皇子さまのメシ係

かとりせんこ。

第1話

 我が皇子は、今上陛下の第三皇子である。

 今上は若かりし折、大八島のあらゆる乙女をときめかせる類稀なる美男であらせられた。皇別の高貴なお生まれである皇后もまた、豊葦原に名を馳せる絶世の美女であらせられた。そのお二人の御子であれば、知れ切ったことであるが皇子は幼少のみぎりから大層お美しかった。今上譲りの凛とした面差しに、皇后譲りの晴れやかな朗らかさが加わったとあれば、その麗しさに異を唱える者などいなかった。

 並ぶ者のないやんごとなき血統と恵まれた容貌を以てすればごく当然のことであるが、皇子は宮中の采女たちから頗る甘やかされてお育ちになった。宮中とは様々な思惑の飛び交う伏魔殿であるが、女どもから庇護され殿上の荒波にもまれることもなかった我が皇子は屈託なく、誠にまっすぐなお人柄にお育ちになった。

 まるで姫君のように可憐な容姿ながら、幼少のみぎりより皇子は武術を嗜まれた。武功で名を馳せた今上の血筋は争えるものではなく、これまた素直な気質でひたむきに鍛錬を重ね、将兵どもから一目置かれるほどの武才を身につけられた。更に人の上に立つ者として勉学にも励まれ、近臣から嘱望されるほどの叡智を磨いておられた。

 つまるところ我が皇子は、容姿端麗眉目秀麗才気煥発文武両道。齡十六にして、絵に描いたような超人であらせられた。

 「七掬脛ー、おーい七掬脛ー」

 さて、我が皇子がお呼びである。

 賤しくも俺などは、そもそも皇子にお仕えできるような身分ではなかった。山の中で道を失った俺を、初めての狩りに来られた年少の皇子がお拾いになられたのは、今から七年ほど前のこと。それ以来皇子はどういうわけか俺のことを重用してくださっている。名の知れた豪族の子弟なども宮中には多く仕えているのだが、皇子は決まって俺を親しく召し出されては伴をお命じくださる。とても光栄なことには違いない。

 だが。

 「七掬脛、腹が減った。さっき鴨を射てきた、飯の支度だ」

 ――何故にうちの皇子が、鴨の首を鷲掴みにしてこちらに駆けてくるのか。

 事情とか経緯とかが未だに把握できていない俺には、どうにもこの現実が飲み込み切れていない。



 さて、我が皇子が大変高貴な身の上であることは、既に述べたとおりである。

 その皇子がつい先日、今上から主命を下された。熊襲の地に赴き、まつろわぬものを征伐せよとのお達しである。勇敢にして誠実な我が皇子は謹んで拝命した。

 熊襲といえば、今上が若かりし折に六年の歳月を費やして平らげた九州の蛮族である。今上は、大和に背き貢物の献上を拒んだ熊襲に親征され、多くの兵力を犠牲にしながら何とか平定された。熊襲の地には女王が多く、今上の麗質がものをいったという巷間の噂はこの際余談であろう。

 それだけの労力を払い服属させたはずの熊襲で、またもや不穏な動きが確認されたという。今上の親征はもはや難しいということで、白羽の矢が立ったのが我が皇子であった。

 栄誉には違いあるまい。何より、今上の功績を引き継ぐ大事業を任されたのであるから、我が皇子への期待は弥が上にも高まらざるを得ない。取りも直さず、我が皇子が日嗣として嘱望されているということを意味する。

 しかしその道行は不可解であった。主命はごく秘密裏に下されたもので、伴も皇子の選んだ必要最低限に抑えられた。

 つまるところ、それが俺である。俺は皇子に、九州までの二人旅を命じられたのであった。

 皇子は当年十六歳、成人しているとはいえさすがに心身ともにまだ幼い。しかも初陣である。もし近隣の反乱の鎮圧に将軍として向かわせるのであれば、実力のある副官を添えることを折り込めばまだありえない話ではない。しかし何せ今回同行するのは俺である。戦になんぞ一切出たことのない、武器の扱い方すらままならないこの七掬脛である。しかも日帰りで戻れるような場所ではない、陸路だと片道二月はかかりそうな日向の最果てである。

 熊襲が今上によって平らげられたのは、もはや過去のこと。こたびの謀叛は、大和の支配の及ばぬところで彼らが力をつけてきたことを意味する。それを十六歳の皇子に平定しろとなど、尋常のこととは思えない。

 「……」

 実のところ、一つ気懸りな噂があった。どうしたものかと逡巡しつつ、ええいままよと俺は皇子に直接訊ねることにした。

 「皇子、お伺いしたいことがございます」

 「うん、今日は鍋がいいな。鴨鍋を食いたい」

 鴨の羽をばりばりと毟りながら、我が皇子は輝かんばかりの笑顔でそう仰せになられた。

 ――主命である、致し方ない。今夜は鴨鍋だ。

 さて、皇子の狩りの腕前はさすがである。渡りを終えて来たばかりの鴨を見事に射止めてこられた。しかも飛んでいる鴨の頭を射止めたとか、ホントどんな動体視力をしておられる。

 とはいえ渡りを終えたばかりのこの時期の鴨は身が痩せていて肉も固い。せっかくなのでつくねにしよう。捌いた鴨肉は大雑把に切り分けると、一番美味い胸肉だけ残して細かく叩く。山芋をすりおろしてつなぎに合わせ、刻んだ紫蘇を香りつけに少々。

 鍋に鴨のガラを入れてだしを取り、醤を混ぜて味を調える。煮立てると香りが飛ぶが、少し焦がした方が醤は美味い。うん、なかなかいい具合に香りが立った。

 里で調達してきた大根をざく切りにしてまず投入。次にきのこ類。さすがに秋の山だ、ちょっとうろつくあいだに平茸と舞茸が取れたのは誠に僥倖。

 満を持して鴨のつみれを丸めながら投入、それから胸肉。最後に大根葉を投げ込んで蓋をする。火が通りすぎては肉が固くなるが、野のものはできるだけ火を通した方がいい。皇子、しばし我慢なされよ。

 ふつふつと煮える音が響いてくる。さて頃合いか、蓋を取ると湯気が立つ。

 「七掬脛、もういいか? もういいだろう? もういいよな?」

 皇子、肉だけじゃなく蔬菜もちゃんと食べるように。



 気づけば短い秋の日はとっぷりと暮れている。今回の旅は密命により、身分を明かす必要のある駅宿が使いにくい。今日もここで野宿だが、満点の星空を見上げれば雨を案じずには済みそうだ。

 皇子は、はふはふと音を立てながら鴨鍋を頬張っている。猫舌なのだから無理をしなければいいのに、慌てて食べてはもがいている。十六歳は一応立派な成人だが、仕草や面差しを眺めればやっぱり幼い。ああもうやっぱり我が皇子は可愛い。

 「すごいな、団子を齧ると鴨の肉汁がじゅわっと噴き出してきた」

 「脂も一緒に叩いて混ぜ込みましたからね」

 「この時期の鴨は固いと思っていたが、この団子はどうしたことかふわふわだ。ぷりぷりの茸と一緒に食べると堪らないな」

 皇子にご満足いただけたようなら何より。別に俺の腕がどうということではない、皇子のお取りになった鴨が美味なだけのこと。

 さて、無邪気に鴨鍋を満喫するこの皇子が、何故にこの密命を命じられたのか。気になる噂については、やはり皇子ご本人に確認するに限る。

 「皇子、兄君を殺害されたという噂はまことですか?」

 「何だ七掬脛、だしぬけだな」

 大根を頬張ろうと大口を開けていた皇子は、はた、とこちらを見やった。今更引き返せるものでもないので、私は重ねて尋ねる。

 「兄君が今上に背かれ、その説得をお命じになられた皇子は、兄君を殺害されたと噂になっておりました」

 宮中ではこのところ、その噂で持ちきりだ。段々話が誇張されているようなので、真相は全く掴めないが。

 うちの皇子には二人の兄君がおられ、そのうち一人は同腹の、というか双子の兄上である。皇子によく似た美しい容貌をしておられるが、うちの皇子が今上の才知と皇后の愛嬌を受け継がれたのだとすれば、それ以外の部分を受け継がれたのが兄皇子という印象である。非常にわかりにくい喩えではあるが、俺の立場で仮にも今上の第二皇子を貶めるわけにもいかないのでお察しいただきたい。

 ともあれ、うちの皇子がそんな兄君の煽りを食わされるのはしょっちゅうのことで、その様子は宮中でも広く知られていた。今上も何かといえばうちの皇子を伝令に使うので、有体に言えば板挟みにあっていた。それでこのところ、思い余ったうちの皇子が兄君を手にかけたらしい、という噂が実しやかに流れていたのだ。皇子が密命を受けたこと自体はほとんど誰にも知られていないが、こんな無茶な使命を聞かされた俺が咄嗟にその噂と結びつけたのは、まあ無理もないところではないかと思う。

 「うん、さすがに宮中だ。すごい尾ひれだな」

 皇子は頷くと待ち兼ねたように大根を口に入れて、はふっはふっと頬を膨らませる。熱々のだしが染みた大根だ、口の中でほぐれてえらいことになっているのだろう。

 しばらく待つと、皇子はほーとため息をついた。

 「兄上が父上に背いたのは事実だ。とはいえ埒もないこと。父上が鄙に美人姉妹の噂を聞きつけて兄上を使いに寄越したが、一目惚れした兄上が替え玉を差し出したのだ。それ以来兄上は宮中に出てこられない」

 「はあ」

 「一度兄上の説得を命じられたが、行ってみたら美人姉妹とよろしくされていた。上の媛は兄上の好みど真ん中だし、下の子は自分の父ほどの歳の男に嫁ぐのは嫌だとごねていた。あれは無理だな」

 「……はあ」

 「まあ、それ以来兄上はばつが悪くて引きこもり、死亡説が流れている始末だ。最後に会ったのは俺だから、死んだとすれば俺も無関係ではないだろうと、そういう憶測だろうな」

 大変合点がいく説明であった。と言うか、今上と第二皇子のいずれを思い浮かべても、さもありなんといったところである。ついでに言えば、そんな醜聞をあっけらかんと片づけるうちの皇子は、若い女を侍らせる今上を仕方ないわと受け流す皇后とよく似ている。これが似た者親子というものか。

 皇子は杓子を繰って、鴨団子を鍋から引き上げる。そして少し首を傾げてこちらを見やった。

 「何だ、そんなことが気になっていたのか。気を揉ませたな、もっと早く聞けばいいのに」

 「皇子が訳もなくそんなことをするとも思いませんが、もしそんなことをしでかしたなら必ず理由があると思いまして」

 「お前も苦労性だな」

 一緒に食事を囲んでいると、段々俺の言葉遣いはぞんざいになる。それを咎めるでもなく皇子は笑った。

 「そもそも大きい兄上は病弱だし、兄上までそんな有様だと熊襲討伐を任せる相手がいない。かといって将兵を出せば、やれ褒章だの国を預けろだのと大ごとになる。おまけに父上の親征が不十分だったと知らしめることにもなってしまう。ま、俺は体のいい便利屋ってわけだ」

 皇子は鍋から掬い取った大根をそのまま箸で頬張った。猫舌なのだから少し椀の中で冷ませばいいのに、熱い汁が染みたのだろう、またもがいておられる。

 さすがは食欲は育ち盛りの男児である。はふはふ、ほっほっとあっという間に鍋の具が片付いていく。

 ふと鍋の底を杓子でさらっていた皇子は、ちらりと周囲を見渡すと、思い出したように私の耳元に顔を寄せた。

 「それにもし俺が野垂れ死んだとすれば、ちょうどいい厄介払いだ。何しろ父上には八十ばかりの御子がいるからな、多少は人員整理が必要だろう」

 別に悲壮感もなく、さも当然とばかりに皇子は言った。

 「俺もむざむざやられに行くつもりもないが、何があるかわからないのが世の常だ。もし将兵を連れていけば、もし俺に何かあったときに全員大和に帰れなくなる。だったら従者はできる限り少なくするべきだ」

 言わんとするところは理解できないでもない。要は責任問題になるということだろう。責任を負わされる人間を最小限にしようとするのはいかにもうちの皇子らしい配慮だが、そこで寄りによって俺を選ばれた意味がよくわからない。少なくとも俺より頼れる従者は皇子の周りにいくらでもいるはずだ。何しろ彼は男女問わず絶大な人気を誇り、近臣や将兵からも嘱望される第三皇子なのだ。一声声をかければ、誰でも栄誉に思うはずだし、命を賭してでも御身を守るはずだ。

 「何で俺なんですか、俺は戦にはからっきしですよ」

 「別にそれでいい。今回は何しろ密命だ、派手に兵を動かすわけにもいかないからそもそも将官はいらない。白兵戦での強さを求めるなら俺より強い奴でないと意味がないが、そんな奴はなかなかいないだろ」

 悪戯っぽく皇子は片目を瞑る。確かに、時々皇子が兵と手合わせをしているところを見かけるが、剣術でも弓術でも、相撲ですら皇子に歯が立つ者はいない。皆、相手が皇子だから気を遣っているのかなと思ったりしたが、そんなことをしたらそれこそブチ切れた皇子に何をされるかわからない。

 「腕の立つ奴をわざわざ探す時間も惜しいし、それで噂が広まればそもそも密命にならない。それなら俺が動くのが一番手っ取り早いけど、俺だって腹は減るし、長旅になるなら美味いもんが食いたい。安心しろ、お前は危ないところには出さんし、何かあれば守ってやる」

 にかっと皇子は屈託なく笑う。篝火に照らされる笑顔は、うおっと仰け反るほど眩しい。

 「自分が何だか情けなくなってきました」

 いじける代わりに鍋を杓子で掻き混ぜるが、あらかたの具は片付いてしまっている。皇子が名残惜しげな目を向けるので、最後に干飯の塊を放り込んだ。蒸し米を天日に晒した干飯はそのままでも食えるが、水でふやかせば立派な白飯になる。鴨の脂がこってり浮いただしに浸せば、待つ間に雑炊のできあがりだ。皇子、そんな勢いで啜るとまた火傷しますよ。

 行儀悪く椀を啜り、ぷはあと皇子は口元を腕で拭った。雑炊を一気飲みとか、恐るべし育ち盛りの胃袋。

 「まあお前なら、もし俺に何かあっても普通にどこかで生きていけるさ。他の連中とは違うよ」

 「買い被りでしょう。俺は皇子に拾っていただかないとどうなっていたことか」

 皇子はからからと笑うが、俺としては真面目に恩義を感じているのだ。どこの誰とも知れない俺をわざわざ傍に置いてくれて、親しげに話しかけてくれた、そのことで当時の俺がどれほど救われたか計り知れない。それこそ、割と命を懸けてもいいかもとか思っていたりするくらいなのだから。

 鍋のだしを最後の一滴まで飲み干したあと、皇子は満足げに頷いた。

 「うん、やっぱり七掬脛の飯は一番だ」

 その一言は、膳手冥利に尽きる。

 この先の旅の長さを思うとうんざりしそうな部分もないではなかったが、まあ皇子と一緒なのだから、と思えば、そう悪いことばかりでもあるまい。

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