第35話 ギミック
ハッキングシステムのBeautiful Dayは、ただの人型コンピューターという訳でもない。上から下まで無機物の体は銃弾を跳ね返し、さらにはメリスの爆弾でも傷を負わず、挙句は戦闘機の爆撃や空襲にも耐えられる程のボディを持つ。
Beautiful Dayの体は、人間に近い構造をしている。細く頑丈なワイヤーの束で筋肉を再現している為、人間のような動作で走ることもでき、ラーニングさえすればスポーツも可能。
極めて頑丈で、人間と遜色ない滑らかな動作。そんな体が、全部で7体。
Beautiful Dayに「特定の人間を物理的に殺せ」と命令すれば、武器や銃火器を用いることなく、7体全員で対象を肉片へと変える。
そして遂に、タッセロムは命令を下した。
彩雅を、殺せと。
「……?」
Beautiful Day、微動だにせず。
「Beautiful Day、命令だ! 早くその女を殺せ!」
しかし、微動だにせず。
「
タッセロムはジルファスと共に研究と開発を進め、Beautiful Dayの完成に至った。仮に室内にあるBeautiful Dayが偽物にすり替えられていたすれば、タッセロムが気付かぬはずが無い。
Beautiful Dayは、確かに本物である。
では、何故?
何故Beautiful Dayは製作者の1人であるタッセロムの声に従わない?
「従えないから、ね」
彩雅が言った。その発言の意味など理解できないタッセロムは、「なんだと?」と聞き返すしかなかった。勿論その声からは優しげなど感じられるはずもなく、それに伴い、タッセロムの表情も非常に険しかった。
「Beautiful Dayは、私の声にだけ従う」
それは、ノーマルド潜入時の出来事である。
メリスの爆弾が通用しないことを理解した彩雅は、「これからはノーマルド所属社員じゃなく、この私の声に従うように」と、ジルファスの命令であるという名目で命令した。結果、ノーマルド社員は既にBeautiful Dayに命令を下すことはできず、声をかけたとしても、最悪の場合は無視をされる。
そしてそれは、彩雅以外であるタッセロムとて例外ではない。
仮に彩雅が「タッセロムの声に従え」と命令すれば、Beautiful Dayは確実にタッセロムの声に従う。
しかし今は、命令中ではない。故にタッセロムがいくら声を張り上げても、Beautiful Dayはタッセロムの声には決して従わない。
「……私の計画を知っての伏線ですか?」
「知ってたら
「……なるほど。神は私の邪魔をする為にタイムマシンを完成させ、さらにはただの偶然でさえも阻害に繋げた。そう考えれば、案外簡単に諦めがつく。流石は21世紀の怪人二十面相……私より、誰かに愛されやすい」
「今は23世紀。そんな呼び方、今更どうでもいい」
彩雅は羽織っていたコートに手を入れ、中から拳銃を取り出した。しかしその銃はアルカナの銃ではなく、M629。かつての相棒のリボルバーである。
先程、地下の射撃場にて、ネーデロスから二つ返事で借りた。
彩雅がM629を使う日。それは、彩雅にとって大きな仕事の日である。
妻子の居ないタッセロムの殺害。それは、受け継がれてきたツキヤマの血をここで止めるということ。彩雅にとって、これほど大きな仕事は無い。
「私は死神……築山和葉が私に
銃口をタッセロムへ向けた。銃を持ち上げる腕に震えは見えず、タッセロムを睨む眼も一切泳いでいなかった。
人を殺すことには慣れてしまった。故に今更、緊張に四肢を震わせることはない。それでも、相手は築山和葉の子孫。多少の緊張は仕方がないのだろうが、彩雅は、震えない。
何故ならタッセロムはタッセロム。子孫であるだけで、彩雅が信頼した男、築山和葉ではない。
「Beautiful Dayも失い、信頼も失った……そしてこの状況、最早私が生きるルートは存在しないと判断します」
そう言いつつ、タッセロムは余裕な様子を見せた。
タッセロムは、肘掛に腕を乗せたまま、ゆっくりと伸ばしていく。最終的に伸ばした指はテーブルの引き出しに触れ、腕を引けば引き出しを開けられる。
このテーブルの引き出しの中には、テンキーが設置されただけの部分がある。そのテンキーを使えば、社長室内に仕掛けられたギミックを操作できる。
この室内に仕掛けられたギミックは4つ。
1つ目は、モニター。
2つ目は、ドアロック。
3つ目は、ブラインド。
そして4つ目は、銃。
4つ目の銃は、室内の天井裏と本棚の中に隠されており、今のような状況に陥った場合に「室内に居る敵を即時に殺害する」為に使用される。
タッセロムの指は既にテンキーへ触れており、後はコードさえ打ち込めば室内の銃が操作され、彩雅は銃撃される。
この社長室がタッセロムの部屋になった時に、この部屋は、あらゆる事案に即座に対応できるよう改造された。改造時点から、現状のような劣勢さえも想定していたのだ。
無論、部屋の大窓も防弾ガラス。室内外関係無く、銃弾を通さない強度を誇る。その強度はアルカナの使用する炸裂弾さえも耐え凌ぐ。
この社長室は、簡易的なシェルターとも言える強度がある。故にこの室内に居る限り、タッセロムは、敗北を想定しない。
……が、タッセロム1人の想定など、彩雅の想定に比べれば、酷く簡素で単純だった。
ボンッ!
と、大きな音が響いた。
室内からの音では無い。それは社長室のガラスが、外から叩かれたような音である。しかしその音は叩いた音とは程遠く、寧ろ、爆発音だった。
タッセロムは不覚にもその音に驚き、咄嗟に体を捻って窓の外を確認した。
大窓の一部が、黒く汚れていた。炭、或いは焦げ目のように、黒く。
その黒い箇所が爆発音の正体であることは、即座に理解できた。そしてその原因も理解できた。
原因は、このビルの、この社長室をスコープで捉えられる、近隣の高層建造物。そこからの炸裂弾を用いた狙撃である。この窓に炸裂弾を撃ち込めば、爆発に伴う高音と金属片、火薬が、透明なガラスを黒く汚す。
推測されるのは、彩雅の協力者。テンキーに触れようとしたタッセロムの狙撃であろうか。
ただ、不可解なのだ。タッセロムを狙撃するつもりならば、窓の焦げ目はタッセロムの背後を染めるはずである。しかし焦げ目は背後ではなく、大窓の上部、しかも比較的に隅の方。
タッセロムを狙ったにしては、狙撃箇所の位置が高すぎる。
「っ!」
否。
先程の狙撃は、タッセロムを狙ったのではない。窓の破壊を狙った訳でもない。
それは、タッセロムの注意を一瞬でも引く為の、ただの囮であった。
タッセロムの理解は、人にしては早かった。しかしそれ以上に、彩雅がトリガーを引く方が早かった。
「っ……!」
彩雅はいつも、1回の発砲でターゲットを殺してきた。
今回とて、例外ではない。
その発砲は、確実に殺すつもりの発砲であった。
そして、躊躇いなく放たれた銃弾は、タッセロムの首、耳の後方下部に穴を穿った。
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