのきびなごだ。寒い時期は小骨も小さくて食べやすいから、ひたすら叩いて醤を混ぜて膾にする。

 お次は肉の串焼き。下味をつけた猪肉はそれだけだと薄いので、幾つか重ねてぐるぐる巻いて串に刺す。鴨は味のいい胸肉を中心に、肉の薄い部位は軟骨ごと叩いてつくねにする。串に刺した肉が崩れないように合間合間に小口切りにしたキノコを挟む。醤と生姜を和えて作った特製たれを塗って炭火で炙ると、たちまち脂の焦げる匂いが漂ってくる。

 しかしそれで足りるはずもない。大人数向けの料理と言えば鍋に限る。猪鍋だ。

 鍋に肉を入れて軽く火を通し、それから湯を注ぐ。醤で味を調えたら野菜をこれでもかとぶち込む。松茸なんかはちょっと山を探せばすぐ見つかるが、とにかく香りが強いので入れておけば旨そうな匂いが漂ってくる。これをとにかく馬鹿でかい鍋にいくつも仕込んでいく。何しろ宴会は梟帥や鹿文といったお偉いさんだけでなく、そのおつきの者たちまで満足させないといけないのだ。

 料理に火が入った傍から次々と広間へ運ぶ。俺が鍋を運ぶ頃には、楽の音とともに既に酒の入った賑やかな声が響いてきた。

 気づけば外はすっかり日が暮れていたが、篝火の焚かれた中庭はほとんど真昼のように眩かった。

 花筵が広げられた広い庭のあちこちで、上機嫌のおっさんやおばさんが酒を片手に歓談している。あれが梟帥や鹿文だろうか、なるほど貫禄がある。合間を縫うように可愛い女の子たちが酌をして回っていた。

 熊襲の楽は鼓の音も賑やかだ。篠笛が軽やかに響き、やんやと手拍子が沸き起こる。椀に鍋をつぎ分けていた俺はふと篝火の中を見やって思わず手を止めた。

 裾の長い襲で顔を半分隠した舞姫がそこにいた。長い黒髪を艶やかに流し、椿の髪挿がちらりと覗く。やや背が高いが、手足がすらりと伸びて細身の体つきが妙に色っぽい。するりと抜いた刀を煌めかせて、素足を捌いて素早く跫音を刻む。

 間違いない、うちの皇子だ。

 ――女舞上手いですね。いつ覚えたんですか。

 と、半ば見とれかけていたところ、上座から声がかかった。見れば物凄い大男が二人、実にむさ苦しい様子で一段高い場所に座っている。間に挟まれたお酌係の女の子が露骨に嫌そうな顔をしているのが印象的だ。配席から察するに、あれが新築の館の主の川上梟帥か。なるほど強そうだ。

 「おい、舞姫。こっちへ来い」

 皇子はにっこりと笑って上座へ向かう。刀を鞘に収めるが、胸高に締めた帯に差し込んだ。あ、これ殺る気だ。

 さて、女装中の皇子は大男の間にちょこんと収まる。先にいた女の子はぞんざいに追い払われたけど、むしろほっとした顔をしていた。

 大男たちは実にご満悦だ。別嬪さんにお酌をさせて、何か話しかけては物凄く楽しそうに笑い声をあげている。見れば美味そうに串焼きにかぶりついていて、ふとした拍子にうちの皇子は物欲しげな目を向けた。こら皇子、お酌に集中しなさい。

 宴も盛り上がってきて、俺は次々と鍋をよそってまわった。遠近で酔漢がすっ転ぶ派手な音が響き、げらげらと賑やかな笑い声が聞こえる。女の子の短い悲鳴が時々聞こえるのは、おっさんたちのお触りだろう。たまに鹿文と思しきおば……姐さんたちが梟帥をひっ叩いている。だが、鹿文の姐さんたちもだんだん酒が回ってきたのか、口数が一気に増えて、その後呂律が怪しくなってきた。

 酔い潰れた人たちが目立ち始めたので、俺は鍋と酒瓶を片手に中庭の外れに向かう。

 「お前らもどうだ」

 衛士どもは顔を見合わせるが、鍋から漂う匂いにぐうと腹を鳴らした。にやっと俺は笑って見せる。

 「お偉方も潰れてんだ、今更誰も見咎めねえよ」

 二人ばかりの椀に鍋の中身をつけていると、俺も俺もと衛士や舎人が寄ってくる。おいおい押すな、ちょっと待てよ。

 一頻り配り終えて上座を見れば、真っ赤な顔になった川上梟帥の片方がこくりこくりと船を漕ぎ始めた。真ん中に座っている皇子にぶつかりかけて目を覚まし、そのままの勢いで皇子にがばっと抱き着く。

 さすがに俺は慌てた。ダメだ、いくら皇子が可愛くてもさすがに身体に触られたらばれてしまう。

 と、その瞬間に抱き着いた梟帥の身体がぐらりと傾いだ。どさりと床に仰向けになった彼の胸から、どくどくと鮮血が迸る。斃れた梟帥の影から姿を見せた皇子は、返り血を浴びながら目通りに刀を構えていた。ふとにこりと微笑んで刃を翻す。

 川上梟帥のもう片方の反応は早かった。振り降ろされる刃から転げるように身を交わし、そのまま立ち上がって逃げようとする。だが彼は一瞬足が縺れた。皇子は梟帥の裾を引っ掴んで、刃を突き上げるように突き刺す。ようやく事態を把握した中庭のあちこちから悲鳴が上がった。

 「おい、ちょっと待て!」

 よく通る男の声が響いた。見れば皇子に胸倉を掴まれた梟帥が押しとどめるような恰好をしている。その胸元に深々と刀が突き立てられているが、刀身で傷を塞がれているためか思いのほか出血は少ない。だが梟帥の顔は既に蒼白だった。

 「女、一体お前は何者だ」

 「女ではない、俺は大和のおぐなだ」

 さらりと顔に掛かる髪を揺らして皇子は答えた。やまと、と梟帥は口の中で呟いた後、皮肉めかして笑ってみせた。

 「そうか、あの大足彦おおたらしひこの手の者か。我ら兄弟よもや膂力では負けまいが、そんな卑劣な手は見たことがない」

 ふむ、今上は熊襲の地では、大足彦という御名で呼ばれているらしい。

 皇子は可憐な姿のまま、ぎし、と刃を動かした。

 「聞きたいことは終わったか?」

 「いや、まだだ。いくら卑怯な手であっても、勝ちには代わりない。敗者にはそれを称える義務がある」

 さっきまで酒をしこたま喰らった上に胸を刺されているにも関わらず、川上梟帥の声はぶれない。さすがは名に聞く熊襲の長である。

 皇子は輝く眼差しで梟帥を見据える。梟帥もまた、床に押し倒され胸に刃で胸板を貫かれたまま、強い瞳を皇子に向けた。

 「敗者たるもの、勝者には最も価値のあるものを譲らねばならない。我らを討つ者が大和のガキなどとふざけた名乗りをして堪るものか。我らの誇りにかけて我らの名を譲ろう。梟帥だ、その名を今後は名乗るがよい」

 「タケル」

 「今からお前は、大和梟帥だ」

 川上梟帥がそう言い終えるのとほぼ同時に、皇子は刃を抜いた。血飛沫が噴き出して辺りが鮮血に染まった。壇上で皇子は人々とを睥睨する。

 「ヤマトタケル――悪くない」

 篝火に照らされる血染めの皇子の微笑みは、ぞくぞくするほど美しかった。



 夜半、熊襲の国造の屋敷を訪なった皇子は身分を明かし、川上梟帥の討伐を報告した。

 うろたえる若い国造は、一応は皇子の兄弟に当たるはずだが、そこまで才気走った印象ではなかった。鹿文である母親の言いなりで、それはつまり八十梟帥に依存しているということだった。川上梟帥の宴会には参加していなかったが、要するに熊襲ではそれだけ軽視されていたらしい。

 まあ、今回の件で八十梟帥の力はそれなりに削がれたので、後は何とでもなるだろう。と言うか大和から補佐官を派遣すればそれで多分治まるはずだ。

 「七掬脛、腹が減った」

 歓待を固辞し屋敷を退いた皇子は、外に出るなり開口一番そう言った。

 「何なんだ川上梟帥のところで出したあの串焼き。物凄い美味そうだったぞ、あんなの作ってくれたことなくないか? あと鍋。だしの効いたすっごいいい匂いがして、涎が垂れそうだった。演技を忘れそうになるじゃないか」

 「駄目ですよ舞姫ががっついちゃ」

 俺は屋敷を振り向く。急の事態に中では喧騒が響いているが、さすがに国造からも川上梟帥の屋敷からも追手の気配はない。

 無理もない、今頃あらかたの梟帥と鹿文は川上梟帥の屋敷で泥酔している。と言うか、軒並み動けなくなっているはずだ。

 「今回、しこたまホテイシメジを仕込んでるんですから」

 「シメジって……キノコか?」

 「あれ美味いんですけど、酒と一緒だとどんな酒豪でも一発で悪酔いするんですよ」

 味はすこぶるいいのだが、酒のつまみにしたときには悲惨な目に遭う。しかも今日の料理は少しばかり味を濃い目にしていたので、随分酒が進んだだろう。酒に弱いからと自制する人も、今日みたいな席では少しばかり口にするが、酒に弱い人間ならそれこそ一口で十分だ。酒の周りが早くなり、あっという間に悪酔いと二日酔いがいっぺんに来たみたいな惨状を体験できる。

 「だから舎人や衛人に至るまで、みんな身動き取れなくなってたのか」

 宴席では既に前後不覚の連中も少なくなかったし、辛うじて意識はあっても動くどころか指示を出すどころの状態ではなかった。皇子と俺は悠々と川上梟帥の屋敷を退出し、そのまま国造の屋敷に報告に向かったという次第であった。従って皇子は血みどろの女装姿のままなのだが、却って度肝を抜いたように思う。

 ひとしきり聞かせてみると、皇子は何とも言えない凄い顔をした。

 「えげつないな、要するにあの激美味い飯に毒を盛ったのだろう」

 「えげつないのはどっちですか。激可愛い娘が刺客でしかも男だったとか」

 「騙される方が悪い。別に俺は女だなんて言ってないし」

 「それなら俺だって別に毒を盛ったわけじゃありませんし。食いあわせが悪いだけです」

 実のところ、毒キノコを盛ろうかなと思わなかったわけではない。別に良心が咎めたというわけではなく、ばれずに症状の出る奴が見つからなかっただけだ。と言うわけで、今回ボツにしたキノコを何種類か厨房の傍に置いてきてしまったことを思い出した。ドクササコやドクヤマドリや、見た目は実に美味そうなのだがどいつもこいつもえげつない症状がかなり遅れてくる奴ばかりだ。誤食に気をつけろよーと厨房で作業していた連中に心の中で呼びかける。

 そのうち垂らし髪が鬱陶しくなったのだろう、皇子はばさりと髪を掻き上げた。仕草はすっかり普段の皇子だ、隠しようのない男前っぷりが滲んでいる。

 「……あ、別に酒を飲まないなら平気なんだろう、今日の鍋。それならやっぱり食えばよかった」

 「また作ってあげますから、今度はホテイシメジ抜きで」

 根負けした俺がそう言うと、皇子はにかあっと嬉しそうに笑った。

 飯を喜んでくれるのはありがたいが、多分あの食いつきっぷりを見せたら男だとすぐにばれただろう。

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