第32話 美しい日

 鼻から息を吸えば、埃と火薬、それと血肉の腥さを感じる。

 口から息を吸えば、砂の溶けた唾液が喉に絡み、大気中の血の味を感じる。

 空を見れば、赤みを帯びた砂埃が空を覆っているのが分かる。

 下を見れば、同じ軍服を着た男達と、違う軍服を着た男達が転がっている。

 悲哀を叫ぼうにも、絡んだ唾液が声を出すことさえ拒み、代わりに咳が漏れる。

 歩けど歩けど、血肉の海。前日の雨と、今日の血の雨が染みた地面を踏む度、泥以上の不快な感覚が脚に伝わる。


「ぁ…………」


 最初に見つけたのは、1本の右脚。自分と同じ軍服を纏った、少し筋肉質な脚。脚だけで判断するのは迂闊なのだろうが、その脚の脛に残された手術痕は、見覚えがあった。

 その脚は、戦友Aの脚だった。

 戦友Aは、陸上選手を目指していた。しかし練習中の怪我が災いし、目指していた夢を失った。

 戦友Aは、夢を見失っても明朗で、目を抉られる程の絶望を心の内に隠していた。そんな戦友Aの元気と笑顔に押され、皆が皆、多少の苦痛では音を上げない程に成長した。


「何で…………」


 次に見つけたのは、左半身が焼け落ちた死体。これまた、自分と同じ軍服を纏っている。右半身と顔の7割は残っている為、その死体の顔は確認できた。

 それは、戦友Bだった。

 戦友Bは、俳優になることが夢だった。しかし演技力が全く評価されず、結果、こうして戦地で体が焼かれた。

 戦友Bは、誰とでも仲良くなれるタイプの人間で、大抵、近くには誰かが居た。


「……クソ…………」


 幾人もの戦友、幾人もの敵兵。夥しい数の死体の上を歩く中で、徐々に徐々に、自分の心が削れていった。

 そして、


「あ、」


 薬物で痛覚を麻痺させていたが故に、気付かなかった。

 自分の右脚が、死にかけていた。

 歪んだ地面と血肉の上を歩いているからだ、と思っていた。しかし改めて考えてみると、いつからか右脚が重く、体が常に右へ傾いていた。

 もう歩けないのだろうか。この死体の山の上で、自分も死ぬのだろうか。

 そんなネガティブな思考が、前へ進もうとする力を、生きようとする意志を奪っていった。


(こんな世界……間違ってる……)


 今にも蛆が湧きそうな自分の右脚以上に、この世界の腐敗は深刻である。重い瞼の隙間から覗く世界は酷く理不尽で、酷く絶望的であると、仰向けに寝転がる中で考えた。


(……変えてやる……絶対、に……!)


 人は時として、希望よりも強力な燃料として絶望を利用するらしい。

 絶望は脚を動かし、腰を動かし、背を動かし、腕を動かし、首を動かした。死ぬほどの絶望が、生きる活力を与えた。

 仰向けに転がっていたが、体の向きを変え、腐った右脚を引き摺りながら前に進んだ。




「24年と5ヶ月。漸く、漸く……」


 社長室の窓の前で、タッセロムは1冊の古びたアルバムを眺めながら、どこか悲しげな声で呟いた。

 アルバムの中には、24年と5ヶ月前、まだ社長の座に着く前のタッセロムの姿がある。そしてタッセロムの他にも、歳の近い青年や、少し若そうな女性などが写っている。

 大抵の写真に写るタッセロム達は、軍服を身に纏っている。当時、タッセロムは軍に所属しており、海外で活動していた。

 一時的な兵役のような感覚で所属していたのだが、その最中に戦争が勃発。タッセロムは戦争に参加し、戦友達と尽力した。

 戦争は終結。しかしその被害は甚大で、戦友の殆どと死別。生還したタッセロムも右脚を失った。

 タッセロムは、戦争の絶えないこの世界に絶望し、呆れた。

 戦争をこの世界から消し、真の平和を求めるには、まず、人間を間引く必要がある。その後はタッセロム自身、或いはタッセロムが最大限の信頼を抱く相手が世界を統制。あらゆる手段を行使し、半ば無理矢理でも平和を維持させる。


「待っててくれ。俺達が血肉を費やしても叶えられなかった平和ものを、俺がこれから叶えてやる」


 戦後、タッセロムは生還した五体満足の戦友と共に、世界を平和に導く為の「兵器を超えた兵器」の製造を計画、実行。そして製造が完了した。

 その戦友の名はジルファス・タキミ。ノーマルド社長の知人であり、ノーマルドに件の兵器の製造を委託した。

 それは、戦争の無い美しい日が続くことを願って、Beautiful Dayと名付けられた。

 もう血肉に塗れた大地を見る必要も無い。

 もう戦友の凄惨な遺体を見る必要も無い。

 今日も、明日も、明後日も、火薬の匂いが漂わない美しい1日を望む。故に、少々安直な気もするが、Beautiful Dayと名付けた。

 ジルファス・タキミは、既に死去。統制された世界を眺めることは叶わず、持病が身を喰い、命果てた。


「ジルファス、共に歩もう。俺達が描いた美しい日々を。俺達が渇望した、素晴らしい未来を」


 確固たる決意を改めて胸に、タッセロムはアルバムを閉じた。

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