第10話 男性運転手と女性歌手#1

 変装を終えた彩雅とグラは、ジェインの運転するタクシーに揺られて市街のショッピングモールへやってきた。

 グラの新しい私物、及び同居にあたって必要となるものの買い出しに来たのだ。

 彩雅が所持している(正確にはサンムーン側から支給された)携帯端末には、サンムーン宛に請求書が届く決済機能が搭載されている為、買い物は全てこの端末で行うこととなる。


「何時に迎えに来ればいい?」

「じゃあ……15時にお願い」

「承知した。十分に楽しんでくるといい」


 彩雅とグラを送り出し、タクシーのドアを閉めたジェインは、タクシーのモニター表示を賃走から回送に切り替えた。


(あと4時間と23分……さて、どう時間を潰すか…………ま、仕事してりゃいいか)


 回送表示のモニターを再度操作し、空車表示へ切り替え、ジェインはショッピングモールの駐車スペースから発進した。


(……)


 虚ろな目で、ジェインはフロントガラスの向こう側を見つめ続ける。放心状態と言っても過言では無い程に無表情且つ無感情ながらも、これまでにジェインはタクシーを呼ぶ客を見逃したことも、事故や信号無視などを犯したこともない。

 ジェインは、基本的にドライな性格である。

 感情が無い訳ではない。表情が無い訳でもない。ただそれらのが人よりも薄く、相手にも伝わらない。特に声の抑揚が殆ど無い為、話していても相手に感情を伝えられない。

 ただ、ジェインはそれでも対人職業のプロである。

 同じアルカナのメンバーと話す際には一切気を使うことなく話すジェインだが、運転手として来客と話す際には、柔和な言動と表情でドライな本性を覆い隠している。

 ジェインは個人タクシーである為、タクシーの依頼を受ければジェイン1人が対応することとなる。しかしそれでも、他会社よりも圧倒的に評判が良く、常連も居る。

 料金は安価。最短ルートの即時選択による乗車時間の短縮実現。座り心地と安全性を同時に実現させた専用シート。ミント系の香りが僅かに漂う車内。

 控えめに言って、快適空間。

 会社が支給した量産車両ではない、1人で使う専用車両。故に運転手であるジェイン自身のこだわりも強く、定期的且つ頻繁な車内清掃と洗車を行っている。


(客か…………よし)


 歩道の前方で、ジェインの運転するタクシーに対して激しく手を振る人を発見し、即座にジェインはを自身に憑依させた。

 石膏像のような冷めた無表情も、抑揚の無い亡霊のような声も、一瞬で変わった。

 オンオフの切り替えは誰もが行うものなのだろうが、ジェインの場合はそれが酷く顕著で、見る人によっては多重人格を疑われる。

 さてさて。接客用にチェンジしたジェインは、減速、徐行し、手を振る人の待つ路上に向けて停止行動に移る…………はずだったのだが、ジェインが減速を始める直前に客が地面を蹴り、自らジェインのタクシーに駆け寄ってきた。

 ジェインは状況を冷静に判断し、少し深めにブレーキを踏み、予定よりも早い段階でブレーキングに入った。

 ジェインの判断と行動は極めて正確で、タクシーの停車が完了したと同時に、駆け寄って来ていた客がタクシーの真横に到着していた。

 両者が丁度合流する地点を見極めて車を停める。運転手としてのこれまでの経験値の賜物である。

 停車直後、ジェインは後部座席のドアを開け、駆け寄ってきた客を招き入れた。


「遠くまで! とりあえずすぐにしてください!」

「っ! 承知しました!」


 その客は、勢いよく後部座席に飛び込み、シートベルトも締めぬままに言った。本来ならば、まず座らせ、シートベルトを締めさせ、行き先を聞いてから発進する。しかしその客の声から感じられる怯えを捉えたジェインは、瞬時に後方と前方を確認して発進した。

 発進後、ジェインは前方とその左右を広く確認した。

 この乗客を追っている者が居るかもしれない。もしも、仮に追う者が居るとして、それが周辺で動き回っているならば、ジェインのタクシーはすぐに確認され把握される。

 逃亡者(?)を乗せたタクシー。ともなれば、追跡対象はジェインになる。


(厄介事、か……?)


 まずは、この乗客のことを知る必要がある。そう考えたジェインは、出発地点から200m程度進んだ場所で、後部座席に座った乗客に尋ねてみた。


「お客さん、もしかして逃亡者か何かですか?」

「ある意味、追われる身……ですかね?」


 乗客は、女性であった。

 黒いニット帽を被り、黒縁の眼鏡をかけ、黒いマスクで口を隠し、黒いコートを着る、全身真っ黒の女性である。

 ただ、ニット帽からはみ出した髪は黒ではなく、僅かに青みを帯びた銀髪。

 銀色の、ショートボブである。


「……あ! もしかして!」


 驚愕に至る気付きであることは間違いないが、乗客に見せた反応はジェイン本人の素の反応ではない。


「クローネ・ミナトさん!?」


 2220年、19歳で歌手デビューして以降、その容姿と歌声から瞬く間に話題を呼び、デビュー1年後には「2220年代の歌姫」と称されることとなったシンガーがいる。

 青みを帯びた銀髪はショートボブに。実年齢より若く見られる容姿は、大人びたメイクと振る舞いで誤魔化す。しかし、時折その振る舞いにヒビが生まれ、その隙間から少女のような一面が垣間見えることもある。

 当初は若年層からの人気に偏っていたが、今では広い世代からの人気を勝ち取っている。特に若い女性からの支持が厚く、若年女性の間ではボブヘアが少し流行りつつあるらしい。

 そのシンガーの名は、クローネ・ミナト。


「……は、はい……」


 今現在、ジェインのタクシーに乗車している。

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