第11話 男性運転手と女性歌手#2

 タクシーに駆け込んできた謎の乗客の正体が、歌姫と称されるシンガー、クローネであった。これに関しては、極めて冷静に運転をしていたジェインも驚愕し、珍しく背中に汗を滲ませた。

 クローネ・ミナトと言えば、今や日本国民の誰もが知る生きる伝説である。

 大人っぽさを演じながらもたまに幼さを覗かせた為、ファンの何人かを卒倒させ、挙句「尊さ過剰摂取による突発的な卒倒」という病気をネット内で確立させた伝説。

 インタビューで「好きな食べ物は?」と聞かれた際に、「おせちとかに入ってる黒豆」と答えたが為に、全国のファンがショッピングモールで黒豆を買い占めてしまった伝説。

 インタビューで「好きなものは?」と聞かれた際に「昔のアニメ!」と答え、その後延々と好きなアニメについて語ったが為に、紹介されたアニメが怒涛の人気を帯びてしまい、現行のアニメよりも人気を出してしまった伝説。

 等々、クローネは数多の伝説を生み、歌も声も人間性も話題性も全てを備えた脅威の伝説的シンガーとも例えられた。


 そんな伝説が、自身の背後にいる。


 大ファン、という訳ではない。とは言え、クローネの曲を聴かない訳でもない。にわかファンと言われても否定できない程度の知識しか無いジェインながらも、初めて見るには流石に気を惹かれた。


「歌姫さんが、一体どうされたんですか?」

「出版社、に……追われて……」

「……ああ、スクープを狙われてる、と」

「そん、な、感じです……」


 注目が強くなればなるほど、影を狙う者達はファンの中に紛れやすくなる。クローネは最早、誰もが知る歌姫。ともなれば、クローネのスクープを狙うパパラッチも増える。

 クローネという一際輝く大樹に群がり、脆い箇所を砕いて蜜を啜る、鬱陶しい羽虫のような連中が増える。


「そのパパラッチの特徴は分かりますか?」

「え?」

「個人タクシーやってると、気付けば顔が広くなるんです。カメラ構えてる連中の会社とも関わりを作ることも難しくない。悪質なパパラッチ連中を潰すことも難しくありません」


 これが、The7。ジェイン・サガラの仕事の始め方である。

 会話の中で乗客の情報を抜き、情報の中にある善悪を見極める。そして見極め、悪を潰すことができると判断した場合に、ジェインは潰すための計画を立て、実行する。

 元々はタクシー同様に個人で活動していたジェインだが、タッセロムの勧誘でアルカナのメンバーとなってからは、仕事の幅がさらに広がった。今では大抵の仕事を実行でき、遂行する。

 そして今回の案件も同様。

 ジェインにとって、パパラッチは羽虫。鬱陶しく、極めて不快な存在である。歌姫がそんな連中にたかられていると考えただけで、ジェインの方が嫌悪感を抱く。大ファンという訳でもないのに。

 さて、そんな不快な存在を、ジェインはどう対処するのか。

 殺虫スプレーを噴射する?

 否。潰す。


「……2人組でした。車に乗ってたので、服装までは……」

「どんな車でした?」

「白い車だったんですが……生憎車には詳しくないもので」

「白い車……もしかして、ボディに青いライン入ってました?」

「あ! 入ってました!」

「なるのど……では潰すのは後にして、ひとまず、お客さんを安全に下車させます。ご希望の目的地はございますか?」

「……事務所へ、お願いします」

「承知しました。お客さん、シートベルトを締めてに備えておいてください」

「……ふぁ?」


 裏道を走っていたジェインは、目的地を脳内で定め、安全且つ確実に目的地に向かう為に進路を確定した。

 まずは現在進んでいる道から国道に合流し、車の群れに紛れ込む。その後、立体駐車場へ進入。ほんの少しの間だけ駐車場で身を潜め、駐車場から退場。クローネの所属する事務所へ向かう。

 可能な限り最短ルートを選ぶのがジェインの仕事の流儀でもあるのだが、時には最短ルートではなく、少しの遠回りを必要とする場合もある。


「我々のタクシーの後ろに着いた赤い車。その後ろに例の白い車がいます」

「え!?」

「まずは白い車を引き剥がします。シートベルトは締めましたか?」

「は、はい!」

「なら、振り切りますよ」


 ジェインは、車内のモニターに表示された現時刻をチラリと確認した。

 このタクシーに搭載された時計は、〇時〇分までを表示する他のタクシーとは異なり、〇時〇分〇秒までを表示している。

 現時刻は10時43分11秒。現時点での車両の進行速度は、時速32km。

 ジェインは瞬時に、現在地から国道合流地点までの距離を脳内に投影し、現時刻をてらしあわせた。

 ジェインはアクセルペダルを踏む足に僅かに力を加え、時速32kmから速度を上げ、時速34kmを維持した。後部座席に座るクローネには体感できなかったが、この微妙な加速は意図的なものである。

 実は、ジェインにはちょっとした特技がある。それは、意図的な到着時刻の調整である。

 タクシーの営業として走行する範囲は限られている。ジェインはその範囲内を何度も何度も繰り返し走行し、細道や国道に限らず、範囲内の道を走行した場合のA地点からB地点に到達するまでの距離と時間を体感で記憶した。

 天才。タッセロムはジェインをそう評価した。

 ジェインの最終学歴は、微妙な偏差値の高校である。成績は中の上程度。優等生ではなかったが、劣等生でもなかった。勉強は苦手、というか嫌いだった為、授業には参加していても学ぶ内容を記憶しなかった。

 そんなジェインだったが、タクシー運転手という立場を利用し、情報収集と犯罪の両立を前提にして行動すれば、脳ではなく、身体で記憶できてしまっていた。

 勉強は今でもできない。特に英語と数学は大の苦手。

 しかし、ジェインは天才だった。特定の行動や思考に対して、持ち合わせる知識以上の計算力や体力を発揮する、自覚の無い隠れた天才なのだ。


(タイミングは…………完璧だ)


 ジェインの運転するタクシーは、国道との合流地点に到達した。

 合流地点は交差点。ジェインが走る道路の信号は、既に黄色信号へと変わっており、赤へと変わる寸前だった。

 対向車両は無い。黄色信号になったため既に対向車線の先頭車両は停止している。

 真後ろにいる車は進行を諦め、既にブレーキを踏んで減速をしている。

 今この瞬間、交差点に踏み入っているのは、ジェインのタクシーのみ。

 ジェインは、交差点に進入する前に、右側へウィンカーを点滅させていた。そして侵入後、ジェインは予定通り十分な減速を行わず右折。同時に、信号は赤へ。

 国道の車線にタイヤが踏み入ったと同時に、赤だった信号はあおくなり、ジェインのタクシーは国道を走る車達の先頭に立った。


「第1段階クリア……継続して揺れに警戒をお願いします」

「は、はい……」


 車酔いは心配していない。

 ただ、クローネの額にはうっすらと汗が滲んでいた。

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