第5話 イナバ、キド、

 グラが目を覚ましたのは、スタンガンで気絶させられてから暫くしてからのこと。

 すぐに理解できたのは、自身が拘束されているということ。両腕の手首にロープを巻かれ、自身の頭上に腕が伸ばされている。

 背中から把握する感覚からして、グラがいるのはベッドの上。伸ばされた腕は恐らく、ベッドの外枠に繋げられている。


 あぁ、捕まった。


 焦りはしなかった。ただ、足の爪先が絶望に触れつつあることは感じられた。

 瞼を開くと、男の顔が映った。グラが目を覚ますことを待っていたと言わんばかりに、不細工な顔で覗き込んでいた。


「お姫様が起きたみたいだぜ」


 不細工が言うと、室内に居た他の男がグラの周りに集まってきた。その中には、グラを抱えた大男は居なかったが、それ以外の男は居るらしい。

 ベッドで拘束されたグラと、それに群がる計4人の男。

 本能的な恐怖が、グラの爪先から頭頂にかけて加速した。


「お嬢さん、これ、分かるかい?」


 女性用のショーツを右手に、ブラを左手に持ち、1人の男が言った。

 白と緑のその下着は、グラが今日着用しているものである。瞬時にグラは新たに理解した。

 ベッドの上で寝かされた今、私は全ての衣類を剥がされた状態にあると。


「なあ、教えてくれないかい? チップを何処へ隠した? 服の中にも下着の中にも無い、という事は、逃げる途中で何処かへ隠したか、或いは棄てたか……いずれにせよ厄介なことをしてくれた」


 そう言うと、男は両手に持ったグラの下着を、自らの顔面に押し当てた。刹那、恐怖にさえ勝る嫌悪感が、グラの体に鳥肌を立てた。


「んん……いい香りだ。こんな美少女の下着が手に入ったなら、俺個人としては十分な収穫なんだが……俺達の雇い主はそう思っていない。チップを回収できなければ、俺達は役立たずとして処分されてしまう。それは俺達も嫌だ」


 言葉と言葉の間を繋ぐ息継ぎは、グラの下着を通して行われた。鼻で息を吸う度に、グラの香りが男の鼻腔と脳を刺激し、男は今にも気絶しそうな恍惚とした顔を見せた。


「お嬢さん教えてくれ。お互い、死ぬのは嫌だろう?」

「……いっそ、殺してくれて構わない」

「それは俺の趣味じゃないな。ただ、チップの場所を吐きたくなるまで尋問することは好きだ。特にお嬢さんのような美少女……あぁ、考えただけで射精してしまいそうだ」


 ベッドの上には、全裸のグラ。その周りを囲む4人の男。尋問ともなれば、ただの拷問ではなく、極めて不快な性的尋問が行われることは確実である。


「ムラセ! ヤルなら俺からじゃねえ?」

「お前の後は嫌だ。お前、身体中舐め回すから汚ねえんだよ。そのマーキング癖を治してからなら別にいいが?」

「治せないな。なら先に味見だけ、な?」

「……部位によるが、何処を味見する気だ?」

「勿論……」


 不細工な男は、ジットリと舐め回すような目で、グラの体を眺め、最終的に、グラの腋を見た。

 この不細工は、女性の腋に性的興奮を覚える。さらには、気に入った腋があれば、それを飴のように舐め回すという性癖がある。


「腋か……ま、いいぞ。俺は腋になんぞ興味は無い」

「やりぃ……」


 不細工が湿った舌を口から出し、グラの腋を舐めるために身を乗り出した。


「はいはーい、全員ストーップ」


 何者かが部屋のドアを開け、部屋の中にいた男全員を静止させた。

 部屋の中に響いた声は女性の声。声の低さから察するに、年齢は恐らく30代前半から中盤程度だろうか。

 しかし、その声が響いた途端に、性欲を垂れ流していた男達の背筋がピンと伸び、室内に流れていた嫌な空気が瞬時に凍てついた。


「お疲れ様です、イナバさん」


 男の1人が言うと、他の3人も「お疲れ様です」と復唱した。

 入室してきた女性は、イナバ。黒いロングコートを着て、メガネをかけている。髪は金髪だが、光の具合か、少し茶髪に近いようにも見える。さらにイナバは何を詰めたのか、大きなバッグを所持している。

 イナバはこの男達の上司にあたるらしいのだが、年齢は、明らかに室内に居る男達よりも若い。


「その、逃げてる途中でカメラに映らない場所を1度だけ通ってた。目撃情報が正しければ、その場所に居た青い服の男に封筒を渡したらしい。その封筒の中の中にチップが入っている可能性が極めて高い」

「そ、それじゃあ……」

「その娘にはもう用も価値も無い。処分は私がやっておく……あんた達は男を追ってきな」


 イナバが入手した情報によると、グラから封筒を受け取ったのは、青い服の男。灰色のマスクで口元を覆ってはいたものの、フードなどは被っておらず、目元を隠すくらいにまで伸びた金髪は全く隠れていなかった。

 身長は170cm前後。青い服の詳細としては、スカイブルーのシャツの上に灰色のコートを羽織り、黒いデニムのパンツを履いている。

 走りながら封筒を手渡した為、グラと男の間に会話は無く、どのような声質だったかまでは分からない。

 ただ、それらの要因を把握しておけば、手渡し場所の周辺を探せば見つかるかもしれない。


「姉さんが処分を?」

「ぁ?」

「馬鹿! イナバさん失礼しました! こいつには後で厳しく叱りつけておきますので!」


 4人の男達は足早に去り、ホテルの一室にグラとイナバだけを残した。

 この直後、イナバがグラの処分を行うことに疑問を感じた男は、グラの腋を舐めようとした不細工に指導を受けた。

 どうやらイナバは、男性よりも女性の方が好みらしく、処分と称して少々ハードな性行為に走ることがあるらしい。加えて、今回グラが居るのはホテルの一室。イナバが快楽的に処分を行うには極めて都合が良かった。

 不細工の予想では、イナバの持ってきたバッグの中には、これから処分を行うにあたって使ってみたい"グッズ"が詰められている。


「行ったか……さてと」


 男達が去ったことを確認すると、イナバは首をぐるりと1周回し、ベッドにて拘束されたグラへ歩み寄る。

 あの男達が畏怖するような女性。さらには処分という発言。グラの中に根を張る恐怖はさらに成長し、吐き気と頭痛を促した。

 しかし、同時に、グラには理解し難い話があった。それはイナバの発言である。


「イ、イナバ、さん……」

「ん?」

「私、知りません……その、青い服の、男の人なんて……」


 グラは、イナバの発言にあった青い服の男を知らない。そもそも封筒などは持っていないし、逃亡に仲間など居ない。すれ違った記憶も無い。

 一体誰が何を見て、その情報をイナバに提供したのか。考えたところで答えに至るはずもないのだが、グラには最早考えることしかできなかった。


「嘘か真実かを見極めるのは今じゃない。とりあえず……ここは落ち着かない。もっと落ち着ける場所に行こうか……」


 イナバはバッグを床に落とした。ぼすん、と重みのある音がしたが、武器やグッズなどが詰まっているような音ではなかった。

 イナバはバッグのファスナーを開け、中に手を入れる。ゴゾゴゾと中を漁った末に、イナバは中からナイフを取り出した。

 このナイフで一体何をしてくるのか。悪い想像をしてしまうのは仕方の無いことだったが、グラは何故か、悪い想像よりも、期待の方が上回っていた。


「このホテルは私達の所有している場所。そのうち、また仲間がやって来る。その前にここから移動して、私達2人の時間を過ごそう」


 イナバはナイフを握ったまま、グラの真横へ移動する。そしてナイフを用いて、ベッドの外枠に伸ばされたロープを切断した。直後にグラの手首を縛っていた箇所を解き、グラを解放した。

 イナバはナイフをベッドの上に置き、再び床に置いたバッグに手を入れた。

 今度はあまり漁ることなく、イナバはバッグの中から衣類を取り出した。

 イナバが着るには少しサイズが小さいダークグリーンのTシャツと、フリルの付いた灰色のロングスカート。さらには薄手のコートまでも。


「着替えるといい。流石に下着までは用意してないけど、一糸纏わぬまま外に出るよりはマシだろう」


 取り出した衣類をベッドの上に置くと、イナバはナイフを取り上げバッグに収納した。


「……はい」


 全裸のグラは、言われるがまま服を纏い始めた。流石に、男が顔面に押し付けた下着を再度着用することには抵抗があった為、ブラもショーツも捨てて直に服を着た。

 グラが着替える隣で、イナバも着替えを始めた。

 全身を包んでいた黒いコートを脱ぎ、何と、イナバはコートを裏返した。すると、黒いコートはベージュのコートへ姿を変えた。

 さらに驚くべきことに、イナバは自らの髪の生え際に爪を立て、髪の毛を剥ぎ取った……かに見えたが、その髪は本物ではなくウィッグ。剥ぎ取られた金髪の下からは、地毛ではないであろうネイビーのショートヘアが姿を現した。

 イナバは金髪のウィッグをバッグの中に投げ入れ改めてコートを羽織った。コートの下に着るのはデニムのパンツと、黒いセーター。さらにメガネも取り、バッグの中へ投げ入れた。

 黒いコートのボタンを閉めていた登場時とは印象が変わり、イナバとは別人の、ただの一般人に見えてきた。

 イナバのウィッグと変貌に驚愕しつつも、グラは無事に着替えを終え、ようやく外に出られる格好になった。


「あ、あの……」

「ん?」

「えっと、その……本当に、イナバ、さん、なんですか?」


 もしも、金髪ロングの黒コートスタイルが「イナバ」という人物であるならば、今現在グラの眼前に居るこの女性は何者なのか。

 ただでさえ人間のことを信頼していないグラだが、目の前で起こった変身に戸惑いを抱き、尚更他人を信頼できなくなりそうだった。


「今の私はイナバじゃない。ひとまず私のことは……キドと呼んで。アグラッシェさん、早くここから出るよ」


 グラは驚愕した。

 容姿の変貌に伴い、何故かその声と口調さえも変貌した。

 先程までは30代半ばくらいの印象を受ける声だったが、キドと名乗った時点の声は、幼さのある10代後半くらいの声だった。

 最早、別人というしかない。

 イナバという人物がキドという人物に化けたのか。或いはキドという人物がイナバに化けているのか。

 いずれにせよ、スタンガンを使用した睡眠からの起床を果たした脳には、少々眼前の景色は味が濃すぎた。


「訳わかんない……」


 イナバ、キドが敵なのか、或いは味方なのかが分からないが、とりあえずグラは、彼女と共に部屋を出ることにした。

 イナバ、改めキドはバッグのファスナーを閉め、バッグを肩にかけた。グラ1人分の衣類が出された為バッグは軽くなり、大きなバッグながらもキドの方への負担は無かった。


「今から私とアグラッシェさんは女友達……っと、忘れてた!」


 キドは閉めたバッグのファスナーを再び開け、中から新たな赤髪ロングのウィッグと、黒い帽子を取り出した。


「これ、被っておいて」

「……分かりました」


 キドからウィッグと帽子を受け取ったグラは、地毛を手櫛でかき揚げ、上から赤髪のウィッグ、さらに帽子を被った。


「今から私達は女友達。手を繋いで歩くよ」


 逆らえば殺される。そんなことは考えなかったが、現状を無事に乗り切るにはと考え、僅かに躊躇いながらもグラはキドの左手を握った。


「さぁ、行こうか」


 キドは右手でドアノブを握り、退室した。部屋の鍵は敢えて室内に放置した為、マスターキーを用いなければもうこの部屋を開けられない。

 誰も居なくなった部屋に残されたのは、男達の体に纏わりついた僅かなタバコの香りと、脱ぎ散らかされたグラの服だけだった。

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