第36話 ジルファスとタッセロム
25年前。某海上。
アメリカ籍巡洋イージス艦「フェイルノート」船内、食堂。
「タッス! これ見てみろよ!」
金髪ツーブロックの純日本人兵士が、斜め前の椅子に座った黒髪ショートの純日本人兵士に声をかけた。
金髪の兵士は、ジルと呼ばれている。してその正体は、若き日のジルファス。
そしてそんなジルファスの斜め前に座る黒髪こそ、若き日のタッセロムである。
この当時、戦友である2人の脳内に「新人類計画」等という思考は無く、ただ純粋に、下心無く軍人として活動していた。
「んぁ?」
ジルファスが突き出してきた携帯端末の画面を、タッセロムは気だるげに見た。
画面には、女性の写真が写し出されていた。それは極めて布面積の狭い水着を着た女性で、後ほんの少しだけ動けば、水着の隙間から秘部が見えてしまいそうな、限界ギリギリを攻めたような写真だった。
ジルファスと、その後ろでニヤニヤと画面を見つめていた他の兵士は、タッセロムの反応を窺う。
「……俺の好みじゃねえ」
そう言うと、タッセロムは写真から目を逸らし、軽く欠伸をしてみせた。
やはりそうか。とでも言わんばかりに、ジルファス達は落胆した。しかし同時に、タッセロムの変わらない姿勢を前にして、どこか安心もしていた。
「あーあ……女の居ない生活にも疲れた」
「だな。このままじゃ禁断症状が出ちまう」
「画像で我慢しろよ」
「画像じゃ我慢できねえって」
実物の女性と触れ合えない環境に置かれた20代男性の集まり。その内部は苛烈で、女性に会えない苦しみで各々は呻吟していた。
時には、他の乗組員に揶揄されることを覚悟し、トイレに逃げ込んで自慰に耽る者も居るようだが…………タッセロムは、女性が居ない環境に苛つくことなく、人一倍冷静であった。
「なあ、どうしたらタッスみたいに冷静で居られる? もう1週間も海の上だ、正直そろそろ限界が近い」
乗組員の1人が、割と本気な悩みをタッセロムに打ち明けた。するとタッセロムは殆ど間を置くことなく、その悩みに対する個人の回答を述べた。
「俺が冷静なんじゃない。お前らが不純過ぎるだけだ。聖書でも読んでりゃ落ち着けるんじゃないのか?」
「聖書で気が休まるなら、とっくに俺らは賢者だよ」
「なら上陸した時の娯楽をイメージでもしてろ。現状の苦しみより、今後の快楽を想像する方が、幾らか楽しいと思うけど?」
下らない会話。
下らないやりとり。
イージス艦の中で暮らす日々は、正直、苦しいこともある。
しかし戦友達と過ごす下らない時間は、その苦しみを緩和させ、永遠のように感じられた艦内生活の時間を少しだけ加速させた。
……今になって思う。寧ろ、時間が止まってくれれば、その方が良かったのではないのか、と。
10日間に及ぶ航海の末、フェイルノートは某国に上陸。乗組員の総入れ替えを行った後、タッセロム達は某国にて駐屯と軍事訓練を実施した。
その矢先。
タッセロムの上陸した国で、戦争が勃発した。否、正確に言えば、既に生まれていた火種が飛び火し、爪先が戦火の域に触れたのだ。
後は…………地獄絵図。
撃たれ、斬られ、刺され、爆ぜ、毒され、飢え、狂い……次々と仲間が死んだ。特に衝撃的だったのは、左側頭部から左脇腹にかけての骨と肉が抉られた上官の遺体だった。何がどうなってそんな死に方をしたのかが分からないのだが、爆散した壕と焼けた衣類から察するに、恐らくは爆撃か、或いは爆弾を用いた自害だったのだろう。
明日は我が身。その言葉は、当時の我々には相応しくない。
次は我が身。銃弾が飛び交い、鉄の雨が降る戦場に於いては、そもそも
明日が欲しくば今を生きる。生きるには、眼前にて群れを成す敵兵と敵艦を殲滅させる。やるか、やられるか。酷く単純でありふれた言葉だが、戦場ではその言葉の深みと重みが何倍にも感じられた。
「タッス!」
いつの間にか、戦場で意識を閉ざしていたタッセロム。次に目を覚ましたのは、固く簡素なベッドの上。一体どの程度の時間を眠っていたのかは分からないが、少なくとも、隣にいるジルファスは、タッセロムが目を覚ましたことに感涙。顔をクシャクシャに歪めて、ボロボロと大粒の涙を流していた。
「よかった……起きた……!」
霞む視界では、ジルファスの顔くらいしか確認できず、隣のベッドで転がる者の素性も分からなかった。
ひとまず理解できたのは、ここは戦場ではない。それだけである。
戦場の病床には、白く清潔な天井など無い。そもそもベッドなど無い。加えて鼻の奥を刺激するような、薬品の混じった独特な匂い。
ここは、恐らくは戦場から離れた病院。
「せ、そう、は?」
戦争は?
そう尋ねたつもりだったが、カサカサに乾いた唇と喉では、満足に声を発することもできなかった。
聞こえるか否か、そんなギリギリの声だったが、ジルファスはタッセロムの弱々しい声を確実に聞き取り、回答を述べる前に少しだけ苦い顔を見せた。
「戦争には勝てた。
戦地の外では大抵、飄々とした態度のジルファスなのだが、今は、苦痛に悶えるかのような顔をしている。
きっと、こちら側の犠牲者が想像を絶していたのだろう。戦友の様子から、タッセロムは容易に察した。
「俺、た、ち……部隊……ぁ?」
俺達の部隊は何人生き残った?
そう尋ねるつもりだったが、喉と肺がそれを邪魔した。
「……五体満足で居られるのは、俺だけだ。後の皆は…………っ!」
現実を噛み締めているのか、ジルファスは歯軋りを起こした。
「……あぁ……脚か」
徐々に鮮明になっていく視界と共に、眠る前の記憶が蘇っていく。
死体の山と、血の水溜まり。そして、損傷した右脚の腐敗。
最初に思い出したのは、死体の群れの中を、右脚を引き摺りながら歩く記憶。
次に思い出したのは、味方の部隊と合流した直後に、体が安心してしまったのか、全身から力が抜けた記憶。
そして蘇った記憶に添える、「五体満足」というジルファスのセリフ。
「……」
タッセロムは、右脚を動かそうと、下半身に力を込めた。
「…………」
極めて固いが、左脚は動く。
右脚は…………動くとか動かないとか、それ以前に、感覚が全く無い。
「…………そうか……」
タッセロムは目視を通過せず、自らの右脚、膝から下が失われていることを理解した。
それから暫くして。
義足はある。しかし敢えて車椅子での生活を選んだタッセロムは、病院の屋上から外を見回した。
近くを見れば、背の低い建物が幾つか。
少しだけ遠くを見ると、墓場。
そして遠くを見れば、海と街が見える。
広く、それでいて、酷く狭い。無限のように感じられた戦場に比べれば、平和に染められた景色は箱庭のように見える。
「ジル、もしも、もしもの話だけど」
タッセロムが、車椅子の後ろに立つジルファスに声をかけた。ジルファスは遠くに見える海を見つめながら、「ん?」と返した。
「地球の総人口が必要最低限の数になれば、世界から争いは消えると思うか?」
「んー……それだけじゃ消えないかな」
「後は何が必要だと思う?」
「その必要最低限の人間をさらに調整して、争うことに意味を感じなくさせる。或いは新しく産まれてくる人間達から闘争心とか競争心、あと殺意とかを抜き取って育てる。そうでもしないと人間は変わらんよ」
屋上には2人以外の誰もいない。
風は無く、酷く穏やかな環境。故に屋上であっても、2人の会話は滞りなく進行された。
「もし、人類の9割以上が死滅して、残った人類を種馬に使っていけば、争いを知らない人類は作れるか?」
「やってみないと分からんが……一切の教育を施さなければ、無知で純粋なアダムとイヴは生まれるだろうな」
「……なら、もしも、そのアダムとイヴが禁断の果実を得れば、新たな人類史が始まると思うか?」
「人類の歴史は繰り返される。全く同じ運命を辿ることは無いにせよ、また人類は繁殖するだろうぜ」
遠くを見つめながら交わす2人の会話は、陣形や戦法について議論する場よりも冷静で、それでいて、どこか楽しげだった。
「タッス、人間が嫌いになったのか?」
「元々人間は好きじゃない。拗らせただけだよ、ジル」
「……戦争が、そうさせたんだな」
「ああ。戦争が俺に決意させた」
右脚を失ってから、タッセロムはずっと悲しげな顔をしていた。しかしたった今、タッセロムは口元に笑みを浮かべた。
元来タッセロムは、笑顔を得意とするタイプの人間ではない。
即ちその笑みは、余程の楽しみを抱いたのだろうと誰もが思うほどの、極めて珍しい、心の底から漏れ出た喜びだった。
「ジル、俺は人類を変える。今の人類を殺して、新しい人類を作る」
「……新人類、ってところか。タッセロムの立案にしちゃお粗末だが……これまでのどんなことよりも楽しそうだ」
これが、走馬灯なのだろうか。
写真にも、データにも残していないようなジルファスとの会話が、今になって、鮮明に蘇った。
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