第14話 残り香

 シオン・ハナムラ。

 シオンはジェインの幼馴染であり、また、ジェインがタクシー運転手以外の仕事をしていることを知っている。

 何故知るのか。

 幼馴染故に?

 愛人故に?

 否。

 彼女もまた、アルカナのメンバーなのだ。しかし彼女がアルカナの1人であることを知るのは、極わずかな人間のみ。同じアルカナのメンバーである彩雅とライラも知らない。

 現状、彼女のことを知る者は、タッセロムとジェインの2人だけである。

 コードネームはThe19。タロットカードに於ける19は、大アルカナの「太陽」。

 その主な仕事は、陽動。


 太陽は、生物に温もりを与え、時には成長を促す。しかし太陽を直視すれば目が焼け、他のものが目に映らなくなる。そして牙を向けば、草木も、水も、人でさえも枯れ、地球を砂の星に変えることもできる。


 アルカナのメンバーが、少々大掛かりな仕事をすると、警備システム以外だけでなく、一般人にまで気付かれる可能性もある。或いは、関係の無い一般人から犠牲を出す可能性までもある。

 そこで必要となるのが、陽動係のシオン。

 シオンは、tarotsタロットという名のガールズバンドに在籍し、ボーカルとして活動している。tarotsはクローネと同じ事務所のバンドであることもあり、話題性は十分。クローネと比較すればまだ見劣りするものの、若手アーティストの中ではトップクラスの人気を誇る。

 tarotsは、公式が主催するライブは勿論、突発で行うゲリラライブもよく開催する。公式主催ライブの来場者数は勿論(?)満員なのだが、公園や広場でゲリラライブを行えば、歩道だけでなく車道に至るまで埋めてしまう程の観客を集めてしまう。

 tarotsはその人気と集客力を利用し、周辺の人間達の目と注意力を奪う。

 一度ひとたびライブを直視すれば、人々は皆、周りのことなど視野から外し、パフォーマンスをするシオン達しか見えなくなる。故にその背後でアルカナのメンバーが仕事をしても、誰も気付くことはない。


 太陽に目を惹かれる限り、人は影を這う蜥蜴に気付かない。

 シオンは、人々にとっての太陽。影に身を隠すアルカナのメンバーであると同時に、影を広げて人々の目を惹く太陽なのだ。


 ただ、太陽は時に陰る。

 雲、霧、煙。あらゆる要因が太陽を隠し、太陽はその光を誇示できないこともある。

 では、太陽の濁りを取るならばどうすればいいのか。

 簡単である。

 雲も霧も煙も、風に触れれば形を変え、やがては消える。

 では、シオンの心を曇らせるものに触れさせる風は、どこから用意すればいいのか。

 否、用意などできない。

 何故ならその風は、ジェインなのだから。



「何か嫌なことでもあったのか?」


 ベッドに腰掛け、ペットボトルに入った緑茶を飲みながら、ジェインが尋ねる。

 ジェインは今現在全裸。ベッドの上には、同じく全裸で、シオンが転がっている。


「……あった」


 拗ねるような声で答えるシオン。

 ジェインはエスパーではない。だが、唐突に2人きりの時間を求められるのは、大抵、シオンにとって嫌なことがあった時である。

 ジェインはエスパーではない。故に、その「嫌なこと」がどのようなことだったのかは分からない。

 ジェインは、シオンの性格をよく知っている。

 ベッドの上で交わった後に「嫌なことでも?」と尋ねるまで、ジェインは一度も「何かあったのか?」という質問はしていない。シオンは他人に詮索されるのを嫌う為、自分から話すまでは下手に会話を降らないほうがいいのだ。

 そして大抵、ベッドで交わり、互いに熱を帯れば、シオンの心が変異する。そうなれば、シオンは自分から話すことが無くなり、寧ろ干渉されたいと思うようになる為、今度はこちら側から尋ねる必要がある。

 移動中、シオンは何も話さなかった。故に話を聞くには、交わった後がベストであると判断したのだ。


「人間関係とか?」

「……うん」

「……クローネ・ミナトのこと、とか?」

「…………うん」


 以前にも、似たようなことがあった。

 シオンの事務所の先輩である女優を、乗客として運んだ時のこと。事務所に到着して下車させたところをシオンが目撃し、「自分以外の女(しかも美人)を乗せた」ということに嫉妬したのだ。

 人を乗せるのは業務であり、タクシー運転手としての義務である。それは分かっているのだが、その女がジェインを誘惑したのではないかと考えると、無性に腹が立ち、酷く妬ましく思える。

 その日、シオンはジェインの家を訪れ、交わった。そして交わった後に事情を聞き、シオンが自分以外の女性を敵視してしまう癖をジェインは学んだ。

 今日のシオンは、クローネを敵視してしまったのだ。同期であり友人でもあるクローネに、嫉妬心を抱いてしまったのだ。

 自らの器の狭さが惨めに思えたのだ。


「ジェインは、クローネのこと、どう思ってるの?」

「……芸能人」

「…………うん、ジェインだ」


 ジェインのクールアンドドライは、恋愛感情さえも希薄。そんなことは分かっているはずだったが、ジェインがクローネに恋愛感情を抱いていないことを知ると、シオンは満足げで安心したような顔を見せた。


「ジェインに恋人なんて似合わないもの。クローネにだって靡くはずないよね」

「ああ、俺に恋人は必要無い」

「必要なのは私と、信じられる仲間だけでいい。でしょ?」

「……分かってるなら病むな」

「ごめん。でもありがと」



 ◇◇◇



 買い物を終えた彩雅とグラは、荷物の詰まったエコバッグと紙袋を腕に下げ、ジェインの待つタクシー乗り場に向かった。

 時刻は僅かに15時を過ぎたが、彩雅もグラも焦る素振りは見せない。ゆったりと、小走りもせず、2人横並びでタクシーへ歩み寄る。

 タクシー乗り場へ停車するにあたっては、ジェインの車を再度タクシー形態へ戻す必要がある。故に一旦帰宅したジェインは、出発の際にスイッチを切り替え、元のマリンブルーの車体へ戻していた。


(来たか)


 変装をした彩雅とグラの容姿を記憶していたジェインは、大量の荷物を引っ提げて近付いてくる2人に気付き、下車した後トランクを開けた。

 タクシーとして運用するにあたり、トランク内は若干改造されている。

 空調と壁面の加工により、クーラーボックスのように保冷効果がある。且つ同時に、耐衝撃性を重視し、底面側面天面全てが、低反発素材の枕のようになっている。これらの改造により、生卵を直に入れても、腐らず、それでいて割らずに運ぶこともできる。


「お待たせー!」


 上機嫌のまま合流した彩雅とグラの2人を見ると、「楽しんでくるといい」と送り出したジェインも、ほんの少しだけ嬉しくなれた。


「荷物はこっちに入れるといい」

「ありがとー」


 勝手に閉まることはないのだが、ジェインはトランクのドアを手で抑えながら、荷物を積む2人を補助した。

 その際、ジェインに接近した彩雅は、ジェインから漂うに気付き、思わず手を止めてしまった。

 手を止め、少しだけ頬と耳を赤くする彩雅。その様子にいち早く気付いたジェインが「どうかしたか?」と尋ねるが、彩雅は「なんでもない」と誤魔化した。

 彩雅は、ジェインから漂うを感じ取ったのだ。同じ車内に居たことによる香水等の残り香ではなく、もっと密接に、もっと長い時間を共に過ごしたであろう、独特な、甘い匂いの中に僅かななまぐささを混ぜたような匂いである。

 彩雅は、即座にその匂いの正体を理解し、理解と共に想像を働かせたが故に、頬と耳を熱くさせた。

 それによく見ると、極僅かながらピンク系の口紅が顔に残っている。パッと見では気付けない程度の残留であるが、日頃から変装技術と洞察力を研いでいる彩雅の目は見逃さなかった。

 さすがにジェインのが何者なのかまでは分からないが、とりあえず、ジェインにも最低限の性欲があることは理解できた。


「これから何処か行きたいところは?」

「ううん。後は帰るだけ。付き合わせちゃったし、ジェインもゆっくり休みなよ」

「……そうか。なら帰ろう」


 ジェインは、荷物が詰められたトランクのドアを閉めた。



 ◇◇◇



 一方その頃、サンムーンでは。


「……ひゅー……」


 ハッキング開始から5時間と少し。パソコンと対面し続けてきたライラは、驚愕の中に恐怖を覆い隠し、僅かに震える声を唇の隙間から漏らした。


「終了しましたか?」


 タッセロムが尋ねる。しかし、ライラは応答も頷きもせず、ただ眼前のPCの画面を見つめる。

 何があったのかと思い、タッセロムは車椅子を操作して、ライラの背後へ移動する。

 少し身を乗り出し、ライラのPC画面を確認する。するとすぐに、タッセロムもライラと同じような驚愕の表情を浮かべ、唐突に、背筋を百足でも這ったかのような感覚が走った。


「社長……どうしますか?」

「作戦は既に立案してあります……が、当初の作戦に加筆、及び修正が必要ですね」


 グラの腕の中に埋め込まれた謎のチップ。ライラはそのチップの中に眠るデータの解析を終えた。極めて複雑で、ピースの多い白紙のパズルのように困難だった。

 しかしライラは、チップのセキュリティに勝利した。勝利して、今に至る。

 そのチップの中に眠るデータは、極めて非現実的で、それでいて、確実に現実的な内容であった。


「ライラさん、指定するメンバー全員へメッセージを送ってください。早急に作戦内容を書き直し、指定メンバーへ内容を開示します」



 指定メンバーとは、基本的にアルカナのメンバーに限られる。しかし彩雅に送信されたメッセージ内にのみ、グラを同行させるようにという1文が添えられていた。




 Hello My Friend.


 本日21時00分より、複数人同時参加作戦の内容開示を行います。

 指定場所はサンムーン社長室。指定時間を迎えた時点で施錠を行いますので、必ず指定時間以内に入室をお願いします。

 ご持参頂くものはございませんので、手荷物はご自由にどうぞ。

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