3

「一体、何が起こっているッ!」


 怒りのまま、拳を卓上に振り下ろす。本来なら伝わるはずの痛みも、今は感じられないほど心中は怒りに煮え滾っていた。


「落ち着いてください殿下!」


 俺を制止しようとする呑気なカイの声に、思わずそちらを睨みつける。


「これが落ち着いてなどいられるか! 民があの女に騙されているというのに……」


 俺の言葉にカイは困ったように目尻を下げた。侍女に持ってこさせたのか、カップに茶を注いで俺の目の前へと差し出す。だが、茶など飲んでいられるか。執務机に肘をついて、頭痛を抑えるように眉間を押した。


「リーゼロッテが無罪であるなど、とんだ出まかせだ」

「ただの噂ですよ。民の間だけの話ですし、貴族の中でそれを信じているような者はほとんどいません」


 カイの宥めるような言葉に、多少落ち着きを取り戻す。荒く息を吐いて、ソファに背を沈めた。


「今はまだ、な。学園ではそれ程ではなかったが、社交界ではアルトマイアー家の影響力は根強い」


 アルトマイアー侯爵は現在、リーゼロッテが企てた国王暗殺への関与を調査するべく宮廷に拘留されている。そんな中でもリーゼロッテの処刑の決定を覆すべく動いているらしいが、それがいつ貴族に波及するか分からない。

 本当に忌々しい、と歯噛みすると、カイも肩を竦める。


「でしょうね。アルトマイアー侯爵はこれまで以上に、リーゼロッテ嬢の処刑を止めに来るでしょう。宰相閣下も次の手を考えあぐねているご様子……」

「ああ、本当に叔父上にはよく尽力して頂いている」


 最近は多忙からか、めっきり叔父上に会う機会もない。忙殺されているのだろうが、どうにか助けになれることがあればいいのだが。

 ひとまずは諸悪の根源であるリーゼロッテを処刑にさえできればいい。そうすればさしものアルトマイアー侯爵も、憔悴することだろう。侯爵さえ崩せれば、敵対勢力を炙り出すことも容易いはずだ。

 考えをまとめるべく、カイの入れた茶に口をつける。


「かくなる上は王太子である俺自身が旗頭に立ち、奴の処刑をまとめるか」

「それは……」


 渋い顔をしたカイに、ゆっくりと首を横に振った。


「俺が今できることは、あまりにも限られているからな。フローラの安全のためだ、彼女は今も危機に脅かされているのだから」


 子爵家で安静にしているフローラとも、しばらくは手紙のやり取りしか行えていない。彼女が安心して外を歩くためにも、これは必要なことだ。

 俺の言葉に、カイは開きかけた口を閉じる。その様子に少しの違和感を覚えつつも、この案を叔父上に伝えねばいけない。予定を頭の中で組み上げつつ、腰を上げようとする。


「一つ、いいですか?」


 そんな俺に、カイが再び口を開いた。足にかけた力を抜き、座したままカイの方へと視線を向ける。


「なんだ、俺はもう行くぞ」


 元より執務の休憩のようなものだったのだ。その時にカイによって馬鹿げたあの女の処刑の顛末を聞かされ、ついかっとなってしまった。急かすようにカイを薄く睨むと、それが存外強い視線で返される。


「―――殿下は、本当にそう思っておられるのですか」


 背筋にナイフを突き立てられたかのような感覚を覚え、肌がぶわりと粟立った。はっと顔を上げるが、そこにはいつものように暢気な笑顔が浮かぶばかりである。


「本当、とはどういう意味だ」


 少しの沈黙の後、カイの言う意図を図りかねて聞き返した。


「言葉通りの意味ですよ」


 そう言ってカイは目を伏せて、俺が飲み干したカップに再度茶を注いでいく。


「真に、リーゼロッテ嬢が事を仕組んだと。そうお考えですか?」


 カイが続けた言葉に、思わず眉が吊り上がるのが分かった。ぎろりと眼前の部下を見据えるが、カイは意に介した様子はない。


「……カイ。まさかお前も、民衆と同じ考えだとは言わんな?」


 ふっとカイは小さく笑って、ティーポットを盆に戻す。


「いえ、ただの確認ですよ」


 その言葉には、嘘はないように見えた。だから俺も一瞬心中に灯った怒りを収め、ゆっくりとため息混じりに告げる。


「俺の意思は変わらん、あの女の仕業だとしか思えん」


 俺の言葉を聞いて、カイは僅かに目を細めた。そして数刻の間の後に、こくりと俺に向かって頷いて返す。その瞬間、カイの纏っていた妙な雰囲気は消え失せて、無意識に肩の力が抜けた。


「分かりました。殿下が仰るのなら、きっとそうなのでしょう」


 カイは殊更恭しく頭を下げる。


「妙な言い方をするな。俺はもう行くぞ」

「ええ。残りの公務もお気をつけて」


 にこりと笑ったカイを置いて、部屋を出た。どうにか叔父上に会う時間を見繕わなければ、と自然と足が速くなる。


 ふと頭を過った。元々は私的な場では砕けた言葉を許していたあの男が、部下としての口調を崩さなくなったのはいつからだろうか。鈍い痛みが、こめかみを刺す。それを振り払うように歩を進めた。冷たい通路に、俺の靴音だけが響いている。


「早急に、叔父上に具申しなければ」


 振り払うように口にした声に、勿論答える声はない。





「そうとしか思えない、か」


 机上に置かれたティーセットを片付けながら、ため息をつく。


「潮時だな」


 誰にともなく、横に首を振った。己の分と注いだ茶は、そういえば手を付けていなかった。行儀悪くカップを掲げ、一息に飲み干す。温い液体が喉を落ち、それと共に罪悪感は胃の中へと滑り落ちた。きっと直に消化されて失せるだろう、とカイは自嘲気味に笑みをこぼした。

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