第3話 永遠のテーマ

 自殺を考えるようになってから、

「死」

 という以外のことが頭を掠めてしまう。

 前章のように、夢であったり、予知能力であったり、超能力的な発想であたりなど、頭の中で、考えが走馬灯のようによぎるのだった。

 ただ、それは同じところを堂々巡りしているような感覚なのだが、一周してくると、また同じところに戻ってきたという気がしない。

 本当は同じところなのだが、時間という、全体的なものがずれているので、同じところに戻っているとしても、それは、逆に後ろに下がっていることではないかと感じさせるのだった。

 それは、まるで、電車の中で飛び上がった時の、

「慣性の法則」

 とは、逆の発想なのかも知れない。

 そんな事象は、この世の中では起きえないにも関わらず、発想として浮かんできているということは、

「考え事をしている自分は、いつも同じところには決していることはない」

 という証拠なのではないかと思うのだった。

 この場合の、

「決して」

 という言葉は、

「必ず」

 という言葉よりも、どちらかといえば、

「無理することなく」

 ということだと思う。

 つまり、難しいと思える言葉であっても、やわらかく感じることで、柔軟に思えるようになると、その発想が安心感に繋がり、自分を否定的に考えることも、肯定できるのではないかと思えるのだった。

 そういう意味で、

「死」

 という言葉も、どこか人生の末路であり、ネガティブな発想でしかないと思うと、

「考えたくない」

 ということに結びついてくるのだが、生まれることと同じで、人間は、死というものから逃れることはできない。

 もっといえば、

「人間は、生まれること、つまり、誰から生まれるか? ということを含めて、それを選ぶことはできない。それと同じで、死ぬことも選ぶことはできない。自殺というものも許されないのだ」

 と言えるのではないだろうか?

「宗教的な考え方になるわけだが、ある意味、生まれてくる時というのは、選ぶことができない。ましてや、誰から生まれるかも選ぶことができない」

 というものである。

 しかし、ここで一つ矛盾している言葉として、

「人間は生まれながらにして、平等だ」

 と言われている。

 しかし、いつどこで誰のところに生まれてくるかということが決まっていないわけで、しかも、生まれてくる先の親になる人が、まわりと比べて、どのような立場にいるのか、そして、その人から生まれてきた子供が成長するのに、どれほどの可能性があるかということを考えると、

「決して、平等などではないだろう?」

 ということだ。

 ということになれば、

「人間すべてが平等でなければ、生まれてくる時に平等だなどとはいえないのではないか?」

 と言えるのではないだろうか?

 これは、死を選べないということを含めて考えると、矛盾と不公平が入り混じっていて、この世が極楽や天国だけでなりたっているわけでもない限り、

「生まれながらにして平等だ」

 などと、どうして言えるのだろう。

 ただの、気休めでしかないではないか?

 そんなことを考えていると、自殺をする人のことが頭をよぎるのだ。

「死ぬことも選べない」

 ということであるが、それは、生まれる時と同じで、

「死ぬ時というのも、いつ、どこで、誰によって、どのような方法で死を迎えるかが、分からない」

 ということであろう。

 確かに、いつ、どこで、というのは、まず分からない。寿命というものがあっても、それがいつなのか分からないし、事故や事件に巻き込まれて死んでしまうこともあるのだ。平和な世の中だからこそ、今では寿命というものを意識するのかも知れないが、昔の、少なくとも、80年くらい前までは、

「いつ死んでもおかしくない」

 という時代だった。

「天皇陛下のために、この身を……」

 などという時代が実際にあったではないか。

 さらに、

「虜囚の辱めを受けず」

 からなる、戦争中における、

「戦陣訓」

 というものがあり、本当の意味は違ったということであるが、その意味を過大解釈し、

「捕虜になるという辱めを受けるくらいなら、潔く、その命を断つ」

 ということで、敵兵を巻き沿いにして、自爆をしたり、毒を煽ることも往々にしてあった。

 そもそも、サイパンやフィリピン、さらには沖縄のようなところで起こった、

「玉砕」

 という、言葉を変えれば、

「集団自決」

 が行われたのも事実である。

 そもそも、この戦陣訓を作った人間が、開戦当時の首相なのだから、

「そもそもの意味は違った」

 というのは、少し違う気がする。

 そのために、一般市民には、

「いざという時に使うように」

 ということで、手榴弾や、青酸カリが配られたという話もあるくらいである。

 もっとも、これも、本来の目的通りに、

「緒戦で、戦局を優位に進めて。ちょうどいいところで、講和場や悪に持ち込む」

 ということができていれば、このようなことにはならなかったはずだ。

 しかし、実際に緒戦は、日本軍や日本政府の目論見通りに行っていたはずなのだ。しかし、勝ちすぎたということなのだろうか。国民世論が戦争を辞める風潮に持っていくことを許さない。特に何が悪いといって、当時のマスゴミが世論を煽るから、戦争をやめればくなってしまったのだ。

 突き進むのであれば、その時に、世論の強さ、マスゴミの恐ろしさを政府と軍は恐れたのだろう。

 だからこそ、情報統制を行い、徹底的な世論捜査を行った。大本営や当時の政府が、悪いという言い方をされているが、実際にはそうではない。歴史をきちんと認識していて、そのつもりで勉強していれば、なぜ政府や軍が、あれだけマスゴミや世間を抑え込もうとしたのか。分かるというものだ。

 つまりは、

「戦争を辞める機会がありながら、辞めさせてくれずに、泥沼にはめ込んでしまったのは、政府や軍が悪いわけではない。マスゴミの口車に乗って扇動された世論が、戦争継続しかできないようにしてしまった結果がこれだったのだ」

 と言えるのではないだろうか?

 これは、民主主義として生まれ変わった今でも同じことであり、いや、今度は政治家の私利私欲や保身が中心になっているから、もっとたちが悪い。戦争がないというだけで、今の世の中ほど腐った時代はないのかも知れない。

 それが今でいうところの、

「平和ボケ」

 であり、

「戦争が起これば、中立でなければいけない」

 という国際法を無視したような、経済制裁をする国にまで落ちぶれてしまったのだろう。

 宗教的に、自殺を許さないのがある証拠として、キリスト教の話の中で、

「細川ガラシャ」

 という女性の逸話が残っている。

 戦国時代から、江戸時代にかけての武将で、細川忠興という人物がいた。

 細川家といえば、室町幕府では、管領職を代々受け継いできた名門であり、守護大名から、戦国大名となり、摂津国でその地位を保っていた。

 細川ガラシャというのは、その細川忠興の妻であった。しかし、彼女の悲劇は、織田信長が討たれた時から始まったと言ってもいい。細川ガラシャ、元は、明智たまという女性、つまりは、本能寺の変において、織田信長に謀反を起こした張本人である、明智光秀の娘だったのだ。

 細川氏は、信長を討った明智光秀の側に就くことはしなかった。

 どちらかというと、明智光秀に近いと思われた、摂津や丹波の大名や有力武将である、高山右近や、池田恒興、さらには、中川清秀などの武将が、こぞって、羽柴秀吉軍に就いたことで、山崎の合戦では、完全に人数的にも、勢いも、そのすべてが、秀吉軍に優利だった。

 しかも、

「ここを取れば勝ちだ」

 と言われた、天王山を取ったことが、一番の勝因となり、あっという間に明智軍は破れてしまったのだ。

 戦巧者と言われた明智軍であったが、期待していた武将が全部相手についてしまったのでは、勝ち目があるはずもない。それを思えば、明智軍の敗北は最初から分かっていたと言ってもいい。そのあたりからも、

「本能寺の変の黒幕」

 というものの中に、有力な説として、

「羽柴秀吉黒幕説」

 というのがあるのだ。

 もっとも、ある程度最初から知っていなければできなかったと思われる点がいくつもあるからだ。

 まず、

「毛利に伝令としての使者を、秀吉軍は、そんな偶然に捉えることができたのか?」

 という問題、

「岡山地方から、数日でそんなに簡単に、京都の手前まで戻ってこれるのか? 事前に準備をしていなかれば、できるわけはない」

 という考え方。

 そしてなんといっても、中川清秀や細川忠興、そして、高山右近などに、光秀よりも先に味方につけることができたのも、最初から知っていて、論功行賞などに具体的な話でもなければ、光秀に近い武将を寝返られることなどできないだろう。

 それらのことを考えてみれば、山崎の合戦が、すべて事前の計画を練られていたとしても、ここまでうまく行ったかどうか?

 何しろ、あの用心深い光秀が、こんなに早く秀吉が準備できるとは思っていなかったはずだからである。

 いくら、光秀が本能寺攻撃を、寸前に決めたとしても、それを最初から分かっていなければ、秀吉が天下を取ることなどできなかっただろう。

 ひょっとすると、

「秀吉は、予知能力があるのかも知れない」

 という考えもあるが、そうでなければ、

「どうしてここまで、秀吉が準備周到にできたのか?」

 ということの説明がつかないではないか。

 それが秀吉が最初から立てた計画だとすれば、すべてにおいて辻褄が合う。

「ひょっとすると、賤ケ岳の合戦くらいまで、最初からの計画にあったのかも知れない」

 と思うほど、そこまであまりにも電光石火だったからである。

 柴田勝家がいなくなり、織田軍団の長は、秀吉だということになるからである。

 もし、秀吉に、唯一の失敗があったとすれば、

「お市の方が、柴田勝家と一緒に自害した」

 ということだろう。

「浅井長政の時の小谷合戦では、何とか助けることができたので、今回もできるだろう?」

 という甘い考えがあったのかも知れない。

「意外と人たらしと言われた秀吉だが、女心が分からないところがある」

 と言われるのは、そのあたりからなのかも知れない。

 それでも、そんな時代の中で、秀吉は順調に天下を統一していく。難敵である徳川家康に、小牧・長久手の戦いでは、

「戦術では負けたが、戦略で勝つ」

 という形で、家康を従わせ、四国、九州の、長曾我部、島津を従えさせ、最期に、関東の、後北条氏を従えさせることで、東北までも支配下に抑えて、いよいよ、天下が統一された。

 その後、秀吉には、自分の大切な人が次々に死んでいくという不運もありながら、何かに狂ったように、異常な政治を始めた。

 最後には朝鮮出兵などを2度も行い、失敗してしまうが、結局、突っ走ったまま、死を迎えることになった。

 秀吉亡き後、家康が、いよいよ天下取りに名乗りを上げてきたが、豊臣勢力では、力不足と言われた、石田三成が、挙兵した。圧倒的な戦力さと、さらに、光成の強引で、しかも、前線で戦う武将の気持ちを顧みないという欠点のため、なかなか味方が集まらない。

 そんな時、家康が、会津の上杉征伐に出かけて、留守の間に三成が挙兵することになるのだが、その時、家康にしたがって征伐に出かけた武将の家族を人質にしようと考えたのだ。

 その時に、忠興の妻である、細川たまも、そのターゲットとなった。

 たまは、その時にはすでに、キリシタンとなっていて、洗礼も受け、

「ガラシャ」

 という名前ももらっていたのだ。

 そのため、三成が攻めてきた時、自分の身の振り方を考えた。

「本来なら、ここで自害して、自分の夫の足かせにならないようにしないといけない」

 ということを考えた。

 当時の戦国大名の妻であれば、誰もが考えることであった。

 しかし、ガラシャとすれば、自分はキリスト教徒である。つまりは、自殺というものは許されないのだ。

「では、どうすればいいのか?」

 と考えた時、彼女は、

「じゃあ、自分の配下の人間に、自分を殺させればいいのだ」

 と思ったのだ。

 そのため、配下の人間に命じ、

「もうダメだ」

 となった時、その人に自分を殺させ、自殺ではないとして、彼女も、戦国の一人の悲劇の女性として、後世に語り継がれることになったのだ。

 だが、考えてみれば、それが本当に正しいことなのだろうか?

 確かに彼女は、自らで命を断ったわけではないが、死を目的として、人に殺させたわけである、

 これを果たして、

「自殺ではない」

 と言えるのだろうが。

 確かに、敵が攻めてきていて、もう選択肢が少ない中で、自殺は許させない。人質にされるわけだから、相手は自分を殺すはずはない。

 実に限られた短い時間で、選択肢も少ない。そして、正解と言える結論が果たしてあるのかどうかも分からない中で見つけた結論だったのだろう。

 ガラシャは、確かに、これだけの条件の中で決めるには、それ以外に方法はなかったのかも知れないが、冷静に考えると、

「自害できないということで、自分の意思で、配下に自分を殺させるというのは、どうなのだろう?」

 殺さなければいけなかった配下の者も、そんなことを押し付けられて、断るわけにもいかない。

「戦なんだから、相手が敵であれば、お互いに殺し合いの中なので、殺されても、相手を殺しても、武士として、本望だと言えるだろうが、何の抵抗もしない人を、介錯でもなく、命を奪うというのは、理不尽である」

 と言えるだろう。

 しかも、それは自分の意思によるものではなく、いくら、仕える相手であるとしても、たまらないだろう。

「どうせ、討ち死にすることになるのなら、潔くありたい」

 と思うのが武士のはず、その人の気持ちを踏みにじってまでも、自分が自害できないという理由だけで、

「死ぬ」

 ということを、他人に押し付けていいものだろうか?

 確かに、

「人を殺めてはならない」

 という戒律の中で、自分だって含まれるということで、

「自殺はいけないことだ」

 というのは、分かり切ったことではある。

 しかし、世は戦国時代、いや、日本の子の時代に限らず、世界中で、戦のない時代などありえないと言ってもいいだろう。

 そんな歴史の中で、宗教が一体何をしてくれたというのか、下手をすれば、世の中に起こっている戦争の半分近くは、宗教がらみの戦争ではないか。民族戦争と同じくらいに、宗教がらみの戦争は起こっている。つまり、それだけ民族間で、宗教も違えば、考え方や価値観も違ってくるというものだ。

 それを考えると、

「そもそも、人類は一つだと言っている宗教もあるが、それなのに、どうしてこれだけたくさんの宗教があるというのか、下手をすれば、同じ宗教でも、派閥があったり、新教、旧教などと言われるように、派生型の発想が生まれたりするではないか。それだけ神様だってたくさんいて、似たような神もいれば、まったく違う神だっている。それを考えると、宗教など、本当に信じられるものなのか?」

 と思えてきて、宗教に不信感を抱く人もいるだろう。

 さらに、今の時代になると、(昔にもあったのかも知れないが)宗教という名の元に、平気で人を騙したり、殺すことさえいとわないものもあるではないか。本当に、宗教の戒律は、

「人を殺してはならない」

 と言っておき、生贄や人柱などというものだってあるではないか。

 王が死んで、巨大な古墳にその遺体が収められる時、王に従していた連中も、一緒に殺されて、葬られるという話を聞いたこともある。

 それを考えると、

「戒律というのも怪しいものだ」

 とどうして誰も思わないのだろう?

 少なくとも、細川ガラシャの悲劇において、出てきた結論が、

「配下の人間に殺させることで、自殺ではない」

 という、言い方は悪いが、欺瞞な言葉でごまかしたようなものではないか。

 それを考えると、ひょっとすると、戒律の解釈を間違えているだけなのかも知れないが、「宗教を信じたところで、一体誰が幸せになれるというのか?」

 ということである。

 すべての歴史は、時代背景によって支配される。戦国時代のような群雄割拠な時代に、

「人を殺めてはいけない」

 などというのは、それこそ、欺瞞でしかない。

 しかも、当時の大航海時代、欧州から、武器やキリスト教が入ってくる。そもそも、この二つが矛盾しているのではないか。

 さらに、キリスト教布教というのは、まず、宣教師がその国の君主に、

「キリスト教を布教させてほしい」

 と言って、珍しいものを献上して、安心させ、布教させておいて、目的は貿易での金儲けのつもりでいたが、相手の国の目的は、

「キリスト教を布教させて、内部で政府批判を起こさせ、その混乱に乗じて、兵を進め、いかにも合法的に、相手国を植民地にする」

 というやり方をしていた。

 それこそ、工作員を潜り込ませ、クーデターを煽り、そのクーデターが起こったところで、介入し、相手を服従させるという、冷戦時代の社会主義国のようではないか?

 日本はそれに気づいていたのか、それとも、自分たちが統治していくうえで、キリスト教が邪魔だと思ったのか、秀吉にしても、江戸幕府にしても、キリスト教禁止令を出している。

 しかも、江戸幕府は、鎖国まで行っていたのだ。

 これは、貿易に目を瞑り、その利益を犠牲にしてでも、自国の統治と安定を目指したと言えるだろう。

 ある意味、幕府も途中から、財政は最悪でありながら、260年という長期政権を、天下泰平ということで過ごしてこれたのも、鎖国制度のおかげだと言えるだろう。

 もっとも、立地的な問題もあって、日本が島国であることや、大陸にての、抵抗などがあったことで、日本が、完全な植民地ぬされなかったことは、歴史上、重要な出来事であったのだろう。

 とにかく、人間の死というものは、

「永遠のテーマ」

 だと言ってもいいのかも知れない。

 特に人の生死に、宗教が関わってくると、ロクなことはない。

 いや、宗教が関わってくる時点で、人の生死というものを無視して考えることはできないというものであろう。

 秀吉にしても、江戸幕府にしても、キリスト教禁止令を出したのは、自分の政治の上で、目の上のたんこぶになるであろうことを分かっていたからであろうが、ひょっとすると、本人か、それとも、重鎮の誰かが、

「宗教の本質」

 というものを分かっていて、

「キリスト教を進めてしまうと、国を本当に滅ぼすことになる」

 と、他の国が侵略されていった事情を分かっていて、その懸念から、強引なキリスト教禁止令を出したのかも知れない。

 今の教育では、

「キリスト教弾圧」

 ということで、

「ひどい時代だった」

 と教育されてきているが、当時の政治家であったり、幕府の重鎮にはすべてが分かっていて、

「キリスト教の侵略を止めるには。ここまでしないとできない」

 と考えても苦渋の選択だったのかも知れない。

 それを思うと、

「細川ガラシャの悲劇」

 というのも、そもそも矛盾から成り立っているのであり、今ではこれを美談のように言われているが、

「キリスト教弾圧が悪いことだ」

 という解釈と、裏表の教育として、語り継がれてきたものだと言えるのではないだろうか?

 ここまで考えてくると、

「人の死」

 というものと宗教を考えると、少なからずの矛盾が存在する。

 そう思うと、

「宗教にはそもそも、矛盾した考えがたくさんあるのであり、それが次第に分裂を招き、たくさんの宗教ができたのではないか?」

 と言えるのではないだろうか?

 そもそも、宗教というのは、その地域に一つのもので、それが、分裂していくうちに、今のように、無限に広がるような宗派の数が出てきたと言っても過言ではないだろう。

 慕う神も違えば、戒律も違う。中には一つのことを正反対に解釈されるものもあるだろう。

 もし、宗教が正しいのだとすれば、人それぞれに正しいものが存在しているということであり、結局、争いがなくならないのも、そのせいだと言えるのではないだろうか?

 世の中において、宗教というのは、

「本当は人間の数だけあるのかも知れない」

 と言ってもいいだろう。

 宗教によっては、

「人の血が混じることを許さない」

 つまりは、輸血を許さないというものがある。

 そうなると、注射も手術もできない。伝染病や命に係わる事故や、戦争での被害に遭っての重傷者など、

「手術ができない」

 ということで、ケガをしたり、病気になった時点で、すでにその人の寿命は終わりなのだ。

 これが子供であっても同じことで、まだ自分では理解ができない子供が、親の宗教信仰のために、

「助かる命が助からない」

 ということは、世界中でざらに起こっていることではないだろうか?

 だからと言って、宗教のすべてを否定するというわけではないが、少なくとも、

「人間の生死」

 というものに対し、宗教が足かせになっていることは間違いないということであろう。

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