第13話 男性運転手と女性歌手#4
パパラッチを振り切ったジェインは予定通り、クローネの所属する事務所である「スノードロップ」に向かった。
スノードロップ自体は、サンムーンから5km程度しか離れていない場所にある。とは言え、ジェインがクローネを乗せたのは全く逆の方角。加えて、パパラッチから逃げる過程で少し離れた場所へ移動した為、目的地のスノードロップまでは8km程度距離が空いてしまった。
クローネにとって、距離と時間が延びたことは問題ではない。寧ろ、ゆったりと揺れながら移動する車内で、背を向けるジェインと会話をすることに、僅かながら楽しみさえ抱いていた。
しかし、クローネの楽しみにさえ背を向けるジェインは、淡々と最短ルートを選んでいき、クローネが想定よりも圧倒的に短い時間でスノードロップに近付いていた。
「運転手さん、もしよければ、ウチの事務所で専属ドライバーになりませんか? 年収アップも保証しますよ?」
2人の会話が終わる。そう気付いたクローネは、2人の会話を今後も続ける方法を実行した。
それは、勧誘。
もしもジェインがスノードロップ所属で、且つクローネの専属ドライバーになれば、移動の度に様々な会話を楽しめる。
今現時点、クローネの移動に専属ドライバーは雇われていない。移動の度に違うドライバーと顔を合わせ、大した会話も無いまま車内に静寂を充満させるのは、正直、酷く
「お誘いありがとうございます。けど自分は、某企業の運転係も務めてますので、暫くそのお誘いを引き受けることは困難です」
「そうですか…………なら、職に困ったらいつでも言ってください。すぐに私の……じゃなくて、ウチの事務所の専属ドライバーとして推薦しますから!」
バックミラー越しに、乗客の顔色を窺う。それも業務の一環として捉えているジェインだが、今だけは、バックミラーへ目を移すことはやめていた。
「ここで停まって下さい!」
事務所の敷地に入ると、建物の前に、タクシーや移動用のバス等が停まる縦列駐車のスペースがある。何ともタイミングが良く、現時点では車が1台も停まっておらず、このまま直進で停めることが可能。
ジェインは縦列駐車スペースに車を停め、サイドブレーキを引く。
「あ、」
「え? あ!」
停車直後、ジェインが前方を見て小さく声を漏らした。その様子に気付いたクローネは、一体何事かと、シートの隙間からジェインと同じ方向を見てみた。
前方から、1人の女性が小走りで向かってきているのが見えた。
日本人形が如く長く艶やかな黒髪を揺らしながら、その女性は明らかにジェインのタクシーに向かっている。それもそのはず。その女性は、ジェインとクローネ、共通の知人である。
その女性の名はシオン・ハナムラ。少々古風な名前であるが、本名である。見た限り身長は低く、150cmにも達していない。顔つきはその身長に相応しい童顔で、成人ながらも未成年にしか見えない。
幼さの上に大人要素を被せたようなクローネとは逆に、シオンは自らの幼さを隠すことなく全面に出している。
シオンはクローネと同じ事務所の同期だが、シンガーではない。バンドを組み、ボーカルとして活動している。
「お客さん、彼女とはお友達で?」
「はい、事務所の同期なんです」
「なるほど……ならお客さん、今回のタクシー代は無料で大丈夫ですよ」
「え!? 何でですか!?」
「縁が出来た記念です」
そう言うと、ジェインは運転席側のドアを開け、クローネよりも先に下車。即座に反対側へ回り込み、クローネの座る側のドアを外から開けた。
無言ながらも下車を促されたクローネは、ひとまず従う。そして下車した直後、タクシーに起こっていた変化に漸く気付いた。
「車が変わってる……!」
「これが逃げ切れた理由です。もうタクシーらしさが微塵も無いでしょ?」
「すごい……すごい!」
クローネがジェインのタクシーにはしゃいでいると、小走りで近付きつつあったシオンが合流した。
「おやおやぁ? ジェインくんってばいつの間にクローネの専属ドライバーになったの?」
嘲笑の混じったような子供の声……否、最早、生意気なメスガキの声。子供のような見た目をしたシオンは、声まで子供のようだった。
「乗客だ。専属にはなってない」
「えぇー? ホ・ン・ト?」
「(うっざ……)嘘つく理由も無いだろ」
「そっかそっかぁ、そうだよねぇ? だってジェインは私の専属ドライバー……もとい、私専用のお馬さんだもんねぇ?」
「お"お"お"お"、お"馬"さ"ん"!?」
シオンの爆弾発言に、車に見蕩れていたクローネは濁点まみれの声を上げた。そんなクローネの驚き具合はとても面白く、間近で聞いていたシオンは込み上げてくる笑いを必死に堪えた。
濁点まみれの声を漏らす程度に、その表情も随分と焦っているようで、その様子を見ていたジェインは「面倒なことになった」と、頭痛でも撫でるように側頭部に手を当てた。
「ア"ッ! あ"の"! お"馬"さ"ん"て"! と"う"言"う"こ"と"な"の"て"し"ょ"う"!?」
「……幼馴染ってやつです。昔の話ですが、シオンはよく自分を馬に見立て、お馬さんごっこをしてたんです」
「あ、あぁ、そういう……」
「まぁ割と最近まで"夜の乗馬"はやってたけどね」
「お"お"お"お"お"お"お"お"!?」
「おいやめろバカ! それ以上話すな!」
常日頃からクールアンドドライを保つジェインだが、シオンの超巨大爆弾発言には流石に冷静さを保てなかった。故に接客用の顔を捨て去り、一切の偽りも無いジェイン本人の本音を言い放った。
さて、ここで問題となるのが、ジェインとシオンの関係性である。
ジェインは30歳。シオンは22歳。8歳差の2人は、確かに幼馴染。家が近所で、両者の父親同士、母親同士が学生時代の友人であった為、幼少期から共に遊ぶ(正確にはジェインがシオンの遊び相手になる)ことが多かった。
特にシオンは、お馬さんごっこという名目で、事ある毎にジェインの背に跨っていた。
2人が年齢を重ねる度に、その接触面積と接触時間は増えていき、シオンが13歳になる頃には、限りなく恋人に近い距離感で接していた。
2人が思春期の頃はどうだったのか?
ジェインは当時からクールアンドドライな気質があった為、思春期になっても異性に対する過度な性意識は無かった。ただ、シオンのことはいつまで経っても「妹のような存在」としては見られず、距離感の近さに内心ドキドキしていた。
シオンはそもそもジェインのことを「兄的存在の異性」として認識していた為、思春期以前から意識はしていた。思春期にもなれば、ジェインに対する性意識は強くなったが、他の男性に対する性意識は皆無だった。
そしてシオンが19歳になった頃。2人の距離は、ゼロからマイナスになった。
僅かながらアルコールの力を借り、キス。2人共がファーストキスであり、同時に、初めて他人の舌を口内に
唇で、舌で、指で、手で、足で、2人は互いを深く知った。年齢差8、身長差30.1。その差が全く視野に入らぬ程、2人は欲を飲んだ。
それ以降も、2人は共に夜を過ごすことが幾度かあったが、2人の関係は恋人に至らなかった。
愛人、或いは
「お"っ、わ、私、ちょっと気分が……ごめん、中で休んでる……」
「あれま。ならゆっくりしてなさい。私はジェインに乗せてってもらうから。ほら行くよジェイン!」
「……お客さん、お大事に」
尤も、クローネの体調不良の原因は、ジェインとシオンの会話なのだが。ひとまずジェインは、最低限の気遣いの言葉をかけた。
体調不良を訴え、クローネは覚束無い足取りで事務所の入口へ向かっていく。その後ろ姿を見送りながら、シオンはドアを開け、ジェインよりも先に助手席へ乗車した。
ジェインもまた、遅れて乗車し、体の力を抜くように口から大きく息を吐いた。
すると、先程まで接客モードだったジェインの雰囲気が、プライベートモードへと切り替わった。つまりは、取り繕われた柔和なジェインから、無表情無感情のクールアンドドライなジェインに替わった。
人前で見せるジェインから、仲間と、鏡に映る自分にしか見せないジェインになった。
「ボディカラー変えてるってことは、さっきまで仕事してた?」
「ああ。悪質パパラッチからクローネ・ミナトを逃がした。もう今頃、パパラッチは処理されてる」
ジェインが逃亡に使った立体駐車場は、実は、現在は使用されていない。何故かと言うと、あの駐車場はサンムーンが買収し、サンムーンの所有物となっているのだ。とは言え、ショッピングモールの敷地内にある為、駐車場出入口のゲートの操作を実行する権利はショッピングモール側にある。
駐車場の中に停められていた車達は、全てダミー。実車に限りなく近い見た目だが、全て偽物の車であり、エンジンさえも入っていない。
駐車場は普段、ゲートが閉められ入場できない。しかしサンムーン側の指示とショッピングモール側の操作により、ゲートは開く。開く理由は主に、ジェインの仕事である。
ジェインの仕事や任務の際、逃亡や、敵の収容に用いる。今回のように、一定距離を保った追走者が相手であれば、上手く引き寄せ、場内に閉じ込めることができる。
仮にカーチェイスになれば、場内でチェイスを繰り広げ、乗車状態で銃撃等を行う。最上階である4階には、過去のカーチェイスで発生した黒いブレーキ痕、及び、敵が接触した際に出来た壁面や柱のヒビが残されている。
敵を場内に収容した場合には、ショッピングモール側が味方につけた警備隊が突入し対応する。今回の場合、相手は悪質パパラッチ。警備隊はパパラッチを捕縛し、手段を問わずにパパラッチとその所属会社を潰しにかかる。
勿論、警備隊の行った行為に関しては違法行為である場合が多い為、大抵の案件に関しては警察にも報告はしない。
「そっか……ありがと、守ってくれて」
「仕事だ、構わない」
ジェインがアルカナのメンバーとして活動していること、犯罪行為を土台に仕事をしていることを既に知っている。また幼馴染でもある為、ジェインの素の性格も知っている。
故にクローネが居なくなった途端に声と会話のトーンが下がった現状にも、シオンは一切困惑していない。
「で? 何処まで送れって?」
「……今日、暇?」
「15時に予約が入ってる。14時40分には到着しておく必要がある」
「ならそれまでは暇か……ねえ、それまで付き合える?」
互いに顔は見合わせない。
だが、大した理由は無い。
「丁度暇してた。何処に行きたい?」
「……ジェインの家、行ってもいい?」
「ああ、分かった」
サイドブレーキを下ろし、ジェインは駐車スペースから出発した。
現時刻は11時29分52秒。予定時刻まで3時間30分。理想を前提にすれば残り時間は3時間10分。
ジェインの自宅はサンムーンから徒歩20分程度の場所にある。つまりは現在地から5km近くは引き返さなければならない。
しかし職業柄、この程度の移動であれば問題無い。故にジェインは嫌な顔ひとつ見せず、アクセルを踏んだ。
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