第2話 200年後の未来

 風祭カザマツリ 彩雅サイガが意識を取り戻した時、そこは自室でも、病院でもなく、全く見知らぬ場所だった。

 天井に埋め込まれた照明は少々薄暗く、全面が白い室内を灰色へ近付けている。

 鼻から息を吸えば、どこからかコーヒーの匂いを感じる。それ以外に特筆するべき匂いは感じられないが、不快な匂いが漂っていないだけ好都合だった。

 視界には、家具は映らない。窓も扉も無く、正面にあるのはただの白い壁。

 そして、ずっと気になっていたのが、自身の居る場所。

 彩雅は今、背凭れが後ろへ傾いた椅子……のようなものに座らされている。背面にビーズクッションのような感覚もあるが、肘置きもあり、どちらかと言えば形状はソファに近い。

 体に負担の無い姿勢で、ソファよりも柔らかい何かに座っている。否、殆ど寝ているような態勢である。

 さらに、彩雅を覆い隠すかのように、椅子の周りに黒い外壁がある。内側から見れば外壁は球状に曲がっている。が、外側からの形は確認できない。


「……何、が、起こったの?」


 彩雅は、脳内を埋め尽くす疑問が晴らせず、僅かな恐怖さえも抱きながら、眼前の白い壁と、自らを覆う曲がった黒い壁を見つめる。


「その様子だと、記憶はるようですね」

「っ!? 誰!?」


 黒い壁の外から、何者かが発言をした。

 男の声だった。年齢は分からない。優しい雰囲気の声だが、少し影も感じられるような、不思議な声だった。

 彩雅はその声を知らない。聞き覚えなど無い。加えて、彩雅の知人男性で、彩雅に対して「ですね」と発言する者は居ない。


「そこから出てもらって構いません。いえ、寧ろ出てください」


 男は、自ら彩雅の前に現れるのではなく、彩雅にそこから出てこいと促した。

 何とも失礼な男だ。困惑しつつもそんな事を考えながら、静かに溜息を漏らして体を起こす。

 柔らかい素材の椅子に手を付き、腕立て伏せをするように曲げた肘を伸ばす。

 ふらふらと、多少覚束無い足取りで、黒い外壁の縁を踏み、外へ身を乗り出した。

 彩雅は、靴を履いていない。故に床へ足をつけた時、足音は殆ど立たず、靴下越しに床の冷たさが感じられた。

 白い壁の前に出て、彩雅は後ろへ振り向く。眼前には、自らが収納されていた、カプセル状の黒い物体がある。中には、彩雅が寝ていた柔らかい椅子がある。

 さて、振り向く彩雅は、「この失礼な男はどんな奴なのか」と考えた。

 しかしその男と対面した際、彩雅は、男が何故「出てこい」と促したのかを察した。


「困惑の最中で申し訳ありませんが、改めて。はじめまして、私はタッセロム・ツキヤマ。あなたの雇い主の子孫です」


 壁も天井も白く、室内に置かれた1台のテーブルも白い。他に家具は置かれておらず、彩雅が最初に向き合った壁とは反対側の壁に黒いドアがある。やはり窓は無い。

 ドアは閉められており、相変わらず、室内にはコーヒーの匂いが漂っている。

 匂いの原因は、1台のテーブルの上に置かれたコーヒーカップ。中身は既に半分以上が飲まれている。コーヒーを飲んでいたのは、テーブルの隣に居る男である。

 男は、タッセロム。

 タッセロムは車椅子に座っている。見た限り、右脚の膝から下が欠損していることが、車椅子生活の理由なのだろう。

 ただ、彩雅はこの時点では、タッセロムを疑っている。何故なら、タッセロムの発言に明らかな矛盾が生じている。

 タッセロムは、自らをであると言い切った。それこそが、彩雅の気付いた矛盾である。


「タッセロム、さん……年齢は?」

「52歳です。他人ひとからは、年相応の見た目だが、声が若いと、よく言われます」


 タッセロムが自らを52歳と言ったのは、恐らくは真実であろう。実際、タッセロムの外見は50代前半に相当している。

 それの何が矛盾のか。

 彩雅の雇い主であるツキヤマは、55歳。子供がいる、という話は以前聞いたことがあるが、55歳の男に、52歳の子供がいるはずが無い。

 それに、ツキヤマは日本人。ハーフでもクォーターでもない。その証拠に、本名は築山ツキヤマ和葉カズハ。さらには、配偶者も純日本人である。日本人同士の夫婦の間に生まれた日本人の子供が、タッセロムという珍妙な名前を与えられていいものか。

 そもそもツキヤマの子供は、女性である。


「あなたは……誰?」


 脳内の困惑は未だ消えない。

 しかし会話ができる程度に心を落ち着かせる為、彩雅はと細い息を吐いた。この息の吐き方は彩雅の癖であるらしいが、本人にその自覚は無い。

 彩雅の問いに、タッセロムは僅かに微笑んでから応えた。


「タッセロム・ツキヤマ。先程述べた通り、あなたの雇い主のです」

「違う。ツキヤマ先生は55歳。それにいるのは娘だけ。息子は居ないし、あなたのような年齢でもない」

「その通り。私は息子ではありません。飽く迄もなのです……いえ、論より証拠。発言よりも実際の情報をお見せした方が早い」


 タッセロムは、車椅子の肘置きに腕を置いたまま、僅かに指を動かして肘置きの先端部にあるパネルに触れた。

 すると、タッセロムの乗る車椅子が自動で動き始め、出入口となるであろう黒いドアの方へ向かった。


「着いてきて下さい。私の先祖、カズハ・ツキヤマの元へ案内しましょう」

「……信じていいの?」

「今のあなたが信じるべきは私だけです」

「……信じたくはないけど。それにまだ聞きたいことが……」

「この部屋から出ればある程度理解して頂けるでしょう。さあ、行きましょう」


 タッセロムがドアの前に到達し、再び、車椅子の肘置き先端にあるパネルに触れた。すると今度は黒いドアが自動で開いた。

 ドア自体はセンサー式自動ドアではなく、手動式のドアである。しかしどうやら、タッセロムの車椅子の操作に連動して、手動式が自動ドアに切り替えられるらしい。

 開かれたドアを通過し、タッセロムは部屋の外に出た。

 現状が全く理解できない彩雅は、ひとまずタッセロムについて行くしかなかった。この部屋で1人黙考に耽ったとしても、彩雅1人の脳では答えに至れるはずもなく、結果、いつかは必ずこの部屋から出るのだろう。

 時間の短縮という名目で、彩雅はこの信用ならない男の後ろに立った。タッセロムの後ろを着いて歩き、開かれた黒いドアを通過した。

 その直後、タッセロムの予言通り、彩雅は自分の置かれた現状がを極僅かながら理解した。


「…………は?」


 ドアを通過すると、そこは廊下。対面する壁は窓ガラスであり、部屋から出た直後に外の景色を確認できる。

 しかし、透明な窓ガラスから透かした外の世界は、彩雅の知らない世界だった。

 ここから見える地表の低さから察するに、彩雅が居るのは高層ビル。それも、地上から100メートル以上は確実に高い位置。ただ、それは大した問題では無い。

 彩雅が居るビルの正面に、少し背の低めなビルがある。その屋上に、巨大な看板のようなものが建設されている。

 それは、看板ではなく、モニターだった。

 モニターには、彩雅の知らない女優かアイドルが出演したCMが映されていた。そのモニターの斜め上に、今日の年月日、曜日、現時刻が表示されている。


 2222年/1月/22日/火曜日。

 14時13分。


 彩雅の記憶が正しければ、は2022年11月17日の木曜日。時間はともかくとして、モニターに表示されている年月日と曜日が記憶と違っている。

 モニターの不調か?

 そうも考えたが、困惑に浸っていた彩雅の脳が、今になってようやく活動を始めた。

 まず1つ。タッセロム・ツキヤマの名前。ツキヤマという苗字と、日本人にしか見えない容姿。しかしながら、名前の先に苗字が来る。日本人ながら、外国人のような名前。

 次に1つ。タッセロムの発言。タッセロムは、自らをツキヤマのと言った。また、息子でもないと言った。

 最後に1つ。タッセロムの行動。タッセロムの乗る車椅子は、自動で動き、挙句タッセロムが指先を操作した直後に自動ドアが開いた。

 珍妙な名前と、子孫という発言と、高度な技術が組み込まれた車椅子。それらの要因と、約200年の齟齬が生じている記憶とモニター表示。


「未来……?」


 彩雅が呟くと、少し進んだ場所に居たタッセロムが振り向き、「その通り」と補助した。

 彩雅は今、2222年1月22日に居る。

 標的を殺し、プランZを実行し、彩雅はビルの屋上から飛び降りた。直後、彩雅は青い光に包まれ、気付けば椅子に座っていた。

 光に包まれ、白い部屋の中で気が付くまでの間に何があったのかは分からない。ただ漠然としつつも理解できたのは、タッセロムが、彩雅を2222年の未来に招待したのだろう。


「タイムマシン……ってやつ?」

「ええ。とは言え、この時代でもタイムマシンの完成はまだ公にされていません。いえ、今後公表されることはないでしょう。加えておくと、タイムマシンはまだ完成品ではありません。実際、あなた1人を過去から連れ出しただけで、タイムマシンのパーツが破損。早くもスクラップになりそうです」


 俗称、タイムマシン。現状に於ける試作品名は、"Machine That Interrupts Time"の頭文字を取ったMTIT。正確にはこれが3機目であるため、MTIT ver3。

 過去に、アインシュタインの相対性理論をベースに、加速装置を用いたタイムマシンモドキを作ったことがある。そのタイムマシンモドキこそがMTIT ver1だったのだが、結局ver1は、タダの加速装置としてしか機能しなかった。

 ver2は完成品に1歩近付いた代物で、人間の時空転移は不可能だったが、人間以外の有機物の時空転移が可能だった。

 紆余曲折の末に完成したのが、ver3。人間の時空転移には成功したものの、結果、破損してしまった。更には、時空転移の際に体感時間が大きく狂う為か、転移時点で彩雅の意識は失われており、目を覚ますまでに30分程度の時間が経過した。

 タイムマシンは、タッセロムの所有するこのビルの地下にある。時空転移直後に気絶していた彩雅は担架で運ばれ、体を楽な姿勢で維持させる為に椅子に座らされていた。


「本当に、ここは未来なの?」

「ええ。ツキヤマ氏の情報と共に、ここが未来である証拠もお見せしましょう。さあ、こちらへどうぞ」


 止まっていたタッセロムは再び動き出し、彩雅は再びタッセロムの後ろへついた。その間、極めて現実離れした話題に脳が揺れたのか、彩雅の足取りは相変わらず覚束なかった。

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