お昼休み、そして撃剣部部長
「剣術」の授業は、女子生徒の間では不人気第一位らしい。
特に撃剣が大変不人気。
汗をかくからというのも、必然的に女子より体の大きい男子と対することに心理的抵抗感を抱くからというのも、もちろんある。
しかし、不人気の最たる理由は、髪の毛が乱れるからだ。
防具の面を付けるにあたり、手拭いで髪をまとめておかなければならない。その時に大きく髪が乱れてしまうのだそうだ。髪は女子の命。
なので、撃剣の授業が終わると、女子は教室に戻ってくるのが少し遅くなるのだ。
エカっぺもそのうちの一人だった。
なので僕の昼食もそれに合わせて遅れた。
今日の僕の昼食は、エカっぺが用意したお弁当だからだ。
なんでも彼女は料理が趣味らしく、新しい料理を覚えるたびに、それをたくさん作って僕に試食を頼むのだ。ありがたいことなので僕も慎んでご相伴にあずかっている。
エカっぺが戻ってきたのは、お昼休みが始まってから二十分後だった。
とっくに学ランに着替え終わって着席していた僕の元へ、パタパタと慌てて駆け寄ってくるエカっぺ。長袖のセーラー服姿で、肩まで届く程度のショートな金髪が忙しなく揺れている。
「ごめんねっ、遅くなっちゃた! もぉ、撃剣授業の後ってどうしてこんなにめんどくさいのかしら!」
「あ、いいよ、気にしないで。まだ時間に余裕はあるからさ。じゃあ、行こっか」
僕は立ち上がった。教室では級友達の冷めた視線を頂戴するゆえ良い気分になれないので、僕らはよく
が、エカっぺがピョインッと急激に僕と距離を取り、我が身の色んな部位に顔を近づけてわんこのように鼻を鳴らした。
「エカっぺ?」
「いや……あの、汗臭くないかなって」
「別にちょっとくらい気にしないのに」
「あ、あたしは気にするのっ!」
女の子って大変だ。
しばらくして「よし」と納得した様子を見せたエカっぺは、自分のロッカーの鍵を開け、中から風呂敷包みの重箱を取り出した。……彼女は鞄やお弁当を、いつもあのロッカーの中に閉じ込めている。
「前から思ってたけど、そんなところにお弁当入れておいて大丈夫?」
「大丈夫よ、ヒエヒエな保冷剤もたくさん一緒に入ってるから。それに……外に出しておいたら、誰に何されるか分からないじゃないの」
「……まぁ確かに。でもさ、だったら別に無理して作ってこなくてもいいんじゃないかな、お弁当。購買で買うなら、嫌がらせもされようがないだろうし」
「いいのっ。……あんたが実験台なんだからっ。パパとママじゃない、あんたの
「僕、基本的にどんな食べ物でも美味しく感じるシアワセ舌なんだよなぁ。……そうだ! 僕がいつかエカっぺの家に遊びに行った時、出来立てを作ってくれるっていうのはどうかな? それなら誰にも邪魔されないしさ」
エカっぺは一瞬「えっ!」と花咲くような笑みを浮かべたが、その笑みはすぐに焦りというか、羞恥のような表情によって消えてしまう。
「だ、だめだめっ。だめよ、ニェット。パパとママにからかわれちゃうもの」
「からかわれるって、どんなふうに?」
「いや、だからその、あんたがあたしのっ、こ………………あぁぁぁもぉ!! とにかくだめ!! この話終了!! ほら、もぉ休み時間少ないんだからっ、早く行くわよ!」
「遅れてきたのはエカっぺじゃん……」
「ああん!?」
「なんでもないです」
やれやれと思いながら、重箱を持って足早に教室を去っていくエカっぺに追従した。
彼女の歩調はすぐに落ち着き、僕もつられて歩行を遅めた。
遅くなったことで、途中で通りがかった掲示板に貼られている、一枚の紙に目が留まった。
『二〇〇二年度天覧比剣 少年部 八月一日開催!! 帝の御前にて、最高の剣を披露しよう!!』……そう仰々しく書かれた宣伝ビラだった。
思わず立ち止まっていた僕に、エカっぺも合わせて止まり、「あぁ、そういやあったわねそんなの」と思い出したように言う。
「
僕の疑問に、何を言わんや、とばかりな口調でエカっぺが説明してくれた。
「少年部は中学生が出場する部で、一般部は満十六歳以上の人が出場する部。——天覧比剣っていうのは、年に一度、この帝都東京で行われる全国規模の撃剣大会のことよ。少年部は八月に、一般部は一月に開かれるの。試合形式は団体戦。各県の代表団体を予選で決めて、
「帝国神武館って……確か
「そうよ。帝国神武館は知っての通り、
僕は「へぇー」と感心した声を出す。
「よく知ってるね、エカっぺ」
「パパの受け売りよ。……話を天覧比剣に戻すわ。さっきもちらっと言ったけど、天覧比剣は「団体戦」。三人一組で大会参加者として登録しないといけないの。だから参加したいのなら、必ずどこかの団体に所属しないとダメ。ちなみにあたしら中学生が参加するとしたら「少年部」だから、中学の撃剣部に所属して、そこから代表として出場し、予選を勝ち抜いて県代表になって、天覧比剣に参加するという形になるわね」
「なるほどねぇ。そういえば、
「どうなんだろう、って何よ?」
「強いのか、って事だよ」
「うーん……確か去年も天覧比剣の予選には参加してたらしいけど、地区予選、つまり県予選に出るための千代田区代表を決める大会の準決勝で負けちゃったみたいよ」
なんとも評価に困る戦績に、僕は苦笑を浮かべた。
「……それ、凄いのかな」
「少なくとも、部長の
エカっぺがその先を口にしようとした時だった。
「——ウチの部に興味がおありかな?」
僕とエカっぺの耳元へ誰かの顔が割って入り、しっとりした声でささやいてきた。
びくぅ! と僕らは跳び上がり、壁の掲示板に高速で後ずさりした。
先ほどの声の主であろう
美人ではある。しかし可愛らしいというより、すっと爽やかな冷たさを感じさせる面長の美貌。
ショートなエカっぺよりもさらに短い髪は綺麗に
身長はエカっぺと同じ170センチ弱だろう(僕より10センチくらい高い)。スタイルは海外のファッションモデルもかくやというくらい細くしなやかである。その細身の肢体の内に強靭なバネを秘めていることを示唆している、地にしっかり足を着いた立ち方。
困ったように笑ったその表情と仕草さえも、映えて見えた。
「すまないね。ほんの悪戯のつもりだったんだけど、そこまでビックリするとは思わなかったよ」
彼女の声はよく聴いてみると、女子にしては低めだった。なんて言うのかな、ハスキー? って感じのかっこいい声。
明らかに他の女子とは一線を画す存在感を持った彼女に呆気にとられつつ、僕はどうにか
「えっと……誰ですか?」
「私は
噂をすれば影がさすとはよく言ったものだ。
撃剣部の話をしていたら、ちょうどその部長さんが通りがかったというわけだ。
部長さん……氷山先輩は微笑した。可愛いというより、カッコ良さを感じる笑い方だ。歌劇団で男装とか似合いそう。男子ではなく、女子にモテそうな女性だ。
「君達がちょうど我が部の雑談をしていたようなのでね。おまけに、喜んでいいのか分からない評価をされたものだから、ちょっと意地悪でおどかしてみたわけさ。……君達は、二年生だね」
氷山先輩がそう分かったのは、僕の学ランのワッペンとして、エカっぺのセーラー服の左胸の刺繍として施された校章の色を見たからだろう。二年生は緑。三年生は赤だ。
エカっぺが申し訳なさそうに言った。
「ご、ごめんなさい」
「いや、去年の千代田区予選で負けてしまったのは事実だからね、構わないよ、エカテリーナ・
僕とエカっぺは二人同時に目を見開く。
その反応に、氷山先輩は呆れたように笑った。
「この学校じゃ有名なんだよ、君達二人は。伊藤さんはこの学校で唯一のロシア人というだけで否が応でも目立つし、そんな子といつも一緒にいる秋津くんもまた同じく目立つ」
まぁ、確かに……
そこで氷山先輩はころっと話題を変更させた。
「ところで、我が部は今年も天覧比剣を目指すつもりで、現在即戦力を探していてね。……ふむ、伊藤さんは背丈もあって、見た感じ鍛え方も悪くないようだ。だがそれ以上に……秋津くん」
「は、はい?」
「君はかなり良いな。中学生でこの水準はそういない。ウチの
氷山先輩が間近から僕を観察してくる。探るような視線に居心地の悪さを若干感じるが、それ以上に近くにやってきた彼女の冴えた美貌に緊張を覚えた。……すごく綺麗でかっこいい人だなぁ。それに爽やかな良い匂いがする。
気が済んだのであろう先輩は一歩退がると、僕とエカっぺの肩へ同時に手を当て、意気込みをもって勧誘してきた。
「どうかな? よかったら我が撃剣部に入らないか? 君達なら文句なしに即戦力になれるぞ。一緒に帝の御前を目指さないかい?」
僕とエカっぺはきょとんとしてから、少し間を置き、申し訳なさそうに言葉を返した。
「え、えっと、いきなり言われても返事はできかねるといいますか……」
「あ、あたしも……」
それを聞いて、氷山先輩はおとがいに手を当てて「ううむ」と残念そうに唸った。
「まぁ、ちょっとでもその気があったら少し考えてみてくれ。天覧比剣の地区予選は五月末だ。まだ多少時間はあるからね」
それじゃあ、と笑いかけると、氷山先輩は颯爽と去っていった。
重心が安定しており、頭の高さも常に水平な、とても綺麗な歩き方だった。
先輩の姿が曲がり角の奥に消えた途端、僕はかすれた声で、
「……なんか、すごかったね」
「うん。すっげー綺麗な人……ドキドキした」
エカっぺはお弁当を持ってない方の手を胸に当てて、ため息のように言った。
よく見ると、エカっぺの口元は少しだけ、嬉しそうにほころんでいた。
「それに、あの人……あたしを見ても嫌そうな顔をしなかった」
……なるほど。
少なくともこの学校のほとんどの生徒が、ロシア人であるエカっぺに対して厳しい目を向ける。初対面であれ、既知であれ。
侵略者の人種だから問答無用で排斥しろ、という感じの単純な人もいるだろうが、中には実際に十一年前の戦争で家族を失った人もいるから、あまり悪し様には批判できなかったりする。
いずれにせよ、色眼鏡無しで自分に真っ直ぐ接してくれる人間が、彼女にはとても新鮮で、そして尊く感じたのだろう。
僕も嬉しくなり、思わず口元がほころぶ。
しかし、すぐにお腹の虫が鳴き、ささやかな感動に水をさす。
同時に、忘れていた予定を思い出させた。
「あ、エカっぺ、早くご飯食べなきゃ」
「そうね。行こ行こっ」
僕らは並んで廊下を歩き始めた。
——ちなみに、エカっぺが作ってきてくれたのは、チリコンカンだった。
すごくおいしかったです。
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