第38話 クロト・イチミネ

 クロト・イチミネという名は偽名である。タッセロムでさえ、それは知らなかった。

 クロトは元々、暗殺と窃盗を生業としていた。

 知人の教授や書籍、動画等で学んだメイク術。ウィッグや変装用マスク。生来の声帯の広さを利用した変声術。そして自身さえ偽る程の高度且つ詳細な役作りにより、クロトは、あらゆる人物になれた。

 個人での活動中に、彩雅が所属、活動していたアルカナという組織に出会い、第2の風祭彩雅となることを夢見た。

 クロト・イチミネを名乗り、また自分自身も、「クロトという架空に化けた人間」ではなく、「クロトという実在の人間」として体に馴染ませた。結果、自分以外の誰にも「クロトという架空に化けた人間」の本性を知ること無く、今に至る。

 彩雅に劣らぬ変装技術。彩雅に劣らぬ戦闘技術。時には自虐し、時には自負し、クロトは常に自身の技術を磨いてきた。

 そして今日。

 遂に、クロトは自身の一部を明かすこととなる。


「承知しました。今から向かいます」


 タッセロムの死を確認したクロトは、少し遅れて彩雅から連絡が入り、急遽、サンムーンの正面入口前に集合をかけられた。

 クロトはスナイパーライフルを収納したゴルフバッグを背負い、ビルの屋上を駆け、十分に助走をつけて隣のビルに飛び移った。パルクールの経験は無いが、自身の運動神経を信頼しているため、ビルからビルへ飛び移るという行為には躊躇も恐怖も無い。

 身軽さをひけらかすかのようにスタイリッシュな動きを続け、クロトは隣へ、また隣へと、ビルを幾つか飛び移る。最終的に今は使われていない廃ビルに辿り着き、廃ビルの壁面に設置された屋外階段を利用して降下。

 ゴルフバッグを背負っているにも関わらず、クロトは踊り場から踊り場までをジャンプで移動し、歩数と時間を節約する。

 地表まで付近まで下り終えると、クロトは踊り場から階段の壁面に飛び移り、3mくらいの高さから飛び降りた。

 着地地点の正面には、クロトがノーマルドから奪取した白のサイレントゲイルが駐車してある。


「行くよ!」


 シートの下に収納してあったヘルメットを取り出し、被る。直後にエンジンを始動させ、発進。


(今の気分は……緑、かな?)


 ジェインにより改造されたサイレントゲイルには、スピードメーターの隣に色彩調整のメーターが追加された。件のメーターを操作することで、サイレントゲイルのボディカラーを調整できる。簡単に言えば、任意のタイミングで車体の色を変えられる。

 そして、サイレントゲイルの専用ヘルメットは、改造前からボディカラーとリンクする仕様であった為、車体を変色させればヘルメットもまた変色する。

 クロトはメーターを操作し、ボディカラーを白から緑へと変色。それに伴いヘルメットも緑に変色し、数秒前とは印象が大きく変わった。


 中略。


「クロト、本名は?」

「社長殺してからの第一声がそれですか?」


 社長殺したよ。とか。終わった。とか。そんな話ではなく、第一声は限りなく想定外だった。


「と言うか、よく偽名だって分かりましたね?」

「Beautiful Dayは誤魔化せない」

「なるほど。ならお話しましょうか。彩雅さんにはいつか話したいと思ってたので」


 そう言うと、クロトは自らの頬を指でつまみ、グイッと引っ張った。すると、頬は変装用マスク特有の伸びを見せ、この顔が本来の顔ではないことを彩雅に理解させた。


「この顔も偽物で、この声も偽物で、ご存知の通り、この名前も偽物。顔と声は諸事情により明かせませんが、名前だけは教えましょう」


 引っ張ったマスクを再び顔に貼り付け、クロトは名乗る。


「サイガ・クスノキ……それが私の本名です」


 彩雅は、絶句した。

 クロトと呼んできた相手の本名が、苗字こそ違えど、自身と同じ名前であったのだ。しかも変装を得意とした仕事という同業者。驚くなという方が難しい。


「サイガという名に生まれた私は、人生の過程であなたを知り、酷く憧れました。それからはメイク術や戦闘技術を学び、1mmでもあなたに近づいたいと思うようになりました。やがてはサイガという名を使うことさえ烏滸がましく思い、今に至ります」


 事実、クロトは殆ど本名を使わない。

 身分証は2つ常時し、ひとつはサイガ・クスノキ、もうひとつはクロト・イチミネとして登録してある。

 勿論、クロトとしての身分証は偽造されたものである。しかし身分証提示を要求される場面では、大抵クロト側の身分証を使用している。

 素顔で活動する場合もあるが、本名は比較的使わない。自らの名を烏滸がましいと考える本音と、他人を偽ることに慣れる為の努力が、サイガ・クスノキという存在を隠した。


「21世紀の怪人二十面相……2世紀経過した今でも、あなたは私達を虜にする。だからこそ私は私を隠した」

「……こんな私に、そんなことを言ってくれる人が居るなんてね。喜び通り越して最早怖いかも」

「案外多いんですよ、風祭彩雅の信者は。さて、この話はお終いです。これからの私達、これからのアルカナについて……今話すべきはそれです」

「だね。けど、それよりも前にやるべきことがある」



 同日。23時49分。

 某市海岸通り。


「まさか、こんな映画みたいな展開になるなんてね」

「現実は小説より奇なり……ってか」

「そんなことはないよネーデロス殿ぉ。僕の知る限り、創作を超えた現実は無ぁぁい!」

「車内で声張らないで下さいよ……メリスさんは相変わらずうるさいですね」

「ライラが静かすぎるんじゃないか? どうでもいいけど」

「ジェインさんの場合は相変わらずのクール&ドライですね」


 ジェインが運転するバンの助手席にシオンが座り、後部座席にネーデロス、メリス、ライラ、アズエルが座っている。そして最後部には、ブルーシートに包まれたタッセロムの遺体。

 バンのボディカラーはダークネイビー。ブラック同様に夜闇に紛れ、街頭の少ない場所を走れば姿を隠せる。

 バンの後方から、サイレントゲイルに乗った彩雅とクロトが追尾。彩雅の後ろにはグラが座り、振り落とされぬよう彩雅の体にしがみついている。

 他のアルカナのメンバーは同行していない。新人類計画を知り、またそれに関連する作戦に参加したメンバーだけが集まり、今日の終わりに海岸通りを進む。


「サイガさん、クロト、200m先で脇道に逸れて下さい」

『分かった』

『はい』


 後部座席に座り、彩雅とクロトのカーナビを務めるライラ。その声は普段よりも少しだけ高く、いつも以上に緊張感が欠けていた。

 一同が向かうのは、20年ほど前まで使用されていた港湾。今現在は人の立ち入りも無い、塩味の空気と寂寥感の漂う空間になっている。

 ただ、20年以上前。この港湾が動いていた頃も、他の港湾と比較すれば圧倒的に人の出入りは少なかった。何故ならこの港湾を用いる船自体が少なかった。

 港湾へと向かうには、今はもう使われていない駐車場を経由する必要がある。件の駐車場に入ると、使われていない筈の駐車場に、1台の黒い車と銀色のバイクが停まっているのが見えた。

 黒い車はミニバンで、6人乗り仕様。ミニバンは、ジェインの運転するバンを確認した直後、車体のライトをチカチカと光らせ、ジェインもまた、ライトをチカチカとさせて応えた。


「そろそろ到着だ。全員、覚悟はいいか?」


 アクセルを緩めたジェインが、車内に居る全員に問う。

 メリスは、「イェエエエス!」。

 ライラは、「うん」。

 アズエルは、「はーい」。

 ネーデロスは、「ああ」。

 シオンは、「できてる」。

 各々が同時に答え、全員に躊躇いがないことをジェインは理解した。

 覚悟の確認を終えて暫くしてから、車は停車。全員がシートベルトを外して下車。後方では彩雅達がサイレントゲイルから下り、ヘルメットを外した。

 集まったメンバー達は横並びに立ち、腰を曲げ、頭を下げた。車内に残されたタッセロムの遺体に、これまでの感謝を伝えるために。

 誰一人として声は発さなかった。

 誰一人として涙は流さなかった。


「……そろそろ離れよう」


 ジェインが言うと、各々は頭を上げ、先程通過した駐車場にまで戻った。彩雅とクロトはサイレントゲイルを押しながら歩き、他の面々は、無言のままゆらゆらと歩いた。

 メンバー達が駐車場に戻ると、駐車場のミニバンの中から2人の男が下車し、少し急ぎ足でバイクへ搭乗。2人乗りの状態でエンジンを始動させ、メンバー達と合流することなくその場から離脱した。

 2人組の男達はジェインの協力者であり、これから行う仕事のサポートとして活動した。今日の2人の仕事は、ミニバンをこの駐車場に停め、それをジェインへ渡すという話だった。

 この後、ジェイン達はこの黒いミニバンに搭乗し離脱する。言わばこれは、逃走用車両である。


「さてさて、誰がを押すんだい?」


 駐車場の中心付近にまでやってきた一同。刹那、メリスがこれまでの静寂を破壊した。


「……ネーデロス、頼めるか?」

「俺でいいのか?」

「次のリーダーはお前なんだろ。俺はもうアルカナのメンバーじゃない。免許皆伝の権利はお前にある」

「……承知した」


 ジェインとネーデロスの会話が終わると、メリスがコートのポケットからライター程度の大きさの物体を取り出し、それをネーデロスに手渡した。

 物体上部はスライド可能な構造であり、スライドさせることで中からスイッチが姿を現す。スライド部は固く、ぎこちない。しかし中にあるスイッチは所謂起爆スイッチである為、簡単にスライドする構造であれば誤爆の可能性もある。この固さこそが理想であり、最低ラインの安全装置なのだ。


「…………タスクを果たす」


 ネーデロスは、スイッチを押した。

 直後、港湾に放置されたバンに搭載された、製造元メリスの爆弾が起爆。

 起爆したのは、エンジンルームに搭載された1つのみ。しかしその爆発が、車内に設置された他の爆弾を誘爆させ、結果、バンの全体が爆発。

 無論、ブルーシートに包まれていたタッセロムの遺体も爆発に巻き込まれ、爆散炎上。

 日付が変わる直前に起きた車両の爆発は鮮烈で、駐車場から爆発を見守っていたメンバー達の目を晦ませた。


「帰ろう。もう、この場に居る必要は無い」


 翌日。

 港湾内にて、爆発したボロボロの車両と、バラバラになった焼死体が発見された。損傷が激しい為、身元の特定には至れなかった。

 人の立ち入りが無い港湾であった為、有力な目撃情報は皆無。警察は「証拠の無い事件性」よりも「証拠の無い自殺」という方向で話を進め、結果、タッセロムの遺体は「自殺遺体」として確立された。

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