夢の泡沫

あめんぼ

天使のまどろみ

 森の中を通り緑色帯びた朝日を窓から受けて目が覚める。夜のうちに開けて寝た窓から春独特の植物の香りが肺いっぱいに広がった。


「おはよう」


 誰かに向けた言葉ではなかったけど、朝一番に誰かにおはようと言うのは心地いい事だと私は個人的に思う。なんて思いにふけていると、一階から扉を貫通するような大声が響き渡った。


「ミハエル!起きろ!さっさと起きてきて準備をしてくれ!今日は森に久しぶりに果物を狩りに行くんだろう?」


「お父さん!わかった!」


 熊みたいにおっきなお父さんの声が家を震わせるぐらいに響き渡る。いつもならびっくりしてベッドから転がり落ちるぐらいのことはしそうなのだが、今日は一味違う。

 今日は久しぶりに春の森に野菜を狩りに行ける日なのだ。


「冬の間は危ないからって家からあんまり出させてもらえなかったんだよね。」


「当たり前だろ?俺の膝上あたりまで雪が積もるんだ。お前が出ちまったら腰まで埋もれて動けなくなっちまうw」


「いつの話してんのさ?大体、今ならもうお父さんの胸元ぐらいまでなら身長があるよ!」


 2階の寝室から急いで駆け降りて行って食卓に着く。釜戸の近くに立って後ろ姿を見せているお父さんは火の強さを見ながら私に冗談を言いながら豪快に笑う。


「お父さん、朝ごはんはなあに?」


「喜べ!今年最後の冬スープだ!」


「いつものハマダイコン、ノビルと秋に干して回収した干し肉のスープ?今回はたんぽぽとか入れてないでしょうね?」


「ガハハハ。こりゃ手厳しい、今回は誓って何も入れてないさ。」


 笑いながら対面に座るように食器を置き、椅子に座ってご飯を食べようとするお父さんと目が合い、幸せだなと顔がほころぶ。


「だったらいいけど…あ!そういえば、今日はなにとってくる?木苺ももういいだろうし、よもぎもこれだけあったかかったら生えてきてる。ツワブキやタラの芽も捨てがたいね。」


「そんなに一気に行かなくても一晩のうちに枯れて綺麗さっぱりなくなったりしないぞw」


「だって、待ちに待った春だよ?楽しみじゃないわけないじゃん。って、あ。」


 カランっと音を立ててお父さんが作ってくれて何年も経つ木製のスプーンが落ちる。落ちたスプーンを拾うために体をかがませお父さんの顔が見えなくなる。


「ごめんね。お父さん。寝起きで指先に力が入ってないみたい。」


「…」


「どうしたのさ父さん?」


 スプーンを拾ってお父さんの方に視線をやると、首元が裂かれて赤い液体が溢れ、今にも落ちそうな父さんの


「えっ」


 そのまま何かに押されたかのように横に倒れて、「ぐしゃ」っと身の毛もよだつような音が聞こえる。お父さんの座っていた席の後ろには白くて長い髪の女の人が血に滴る刃物を持って、不気味なほどにまで静かに佇んでいる。


「父さん?」


 目の前の現実が受け止められなくてお父さんの体の駆け寄る。をつけているその体をユサユサと揺すって起こそうとしている自分がどこか遠くに見えた。


 動物を解体するときに香るどうしても好きになれなかった赤い、黒い、の匂い。その香りのする赤い液体が床を濡らしてお父さんの陽だまりのような、ハチミツみたいに甘い香りを上書きしてる。


 後ろにいてじっと私を眺めていた白髪の女の人が、濁り切った青い目で私の中を見通す。その目を見たらゾッとした。目の中に感情の揺らぎがない。私の家族を傷つけたというのに、こいつは何も感じてない。沸々と怒りの感情が募ってくる。


 すると窓辺に向いた女は、青く美しい鳥に話しかける。


「こちら、エスメ・オスメント。対象の熊型獣人種討伐、完了。対象と共に住んでいた子供が発見されました。直ちに孤児院へ預け次第次の任務に向かいます。」


 くるりと身を翻した女の人は頬に父さんの赤い液体をベッタリと着けたまま、にこりと笑って見せ私に近づく。


「ねぇ、僕?私と一緒に街へ行こうか。」

 こいつの顔が忘れられない。1人の命を奪ったばかりだというのに何も感じない。罪悪感も、申し訳なさも、何かに対する赫怒も、何も感じない。


 腹の中に苦くて、黒くて、熱い憎悪が囚われた鳥のように暴れ回る。強い感情が足や、腕、頭にまで這いずり回り、この世界を白く黒く染め上げた。そんな世界でも輝くのは、父さんの命の残滓と目の前の憎い女の自分のよりも暗い青色だった。

 ________________________

 飛び起きた拍子に体にもたれかけていたハンマーが音を立てて横に転がる。冷や汗が止まらず気持ち悪い感覚が拭えない。大きな街で偶には宿を取って寝ようとしたのが裏目に出たのか、悪夢を見た過去の記憶が蘇った。当時のトラウマが寝ている時に出てこなかった時が一度もないが故によく寝られることがあまりない。


「うぐっ、うぅぅ、ぉおゔぇ」


 急に動いた反動か、連日の体調不良が祟ってか、昨夜胃の中に収めた半固形のものをひっくり返してしまう。涙が止まらない、喉がひりつく感覚がする、四つん這いの状態から立ち上がろうと力を入れるもバランスが取れずに尻餅をつく。


 忘れそうになるたびにそれを許さないと言わんばかりにこの夢を見る。床に血がゆっくりと広がっていく、手についたまだ生暖かい血と急速に冷やされていく体。あたりに立ち込めるのはちと朝食の匂い。目に光などなく歪んだ笑顔で笑う女。すべてが忘れられない。

「…はぁはぁ…キュゥ、うぅぅ…ふぅ…」

 少しずつ冷静さと呼吸を取り戻していくと同時に夜明けを迎える。

「大丈夫だよ、父さん。


 ちゃんと仇を取って、あの薄汚い狩人共の心臓をお供えしてあげるからね。」


 あの日の弱さを呪った自分と夜明けに誓った逃げられない呪いの言葉は夜の空とともに消え去った。

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夢の泡沫 あめんぼ @the-wolf

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