Arcana in Future
智依四羽
第1話 天に足を向けた日
突然だが、私は今から、死ぬ。
何がどうなって死の点に至ったのか。理由を考えれば、5年程前に遡る。
偏差値は県内でも中の下程度の高校を卒業した私は、普通に就職し、普通に働いていた。朝から夕方まで不特定多数の来客と顔を合わせ、言葉を交わしていた。
人と顔を合わせるのは好きでは無いし、人と言葉を交わすことも好きでは無い。人と触れ合うことも好きでは無い。しかし私は、そんな自分自身を覆い隠し、金銭を得るために「働ける自分」を演じてきた。
嗚呼、死にたい。
そんな事を考えたのは、丁度20歳の頃。
働いても働いても、裕福ではない苦しい日々。最低限に生きるだけの金銭を得るだけで、残りの給料は税金やら保険やら年金やらで奪われる。
何故、最低限に生きるだけの金銭を稼ぐために、こんなにも嫌な
何故、汗水流して働いて得た金銭を、この国で生きているという理由で奪われなければならないのか。
働く理由を考えてみれば、悲しくなる。
真面目な奴が馬鹿を見る世界。誰かがそんな事を言っていた気がする。
20歳の頃。私は考えた。私は馬鹿を見る為に生きているのか、と。
その瞳に宿る光はただの照明で、その瞳に宿る闇は君の心そのものではないか?
ある日、接客した1人の中年男性にそう言われた。
墨色のスーツを着崩し、白髪混じりの黒髪をオールバックにした、あまり背は高くない痩せ型の男。精悍な顔つきながらも、髭は一切伸ばしていない、清潔感のある男だった。
何だか胡散臭いことを言う男だ。そう心の中で呟いた私だったが、男の紡いでいく言葉に私の心は揺るがされ、気付けば、私はその男の発言全てに耳を貸していた。
男はその顔つきに似合った、低く淡々とした声で、私の内面を次々に的中させた。さながら占い師でもやっていたかのような読心術と、心の奥底に手を挿し込んでくるような感覚。
私は、その男の前から動けなかった。
逃げることも、愛想笑いをすることも、発言に否定することもできず、ただの木偶の坊と化した。
もしも、その心の闇を有効活用したいと願うならば、私と共に仕事をしてみないか?
私はその男に促されるように、それでいて惹かれるように、勤めていた会社を辞めた。
男は、とある仕事をしていると言った。しかしその男自体が社長であり会社であると、そう言った。
私がその言葉の意味を理解するのに費やした時間は、僅か、5分未満。
男は、俗に言う何でも屋だった。客から依頼を受けることで、その依頼を完了させ、依頼遂行に於ける報酬を受け取る。
何でも屋としての仕事の許容範囲は広く、時には探偵として、時には人を殺めることもある。
我々の背後には常に死神が居る。その死神に背を向け続けるか、或いは首に鎖を縛り付けて従えるか……自分にとっての答えを見つけるといい。
私が何でも屋として活動を始めて、一番最初に依頼された仕事は、殺人だった。
私は、元来他人を信頼しない。とは言え人を殺める気になど至ったことはない。何故なら気に入らない人間を殺め、自分自身が檻の中に押し込まれると考えれば、自分の人生を賭してまで罪に走ることが馬鹿馬鹿しく思えた。
しかし、仕事であれば構わない。給料を得るための行程として人を殺める。それも、自分以外の誰かの人生に良い影響を与える殺人であれば、構わないどころか寧ろ誇らしい。
私は、初仕事で、初めて人間を殺した。
入社後の射撃訓練時から相棒として握ってきた拳銃を用いて、人間を殺した。
初めての相手は、小さな町に住む男。暴力団の幹部であると自らを誇示し、事ある毎に町民へ最低な思考を押し付ける。言わば、最低なクズ野郎だった。
人々の怒りを代弁する為に、睡眠剤を用いて男を拉致。その後、逃げられないように椅子に拘束し、動けないその男に銃口を向ける。
脛を撃ち、肩を撃ち、耳を撃ち、腹を撃った。撃たれる度に広がる血の染みと、焼けるような痛み。そんな痛みの広がりに伴う恐怖で男の顔は徐々に歪んでいく。
喉に銃口を押し付け、私は男に懺悔の言葉を述べさせた。
男は震える声で懺悔した。しかしその懺悔には心が込められていないと判断した私は、銃口を喉に当てたまま、焦らすようにゆっくりと引き金を引いた。
これまでの人生で、男との交わりは無かった。純潔は失っていない。しかし私は銃を用いることで、最高の処女喪失を迎えた気分になった。
死神を飼うことにしたのか?
私を雇った男、改めツキヤマは、初仕事を終えてスッキリとした表情の私に訪ねた。
しかし、私の答えは、Noだった。
私はその後、ツキヤマや、他の仲間と共に、何でも屋として活動した。
依頼1件あたりの報酬は、社蓄時代の月収を軽く超えていた。しかも依頼は毎月最低1件以上やって来る為、年収は社蓄時代から顕著に跳ね上がった。
仕事の無い日は自由な1日を過ごせる。自分の出来ることを活かせる仕事の合間に訪れる休日は、極めて充実している。
定時出社に軽い残業。仕事のことを多少気にかけながら過ごす休日。そんな日々に背を向けて、私の人生にようやく彩りが表れた。
さてさて、そんなある日のこと。
私は、またいつものように依頼を受けた。
某企業の代表取締役が、汚職履歴の白紙化を条件に、1人の政治家を支援するとの話があったらしい。勿論、その話は公にはなっておらず、知る人ぞ知る機密情報だった。
私の任務は、件の代表取締役と政治家、2人の暗殺。その後、2人の間で行われたやり取り全てを公開し、その企業と関連する政治家の活動に悪影響を及ばせる。
2人を殺す任務。1人を先に殺せば、その殺害報告がもう1人の耳に入る可能性がある。そうなれば警戒され、暗殺に至れない。
2人を殺すには、2人を同じ場所、同じ時刻に殺す。それが最善策であると考え、私は、2人が顔を合わせるタイミングに居合わせるように調整した。
その企業の所有する高層ビル。その屋上にて、2人は顔を合わせる。盗聴器を仕掛ける箇所の多い社長室や、他の部屋ではなく、風の吹く屋上にて。
屋上であれば、ある程度の距離を置いた時点で、外部の人間は2人の会話を聞き取れなくなる。騒がしい風の音が遮ってくれるからである。
私は屋上にあるソーラーパネルの影に潜入し、2人を殺す計画を立てた…………のだが、私は、少し考えが甘かったらしい。
(まさか味方が居たなんて……)
代表取締役と政治家の2人は、警備員を味方につけ、監視と、いざという時の保険として、拳銃を所持した人間を10人程度屋上に招いていた。
2人だけで、汚職履歴抹消と支援の話をすると思い込んでいた。
しかし違った。
確かに話をするのは2人だけだが、その話を知り、協力する者が複数人いた。
(……任務遂行の為には……プラン
私達は、任務に於いてプランを用意する。そのプランの数に関係なく、Zという最終プランが存在する。
プランZは、任務遂行と同時に、極力体を損壊させる形で自害するプランである。
仮に任務を遂行しても、自身が捕獲され、自白剤などを投与されれば、私達は一斉に終わる。しかし任務の遂行に至らなければ、依頼人からも仲間からも信用を失い、死んだも同然の日々を歩む。
プランZを実行した場合は、任務遂行を前提且つ確実なものとし、同時に、自白剤の投与に於ける情報の強制開示を防ぐ為の体になる必要がある。
つまりは、派手に自分自身を殺せ。ということである。
今現在私が置かれている状況に於いて、任務を遂行した場合、私は捕獲、或いは死なない程度の体にされる。しかも、ここは高層ビルの屋上。逃げ切るには困難を極める。
最善策はプランZ。標的である2人を殺し、私は、ビルから飛び降りて体を可能な限り損壊させる。
(よし、死ぬか)
私は今、変装をしている。
シリコンで作った私とは違う顔のマスクを被り、その上からウィッグを被る。
元来、私は声真似が得意だった。故に変装をして声を変えれば、即座に私は別人になれる。
(それも派手に……!)
変装をしたまま、私は服の中に仕込んでいた拳銃を取り出す。安全装置を解除し、引き金に指をかけ、いつでも発砲できるように準備をする。
私の現在地から標的の2人までの距離から考えるに、この場からこの銃で狙撃するのは少々難しい。
殺るなら、可能な限り近距離で。
(よし!)
変装をしたままの私は、銃を握ったままソーラーパネルの影から飛び出した。
飛び出す前に靴を脱いだ私は、足音を立てることなく、吹き続ける風の中に紛れた。
「っ!」
標的に接近する私にいち早く気付いたのは、監視をしていた男の1人。男は視界に私を映した途端に拳銃を取り出したが、私の容姿を確認した途端に、引き金にかけていた指に躊躇いを見せた。
1人、また1人と、駆け寄る私に気付く。その度に私へ銃口を向けるが、誰も、私に向けた銃の引き金を引こうとしない。
それもそのはず。
「っ! 何故!?」
標的の男の1人、代表取締役の男が私に気付き、大きく目を見開いた。
「
私が変装したのは、代表取締役の男の奥さんである。名前は幸美と言うらしい。
幸美氏は現在、重病を患い入院している。仮に病院から抜け出してきたとしても、風の吹く屋上で走れるようなコンディションではない。
つまり、幸美氏がこの場に居るのは有り得ない。
しかしその場に居る誰もが、屋上を駆ける私を見て、「幸美氏が居る」と疑わなかった。故に誰も引き金を引けずにいる。
「な!」
私は最初に銃口を政治家へ向け、間髪置かずに引き金を引いた。
普通であれば、銃口を向け、照準を十分に定めてから発砲する。しかし私は違う。照準を合わせるまでの時間で反撃を喰らう可能性を考慮し、銃口を向けた直後に引き金を引くようにしている。
照準を合わせ、確実に殺しにいく。そんなことはしない。私は私の射撃能力と、この銃の性能を信頼している。故にゆっくりと照準を合わせたりはしない。
殺す気で銃口を向け、殺す気で引き金を引けば、私は、確実に相手の体へ致命傷を穿つ。仮に殺せなかったとしても、一生寝て過ごすか、会話も出来ないような話す屍にさせる。
「んぶっ!」
私が放った銃弾は空気の中を突き進み、狙い通り、政治家の頭部にヒットした。これであの男は死ぬか、死んだも同然な余生を過ごすことになる。
さて、あとは…………。
「何故……何故だ幸美!」
代表取締役の男が叫び、それに応えるかのように私は足を止めた。
ただのメイクではない。シリコンを用いた
故に男は酷く困惑している。重病を患い床に伏す妻が、何故拳銃を用いて政治家を殺したのか。また、何故この場所に居るのか。考える以前に意味が分からない。
男は眉を顰め、亡霊にでも出会したかのような顔をしている。そんな男に、私は笑みも向けず、無表情のまま視線を向けた。
「私の病気を治す為に不正にお金を入手したの? その不正を消すことを条件にその政治家を支援すると決めたの?」
幸美氏の声は既に把握し、極限まで似せるようにもなった。私が発言すれば、男は幸美氏の発言であると捉える。
「それで本当に私が喜ぶと思ったの?」
「……幸美を救う為ならば、僕は肥溜めにだって手を浸すつもりだ……僕が穢れることで幸美が救われるならば! 僕はどんなことでも遂行する!」
「……そう。けど残念。私とは別意見ね」
私は男に銃口を向けた。
そして、
「尤も、私は私じゃないんだけど」
自由な左手で、私は頭に被せたマスクを剥ぎ取った。
茶髪ロングのウィッグも、幸美氏の顔も、私の肌から離れ、私本来の姿を現した。
地毛の黒髪ショート。そして、幸美氏よりも30歳程度は若い素顔。男達の眼前で、50過ぎの皮を捨て、若くて可愛いこの私の姿を披露する。
勿論、皆が皆、目を丸くした。
「お前……誰だ……?」
男の問いに、私は、微笑みと共に返した。
「死神」
私は引き金を引いて発砲。男の頭部に鉛玉を撃ち込んだ。
「クソ!」
「撃て!」
「殺す!」
私が発砲したことで、他の男達全員が銃を構えた。
しかし、男達の構えた銃から放たれる弾丸が私の皮膚を貫く前に、私は、屋上から飛び降りた。
私のプランZは、屋上からの飛び降り自殺により遂行される。
200mを超える高さからの飛び降り自殺。地表到達までの時間は長い。その間、私はどの程度の走馬灯を見るのだろうか。
我々の背後には常に死神が居る。その死神に背を向け続けるか、或いは首に鎖を縛り付けて従えるか……自分にとっての答えを見つけるといい。
あの時、あの問いに対する答えは、既に僅かながら見えていた。
死神を飼うことにしたのか?
初仕事を終えた私への問いに対する答えは、見えかけていた答えの最終確認であった。
私自身が死神になる。
首を狩られる覚悟など捨て、自らの死と他人の死を、私の一存に委ねる。
そして今日、死神として、私自身の死を迎えさせた。
「ようやく、死ねる」
地表に頭頂を向け、私は呟いた。
死を望んでいた訳では無い。ただ、自らの意思で死ねる喜びにようやく至れたことが、極めて幸せだった。
…………………………は?
何これ?
は? 何これ?
何この光!?
ちょ、待って! マジで何これ!
結論から言う。
私は、落下死に至れなかった。
地表に到達するよりも前に、私の体が青い光に包まれ、空中から消えたのだ。
あの光が何なのか。
私がその真相を知るのは、体幹時間にして数分後。
現実に於ける経過時間は……
約、200年。
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