第23話 タバコ

 ノーマルド、事務所6階。


「なんだ、これは…………」


 ツーブロックの警察官が呟いた。

 窓も家具も無い。照明は薄暗い。天井も壁も床も黒い。自分達の息や足音が響く程に充満した静寂。

 そんな広く不気味な室内の中心にある、こちらを見る7体のマネキン。


「不気味な部屋に不気味なマネキン……ノーマルドは一体何を考えてるんだい?」


 オールバックの警察官は体を少し捻り、部屋の入口前で待機していたワダとクドウに尋ねた。


「何を考えているのか……お話する前に、皆さんの素性を明らかにしたいのですが、宜しいですか?」


 少しニヤついた嫌味な顔で、ワダはゆっくりと前へ踏み出した。そして「宜しいですか?」に対する各々の返事を待たず、自身の視界に映る警察官2人とリンコを見た。


「まず、警察のお方。おふたりは……警察官ではありませんね?」

「「っ!」」


 ワダの発言に、2人の警察官は同時に驚愕した。しかし驚愕は表に出さず、一切表情を崩すことなく無言に徹した。


「と言うとも、まずはそちらのオールバックのかた。あなたはスニーカーを履いている。通常の警察官であれば、そちらのツーブロックの方と同じような合皮製の靴を履くはずです。そして先程気付いたのですが、ツーブロックの方……あなたから微かにタバコの匂いが感じられました。ここにくる前に吸ったか、或いは常習的に喫煙をしているが故に匂いが染み付いているのか……いずれにせよ、あってはならないことです」


 2222年時点で、警察官にはいくつかの規則があるのだが、そのうちの一つに、喫煙に関するルールがある。

 現職の警察官は、原則としてタバコの喫煙を禁ずる。また、タバコの匂いが充満している室内へ立ち入った場合には、体に付着したタバコの匂いが完全に消えるまで、警察署並びに派出所外での勤務を禁ずる。

 2222年より以前から、タバコという存在自体が問題視されていた。タバコの匂いと、吸殻の路上投棄。その他、タバコが原因となる火災や、副流煙。とは言えタバコの製造販売を禁止するには歴史的に遅すぎる為、指定箇所での喫煙の推奨や、区域によっては指定した場所での喫煙の努力義務などを発令した。

 そして、問題視されている存在であるタバコを、困っている人々を手助けする警察が所持していいものなのか。そんな課題も出てきた。

 そこで警察庁が新たに定めたのが、警察官の喫煙禁止というルールだった。

 ……はずなのだが、オールバックの警察官から、漂ってはならないはずのタバコの匂いが感じられた。クドウやリンコ、さらにはツーブロックにも感じ取れないほどの極めて微弱な匂いであるが、ワダは警察犬が如き鋭く的確な嗅覚で、オールバックの体から漂うタバコの匂いに気付いた。


「おふたりは、所謂ニセ警官です。……まあ、それはまだ面白くないジョークとして片付けられる話ではありますが……問題はあなたです、デイヴィス氏」


 だらりと脱力した手を伸ばし、人差し指だけをピンと伸ばす。その指先が向いたのは、失くしたアクセサリーを探す素振りを見せないリンコだった。

 爪の短い指先を向けられたリンコは、特に焦る素振りも、驚いたような素振りも見せずに、訝しげに眉を傾けた。


「あなたと初めて顔を合わせた時から、なんだか怪しい人だと考えてたんです。それで昨日、僕の知り合いに調査を依頼して、先程答えを貰いました。TAKUMI Factoryには確かに"リンコ・デイヴィス"という役員が存在していますが、妙なんです。その……リンコ・デイヴィス氏は、今現在、韓国に居るはずなんですよ」


 7階に居た時にワダの携帯端末に入った着信の相手は、ワダの協力者……とは言え、ただの同僚である。

 昨日、6階の見学を終えた後、ワダとクドウはリンコを帰した。その後、ワダは即座に件の協力者にリンコの身元調査を依頼した。

 リンコ・デイヴィス。24歳女性。実在する人物であるが、そのリンコは今、韓国に居る。出張などではない。休暇を利用し、海外旅行に向かっているのだ。

 プライベートで韓国に居るリンコが、提携を前提とした会議の裏で、車内見学という仕事をするはずがない。


「Oh……不覚、ですね。まさかMrワダがそこまで手の早い人だなんて」

「お褒めに預かり光栄だが……聞こう。ニセデイヴィス、君はそのニセ警官と共犯か? 答えやすいように、僕達も行動に移そう」


 そう言うと、ワダは自らのスーツの中に手を入れ、中から小型の拳銃を取り出した直後、銃口をオールバックに向けた。

 さらに一瞬だけ遅れたものの、クドウもスーツから同じ拳銃を取り出し、銃口をツーブロックに向けた。


「この拳銃は古い。弾丸タマも小さいし、最新式に比べれば弾速も劣る。だが君達が反撃を試みるよりも先に、僕達は引き金を引いてみせよう」


 ワダとクドウが握るのは、DNK4300。西暦2160年頃前に製造された小型の拳銃である。2200年代の拳銃に比べれば、軽く、持ち運びに便利なモデルであるが、軽量化を求めた結果破壊力を犠牲にした。

 DNK4300の銃弾であれば、確実に致命傷を突いた場合に優勢に立てる。軍事訓練などを受けていないワダやクドウの腕であれば、一発で確実に致命傷を負わせることは難しい。

 それでも、連発させれば致命傷に至る。現状としては、ワダとクドウが圧倒的に有利である。

 因みに、ワダとクドウが4階で展開した謎の会話は、この瞬間を計画するための会話だった。

 ワダの言った「トマトジュース」は、銃の隠語。発砲して相手を撃てば、トマトジュースさながらの鮮血が溢れることが語源である。

 クドウの言った「乾杯」は、実行の隠語。銃を用いた威嚇、或いは発砲を意味する。

 ワダの言った「待ち合わせは6時」は、乾杯、即ち銃を用いた武力行使を行う場所の指定である。6時というのは、この事務所の6階を指す。

 今のような状況に陥る事を想定し、以前から隠語などを定めていた2人であるからこそ、敵を背にした移動中であっても顔色1つ変えることなく会話を成功させた。


「……まあ、Friendですね。では褒めたついでに、お悔やみの言葉をPresentしますね。御社が発案したNew Human Project、失敗に終わりましたね……ご愁傷さま、です」


 リンコがそう言うと、ワダは、悪魔が如く汚い笑みを浮かべた。


「問題無い。計画を20日遅らせたことで、再度計画のプログラミングを進ませている。奪われたチップはもう必要無いし、どうせ探したところでもう見つからない……しかし! 新人類計画は必ず実行させる! 働きすぎて血反吐をブチ撒けようとも僕達は計画を実行させ! この世界を! この惑星ほしを! 救済する!」


「どうせ、ネリオット・オダを消したのも君達だろう? 恐らくは尋問、拷問を経て、新人類計画を知った。でなければ、彼が突然消息を絶つことなど有り得ない」


 ネリオット・オダは消されている。ワダの予想は的中しており、既に故人である。

 アルカナに拘束され、新人類計画の計画概要、及び知る限りの計画加担者の情報を吐かせられた挙句、殺された。


「この惑星を救済する前に、僕は君達を裁く。この場、この銃を以て!」


 刹那、DNK4300のトリガーが引かれ、銃口から1発の銃弾が放たれた。

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