第28話 亀裂

 バイクに乗ったことは、何度もある。

 自転車に乗る機会は、もっとあった。

 風になりたい。そんな臭い台詞を吐くつもりは無いが、全身で風を感じている間は、自分自身が、本当に風にれているような気がした。


 ああ、気持ちがいい。


 限りなく無音に近いエンジンが発揮するスピードは、風に成り切れない空気を風として捉え、服の隙間から入ってくる空気が体を冷やす。

 寒い。とても寒い。それでいて、極めて気持ちがいい。

 独り身の私は恋人と交わることもなく、1人寂しく自慰に耽る。しかし体全体で風を感じている時は、自慰以上の快感が身体中を駆け巡る。

 これまでの人生の中で、幾度となく感じてきた快感。その中でも、今抱いている感覚は暫定で最高である。

 最高の車体に乗り、ずっと憧れていた人物ひとの後ろを走る。

 それは私にとって、の一切で代用が出来ないほどの、快感を超えた至高の時間なのだ。





『3つ先の信号を右折!』


 ライラの誘導に従い、彩雅とクロトは走行を継続する。

 ライラは遠隔操作で信号機を強制的に切り替え、彩雅とクロトが最低限の減速しかしない程度に走れるルートを作る。

 的確な誘導に従い、彩雅とクロトはアクセルを握る。右折や左折の際には軽くブレーキをかけるものの、二輪車が一般道路で実行してはいけないような高速コーナリングを見せ、信号で止まる車や歩行者達を驚愕させた。


「サンムーン見えた!」

『ならそのまま加速を維持して敷地を目指して。残りの信号も全部こっちで操作かえるから』

「承知!」


 サンムーンの敷地は、ノーマルド以上に広い。ビルが見える頃には既に敷地は目と鼻の先で、信号を3つ過ぎれば到着する。

 既にこの先にある信号機は全て操作済みで、並走車両も先行車両も追尾車両も一切気にすることなく走れる。

 3つ目の信号を抜け、敷地に迫った彩雅とクロトは、ブレーキングに入った。サンムーンの敷地に入れば、そこはもう徐行推奨域。今の速度を保ったままでは走りにくい。加えて、一般社員が敷地内を往来している点も考慮する必要がある。


「クロト! 減速!」

『はい!』


 ブレーキングをさらに強め、敷地に入る寸前に徐行状態まで速度を落とす。すると、ここまで感じてきた冷たい風は急激に弱くなり、徐行を維持する頃には空気の温度が上がったような錯覚さえ抱いた。


『もう誘導は必要ないですね』

「うん、ありがとうライラ」

『いえいえ。あ、見えました見えました』


 ビルの正面出入口から、ノートPCを抱えた状態のライラが登場し、敷地内を徐行する彩雅とクロトに向けて手を振った。


 彩雅、クロト、帰投。

 遅れて13分後、ジェインの運転する車がサンムーンへ到着。ジェイン及び、ネーデロスとメリスが帰投。

 Beautiful Dayの輸送、完了。



 ◇◇◇



「作戦完了、お疲れ様でした」


 社長室にて、タッセロムが微笑みと共に発言した。

 社長室には、今回の作戦に参加したメンバー全員と、Beautiful Dayが揃えられた。


「後は新人類計画に加担した人物を全員特定し、その処分を実行。完了次第、今回の案件は終了です。既に特定は進めてありますが、それでも数人程度。なので、Beautiful Dayを用いた加担者全員の早期特定を実行します」

「っ! 社長、Beautiful Dayを利用した加担者の特定及び捜索には、全世界同時のハッキングを実行する必要があります。それはつまり……」

「世界中の人類のデータが我々の手中に納まる……そう、その通り」


 タッセロムが実行を前提として話しているのは、Beautiful Dayにて全人類の個人情報ならびに位置情報を把握し、その中から計画加担者を特定するということ。

 全人類へのハッキングは、ノーマルドが計画していたことと同じ。

 つまりタッセロムは、敵であるノーマルドから奪ったBeautiful Dayで、敵であるノーマルドと同様の行動に走ろうとしている。


「我々アルカナは、常にこの世界の為に行動してきました。しかしアルカナ結成から200年という歴史の中で、この世界は未だに変われていない。この先何年、何十年、何百年働こうとも、恐らく世界は変わることがない」


 この時代に来てから、確かに彩雅は感じていた。

 未来に来訪したという実感が、殆ど無い。

 国が変われば言語が変わり、通貨が変わり、人が変わり、思想が変わる。

 車は空を飛んでいない。

 宇宙へ行くエレベーターも無い。

 想像していた未来よりも、彩雅の目で見た200年後の世界は、酷く現実的だった。

 犯罪は未だ絶えず、争いも未だ絶えていない。100年後の未来を考えて生きてきた当時の人間達が見れば、何も変わらない腐敗臭漂う低俗な世界に絶望するかもしれない。


「しかしBeautiful Dayを用いて全人類を掌握すればどうなると思いますか? そう、この世界を統合することもでき、或いは統合させずともBeautiful Dayを所有する我々が上級国民……いえ、上級人類に至ることもできる。人間をコントロールすれば犯罪も無くせるかもしれない。故に私は、今この場に於いて宣言します。我々アルカナは、この世界を管理する」


 簡単に言えば、それは、世界征服。

 世界の広さを知らない子供か、或いは世界の穢れを知り尽くした大人しか考えないような、巨大であり矮小な思考である。

 世界征服を実行するには幾つかの方法がある。

 1つは武力行使による畏服。

 1つは財力使用による統合。

 1つは話術と心による条約。

 とは言え、力による血腥い世界征服も、財力を使った金臭い世界征服も、人情を武器にした平和的世界征服も、どれもが現実味を帯びない。

 何故なら全てに美点があり、その美点を存分に汚す程度の欠点がある。

 しかし、全世界同時のハッキングが可能であるBeautiful Dayを用いれば、人間の管理は勿論のこと、ミサイル兵器等の強制誘導、さらには人工衛星などの操作なども可能。そして新人類計画同様に、一斉に全人類を殺すこともできる。

 Beautiful Dayがあるだけで、世界征服という言葉が現実味を帯びる。

 故にタッセロムは、Beautiful Dayを利用するという意思表示をした。


「そんなのって……じゃあ俺達はアンタの歪んだ思想の為に働いたってのかよ!」


 メリスが、いつもの道化じみた話し方を捨てた。メリス本人の本音をメリス本人の声で叫んだ。

 普段の一人称は「僕」であるメリスだが、本性が出れば「俺」と呼ぶメリスになるらしい。


「仲間とは共同体です。1人の目的を共有し、共に叶えるのが仲間……そうでしょう?」

「……社長、少し時間を下さい。仲間という言葉の深さを改めて理解する時間を」

「勿論。皆さんも、今日も明日も使い、私の仲間という現状を見直してみて下さい」


 その日、その時。

 磐石なものとなっていた筈の「アルカナ」という1つの組織に、深く広い亀裂が入った音が響いた。

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