第6話 亡霊

 ホテルの部屋を出たキドとグラは、手を繋いだまま、カーペットの敷かれた広い廊下の中心を歩く。

 緊張と恐怖で、グラの手のひらには汗が随分と滲んでいるが、キドは嫌な顔ひとつ見せず、自らの手のひらを重ねる。

 グラは考えた。

 この女性ひとは、一体何者なのかと。

 青い服の男に封筒を渡したという誤情報を仲間に与え、まるで逃げる隙を作るかのようにその仲間達を出動させた。そして2人で変装して、友人を装ってホテルの中を歩く。

 父に"チップ"を渡され、逃げろと言われた。その直後に父は死んだ為、父には仲間を呼ぶ時間など無かった。仮にキドが仲間であるとしても、情報をとる手段などあるはずが無い。

 父の仲間とは考えにくい。

 ではやはり、グラを追う組織の一員か?

 或いはまた別の勢力?

 思考が深くなるにつれ、グラの手のひらに滲む汗が増える。既に重ねた手と手はヌルヌルとしているが、相変わらず、キドはその表情に影は見せない。


「ねぇねぇ、今日の夕飯、何にする?」


 廊下前方から、ホテルの職員が近付いていることに気付いた時のことだった。


「ぇ?」


 首を少し傾げ、可愛らしさを演出しながらキドが言った。

 何の予兆も無く唐突に尋ねられた為、少々困惑したが、「今から私達は女友達」という設定を思い出し、咄嗟に言葉を返した。


「ぱ、パスタが食べたい、かも」

「お、いいねぇ」


 初対面時から、ずっと冷めていたキドの声に、急に温度が宿ったような、そんな気がした。

 そこから何度か、キドが会話を振り、その度にグラが応えた。酷く簡単で、どこか虚ろな会話を続けた。

 暫く歩き、ホテルの出入口が見えた頃、キドがグラの耳元で呟いた。


「出口から出る時、手を口元に動かして欠伸のフリをして。極力口元を隠して、出来れば瞼も閉じて」


 そう呟くと、キドはまた、友人を装ったように虚ろな会話を再開した。

 少し歩き、2人は出入口の前に到達する。そして予定通り、出口のドアを通過する際、グラは手で口元を覆い、瞼を閉じ、欠伸のフリをした。

 欠伸のフリを終え、次に瞼を開いた時、そこは既にホテルの外。外出地点から左に10mほど進んだ場所に、マリンブルーの個人タクシーが止まっており、キドはグラを連れてタクシーの方へ歩いていく。

 この時代に於けるタクシーの車種は様々。

 実は数年前から、100年以上前の車が人気を博し始め、当時の車種を現代仕様にリメイクして販売する「ニュー・オールド」というディーラーまでもが誕生した。

 そしてそのタクシーは、この時代からは200年以上前の国産4ドアスポーツカーのリメイク車種。グラは車に詳しい訳では無いが、その車種がかなり古いものであることは何となく気付いていた。

 タクシーに装備されたモニターの表示は「予約」であるが、運転手がミラー越しにキドとグラの接近に気付くと、入車を促すように後部座席のドアを開けた。

 個人タクシーである為か、運転手を務める30代くらいの男は、制服ではなく私服を着ている。

 キドがイナバとして入室して今に至るまでの間、キドは一度も携帯端末を操作していない。タクシーを予約するタイミングなど無いように思えたが、どうやらそのタクシーはキドが予約したもので間違いないらしい。

 タクシーの前に到着すると、まず最初にキドが乗車、直後にグラが乗車し、ドアを閉めた。

 2人が乗車したことで、タクシーのモニターは賃走へと変わり、走行を開始した。


「…………」


 ただ不可解なことが1つ。

 運転手は、行き先を尋ねなかった。キドも目的地は指定していない。しかし、タクシーは発進した。

 グラはキョロキョロと、怪訝そうに車内を見回す。しかし、車内に不審な箇所は一切見当たらず、どこからどう見ても、それはただのタクシーだった。


「……ハロー、マイフレンド。タスクは果たされた」


 乗車地点から700m程度走行し、制限速度が上がる大通りに合流した頃、運転手が言った。すると、乗車以降一切言葉を発さなかったキドが、「ひゅうー」と気を抜いたような声を漏らした。

 グラは、訳が分からなかった。

 無言ながらも発進したタクシーと、運転手の発言と、発言を受けたキドの態度。

 しかし何故か、グラはあまり不安感を抱いていなかった。キドと手を繋いで行動した中で、キドに対する安心感でも抱いたのだろうか。


「アグラッシェ・カガミさん、改めて自己紹介を行います」


 キドは、自らの額を指で押さえ、葡萄の皮でも剥くかのように腕を動かした。

 すると、キドの顔の皮膚がベロンと剥がれ、隣で見ていたグラは驚愕のあまり「ひぃっ!?」と短い悲鳴を上げた。

 しかしグラは、その光景を見たことがあった。幼い頃に父と共に見たスパイ映画の中で、主人公の女性がシリコン製のマスクを被り、自身の顔を偽っていた。そして主人公が正体を明かす際に、キドのようにマスクを剥がしていた。

 グラは気付いた。この女性はイナバでも、そしてキドでもない。

 キドに化け、さらにイナバに化けた、常人ではない存在であると。


「私は風祭……サイガ・カザマツリ。タッセロム・ツキヤマからの指令で、あなたを救出に来ました」


 キドでも、イナバでもない。ホテルからグラを連れ出したのは、かつて21世紀の怪人二十面相と呼ばれたアルカナのメンバー、彩雅である。

 髪はキドよりも少し長めで、イナバよりも明らかに短い漆黒のショートヘア。

 声はイナバよりも少し高めで、キドよりも明らかに低い特徴的な声。

 キドともイナバとも違う、童顔気味だが、どこか凛々しささえ感じられる、魅力的な顔つき。

 マスクで蒸れた顔は僅かに汗を帯び、窓から射し込む光で艶やかに見える。加えて独特且つ魅力的な顔つき。さらに、漆黒の髪から漂ってくる微かな甘い香り。

 グラという人間を尊重して率直な表現は控えるが……グラは、彩雅を見て胸が昂った。


「サイガ……カザマツリ……知ってる、読んだことがある。でも、確かその名前って昔の人の名前……」


 グラが、過去に読んだ本の中に、その名前はあった。

 その本は、歴史上に於ける義賊や有名な犯罪者などの情報が記されたものであり、ベストセラーにこそならなかったがカルト的人気を誇るものである。

 石川五右衛門、ビリー・ザ・キッド、ジャックザリッパー、等々。そんな面々の中に紛れ、彩雅の名はあった。


 21世紀の怪人二十面相、The13サーティーン。本名、風祭彩雅。幾つもの顔と声を持ち、金銭や宝石を奪い、幾人もの命を奪ってきた凶悪犯。足跡を残さず、霧のように現れては煙のように消えゆくその異様な行動から、亡霊という説さえ囁かれていた。しかし2022年11月17日、政治家の田淵慎吾、株式会社グローイング代表取締役の矢田英作、両名を殺害した後、素顔を晒してグローイング社所有のビルから飛び降り、自害。行動パターンの酷似と、変面及び変声の技術の証言から、自害へ走った風祭彩雅が13本人であると断定された。


 彩雅は、仕事の際に13という名前を使っていた。自らが死神になると決めた後、タロットカードに於ける「死神」のカードの番号である13をツキヤマに名付けられたのが始まりであった。

 しかし、彩雅本人は13という名前で呼ばれるのを嫌い、仲間達は本名で呼んでいた。


「あなたを護る為に過去から墓から蘇った……と言えば、信じられますか?」

「……まあ、信じられない、ですよね」

「それでいいんです。けど安心してください。あなたを護る為に来たのは事実です」


 これまでの人生で、グラは幾度も人を疑ってきた。しかし今回は、彩雅の表情と発言は、どうにも疑う気になれなかった。

 怪しいとか、怖いとか、そんな思考さえ捻じ曲げてしまう程に、200年前に実在した犯罪者の名を語る眼前の女性を信じたいと、そう考えてしまった。


「このタクシーは何処へ?」

「あなたを匿う場所……株式会社サンムーンです」


 株式会社サンムーン。タッセロムが現代表取締役を務める会社である。

 名前の由来は、随分と前に遡る。

 創設者は、学生時代、外国人留学生との交流の中で、ツキヤマという苗字が美しいと評された。しかしその評価は、実は間違っていた。

 ツキヤマは漢字に直すと築山。しかしその留学生は、ツキヤマを月山だと勘違いしていた。

 月と山。どちらも自然が作り出した巨大な芸術である。その両方を苗字に持つのはとても素晴らしい、と。

 後に苗字の漢字については訂正、解説をしたが、苗字の美しさを評されたことが案外嬉しかったらしく、会社設立の際に当時の話を用いた。

 間違われた漢字である月を英語読みに、間違われなかった感じである山は音読みにして、太陽と月を意識して山月サンムーンという名前にした。

 因みに創設者のツキヤマは女性であり、件の留学生は男性。後々2人は結婚し、築山和葉の意志を継ぐ新たなツキヤマを生み出すこととなった。


「では、ついでにご挨拶を」


 ここで、最初から気になっていた運転手が会話に乱入してきた。


「自分はジェイン・サガラ。サンムーンの社員であり、彼女、サイガ・カザマツリの同業者であります」


 ジェインはこの時代のアルカナのメンバーであり、仕事上の名前はThe7セブン。他のメンバー同様に犯罪行為へ走っている。その大半はタクシー運転手という役を演じながらの犯行なのだが、それはまた別のお話。

 彩雅とジェインは既に顔合わせを終えていた為、グラをホテルから連れ出す任務も問題無く円滑に進められた。


「お2人は、何故私の居場所が? と言うかそれ以前に、何故私が逃げていることをご存知なのですか?」

「それは自分からお話しましょう」


 解説を始めたのは彩雅ではなく、ジェインだった。


「昨晩、アグラッシェ様のお父様は、我々に依頼をされました。お父様が勤務されておりました株式会社ノーマルドにて、近々この世界に甚大な被害を及ぼす計画が実行されるとのこと。お父様は計画の鍵となるチップを盗み出し、会社を脱すると。本日早朝、お父様は自身に盗聴器を装備し、進捗を我々に発信していました」


 グラの父は、助けを求めることなく死んでいった……かに見えたが、実はそうでも無かった。盗聴器を通じて、グラの父が置かれた状況などを彩雅達は把握していた。何気ない会話でさえ届いていた為、発言次第で彩雅達は動けた。


「しかしながら誤算が発生致しました。お父様はチップの奪取後、従業員の発砲により致命傷。さらに、サプライズとして来訪していた家族にまで被害が及び、お父様は逃亡を断念。その際、無傷であったアグラッシェ様にチップを託し、お父様はアグラッシェ様が逃げる時間を稼ぐ為に交戦。残念ながら、銃撃を受けお亡くなりになられました。お父様からの情報にて、アグラッシェ様に託したチップにはGPSが搭載されていることは把握しておりましたが、信号が微弱であったことが災いし、結果、拉致直後までアグラッシェ様の所在を掴めませんでした」


 父がグラに託したチップ。極めて小さなチップであった為、搭載したGPSのスペックは低く、街中を走り回るグラを追走することは困難を極めた。

 だが幸いにも、ノーマルド側の人間である大男達が街中で堂々とグラを誘拐した為、そこから追走することはできた。

 本来の予定であれば、グラの父がチップを所持したまま逃走し、指定の待ち合わせ場所にて合流する手筈だった。しかし本人の死と、チップ所持者の不規則な逃走により、グラをレイプ寸前にまで待たせてしまった。


「最悪の場合も想定し、ノーマルド側の人員と人間関係については把握し、同時に変装用のマスクとウィッグも製作しておりました故、即興ながらアグラッシェ様の救助に成功致しました」


 運転をしながら淡々と話すジェイン。話の中で、家族の死を改めて思い出したグラは、少し辛そうな顔を見せ、軽く唇を噛みながら俯いた。

 そんなグラを隣で見つめていた彩雅は、慰めの言葉をかける訳でもなく、ただ無言のまま、シート上に置かれたグラの手の甲に自らの手を重ねた。


「……父が私に託したチップには……一体、何のデータが?」

「それに関しては我々も把握しておりません。目的地に到着後、データの確認を行う予定です」

「そう、ですか……」


 この世界に甚大な被害を及ぼす計画。そんな話題に巻き込まれてしまった自分の不運を呪ったが、それ以上に、家族らしい会話も出来ずに死に別れしてしまった現実が、辛くて、悲しくて、たまらなかった。

 溢れだしそうな涙を堪えようと、グラは窓の外を見つめた。

 動き続ける景色の中で、ビルの隙間から空が見えた。相変わらず狭い空だったが、太陽が傾き変色を始めたその空は、皮肉にも、この街へ訪れてから見てきた空の中でも抜群に美しかった。

 あと3kmも走ればサンムーンに到着する。僅かな振動と適温な車内は、疲弊したグラに睡魔を促したが、グラは眠ることなく、流れていく景色に心を預けた?

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