第18話 マネキン

 ノーマルドの事務所は、7階建てである。

 1階には受付と待合室、救護室がある。

 2階には会議室が幾つもある。

 3階はオフィス。

 4階は書類や備品を詰める倉庫。

 5階から上は、特定社員以外の立ち入りが禁止されているのだが、会社概要ページには「5階は検証室」「6階は商品情報管理室」「7階はネットサーバー管理室」と開設されている。

 事務所内に社員食堂は無い。代わりに、敷地内には二階建ての小さなショッピングモールがある。その中には幾つかの飲食店と、衣類や靴の販売店、床屋、食料品売り場、本屋などが揃っている。

 そのショッピングモールは、主に社員が利用するものである。特に寮生活をしている社員にとっては、敷地の外に出なくとも買い物ができる為、極めて重宝している。


「このエレベーターは4階までしか動けないので、一度降ります」

「つまりは5階から上、ですね?」


 ワダがリンコを先導し、監視するかのようにクドウが最後尾につく。

 事務所の5階以上は、特定社員以外の立ち入りが禁止されている。しかしワダとクドウに関してはその特定社員である為、社員証とsfcのダブルチェックを行うことで、5階以上へ進めるエレベーターに乗る権利を得る。

 今回は、先導するワダ1人が権利を得ることで、同行者であるリンコとクドウもエレベーターに乗れる。


「埃臭いですね……」


 倉庫は、全体的に埃臭かった。しかし、床や壁面の一部は真新しく、人によっては「何かを隠しているのかもしれない」と勘繰ってしまう。

 尤も、実際何かを隠していた。

 この倉庫で、グラの父が殺され、グラにチップが託された。壁面には銃撃の痕跡、床にはグラの父から流れ出た血が染みてしまったため、床を塗り直し、壁紙を張り替えた。故に床と壁の一部だけが真新しく、室内は埃臭かった。


「掃除はしてますが倉庫です。我慢してください」


 倉庫の隙間を抜け、部屋の奥へと進んでいくと、1階から4階まで繋がるエレベーターの対角線上に、5階から7階までを繋ぐエレベーターのドアが見えた。

 エレベーターの隣の壁には、エレベーターを呼ぶボタンが無い。代わりに、sfc認証用と、社員証認証用、計2枚のパネルがある。そのパネルに認証対象を接近させることで、認証が開始され、3秒以内に承認が完了する。

 承認完了後、エレベーターが動き出し、認証を行った階のドアが開く。エレベーターの中は普通のエレベーター同様で、移動したい階のボタンと、非常用ボタン、階数表示のモニターがある。

 ただ、このエレベーターは5階から7階までの間を繋ぐ為に、階数選択ボタンは「5階」「6階」「7階」の3つしかない。

 因みに、業者が点検などで屋上へ向かうには、1階から屋上まで直行する専用エレベーターを用いる必要がある。


「何階まで上がるのですか?」

「6階です。表向きは商品情報管理室という話ですが、実際は違います」


 ワダはエレベーター内の6階行きボタンを押し、すぐに4階から6階へ上がった。その間、エレベーター内では大した会話も起こらず、僅かな時間ながらも頭を痛めるような酷い静寂が充満した。

 6階に到着すると、無音でエレベーターのドアが開き、先導するワダが真っ先に外へ出た。


「……Crazyですねぇ」


 6階は、床も部屋も天井も黒く塗りつぶされており、照明数は最低限、且つ明度も低め。暗い博物館か、或いは、宇宙空間かのような、どこか不思議な雰囲気の漂う部屋である。

 家具は1台も無い。システムのようなものも見えず、電気コードなども無い。

 あるものは、7体の人型物体マネキン。マネキンは、身長2m程度で、決して人型から逸脱した形状ではない。隆々とした筋肉の無い、それでいて肥満でもない、マネキン然としたスレンダーや体格である。

 部屋の中心に1体。その周りを円形で取り囲むように、3mの等間隔をとって、6体のマネキンが置かれている。そして全てのマネキンが、エレベーターから出て入室してきたワダ達を睨むように、こちらへ向いていた。

 マネキンは各個体で色が異なるようだが、それが何を意味しているのかをリンコは知らない。

 中心に立つ1体は、右半身がブラック、左半身がホワイト。

 中心個体の正面、12時の方向には、全身がレッドのマネキン。

 2時の方向のマネキンはイエロー。

 4時の方向のマネキンはブルー。

 6時の方向のマネキンはマゼンタ。

 8時の方向のマネキンはグリーン。

 10時の方向のマネキンはシアン。

 色の三原色と光の三原色、そして無彩色の白と黒。

 暗く、黒い室内。その中心に並び立つ、色の異なる7体のマネキン。極めて不気味で、幽霊などでは体感できない恐怖も味わえる気がした。


「あのDollsが例のSystemなのですか?」

「はい。大規模ハッキングシステム……名はBeautiful Dayと言います」


 新人類計画に於ける重要な要因である大規模ハッキングシステム。それは1つの巨大な機械でも、PCの中に組み込まれたプログラムでもない。

 Beautiful Dayの正体は、この室内にある7体1組のマネキンである。


「7体で1組なのですか?」

「そうです。中心の白と黒の個体は司令塔、言わばマザーブレインです。周りの6体は、マザーブレインの思考と実行を拡張するサブデバイス。例えるなら……白と黒の個体がリベロで、リベロのレシーブしたボールを回すメンバーが他の6体でしょうか」

「……バスケならポイントガード、ですね。ちなみに喋ったりは?」

「会話は可能ですが、こちらから話しかけない限りは無言を貫きます。所詮は人工知能、と言ったところです」


 マネキンの内部構造は、限りなく人間に近い。寧ろ、人間の臓器に似せたパーツを組み込んでいる、と言った方が正しい。

 マネキンの表面は、人間の皮膚とは程遠い無機質な材質で、水をかけても滞ることなく流れていく。

 脳は人工知能そのもの。

 眼球は情報収集用のカメラ。

 鼻は匂いを取り込むフィルター。

 耳は音を認識するマイク。

 舌は糖度等を確認するチェッカー。

 喉は音を発するスピーカー。

 心臓は発電機。

 血管は全身に電力を供給させるコード。

 肺は発する音を変化させる変音機。

 肝臓は電力とパワーを蓄積したタンク。

 胃は物質を消化させる第2タンク。

 腸は上部部品を支えるスプリング。

 体液は部品を衝撃や摩耗から守る潤滑剤。

 骨は金属製。

 筋肉は金属ワイヤーの束で再現。

 体毛は無い。

 性器も無い。

 7体のマネキンは、それぞれが1つずつ脳を、即ち人工知能を持ち、各々個別にプログラミングが行われている。

 とは言え7体1組という都合上、マザーブレインとなる白と黒のマネキンが絶対であるため、マネキンが独自且つ無許可に動き出すことは無い。

 ノーマルドが独自に教育ラーニングを施した人工知能は、通常の人工知能同様に感情を持たない。しかし限りなく「感情」に近い思考を抱いてしまった。

 そしてやがて、ノーマルドの社員、そしてマネキン同士の間で会話を行えるようになり、挙句、ノーマルドの社員と共に「現人類を絶滅危惧種に至らせるプロセス」を構築した。

 だが人工知能の成長に危機感を覚えたノーマルドの社長は、各個体のプログラムをリセットし、成長が極めて遅い鈍足プランを実行した。

 だがさらに、社長に反抗する一派がマネキン達を無許可で改良イジり、人工知能の成長ではなく「人工知能を利用した案件解決」のプログラムを刻まれた。

 それが大規模ハッキングシステムであった。


「Beautiful Dayを起動すれば、全人類の携帯端末は勿論、お察しの通り、sfcへのハッキングも可能です。人工衛星を落とせと命令すれば、人工衛星のシステム自体にハッキングをかけ、任意のタイミングで地球上へ落下させることも可能です」

「……まさかとは思いますが、既に実験済みですか?」

「ノーコメントとさせて頂きます」


 実際は、既に複数回実験済みである。

 最初の実験は、会社が用意した携帯端末へのハッキング。結果は成功。

 2度目の実験は、会社が用意した携帯端末への遠距離ハッキング。結果は成功。

 3度目の実験は、上記実験の端末数を増やし、複数台数同時遠距離ハッキング。結果は成功。

 4度目の実験は、実験用人工衛星"The X"へのハッキング。一部パーツを分離させ、地球上へ落下。指定パーツの分離完了と、指定座標への誤差1km以内への落下が確認された為、結果は成功。

 5度目の実験は、凶悪犯の身柄を確保し、初の人体実験。件の凶悪犯の腕に挿入されたsfcへのハッキングを実施。個人情報の閲覧、及び情報の上書きを確認。結果は成功。

 6度目の実験は、上記凶悪犯への再度ハッキング。事前に検証してある「sfcの構造を利用した強制放電」を人体にて実施。軽く電気は流れたものの気絶にすら至らず、結果とは失敗として処理。

 7度目の実験は、ハッキング方法の手順修正及び出力の見直しを経て、また再度上記凶悪犯へのハッキングを実施。出力調整を行った成果が表れ、強制放電により凶悪犯は感電死。結果はひとまず成功。

 8度目以降は、刑務所から受刑者を買取り、感電死しない程度であり且つ気絶を確実なものもする体内強制放電の実験に着手。微調整と実験を繰り返し、23度目の実験にてプランの確定が終了。

 計23度の実験を行ってきたが、それを知る者はノーマルドの特定社員のみ。国や、刑務所が知るはずもなく、妙に知識を身につけているリンコでさえも知らない話である。


「ではNew Human Projectも実行できるということですね?」

「……ええ、まあ」


 少しばかり、ワダは眉間に皺を寄せ、7体のマネキンから少しだけ目を逸らした。


「……実行、できないのです?」


 ワダの僅かな異変に気付いたリンコは、即座に思考を巡らせ、新人類計画が「実行しない」のではなく「実行できない」のではないかと考えた。


「……今はまだ。先日、カズール・カガミという元社員が新人類計画の基盤となるデータを盗み出し、結果、Beautiful Dayは未だ、新人類計画をラーニングしていないんです」

「ラーニングしないといけないのですか?」

「無知な子供に説明書の無い玩具を与えて、それで十分に使いこなせると思いますか?」


 Beautiful Dayは、飽く迄も人工知能。まだ組み込んでいないデータに綴られた計画など知るはずも無い。無論、知らないデータを実行することなど不可能であり、新人類計画に於けるsfc世界同時ハッキングも不可能。

 何故カズール・カガミは新人類計画のデータが保存されたチップを奪取し、何故ノーマルド側は血眼になってチップを捜索しているのか。その理由は上記の通り、計画実行が不可能なのだ。

 カズール・カガミは、極めて小さなチップが、世界崩壊の鍵になると知っていた。故に奪取し、グラに、そしてアルカナに託した。


「割と膨大且つ複雑なデータであった為に、再プログラムは難しく、且つ、プログラマーのネリオット・オダが突然の失踪。正直我々としては、計画が水の泡になる可能性が否めず困っています」


 Beautiful Dayでネリオットの捜索が可能なのではないか?

 そうも考えたが、Beautiful Dayは一斉ハッキングにより個人情報とその現時点での所在を把握する。実験段階ではモルモットである凶悪犯のみを実験対象として認識させた為に成功へ至った。しかしBeautiful Dayはネリオットを実験対象として認識しておらず、情報の把握もしていない。

 ネリオットを探すには世界同時ハッキングを行う必要がある。だが計画実行前に世界同時ハッキングの負荷をBeautiful Dayに味合わせるのは良くないと判断し、ネリオットの捜索は、通常通り警察に依頼した。

 困っている。そう言いながら、ワダは少し前屈みになり、首を傾けた状態でリンコと目線を合わせた。


「ネリオット・オダの所在について、ご存知ですか?」

「No,そんな人は知らないね」

「……左様ですか。ならば構いません」


 何かを疑うようなワダの目にも、リンコは一切表情を崩さず、目線さえもずらさずに返した。

 ネリオットの失踪について、リンコが何かを知っているのかもしれない。であれば、リンコが新人類計画を知っていることも頷ける。

 或いは、カズール・カガミが奪取したチップを所持しているのかもしれない。

 そんなことを考えていたが為に、冷静さを保っていたワダの目が、少しばかり鋭くなっていた。


「ところで、7階には何があるんですか?」

「7階はサーバールームです。Beautiful Day以外にもネット系統は扱っていますから」


 ワダの少し無気力な解説から、サーバールームという話が嘘ではないことを、リンコは即座に見抜いた。

 事実、7階はサーバー機器が詰まっており、見たところで面白くもない。


「では、5階は?」

「……まあ、休憩部屋、とでも言っておきましょう。深く知ったところで得も無く、寧ろ空気が悪くなります」

「……Ah,なるほど」


 これはこの時代に於いて珍しいことではないのだが、大きな会社には、仮眠室が設けられている。

 とは言え、何故仮眠室が「通常社員の立ち入れない場所」にあるのか。

 その答えは、それがただの仮眠室ではない為である。

 リンコはすぐに察した為会話は膨らまなかったが、ノーマルドの5階は、社員が淫行に走る為の場である。防音の個室と大部屋に別れ、大部屋では複数人同時の所謂乱交が行われ、個室では同意の上での性交、或いは個室に於けるレイプが行われている。

 ノーマルドは海外展開も考える大きな企業である。しかし体が大きくなれば、時として体の黒子ホクロも大きくなる。

 ノーマルドは、クリーンでホワイトな会社ではない。性臭なまぐさく爛れた、膿の湧くような最低な会社である。

 尤も、そんな最低な人間の集まる場所であるからこそ、新人類計画などという頭のおかしい計画に走れる。


「やはり、Crazyですね」


 リンコは呆れるように呟き、後方では、監視でもするような目でクドウが見ていた。

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