第9話 オタク気質の彩雅

 2222年1月27日、日曜日。


 ノーマルド社内におけるカズール・カガミ、及びその家族となるミーシャ・カガミ、グロウン・カガミ、シャロエット・カガミの殺害。並びに、カズール・カガミの娘である逃亡事件発生から1日。



 サンムーン社内にある応接室に、アルカナの女性メンバーが1人呼ばれた。

 コードネームはThe20トゥエンティ。大アルカナ「審判」の数字を与えられたメンバーである。

 その本名は、ライラ・ヨシノ。

 その仕事は、ハッキング。


「ふぅん……」


 ピンクともオレンジとも取れぬ独特な色の髪をカチューシャでオールバックにした、ツリ目メガネ女子のライラが、興味が無いのか有るのか分からないような、脱力した声を漏らした。

 回転椅子に座るライラは、タブレットPCを置いたテーブルに肘をつき、クマのできた眠たげな目でPCの画面を見つめる。

 テーブルを挟んだライラの正面には、テーブルに左腕を載せるグラが居る。

 ライラは今、グラの腕に挿入されたチップのハッキングを行っている。本来ならばチップ本体に触れて解析するのが1番なのだが、摘出という道は既に捨て、皮膚と肉と血管と骨に隠されたままのチップを一切触れずにハッキングすることにした。

 遠隔でのハッキングになれば、グラの血肉を抉る手間が省ける。しかしその代わりに、チップから発信される微弱な電波を、時間をかけて捕まえ、その電波を伝ってデータを引き抜く手間が生まれる。

 いずれにせよ手間な作業であるが、それは波のハッカーである場合の話。

 ライラはアルカナのメンバーである。それは即ち、犯罪級の技術を持つということ。

 本来ならば現状、信号特定からチップ解析開始までには1時間以上は費やすのだろうが、ライラが信号特定を開始しチップ解析を開始するまでに費やした時間は、5分03秒。ライラ本人はその3秒が気掛かりらしく、少し悔しげに目を細めた。


「工業製品を製造してる一般企業の所有チップにしては……随分と厳重ね。このチップ、相当ヤバい情報が詰まってるよ」

「解明は可能ですか?」

「時間はかかるね。けど安心して。データはセキュリティごとに移植した。もう令嬢の腕にあるチップはただの抜殻よ」


 その言葉を聞いた途端、チップを挿入された本人であるグラの体から一気に緊張が抜け、毒素でも吐くように口から大量の息が流れ出た。


「良かったね、グラ」


 グラの背後に立ち、経過を見守っていた彩雅が、励ますようにグラの両肩に手を置いた。

 服を通して肩に伝わる、彩雅の手の温もりと優しさ。グラはそれに応えるように、チップの挿入されていない右腕を動かし、左肩に載せられた彩雅の手に自らの手を重ねた。

 手を置く彩雅と、手を重ねるグラ。そんな2人は、とても"昨日初対面を果たした2人"には見えない程に穏やかで、何処か甘みと僅かな酸味を感じるような初々しい表情だった。


「お疲れ様でした、アグラッシェさん。とは言え、未だ自由に外を歩くには少々危険を伴います。窮屈ではあると思いますが、ご理解頂けると幸いです」

「いえ、寧ろ窮屈な位が私は好きです。ただ、新しい私物を買いに行けないのが少々気掛かりで……」


 単身で、且つ唐突にこの逃亡生活が始まってしまった為、グラは、必要最低限の私物しか所持していなかった。更に、逃走途中でノーマルドの連中に一度捕まり、身包みを剥がされた。その際に所持していたものは、衣類と共に、監禁されていたホテルに放置されている。

 家にも帰れない。持ち物も全てホテルに放置。正直、グラは不安を抱いていた。

 衣類に関しては、幸いにも彩雅が所持しているものを借りられた為、現状は問題ない。とは言えこの先永遠に衣類を借り続けることなどできるはずも無いため、可能な限り早期に、最低限、衣類関係は入手しておきたい。


「所望の品は全てこちらでご用意が可能ですが、さすがに服は…………サイガさん、あなたの技術はにも適応可能ですか?」

「……あ! ええ、勿論!」

「ならば問題解決です。アグラッシェさん、外出、してみますか?」

「……え?」


 タッセロムの発案を、彩雅は即座に理解した。

 彩雅は変装を得意としている。シリコン製マスクとウィッグによる変装の技術は極めて高いのだが、それだけではない。

 彩雅の変装は、時にウィッグのみに留まる場合もある。

 シリコン製マスクを用いるのは、大抵、特定の誰かに変装する場合が多い。しかし任務外、即ちプライベートで変装する際には、マスクなどは用いず、化粧メイクとウィッグのみを用いる。

 そもそも彩雅の変装のルーツは、メイクによる表情の変化である。学生時代から独学でメイクを手に馴染ませ、自らの顔を実験台に数多のメイクを試してきた。

 彩雅の手にかかれば、マスクなど用いずとも、グラの顔を別人の顔に変えることなど極めて容易である。

 つまり、彩雅が手を加えることで、グラは外を出歩くことができる。



「……これ、私?」


 善は急げという言葉を忠実に実行し、彩雅はグラのメイクを開始。短時間でグラの顔を別人に変えることが成功した。

 幼さがある丸顔気味のグラの顔だったが、メイク後は、よりもを重視し、ダウナー系を意識して肌白さとダークさを強調させた。

 ウィッグカラーはシルバーブロンド。ツインテールにするか悩んだが、髪型はストレートロングで落ち着いた。

 首から上の変装に伴い、服も変えた。

 少しばかりオーバーサイズの、黒を基調としたTシャツ。黒一色のスキニーパンツ。黒の靴下に、黒のスニーカー。現状、上から下まで真っ黒だが、ここで敢えて、限りなく黒に近い濃紺のパーカーをTシャツの上に羽織らせ、黒一色は回避された。


「本当はカラコンも入れたかったけど……このままでも十分別人ね。うん、可愛い」


 流れるように、それでいて早口に、彩雅はさらりと「可愛い」と言った。発言の雰囲気から、結構本気で可愛いと思っている筈であると、同居生活2日目のグラは気付いた。


「そ、そう? 可愛い?」


 ただ、尋ねただけのつもりだった。

 しかしそのが、彩雅の中に隠されていたスイッチをオンに切り替えた。


「マジでヤバいくらい可愛い。やっぱ"可愛い"でしか得られない栄養ってあるよね。グラは素体ベースが良いからダウナー系でも超絶可愛くなるね。この調子でいけばゴスロリも余裕だろうしヴィジュアル系もいけるよ。いや敢えてここは清楚系にシフトチェンジするのもアリか? ロリ系も最高に可愛いだろうし何ならアニメのコスプレなんかもいいかも」

「ちょ、待って! 落ち着いて!」


 殆ど息継ぎも無しに、早口で自らの感想を述べ続ける彩雅。オタクスイッチがオンになった彩雅は、恐らくは1時間以上独り言を続けることもできるし、そのまま喋り続ければ過呼吸に陥るかもしれない。

 彩雅のオタクな一面を見てしまったグラは、喋りすぎで貧血か窒息を起こす前に彩雅を止めた。

 静止させられた彩雅がふと我に返ると、自らのオタクスイッチが入ってしまった自覚に頭を抱え、暴走しかけていたことを小声で謝罪した。


「私は……まあ、着替えなくていいか。メイクだけするから、ちょっとだけ待ってて」


 グラのメイクに熱を出し過ぎたせいか、彩雅は自身に対するメイクが若干簡素かつ雑になり、「風祭彩雅に少し似てる女性」程度の変装で妥協した。

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