5
忙しなく人の行き交う王宮。見知った者には会釈を返しつつ、奥へと進んでいく。段々と人の気配も少なくなっていき、静かな廊下には自分の足音だけが響いていた。ある程度進むと、通路の片隅で一人の騎士が警備をしているのが視界に入る。
こちらに気付いてか、先を阻むように騎士は一歩前に出た。
「失礼ですが、この先は王族以外の立ち入りは禁じられております」
忠告と同時に、警戒した様子を崩さない。王族の住まう宮は別の場所にある。こんな王宮の端まで来る者は少ない、だからこその警備だろう。目についたのは一人だけだが、いざという時のためにまだ人数が控えているはずだ。
失礼、と一言置いて、懐から羊皮紙を取り出す。騎士はそれを受け取り、中身を確認し始めた。
やがて内容を理解した騎士が居住まいを正す。
「……非礼をお許し下さい、アトランド伯爵令息。確かに面会許可証、拝見いたしました」
「畏まった呼び方は勘弁して下さい。私は父の名代として来たわけではありません、ただ―――」
一度言葉を切って、視線を落とした。口に手を添えて、声を潜める。眉を下げて表情を緩めれば、相手の警戒もいくらか解けるだろう。
「友人として、見舞いに伺っただけです。殿下にお伝え願えませんか、カイが来たと」
「少々こちらでお待ち下さい」
騎士はそう断って、静かに通路の奥へと踵を返した。
それを少し手持ち無沙汰に待っていると、予想に反して騎士はすぐに戻ってきた。
「申し訳ありません……。殿下は今は誰にもお会いになりたくないと仰っておりまして」
どことなく漂う気遣わしげな雰囲気が、騎士の言うそれが嘘ではないと物語っている。
「分かりました。殿下ご自身のお言葉ですから、また日を改めることとします。取り次いでいただきありがとうございます。では、失礼しますね」
「はっ」
一礼した騎士に背を向けて、通路を引き返した。通路を曲がり、騎士から姿が見えなくなった瞬間に俺の口から思わずため息が転がり落ちる。
「……牙は、抜けたままか」
口をついた言葉に、思わずはっとあたりを見回した。周囲には誰もいないが、万が一ということもある。連日の執務で参っているな、と自身の疲労を自覚した。少し休息を入れなければ、と帰った後の算段を付けながら、これまでのことを思い出す。
リーゼロッテ嬢の二度目の処刑が予定されていた日、そしてフローラが亡くなったその日から既に一週間が経っていた。
勿論、リーゼロッテ嬢の処刑は取りやめになっている。エメリヒ殿下はフローラの死に消沈し、公務もすっかりしなくなってしまった。王宮の奥に押し込めているのは、恐らく宰相―――ヒンメル侯爵の采配だろう。
こうして思えばヒンメル侯爵も上手く立ち回ったものだ。第一王子であるクラウス殿下と比べ、エメリヒ殿下の能力は凡々としたものである。エメリヒ殿下が王太子の座についたのは、母が正妃であったことが主な理由だが婚約者としてアルトマイアー侯爵令嬢であるリーゼロッテ嬢を据えられたことも大きかった。
アルトマイアー侯爵家は防衛の要地である国境地帯を治めている。上位貴族の中でも有数の私兵を持つが、中央との距離からか継承者争いからは中立派を取っていた。そこをヒンメル侯爵は口八丁手八丁にリーゼロッテ嬢を正妃とすることによってアルトマイアー侯爵家を第二王子派に引き込み、それがエメリヒ殿下の王太子の地位を盤石にしていたのだ。
エメリヒ殿下の能力から、実権を握るのはヒンメル侯爵、しいてはその息子となるだろう。だが事は彼奴の思い通りにはならなかった。
政治は不得手だと侮っていたリーゼロッテ嬢には、王妃としての才覚があった。それはもう、ヒンメル侯爵の予想以上に。公明正大にして出過ぎることはなく、表向きは王太子を立てて良い方へと物事を動かすことができる。
ヒンメル侯爵としては焦るのも当然だ。リーゼロッテ嬢が王妃となって実権を握られては、彼奴も立場がない。現王妃を輩出しているとはいえ、要衝を抑えているアルトマイアー家と比べてヒンメル家は家格も少々劣る。
そこにエメリヒ殿下とフローラが恋に落ちた。厄介者のリーゼロッテ嬢の代わりにお飾りの王妃を据える。ヒンメル侯爵がそう考えるのも、想像に難くない。
学院でのリーゼロッテ嬢の動向を思い出す。フローラへの嫌がらせは、彼女の仕業ではないだろう。そもそも王妃教育や勉学に時間を費やしていたというのに、そんな暇など少しもない。たまの休日も、王妃となった後の人脈を広げるために積極的に有力貴族の子女を招いて茶会を行っていると聞いた。勿論、国王暗殺を企てるなど土台無理な話だ。
今は遠い出来事のように思える、学院でのリーゼロッテ嬢を連行したこともヒンメル侯爵の入れ知恵だろう。
(だからこそ、彼女の動きはちょっと予想外だった)
いくらエメリヒ殿下の行動が突然だったとはいえ、王宮内でも人脈のあるリーゼロッテ嬢がその動向を知らなかったとは考えにくい。それにリーゼロッテ嬢が嫌がらせをしたという話だって、彼女の動き次第でいくらでも火消しはできたはずだ。
だが結果として、またしてもヒンメル侯爵の思い通りにはならなかった。
やはり二度に渡って処刑が失敗したことは大きい。今度はリーゼロッテ嬢が冤罪であるという疑惑が、民だけでなく貴族の中でも波及し始めたのだ。
一度目なら偶然で済んだが、リーゼロッテ嬢の最初の宣誓が響いていた。彼女が神に無実を誓ったことが、人々の中にある考えを抱かせる。
―――神が、無実の少女を救おうとしているのではないか。
真実は分からない。だが偶然と捨て置くには、何もかもが出来過ぎている。だからこそヒンメル侯爵も、一度目の天災はともかくフローラの死の裏を探そうと必死なのだろう。これ以上リーゼロッテ嬢は動かせない。牢に留め置くだけでも既に厳しい状況だ、処刑するなどという蛮行はもってのほかだ。
神だなんだだのは、正直信じていない。だがあのリーゼロッテ嬢であれば或いは―――。らしくもない考えに浸っていたからか、背後から伸びる手に気付かなかった。
次の瞬間には、口を塞がれて部屋に引きずり込まれていた。
(くそっ! 声が出せない!)
第二王子の側近だったとはいえ、身分は伯爵家令息だ。ケチって護衛を付けなかったのが仇となったか。こんなところで死んでたまるかと、必死に抵抗する。人通りの殆どない王宮の隅、薄暗がりで殺されてしまえば誰も気付かない。そんな無駄死にはごめんだと、一層力を入れた俺の耳元で不意に小さく声がした。
「暴れるな、クラウス殿下からの言伝だ」
その言葉に、はっとする。その拍子に抵抗を止めると、拘束から解放された。
思わず振り返ると、部屋の一角に影がいた。窓から射し込む僅かな光、その影に身を潜めるように男が立っている。文官の服を身に纏ってはいるようだが、剣呑な眼差しはあまりに不相応だ。
「……驚いた。クラウス殿下も、影をお持ちなんですね」
俺の言葉に、男は顔を顰めた。
―――影。王家には、諜報や暗部を担う精鋭部隊がいるという話がある。表にはならない話だが、暗黙の了解というやつだ。俺が見ている限り、エメリヒ殿下にはついている様子がなかった。てっきりクラウス殿下も同様だと思っていたが、実際は違ったようである。
エメリヒ殿下はそこまでだったかと、己の見る目のなさに落胆せざるを得ない。
「主が、疾く回答をするように、と。もう十分時間はやっただろう」
無機質な声に、大仰に礼を取る。
「ええ、腹は決まりました。エメリヒ殿下は、言っちゃあなんですがもう駄目ですね。俺はクラウス殿下に付きます」
―――本当は、少し期待しているところもあった。頭を下げたまま、薄く息をつく。恋に狂ったエメリヒ殿下が、目を覚ましてくれないかと。ヒンメル侯爵に操られている己を省み、現状を恥じてくれないかと思っていたのだ。
第二王子派になったのは、俺の自由意志ではない。家の舵取りで、エメリヒ殿下の側近として潜り込んだ。だが、その中でクラウス殿下やリーゼロッテ嬢の優秀さを疎み、自分なりに足掻くエメリヒ殿下を好ましくも思っていた。気安く接する俺を友と呼ぶ、あまりに平々凡々なのあの人の力になってやりたかった。だが、それは叶わない。
その劣等感から砥がれていた、いつか形になったかもしれなかった牙を抜いたのが、フローラである。
「エメリヒ殿下はあの通り、俺ももう支えきれません。家のため、勝ち馬に付きますよ」
へらりと言うと、影は顔を顰めた。舌打ちを一つし、俺を軽く睨みつける。
「貴様がこちら側に付くのは分かった。だが、その不遜な態度を主の前でしてみろ。即刻首を落としてやる」
随分物騒な物言いに、わざとらしく背筋を正して固く声を張って見せた。
「はっ、心しておきます」
俺の態度に、影は不快そうに顔を歪める。だがそれ以上何か言うことはなく、ふんと鼻を鳴らすくらいだった。
「次の接触はこちらからする。第二王子派とは疎遠にしていろ。余計なことに関わらない限りは、主が台頭する際にこちらに引き入れる」
言われなくともそうするつもりである。第二王子派はこうなっては沈むことの決まった泥船でしかない。リーゼロッテ嬢の最初の処刑が失敗した時点で、アトランド家は俺を筆頭に第二王子派の関わりから手を引いている。他の連中は、フローラの死によってリーゼロッテ嬢の冤罪疑惑が持ち上がってから慌てて派閥変えに勤しんでいるようだが、今更動き出しても忠義のなく、情報も遅い連中だと白い目で見られて終わりだ。
「承知しました。精々手土産でも用意しておきましょう」
影に、慣れ親しんだ笑みを貼り付けて了承を返す。第二王子派の情報だったら、いくらでも売り渡してやろう。クラウス殿下が必要としているのも、恐らくそれだろう。
「余計なことはするなと言ったのが、聞こえなかったか?」
「それは失礼しました」
言葉の応酬に呆れたのか、影はため息をついた。そして追い払うように、手をしっしっと振る。
それにまた礼を返して、部屋を出た。思わず肩の力が抜け、自分が思っていたよりも緊張していたことに気付く。ひとまずは屋敷に戻ろうと、ひと気のある方へと歩き出した。
本当は、フローラが死んでエメリヒ殿下が正気に戻ってはいないかと思っていたのだ。結果は肩透かしだったが、かえって諦めがついた。友情だけでは王宮では生き残れない。
顔を見ることはできなかったが、そういう別れもいいだろうと少し笑いをこぼす。何も知らずとも、友と呼んだ人を裏切った俺とわざわざ会う必要もない。
やがてちらほらと見えてきた役人たちの流れに加わりながら、俺は今後の身の振り方を考える。一抹の罪悪感は、その内に消えてなくなるだろう。
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