軟化、そして爆睡

 四月二十二日。月曜日。


 思えば、先週の土日は、ロクに休むことができなかった。


 土曜日は、卜部うらべさんのアパートの前でほぼ一日中座り込んだ上に、剣の勝負までした。

 そして日曜日には、望月先生のもとで至剣流の稽古。


 なんてことないスケジュールだと僕は思っていたが、体というのは正直者だ。

 初詣で着物姿の螢さんの色っぽいうなじを見た時、駄目だと自制しつつも下半身に血流が集中してしまったように、体は心の言う事を存外聞かないものだ。


 まぁつまり何が言いたいかというと、週明けの月曜日である今日に、疲れがどっと出てしまったのである。


「うへぇぇー…………」


 朝のホームルーム前の教室にて、僕は自分の机にぐでーっと突っ伏していた。


「……大丈夫、コウ? 何かいつにも増して疲れてるみたいだけど」


 心配三割、呆れ七割な声で、エカっぺが声を掛けてくる。


「あんま大丈夫じゃなーい……もう寝ちゃいたい……」


「寝ちゃえば? まだ十五分くらい時間あるし。ホームルームが始まったらあたしが叩き起こしてあげるけど?」


「優しく起こして……」


「はいはい」


 エカっぺの呆れ声を聞き、僕がお言葉に甘えて束の間の睡眠に意識を投じようとした、その時だった。


「——どうしたのよ? 朝から元気が無いわね」


 エカっぺではない、違う女の子の声が、僕の名を呼んだ。


 むくりと僕は頭を上げ、その声のした方向へ視線を移すと、卜部さんが僕を怪訝な顔で見下ろしていた。


「卜部さんか……おはよ。ふぁぅあふあふ……」


 僕はあくび混じりに挨拶した。鞄と防具入れと竹刀袋を持っている所を見るに、今登校してきたのだろう。


 卜部さんは小さく微笑し、挨拶を返してきた。


「おはよう、光一郎こういちろう。それで、何でそんなに眠たそうにしているの?」


「えっと……疲れが累積したっていうか……土曜がで、日曜が至剣流の稽古だったから……」


 僕がそうダウナーに言うと、卜部さんは少し申し訳なさそうに、


「……その、ごめんなさいね」


「いいんだよ。僕が勝手にやったことだし。それに……


 そう。卜部さんは今日、ちゃんと学校に来れているし、竹刀と防具も持ってきている。


 学生としても、剣士としても、完全復活したのだと見ていいだろう。


 僕の古臭い座り込みは、ちゃんと意味があったのだ。


 それと…………なんだろう、気のせいかな…………


「な、何よ? 人の顔じっと見つめて」


 バツが悪そうにたじろぐ卜部さん。


 疲れていて言葉を飾るのも億劫だったので、僕は思ったことをそのまま口に出した。


「卜部さん……なんだか前より美人になったね」


「はっ……?」


「えっとね…………前は表情筋……特にオトガイ筋、咬筋こうきん鼻根筋びこんきん前頭筋ぜんとうきんに不自然に力が入ってて、怖い顔してたよ。でも今は違う。不自然な力が表情筋からだいぶ抜け落ちて、もともとの可愛い顔つきに戻ってるっていうか……」


「な、なにをいっているのよ。馬鹿っ」


「ふぎゅ」


 卜部さんは頬を微かに赤くして、僕のほっぺたを両端から鷲掴みにした。


「今日も放課後は稽古なのよっ? それに支障が出ないように、しっかり体を休めておきなさい。どうしても無理そうなら今日はやめておきなさい。自己管理も稽古のうちなんだから」


「ふぁい……」


 僕が了解すると、卜部さんは僕のほっぺたから手を離し、拗ねたように睨んできた。


「一緒に目指すんでしょ? 天覧比剣で優勝」


「……うん。そうだったね」


「ふんっ。分かればいいのよ。じゃあ、またね光一郎」


 そう言って、卜部さんは自分の席へ去っていった。


 元気になってくれてよかった、と思う一方、違和感に気づいた。


 ——光一郎?


 前は敵愾心剥き出しで「秋津あきつ光一郎」とフルネームで呼んでいたはずだ。


 しかし今は、名前だけで呼んでいた。


 ……まぁいっか。別に嫌じゃないし。むしろ険悪だった態度が軟化したみたいで良かったじゃないか。


 些事さじだと流して再び仮眠タイムに入ろうとして、ふと、妙な気配を受信。


「じぃ————っ……」


 エカっぺだ。じとーっと据えた目つきで僕を凝視していた。


「え、エカっぺ……?」


「………………ねぇコウ。卜部さんと何かあった?」


「何か、って……?」


「何かは何かよ。あったんでしょ? ナニカ。でなきゃ、あんないきなり優しくなるわけないもん。何があったの?」


 なんだろう。エカっぺの態度がいつもより怖い。


「え、えっと……卜部さん、学校連続で休んでたじゃん? だから土曜日に、学校に行くように説得したというか……」


「他には?」


「えっと……剣の勝負をした」


「他には?」


「……お菓子を分けてあげた」


「他には?」


「……髪留めをあげた。髪留めが斬られて壊れたのも落ち込んでた原因っぽかったから、そっくりな髪留めを買ってプレゼントした」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ………………」


 エカっぺはそんなドデカイため息を吐いた。


 よく分からないが、ホームルームまで残り十二分。そろそろ寝たいところだ。


「それじゃあ、エカっぺ……ホームルームが始まったら起こしてね……」


「イヤ。ニェット」


「はい?」


「他の人に起こして貰えばっ? 先生とか。きっと起きざるを得ないデカい怒鳴り声で起こしてくれるわよ」


「ええっ!? どうしてぇ!?」


「知らないっ! コウのばか! スケコマシ!」


「すけっ……!?」


 いわれのない口撃に胸を穿たれて硬直する僕から、エカっぺは足取りを怒らせて離れていった。


 な、なんなんだよぅ…………







 ちなみにその日、授業中に何度か爆睡してしまい、先生のお叱りという最高の目覚ましアラームで起こされたのだった。


 エカっぺのご機嫌ナナメも、今日一日中続いた。

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