第34話 品種改良

 サンムーン、社長室。


「タッセロム・ツキヤマ……今日はあなたの命日になる」


 ノックも名乗りも無く、無断で社長室に入室した彩雅は、大窓の前でアルバムを眺めるタッセロムに告げた。

 大窓に対面し、社長室のドアに背を向けていたタッセロムは、咄嗟にアルバムを閉じ、眉間に皺を寄せながら車椅子の向きを変え始めた。

 対面相手が大窓から彩雅になれば、タッセロムは古いアルバムをテーブルの上へ静かに置き、どこか不服そうに鼻から息を吐いた。


「サイガさん、あなたは私のプランに反対なのですか? 築山和葉でさえも、その後に続いてきた幾人ものツキヤマでさえも叶えられなかった眩き平和を、この私の代で叶えられる。それは本望なのでは?」

「確かに、私達の真の目的は、世界の平和だった。私達が絶対悪になり、私達以外の悪を潰し、やがては見えてくる光に手を伸ばす。それが私達の望みだった」

「望みは私が叶えましょう」

「それは認めない。私達は悪を潰す。世界の統制なんて目的じゃない」

「統制こそが平和への過程です。誰かが統制し、制御しなければ、この世界から兵器が失くなる日は……永遠に訪れない。私はもう、無意味な争いで四肢を失った人を見たくない。私のような、戦争の生き残りをもう見たくない。故に私は、私達は、Beautiful Dayを作った」


 その時、彩雅は全てを理解した。

 彩雅がこの時代にやって来てから起こった幾多の出来事。それらが生み出した現在いまは、偶然のドミノ倒しではなく、タッセロムにより積み上げられた1つのジェンガだった。

 1つの事案に、幾つかの事案を並行し、さらにその上から新たな案件を重ね、また、その上に目的を重ねる。緻密に、確実に積み上げてきた、ジェンガのタワーだった。

 そしてBeautiful Dayという存在さえも、彩雅達と共に認識した脅威ではなく、彩雅達よりも先に関知していた凶器だった。


「しかし誤算が2つ産まれました。1つはアグラッシェさんが実行した、Beautiful Dayのチップ奪取という案件。そしてもう1つは……」


 本来、Beautiful Dayを利用した大規模ハッキング「新人類計画」は、アルカナのメンバーにも悟られないように進行し、実行する予定だった。

 しかし実行前に、ノーマルドの社員であったカズール・カガミが新人類計画を知り、それを阻害。文字通りグラの手中に計画の核となるチップを託し、皮肉なことに、グラの護衛をアルカナに依頼してきた。

 チップが無ければ、Beautiful Dayは新人類計画を実行できない。失われたチップの代用品を作るにも時間が足りない。

 ともなれば、グラを捕獲し、チップ内データをアルカナ側のPCに移植。その後データを別のチップに再度移植し、新たなチップを利用して計画を実行させる。これがタッセロムの最適解だった。

 ノーマルド社内に放置されたBeautiful Dayは、クロトや他のメンバーを利用すれば奪取できる。奪取さえ完了すれば、あとはサンムーン社内で計画を実行。

 チップをBeautiful Dayに挿入すれば、データの再インストールが行われる。膨大なデータであるが故に、即日のインストールは不可能であり計画実行予定日の2月2日には間に合わない。そこでタッセロムは、計画を20日遅らせ、2月22日の実行を決めた。

 2222年2月22日。2人で立案し、2人で構築し、2人で叶えようと、タッセロムとジルファスは決めた。故に、タッセロムはとことん"2"という数字にこだわる。既にジルファスは死んでしまったが、それでも、タッセロムはそのこだわりを捨てない。

 ……ただ、タッセロムには、もう1つの誤算があった。


「タイムマシンの実験成功に伴う、サイガ・カザマツリの来訪……即ち、あなたです」


 築山和葉の時代から紆余曲折を繰り返してきた、タイムマシンの製造。それはタッセロム個人の野望ではなく、ツキヤマ一族の野望である。一族の野望を絶やす訳も無く、タッセロムはひたすら、仲間達と共にタイムマシンの製造に着手した。

 そしてある日、タイムマシンは唐突に完成の時を迎え、即座に実験を開始。不安要素もあったが、築山和葉の望みである"時空を超えた彩雅の救出"に成功した。

 一族の野望を遂行したタッセロムは歓喜した。しかしそれはタッセロムの喜びではなく、タッセロムの体内を駆け巡るツキヤマの血と細胞が喜んでいたのだ。

 ある瞬間、タッセロムは気付いた。

 一族の喜びは、自身の喜びではない、と。

 気付いたのは、グラが新人類計画のチップを奪取した日だった。


「サイガさんはこの時代の人間ではない。その体内に、新人類計画の要でもあるsfcが挿入されていない。つまり、新人類計画を実行しても、サイガさんにとっては無害。仮に計画を実行しても、実行後に残った人間全員を殺すでしょう」

「……そもそも、新人類って何? ただ生き残った人間のことを新人類って呼ぶの?」

「いいえ。生き残った人類が繁殖し、やがて作っていく、人類を神域へと導く存在……いわば、品種改良の末に完成する人間です」


 この世の全ての生物は、完全ではない。それぞれの生物に美点と欠点があり、時には汚点もある。

 特に人間は、不安定で、醜く、罪深く、美点と汚点が両極端な存在。言語を用いて文明を発展させてはきたが、反面、既存の自然を抉り、破壊してきた。理想を求めるあまり、命の始祖であるこの地球ほしを真の意味で踏み台にしている。

 新人類計画が遂行されれば、人間の9割9 分は死に絶える。その後は、残された人間達がする。

 そして将来的には、必要最低限の総人口で、発展した文明の必要無い原始的な人類を作っていく。さらに改良を続ければ、死を克服し、老化を克服し、食を克服し、徐々に徐々に、人間から神へと近付いていくことになるのだろう。


「品種改良……? 神……? ふん、馬鹿みたい。人間の品種改良なんてできるはずないでしょ」

「何故そう言い切るのですか?」


 鼻で笑う彩雅に腹を立てたのか、タッセロムは不機嫌そうに尋ねた。


「人間は今以上の進化を遂げられない。クロマニョン人が陸上を歩いて、今尚私達は自力で空を飛べない。本当に人間が進化できるなら、この4万年の間に空を飛んだはずよ」

「やってみなけらば分からないのでは?」

「分かるよ、そんなこと。だって200年経っても、人間は微塵も変わってないんだから」


 それは、200年前の人間である彩雅の、率直な感想だった。

 人間は、何も変わっていない。

 神云々だと下らない理想を吐き、人類そのものを否定するような腐った思想をひけらかす。

 対面するタッセロムは、まさにだった。

 何かを変えようと望んでも、結果的に変えることはできず、寧ろ悪い方向へと進んでいく。そんなシナリオが良く似合う、最低最悪な偽善者。そのレッテルを貼るべきは、タッセロムであった。


「必然的に計画の対象外であり、私や他の生き残る人間を殺す……サイガさんは私達にとって、本当に死神そのものらしい」


 その瞬間、タッセロムの中で極限まで張られていた糸が、プツンと、音を立ててちぎれた。


「Beautiful Dayに命ずる」


 タッセロムは彩雅から目を逸らすことなく、室内の隅の方で待機していたBeautiful Dayに命令をした。


「今すぐその女を殺せ!」


 命令をするタッセロムの声は、いつもの優しげな声ではなく、寧ろ、限りなく怒号に近かった。

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