第3話 暫くぶりの、

 彩雅がタッセロムに案内されたのは、タッセロムが主な仕事を行う、所謂社長室。

 社長室には、出入口のドアに対面する形でなテーブルが置かれている。そのテーブルは少し背が低めで、車椅子で生活をしているタッセロムに合わせた作りとなっている。

 テーブルに肘を置けば、その背面では、外を見下ろせる嵌め殺しのガラスが壁を作っている。両側の壁に接し、少なくとも木製ではない本棚が3台ずつ設置されている。棚には背丈様々な本が並べられているが、よく見ると、棚に置かれた本の半分程度は漫画やその類の冊子などである。

 部屋の中心には、ガラスの壁の前にあるテーブルと同じ高さのガラス製テーブルが置かれている。その両隣には来客用のソファが置かれている。

 タッセロムに促され、彩雅は来客用のソファに座った。目覚めた時に座らされていたソファの方が圧倒的に心地が良いが、足元の覚束無い体を休ませるには十分な座り心地だった。


「さて、まず最初に……ツキヤマ氏との再会を果たしましょう」


 タッセロムは、社長室のテーブルにある引き出しの、上から2段目を開ける、中には書類や文房具等は一切収納されていないが、代わりに、モニターのようなものが貼り付けられている。

 タッセロムがモニターに触れると、黒かった画面にテンキーが表示され、素早く指を動かして"##20490309###"を入力。

 すると、天井の一部が細く開き、その隙間からモニターが降りてきた。丁度、モニターは本棚の前に現れ、ソファに座った彩雅がゆったりと閲覧できる位置で停止した。

 モニター停止後間も無く、モニターにて映像が再生された。


『ハロー、マイフレンド。風祭彩雅』

「ッ!」


 映し出されたのは、雇い主のツキヤマ。築山和葉だった。

 ハロー、マイフレンド。それはツキヤマと、彩雅達雇われた側の間で交わされる挨拶である。年齢差に関係無く、雇った側と雇われた側の隔てなど無く、互いにフレンドと呼ぶ。

 この挨拶は、仲間の間ではないと知られていない。他の人間がツキヤマに変装しているとすれば、そのはきっと別の挨拶をしていた。

 聞き慣れた挨拶。故に理解した。

 この画面に映る男は、本物のツキヤマであると。

 ただ少し困惑したことがある。画面に映し出されたツキヤマは、彩雅が知るツキヤマよりも歳を取っており、白髪混じりの髪は、ほぼ全体が白髪になっていた。


『君がこの映像を見ているということは、私の願望が実現したということだろう。とは言え、君は私の願望を知らないだろうから、今この場にて話そう』


 映像の中のツキヤマは軽く咳き込み、息を整えてから改めて話を続けた。


『私は当時、宝石も、金銭も、或いは人の命さえも奪い、この手の上に載せてきた。しかしながら私は、この一生を捧げても手に入れられないものを知った』


 ツキヤマは若い頃、国内のみに留まらず海外でも活動し、さながらアルセーヌ・ルパンのようにあらゆるものを盗んでいた。

 歳を重ねる中で、ツキヤマは自らの体の活動限界を悟り、共に表社会を背後から刺すような仲間を集め、アルカナという名の組織を作った。

 ある者は、化物じみた握力を誇る、優しさと冷徹さを併せ持った男。

 ある者は、自らの綴った短編小説の通りに殺人を行う女。

 ある者は、工業系での勤務経験を活かし、工具やパーツを用いて殺人を行う男。

 そしてその中に、彩雅が居る。

 シリコン製の偽顔マスクとウィッグを被り、さらには自らの声さえも変えてあらゆる仕事をこなす女、風祭彩雅。

 彩雅は殺人も盗みも行い、仲間達の中でも比較的広範囲で活動してきた。他の仲間はそんな彩雅に僅かな妬みを抱きつつも、本心から信頼し、良き仲間として認識していた。


『手に入れたくとも叶わぬもの。それは過去だ。例え後ろへ振り向いても、例え後ろ向きに歩いても、人は過去へ戻ることはできない。過去に落としてきたモノに触れることはできない』


 ツキヤマは再び咳き込んだ。今度は先程よりも深く、回数も多かった。今にも血を吐きそうな咳であったが、ツキヤマは呼吸を一時的に止め、半ば無理矢理咳を止めた。

 彩雅の知るツキヤマは、病弱な人間ではなかった。煙草も吸っていなかった為、咳き込む場面に遭遇することもなかった。


『私は過去に多くの忘れ物と落し物を残してきた。その中のひとつが君、彩雅だ』

「え?」

『顔を変え、髪を変え、声を変え、正確を変え、名前を変え、ほぼ完全に別人へ変身する君は、私にとっての希望だった』


 ツキヤマにとっての希望。

 それは初めて聞く話であり、聞いている側の彩雅は少し照れくさかった。


『2022年の11月17日、私は希望を失った。プランZの決行による君の自害は、私にとっての絶望だった』


 2022年11月17日。

 プランZの実行により、彩雅は死亡した。代表取締役と政治家の殺害という任務は完了していたものの、彩雅という大きな存在が失われた。

 ツキヤマも、他の仲間達も、誰もが悲しんだ。


『私は今ほど、過去に手を伸ばしたことはないだろう。それだけ君は、私にとって偉大だった。故に私は決意した。過去へ介入する力、所謂タイムマシンを作ると。そしてタイムマシンを用いて、プランZしか選べずに死んでいった君を救うと決めた』


 ツキヤマが、タイムマシンの製作を始めた。薄々察していた彩雅だったが、流石に、彩雅を救うことを前提としてタイムマシン製作という思考に至ったとは考えなかった。

 彩雅の胸中は、酷く複雑だった。

 他の死んでいった仲間ではなく、ツキヤマは彩雅を選んだ。

 嬉しくない訳では無い。ただ、他の仲間を差し置き、自分だけが死の未来を改善してしまった現状は、限りなく罪悪感に近い悲哀を抱いた。


『死後、君は世間から"21世紀の怪人二十面相"だと喩えられた。二十面相は私にとって最も尊敬に値する人物だ。つまりは、君は私の最も尊敬する人物に相当している』

「……そんな、こと……ないです……」


 映像の中のツキヤマは、所詮は会話のできない過去の映像。そんなことは理解しているが、彩雅は、ツキヤマに言葉をかけずにいられなかった。


『尊敬する人物の命を救いたいと思うのは、1人のファンとして当然のことだ。さて、ここからはファンではなく、君を雇った男、築山和葉として話をしよう』


 ツキヤマは手で口元を覆いかけたが、寸前で咳を堪えることができ、口元にやった手は画面外へ逃げていった。


『君のいる世界が、私の居る現在いまからどの程度未来なのかは分からない。もしもその未来が、君にとって肯定しがたい未来であるならば、君はまた君として生きるといい。世界を変えたいならばそれも良し、世界に慣れる為に皮を被るならそれも良し。そしてもしも前者を選ぶなら、この映像を見せた私の子孫と会話をするといい。信頼するか否か、それを決めるのも君次第だ』


 テーブルに肘を置き、頬杖をついて映像を閲覧していたタッセロムは、少し不服そうに眉をピクリと動かした。

 どうやら、築山和葉の子孫であるタッセロム本人よりも、血の繋がりさえ無い彩雅の方を信頼しているような発言が、タッセロムにとっては酷く気がかりだったらしい。


『彩雅、私は君をスカウトしたことを悔いてはいない。しかしもしも、君が私のスカウトを受けたことを悔いているならば、申し訳ない。君の手を穢したのは他でもない、私なのだから』

「違う!」


 部屋中に響く声で否定をした彩雅に、タッセロムは不覚にも驚愕し、頬杖をつく手から頬を剥がした。


「悔いてなんかない……だって私は……」

『……彩雅達、仲間と共に歩む人生は、私の歴史に於ける黄金期だった。最も鮮やかで、最も楽しく、最も……幸せだった。……さて、最後まで見てくれてありがとう』


 映像の中のツキヤマは、最後に軽く微笑み、一言。


『アデューだ、彩雅』


 その発言を最後に、映像は終了。モニターは暗転し、代わりに、悲しげな顔で黒い画面を見つめる彩雅が反射していた。

 ツキヤマが最後に言った「アデュー」は、ツキヤマ達が別れ際に使う言葉である。尤も、毎回使っていた訳ではなく、たまにしか使わない言葉だった。


「今の映像の他に、ここが未来の世界である証拠は必要ですか?」

「…………いらない」

「そうですか…………失礼、少々急用ができました。15分程度席を外します」


 車椅子を操作し、タッセロムは移動。彩雅の背後を通過して退室した。

 タッセロムが退室してドアが閉まった直後、彩雅は、歯軋りを起こす程に歯を食いしばり、瞼から溢れ出す涙を両手で覆った。


「尊敬、するっ、の……わだしの方が、先、なのに……」


 心の中に収め切れなかった想いが、喉を通り、嗚咽と共に漏れ出した。

 演技で泣く事はよくあった。しかし、心の底から湧き出る涙を流したのは、随分と久しぶりだった。

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