第16話 ノーマルド

 2222年1月30日、水曜日。


 工業製品の製造販売を行い、時には自社製のオリジナルカー等の製造も行う、比較的活気のある会社がある。

 その名は、株式会社ノーマルド。

 ステンレス製網フェンスで囲まれたノーマルドの敷地内には、事務所となる7階建てビルと、そのビルの周りに製品の製造を行う工場が4つある。

 第1工場は、工具やネジ類等の製品製造。

 第2工場は、車体のパーツ等の製造。

 第3工場は、オリジナルカーの部品製造。

 第4工場は、オリジナルカーの組立。

 元々、工場は2つだけだったが、ノーマルドのオリジナルカー製造を行うにあたって、第3、第4工場を追加建設した。


 そして、グラの父が殺害され、グラが体内に2枚目のチップを埋め込まれたのは、工場に囲まれた中心のビルである。



「クドウさん、いいですか?」

「ん~?」

 

 ノーマルド社員の若い男が、事務所内の廊下を歩いていた女性社員を呼び止めた。

 若い男性社員の名はワダ。ワダより少し歳上の女性社員の名はクドウ。2人は同僚ではあるが同期ではない。

 ワダはクドウの2年後に入った後輩でありながらも、クドウよりも全体的にスペックの高い、優秀な若手社員である。

 クドウの仕事ぶりは、決して優秀とは例えられない。ただ、指示を出す上司、指揮官、仕事を教える教育者としての才能はあるらしく、クドウの会社内評価は低くない。

 ワダは、上司からの指示でアクティブに動く優秀な社員。

 クドウは、部活の持てる力を十分に活用させる優秀な社員。

 2人の関係は上司と部活ながらも、さながら相棒のようでもある。プライベートで共に時間を過ごすような間柄ではないが、勤務時間内は、下手な友人以上の強い信頼を抱きあっている。


「他社との業務提携を前提にした会議が本日11時から行われる予定なのですが、その会議中、相手会社の上層部らしい方の当社内見学を命じられました。自分と、クドウさんの2人で」


 ノーマルドは企業を横に広げ、挙句は海外展開さえも視野に入れている。

 そこで、ノーマルドは海外の同業者と提携を結び、共同で製品の開発、販売を行い、両社の利益増加を目論んだ。

 その第1段階として、アメリカにある工業製品製造会社TAKUMI Factoryとの提携を眼前に控えた。

 TAKUMI Factoryは、創業20年を控えた中小企業ながら、製造品の品質の高さと納期の早さが縁を呼び、大手自動車メーカーや自転車メーカー等との契約を果たした。

 子会社化ではなく、提携。お互い、会社合併による社名変更も妥協案として脳内に収めているが、現状は合併ではなく、それぞれの社名を維持する方向で話を進めている。


「あー……OK、分かった。で、その見学は何時いつから?」

「13分後、10時30分を予定しています。待ち合わせ場所は正面入口です」

「……なら行こうか」

「今からですか?」


 2人の現在地から正面入口まで、徒歩で3分弱。今すぐに出発すれば、予定時間の10分程度前には到着する。


「待ち合わせをするなら10分前から待機しておく。それが私の流儀よ」

「相変わらずですね。付き合いますよ」


 中略。


「ハロー! 初めまして、リンコ・デイヴィスです!」


 待ち合わせ時間丁度に、ノーマルドの正面入口へ件の見学者が訪れた。

 やって来たのは、大きく「斬」と印刷された独特なTシャツを着て、その上から青のスカジャンを羽織った、ミニスカートの女性。また、首からはいくつかのネックレスを下げ、スカートや、腰に巻いたポーチにもジャラジャラと装飾品を付けた、全体的に奇抜なファッションの人物であった。

 名前はリンコ、24歳。ハーフではなく、純アメリカ人である。金髪碧眼という典型的なアメリカ人女性であり、微妙にカタコトな喋り方も極めて典型的。


「初めまして。本日の案内人を務めるガイラス・ワダです」

「同じく、ハーメリス・クドウと申します」


 海外への羨望の高まりが収まらず、日本という国の西洋化が進んだ末に、ある年に、日本人のフルネームの苗字と名前が逆転した。故に、これまでは「山田 太郎」だった名前は、「タロウ・ヤマダ」となった。

 さらに、件の西洋化は深刻とも言える状況で、名前までもが日本人離れしていった。

 その証拠に、純日本人であるにも関わらず、アグラッシェやジェインといった名が一般化されている。

 だがそれとは逆に、海外では、日本寄りの名前を付ける場合が増えている。

 所謂、ジャパニメーションの影響が大きく、日本に憧れる外国人が増えたのだ。しかも憧れがピークに達し、人々が日本寄りの名前を付け始めた頃に、日本人の名前の西洋化が進んだ。

 日本が海外に近付いた頃、海外は日本に近付いた。何とも皮肉な話であるが、時空転移後にこの話を聞いた彩雅は、それを「人種差別の無い理想の世界に、数歩程度近付いた結果」なのかもしれないと判断した。


「ミスターワダ、ミスクドウ……今日はお願い申します!」


 この時、クドウは思った。

 何だか胡散臭いヤツが来た、と。

 カタコトに、不十分な日本語。24歳という若さで「会社の上層部」となった実績。そして会議の裏で行われる会社見学。

 クドウの疑念は深まる。

 この女は、本当に相手企業の上層部の人間なのだろうか、と。

 とは言え疑ったところで確証も持てない為、クドウは自らの思考を殺し、案内人としての対人スマイルで表情を繕った。



 ◇◇◇



 同時刻、サンムーン。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"…………」


 グラは今、サンムーンの従業員食堂に居る。食堂内には社員が数人居るが、そんな事など気にせず、机に伏せ、亡霊の呻きのような濁点まみれの声を漏らした。

 グラの隣には、The15のアズエルが座っている。偶然ではなく、共にやって来ているのだ。

 今現在、彩雅はノーマルドへ潜入捜査中。捜査が無事に終了し、帰投するまで、グラは彩雅に会えない。

 彩雅の声が聞けない。

 彩雅の顔が見れない。

 彩雅の髪に触れられない。

 彩雅の指に触れられない。

 彩雅の唇に触れられない。

 彩雅の脚に触れられない。

 彩雅の香りを嗅げない。

 彩雅の味を感じられない。

 彩雅が居ない。彩雅が居ない。居ない。居ない。居ない居ない居ない居ない居ない。


「グラちゃん、随分辛そうだね」


 社員食堂のメニューにあるフレンチトーストを食べながら、アズエルが言った。

 アズエルは25歳。彩雅よりも少しだけ歳上だが、彩雅に比べると声は少女のように高く、身長も彩雅より低い。

 彩雅の代役、というつもりではないが、彩雅と離れて呻吟するグラを少しでも慰めるべく、空いた時間を利用して、こうしてグラの近くに居る。


「彩雅が居ないとダメなの……彩雅の作ったご飯が食べられないから満足感に欠けるし、彩雅が居ないからベッドが広いし、彩雅に触れないから色々溜まってるし、ストレスか知らないけど口内炎できるし……もう最悪」


 因みに睡眠不足も入っている。


「私じゃ力不足?」

「アズエルさんと彩雅は別人なので、力不足とかそれ以前の問題です」

「ありゃりゃ。なら誰連れてきてもダメっぽいね。まあ元気だしなよ。明日には帰ってくる予定だから」

「こんなにも明日が待ち遠しいなんて……あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!」


 今日の夜にはもう心が壊れてるかも。

 そう考えたアズエルだが、敢えて口には出さなかった。


「今日の夕飯は私がご馳走するから、それで少しは元気だしなさいな。そんな辛そうな顔続けてたら、彩雅ちゃんに会った時にドン引きされるよ?」

「…………はい………」


 さて、その彩雅ちゃんは上手くやれてるだろうか。

 そう考えたアズエルだが、また口に出すことなく、自らの心の内に留めた。

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