第12話 男性運転手と女性歌手#3
国道を暫く走ると、ショッピングモールが右手に見える。左手にはバイパスがあり、バイパスを通れば信号に捕まることなくショッピングモールへ直接入れる。
ジェインはバイパスに乗り、ショッピングモールを目指す。正確には、敷地内にある無料の立体駐車場を目指している。
バイパスに乗り、バイパスの下を通る国道を走る車達を一瞬だけ確認する。すると、少し後ろの方ではあるが、クローネを追っているパパラッチの車が見えた。
「まだ来てる……ストーカーじゃん、殆ど」
「下手なストーカーより厄介ですよ。けどこれで我々は逃げきれます」
「え?」
「立体駐車場に入ります。そこで、敢えて立体駐車場に入るところを見せます。そこで我々を追って立体駐車場へ入場した時点で、パパラッチは我々を見失います」
「……?」
立体駐車場とは、地表から高い位置にある行動範囲が限られた場所である。幾台もの車が停まっているものの、ジェインが乗るのはタクシー。車種自体は一般車ながらも、ドア部に書かれた「sagara taxi」の文字と、タクシー特有の
立体駐車場に入った時点で、本当ならば袋のネズミなのだが、何故かジェインは「パパラッチは我々を見失う」と断言した。
正直なところ、クローネは少し不安だった。
何をどうしたら、パパラッチはこのタクシーを見失うのか。何がどうなれば、この立体駐車場という逃げ場の無い場所で、このタクシーはパパラッチを振り切れるのか。
考えはしない。深く考えれば、車に酔ってしまいそうになる気がした。ただでさえ「揺れに警戒しろ」と言われているのに、これ以上体に負担をかけたくはないのだ。
そんなクローネの不安を他所に、ジェインは予定通り立体駐車場へ向かう。
その過程で、ジェインは車内のオーディオ機器付近にある棒状のスイッチを切り替える。その後5秒も経たぬ間に、車内のスピーカーから男の声が発せられた。
『おうジェイン。仕事か?』
ラジオ……ではない。
先程のスイッチは、タクシー側から特定の相手に通話を発信するものであった。
「ああ。立駐を使う」
『オーケーだ』
「相手は悪質パパラッチ。会社の名前も他の悪行も全部吐かせてやれ」
『任せな。俺達の得意分野だ』
スピーカーの向こう側に居る男が何者なのかは分からない。また、通話の内容も分からない。
「お客さん、駐車場の前に伸びる道路に侵入した時点で、
「
もう、どうにでもなれ。
クローネはそう思った。
(そろそろか)
バックミラーとサイドミラーをチラリと確認し、ジェインはステアリングを握る手に力を加えた。
数十メートル後方にて、パパラッチが追走中。速度はそれほど出ていないが、ジェインのタクシーが立体駐車場へ向かっていく様子は確認できる間隔を保っている。
ジェインの眼前には、左右に分かれる道。直進という選択肢は無い。ジェインは分岐点にて右折した。
「おぅ!?」
ジェインはブレーキを作動させず、アクセルを踏んだまま、徐行もせずに右折した。刹那に訪れた横Gにクローネの体は揺れ動き、揺れに備えてはいたものの変な声を漏らしてしまった。
右折したことで、ジェインは目的の立体駐車場へ向かう道へ合流した。
後ろの方でジェインのタクシーを観察していたパパラッチは、ノーブレーキで右折するタクシーに驚愕し、「逃げられてしまう」と僅かばかり焦った。その焦りはアクセルを踏む足に力を移し、意図せず加速をした。
合流した道は緩やかな曲線の道路で、進行する度に進路が左へ僅かに傾いていく。その先に、左車線から直接入れる広めの脇道がある。その脇道を少しだけ進むと、そこは目的の立体駐車場の眼前。駐車場は無料である為、ゲートも発券機も出入口には無い。
ジェインは僅かに左折、件の脇道に入り、立体駐車場の出入口へ向かう。その最中、ジェインは右の窓から外へ目を移し、僅かに距離を詰めてきているパパラッチを確認した。
またパパラッチ側も、ジェインのタクシーが立体駐車場に入っていくのを確認した。
「んい!?」
ジェインはアクセルを強く踏み、急加速。その衝撃にクローネは再び変な声を漏らし、気付くと涙目になっていた。
ハイスピードで立体駐車場へ進入し、幾台もの車が駐車された場内を一切減速することなく進んでいく。
「危ない危ない! 人轢いちゃう!」
「ご安心を!」
「怖いって!」
「だからご安心を!」
「やだ怖いいいい!!」
1階から2階へ向かうカーブの登り坂が見え、ジェインはブレーキング。シフト操作、ステアリング操作を即座に行う。少なくとも乗客が居る状態でのタクシーでは行わないような走りに、クローネの恐怖はピークに達した。
ジェインのタクシーは4WD。ドリフトではなくグリップ走行をメインに行う。車体を一切滑らせることなく、且つ減速は最低限に抑え、ジェインはカーブの登り坂を進んでいく。
しかも車線を完全に無視して。
「車線! これ逆走してない!?」
「怖いなら瞼閉じてなさい!」
「閉じても怖いよ!!」
車線を無視して走るも、対向車は無く、無事に2階へ到達。1階に比べると駐車された車の数は少ないように見える。
そしてやはり、ジェインは対向車や歩行者などに一切気を配ることなく加速し、クローネに再び恐怖を与え、また上の階へ登るカーブの坂を車線無視のまま走行する。
それをさらにもう一度繰り返し、最上階である4階にまで到達した。
4階になると車体の数はさらに減り、駐車可能スペースが随分と増える。ジェインは急ブレーキをかけ減速、かなり乱暴ながら白線内に駐車させた。
急加速から始まった立体駐車場というアトラクションは、急停止と綺麗な駐車で一旦止まった。
「お客さん、大丈夫ですか?」
後部座席を確認すると、クローネは助手席に凭れていた。嘔吐はしていないが、クローネの呼吸は荒く、鼓動は尋常ではないくらいに早まっていた。
「まあ、大丈夫ではないですよね」
あまりの恐怖と疲労に、クローネの体は話すことさえできなくなっていた。
そんなクローネをよそに、ジェインは仕事を続行。
立体駐車場に駐車を完了させたジェインは、クローネの様子を伺いつつ、車内にあるいくつかのスイッチをカチカチと切り替えていく。その度に車体に変化が生じているのだが、車内に居るクローネはその変化に殆ど気付けなかった。
1つ目のスイッチを切り替えた時、天井から少し物音がした。行灯がディスクのように4分割され、厚みのある天井の中に収納された。
2つ目のスイッチを切り替えた時、車の窓が瞬時に収納され、代わりにスモークの入った薄い窓が現れた。
3つ目のスイッチを切り替えた時、 ナンバープレートがくるりと裏返り、事業用である緑のナンバープレートが、自家用である白のナンバープレートに変わった。
4つ目のスイッチを切り替えた時、何と、
4つのスイッチを切り替えただけで、行灯が消え、窓がスモークになり、ナンバープレートも事業用でなくなり、挙句カラーリングも変わった。
車種は同じだが、最早、それは別の車体。誰がどう見ても、追われていたタクシーとこの黒い車が同一だとは思わない。
「お客さん、ここからは安全運転でいきます。事務所まで無事にお届けします」
「……ぇ?」
車内で項垂れていたクローネには、タクシーに起きた変化が分からなかった。強いて言えば、窓ガラスが黒みを帯びた程度にしか気付けない。
それなのに、ジェインは「逃げ切った」とも雰囲気を出していた。
ジェインは車を発進させ、徐行で駐車場内の走行を開始した。ゆったりと走り、下の階へ続く坂へと向かう。坂は先程通ってきた場所と同一であり、中央には、降りる用と登る用とで区切るための白線が引かれている。
ジェインは徐行のまま、降りる用の車線に入る。ゆったりと降りていき、3階へつく。3階につくと、また徐行を維持し、今度は2階へと降りていくための坂へと向かう。
そして坂に進入した時、前方から白い車が坂に進入しようとしている瞬間を確認した。
「っ!」
助手席の影に隠れて、前方を窺うクローネが、パパラッチとの対面に思わず息を飲んだ。
乗車したタクシーと、追ってきていたパパラッチ。その両者が、この逃げられない空間にて対面。クローネにとっては、身の危険さえ感じる緊張の瞬間である。
……が、パパラッチの白い車は、ジェインの運転する車になど殆ど注意を向けず、クローネが乗り込んだマリンブルーのタクシーを探している。
坂の途中で、両者はすれ違う。クローネ側は気付いていても、パパラッチ側がクローネにも、車の正体にも気付いていない。
そしてそのまま、互いに止まることはなく、パパラッチは3階へ、ジェイン達は2階へ到着した。
2階へ到着すると、ジェインは少しだけ速度を上げ、且つ安全運転を重視して走行を続ける。その途中で、ジェインはバックミラーを用い、困惑するクローネを確認した。
「不思議、ですか? パパラッチがこの車を見逃したことが」
「……まさか、パパラッチじゃないの?」
「いえ、間違いなくパパラッチです。助手席の男、獲物を探す肉食獣さながらの目をしてましたから」
「じゃあ、何で?」
「答えは、事務所についてのお楽しみです」
まるで、狐にでも化かされたような。そんな気分だった。
いとも簡単にパパラッチの隣をすり抜けたその手段も教えず、タネ明かしを渋るジェイン。クローネは、ジェインの優しげな表情の中に、何か得体の知れないものが棲んでいるような気がした。
事実、タクシー運転手のはずでありながら、その運転技術は常人以上。善人ぶった顔をしているが、犯罪も厭わない走り屋という過去がある……のかもしれない。
ただ、憔悴してしまう程の運転を味わったものの、クローネの中にはジェインに対する謎の安心感が芽生え始めていた。極めて不安だったが、こうして本当にパパラッチを振り切れた。
つい先程まで項垂れていたクローネも、気付けば顔を上げていた。
(すごい……)
心の底から、すごいと、そう思った。
声には出さなかった。声に出せば、途端に上辺だけの感想に成り下がるような気がしたから。
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