4

 周囲を取り囲む騎士たちは、厳めしい顔で壇上を見据えている。そんな彼らと民たちに悟られないように、私は浅くため息をついた。

 田舎育ちのフローラにとって、王都は憧れである。いつもなら忙しい授業の間を縫って向かう街はとてもきらびやかで、何度行っても新しい発見がある素晴らしい場所だった。最近は子爵家からすっかり外に出ていなかったけれど、街がこんな風じゃ心も踊らない。


「……あの人は死刑になっても、まだ人を困らせるのね」


 突然の天災で延期となった、リーゼロッテ様の処刑。それを見届けるために組まれた仮設の席で、私は小さく呟いた。


「何か申されましたか?」


「あっ、何でもないです。ちょっと不安で……」


 私の声が聞こえたのか、近くの騎士がこちらに声をかけてきた。慌てて笑顔を取り繕う。それをどう思ったのか、騎士は優しげに眉を下げて身を僅かに屈めた。


「もし、見届けるのがお辛いようでしたら仰って下さい。体調が優れないと言えば、止める者もないでしょう」


 騎士の気遣いに、ありがとうと礼を言う。すると騎士は気遣わしげに軽く会釈をし、持ち場に戻って行った。

 私が何を言っているかまでは、聞こえなかったらしい。本当は体調が悪いと言ってでも帰りたいところだけど、今朝エメリヒ様にどうしても次期王妃として参加して欲しいと言われている。てっきりエメリヒ様と久しぶりにお話できると思ったのに、と背凭れに寄り掛かった。エメリヒ様は処刑台の傍らに立っていて、リーゼロッテ様が来るのを待っている。


 思えばちゃんと話したこともなかった人だったと、リーゼロッテ様と最後に話した時のことをぼんやりと思い出した。





「フローラ様。わざわざお時間を頂き、ありがとうございます」


 リーゼロッテ様が椅子から立ち上がり、こちらへと綺麗な礼をする。私も見様見真似で彼女の真似をすると、リーゼロッテ様は少し困ったような顔をした後席に着くようにと促した。またマナーがなってないと思われたのかな、ともやもやしたままそれに従う。

 隣に控えていたリーゼロッテ様の従者が、そっと私の前に置かれたカップに紅茶を注いだ。それに軽くお礼を言って、目線だけで周囲を見渡す。

 学園には整備された庭園が併設されている。庭園は誰でも立ち入ることができるけれど、私が今いるガゼボはそうじゃない。ここは庭園の奥、小さな池の側に建てられた可愛らしい休憩所のような場所だ。ほとんどの生徒が貴族であるこの学園でも、一部の上級貴族しか使うことを許されていないらしい。

 こんな状況じゃなければ、それかエメリヒ様とだったらきっと楽しい一時になっただろうに。心の中でため息をつきながら、リーゼロッテ様に向き直る。


「それで、リーゼロッテ様。私に何の御用でしょうか」


 マナーがどうしても気になってしまって、紅茶に手をつける気にもならない。何度かリーゼロッテ様にはマナーや礼儀作法について注意されているから、少し苦手なのだ。仕方なく、恐る恐るリーゼロッテ様に呼び出された理由を聞いてみる。

 リーゼロッテ様は私の言葉に、少し迷った様子を見せた。珍しい姿に内心少し驚く。沈黙の後、おずおずと彼女は静かに問いかけた。


「単刀直入に聞かせて頂きたいのです。殿下のことを、どう思っておいでですか?」


 思ってもいなかった質問に、思わず目を見開く。見つめ返した先のリーゼロッテ様の表情は真剣そのもので、つい息を呑んだ。


「どうって……、そんな急に言われても……」


「どうか、お聞かせ頂けませんか」


 戸惑う私に、リーゼロッテ様は更に言葉を重ねる。その勢いに押されて、しどろもどろになりながらもどうにか考えをまとめていった。


「わ、私はエメリヒ様のことが好きです……。子供だと思うかもしれませんが、ずっと一緒にいたいんです! エメリヒ様も、きっと同じ気持ちです!」


「……分かりました」


 こんなこと、エメリヒ様以外にちゃんと言ったことはなかった。火照る頬を冷ましていると、リーゼロッテ様は神妙な顔でゆっくりと頷く。


「あなたが殿下のことを真に思うのならば、お願いがあります」


 真に思うのならば―――。その言葉に、自然と背筋が伸びた。リーゼロッテ様は軽く息をつき、一瞬だけ目を伏せる。だがすぐに視線はこちらに戻された。


「側妃として、共に殿下をお支えしてはくれないでしょうか」


 リーゼロッテ様の言葉に、私は愕然とした。


「それって、私に愛人になれってことですか!?」


 予想もしていなかった言葉に、私は悲鳴のような声を上げる。けれどリーゼロッテ様は真面目な顔でこちらを見るばかりで、私は彼女が冗談で言っているんじゃないと理解した。それがとてもよく分かって、同時に強く失望したのだ。


「フローラ様、決してそうではありませんわ。殿下のお立場を守るには、形だけでも私が正妃となるしか―――」


「そんなまるで、私と結婚するのがエメリヒ様にとって悪いことみたいに……」


 まるで頭をぶつけたみたいな衝撃を受けて、頭がずきずきと痛む。もしかしたらリーゼロッテ様もようやく私たちのことを認めてくれたのかと思ったのに、まさかこんな酷いことを言われるなんて思っていなかった。

 ショックで言葉の出ない私に、リーゼロッテ様がまた口を開く。


「今のままでは、フローラ様とのご婚姻も難しいでしょう。ですが、側妃としてなら殿下と添い遂げることも叶います」


 リーゼロッテ様が私を諫めるかのように、淡々と言葉を続けた。けれど、今の私には詭弁にしか聞こえなかった。私が何も分からないと思って、丸めこもうとしているんじゃないかと彼女を睨みつける。


「そんなこと言って、リーゼロッテ様が王妃になりたいだけなんじゃないですか!?」


「……っ。違いますわ。私は、国のためを思って言っているのです」


 一瞬、リーゼロッテ様は言葉を詰まらせた。だけど表情は変えずに、誤魔化そうと綺麗事を口にする。


「エメリヒ様は、必ず私を王妃にして下さると言いました……。私はまだまだ未熟ですけど、頑張る気持ちだけは負けません!」


「ですから……!」


 私の決意も目の前の彼女には届かなかったらしい。リーゼロッテ様は焦れたように言葉を切って、気持ちを落ち着けるように浅くため息をついた。


「そもそもエメリヒ様の王太子としての地位は、アルトマイアー家と縁づくことによって確立されたものなのです。私が正妃とならなければ、殿下は―――」


「これは二人の問題なんです。関係のない人が、口を出さないで下さい!」


 また私には分からない話を始めようとするリーゼロッテ様の声を遮って、きっぱりと言い切る。

 エメリヒ様はリーゼロッテ様との婚約を、互いに愛のない関係だと言っていた。愛してない相手との婚約を解消できるのだ、普通は喜ぶはずである。それをこうも拒否するのだから、やっぱりリーゼロッテ様の目的は王妃になることなのだろう。それなら尚更、彼女を王妃にするわけにはいかなかった。


「エメリヒ様を愛してもいないくせに、これ以上あの人を縛らないで!」


 そう言って、私は勢いよく椅子から立ち上がる。びくりと肩を震わせたリーゼロッテ様は二の句が告げないようで、大きく目を見開いていた。それを睨みつけて私は負けないという意思表示を示す。そして、私はガゼボを飛び出したのだった。





 今思い出しても、怒りと悲しみがふつふつと心の奥から湧いてくる。

 あの時は勇気を振り絞って自分の気持ちを伝えたのだが、どうやらその気持ちはリーゼロッテ様には伝わらなかったらしい。その後からだ、私に対する嫌がらせがいっそう酷くなったのは。きっとリーゼロッテ様が王妃になれないのが悔しかったんだろう。その上、思い通りにならないからって国王陛下を暗殺しようとするなんて。


「大罪人―――リーゼロッテ・アルトマイヤー、前へ!」


 ぐるぐると考えていると、不意に聞こえた声にはっと顔を上げる。処刑台を見ると、騎士に引き立てられる小さな人影が視界に入った。


「リーゼロッテ様……」


 思わず呟いた声に、哀れみが混じる。あんなに手入れされていた髪の毛はぼさぼさで、着ている物なんてきっと囚人用の服なんだろう。酷い有様だった。

 私は詳しくは知らないが、宰相様が言っていた通りリーゼロッテ様が国王陛下を本当に暗殺しようとしたんだろう。それでもあのみすぼらしい姿には同情してしまう。あんなに王妃になりたがっていたのに、その末路がこれだ。


「私は、ああはならないわ」


 そっと今度こそ誰にも聞こえないように呟く。私はエメリヒ様と結婚して、王妃になるんだ。そして、平民だった頃の大変さが報われるくらい幸せになってみせる。


 強く心に決めて、再度リーゼロッテ様を観察する。こうして見ると、あんな大罪人と王太子、なんてそっちの方が不釣り合いだ。リーゼロッテ様もよく私に対して、側妃になれなんて言えたものである。

 それにしても退屈だ、と足元に転がる石ころを軽く爪先で弾いた。例えお役目だとしても、人が死ぬところなんて見たくもない。目を逸らしていても大丈夫か、気付かれないように周囲を見回してみる。

 その時、ふと時が止まったような感覚が私を襲う。


 護衛の人たちの外から、誰かが私を見ている。伸びっ放しの髭や髪。落ちくぼんだ瞳に光はない。着ているのはリーゼロッテ様より酷い継ぎ接ぎの服で、所々泥か何かで汚れている。浮浪者、だろうか。思わず顔を顰めた。

 ああいう人は平民だった時も、時々見かけていた。お母さんは近付いちゃいけないと言っていたけれど、そんな人がどうしてこんな所にいるんだろう。養子とはいえ、私はもう子爵家の娘なのだ。怪しい人を遠ざけるのが護衛の役目なんじゃないかと、周囲の騎士を見回す。


「すいません、あの……騎士さん?」


 浮浪者について伝えようと恐る恐る声をかけると、その異様さに息を呑む。騎士たちの誰もが、一様に処刑台の方を見ているのだ。私の声にも反応せず、まるで縫い付けられたように同じ方向を向いている。

 はっと浮浪者の方に視線を戻す。先程まではぼんやりと立っているだけだった男は、ゆらりゆらりとまるで幽霊のように一歩足を踏み出した。全身に鳥肌が立つ。あの男は、私の方に近付いてきている。


 がたり、と身じろいだ拍子に鳴った椅子の音が、いやに耳の中で響いた。咄嗟に大声を出そうとするが、喉が張り付いたように渇いて、ひゅうひゅうと間の抜けたような音しか出てこない。

 感情の見えない顔が、うつろな瞳が、真っ直ぐに私を見据えていた。その間にも男は、騎士たちの間を縫うように着々と近付いてきている。


(どうして誰も気付かないの!?)


 焦りに反して、腰が抜けてしまったのか椅子から立ち上がることもできない。かちかちと歯の根が鳴り、恐怖に脂汗が幾重も額を垂れ落ちる。


 ゆらゆらと歩を進めていた男が、不意に止まった。だけど、もう男がその気になれば、私のところまで一息に駆けて来れる程度の距離しかない。段々と呼吸が浅くなっていく。一体どうすれば、と息を詰めると、男が徐に懐に手を突っ込んだ。

 依然声の出ないまま、その様子を注視していると男の手元がきらりと光る。それを確認した瞬間、私は肺が潰れるほど声を張り上げた。


「た、助けてええええええええッッッッッッ!!!」


 その瞬間、まるで魔法が溶けたように騎士たちの視線が私に向く。だけど、それよりも早く男がこちらに駆け出していた。

 それから逃れようと反射的に立ち上がろうとするが、慣れないヒールに足を取られて椅子ごと倒れ込む。


「い、たい……」


 体を打った痛みに呻くが、顔に差した影に血の気が引く。はっと顔を上げると、すぐ眼前に男が立っていた。


「ひいっ!!」


 恐怖に石畳の上を後退ると、その分だけ男が一歩距離を詰める。その手には先程取り出した、鋭い短剣が握られていた。男はぶつぶつと何かを呟いているが、聞き取れない。とても正気だとは思えなかった。


「やめて、お願い、いや、……来ないで!!」


 口から懇願するような声がこぼれる。騎士たちの怒号がどこか遠くに聞こえ、男が短剣を突き付けてとうとう踏み出した。

 じわり、とお腹に熱い感覚が広がる。まるで熱い鉄を押し付けられているかのような痛みだ。咄嗟に髪を振り乱して抵抗しようとするが、それを押さえつけるように痛みが再び腹を貫く。


(痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い、いたいいたいいたいいたいいたいいたい!!!!!!)


 何度痛みが続いただろう。段々と視界が白くなっていく。遠くで、私の名前を呼ぶ愛しい声が聞こえたような気がした。だけど手の感覚なんてとうに無くなっていて、そのまま何も分からなくなって、意識が途切れた。

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