進級、そして撃剣
帝国の義務教育の中には「剣術」というものがある。
その「剣術」の授業は、主に二種類存在する。
——まず一つ目は、「至剣流型稽古」。
今や日本一の規模を誇る剣術大流派『至剣流剣術』は、宗家である嘉戸一族によって大正時代から学校教育にねじ込まれた。
明治時代からのその働きかけに、政府当局は最初こそ乗り気ではなかったものの、国粋主義的な気風が国民に醸成されてきたのを見て、剣術という純国産文化を通じて日本の結束を高めようという目的で導入されたのである。
至剣流の正式な門人が今や百万人を超えるのは、その学校教育で最初に至剣流を知ったからという点も大きい。
——そしてもう一つは、「
撃剣とは、防具を着て、竹刀を用いて打ち合う擬似戦闘的な剣術稽古法だ。
西洋人に「
それでも剣術を形骸化させまいと当時の剣士らは苦心し、竹刀と防具を用いた稽古を考案した。これが撃剣の始まりだ。
明治時代になると、剣術の衰退に引っ張られるように撃剣も下火になっていくが、大正時代に至剣流の必修化がなされると撃剣の熱も再燃。当時の
そして現在では、学校の剣術科目の一つに選ばれている。
これは競技としてだけではなく——帝国の国民皆兵制を成り立たせるための「下敷き」である。
西洋諸国では徴兵制を廃止する国が増えているが、帝国では今なお男子は二十歳になったら徴兵検査を受けることが法律で決められている。
理由はひとえに、隣国であるロシアの存在だ。
ソ連が内戦によって崩壊してロシア連邦に生まれ変わり、日本が世界最強の軍事大国アメリカと同盟を結んだとはいえ、それで日本側の警戒心が解けるわけではない。事実、現ロシアの中核を担う人材の多くは、旧ソ連にて高官を務めていた者達なのだから。
とはいえ、国防費をあまり人件費に無駄遣いできないという事情ゆえに、徴兵検査で合格する確率は十パーセントにも満たない。
しかしそれでも受かる人は出る。
その時、戦いのやり方を最低限知らなければ、訓練もうまく進まないのである。
だからこそ、義務教育の段階で、最低限の「戦技」を学ばせておく。
そのための撃剣である。
酷い言い方をすれば、
無論、子供に人殺しの方法を教える事を反対している「寝た子を起こすな」論の人は一定数存在する。
しかし、人というのは殺し方を知らなくても、案外簡単に殺せるものだ。
「寝た子を起こすな」いう理屈では、毒にも薬にもならない。
いや、むしろどこをどうしたら死んでしまうのかが分かっていれば、相手への気遣いも出来る。
知識を与えない、考えさせないことは、悲劇を防止する方法にはなりはしない。そんなものはただの現実逃避である。
————まぁ、全部
西暦二〇〇二年四月十二日、金曜日。
僕——秋津光一郎は、無事に二年生へと進級していた。
始業式を迎えたのは四月八日。
クラスは二年一組。
そして今日、僕達二年一組は、進級して最初の剣術授業を受けていた。
内容は——「撃剣」だった。
「イャァァ!」「トゥッ」「ハイッ!」
あちこちから発声が絶えず聞こえてくる。
気合に満ちた声もあれば、やる気に欠けた声もある。……義務教育でやらされている撃剣のため、やる気に差があるのは致し方ない。
撃剣授業では、クラス内で三人一組を作り、他の組と練習試合を行う。
三人一組……すなわち、先鋒・次鋒・大将だ。
組同士で戦い、先に二勝した組の勝利である。
その形式で、現在この稽古場では三箇所で試合が行われている。
三人一組。
僕はその形式から、ある出来事を連想させた。
——そう、忘れもしない。去年の十月、僕の学ぶ剣術『望月派至剣流』の存亡をめぐって嘉戸宗家と戦った「三本勝負」である。
知っている人は極めて少ないが、『至剣流』は二種類に分かれている。
一つ——嘉戸家が宗家として、伝承制度と免許状授与を一手に管理している『嘉戸派至剣流』だ。
学校の剣術授業や、嘉戸宗家認可道場で教えられているものがこれにあたる。
一般人では「嘉戸派=至剣流」というのが普通の認識だ。
けれどこの『嘉戸派』には、残酷なカラクリがある。
二十四ある型を高次元まで練り上げ、その先にある己だけの最強の剣技『至剣』を掴む……それが至剣流の理念だ。
しかし嘉戸宗家は二十四の型を無駄に増やして五十にして、それを門下生に教えた。
そのせいで「至剣を生み出す」という権能が薄められ、至剣を開眼させるのが難しくなってしまったのだ。
なので一生涯を修行に費やしたとしても、至剣を開眼させられる人間は非常に限られている。
こんなことをしたのは、ひとえに『至剣』という剣技の価値を高め、なおかつそれらを一族のほとんどの者が習得している嘉戸宗家を特別視させ、結果的に至剣流そのものの価値を高めるためだ。
……剣術の冬の時代といえた近代日本で伝承を絶やさぬための苦肉の策だったとはいえ、真摯な気持ちで入門した門下生に嘘を教えて真伝を独り占めする嘉戸宗家のやり方には、残念ながら好感は持てない。詐欺と変わらないからだ。
そしてもう一つの系譜こそが——僕の学んでいる『望月派至剣流』だ。
これを教えているのは望月家だ。……そう、十一年前のソ連軍の侵攻を食い止めた帝国軍の名将の一人、望月源悟郎の一族だ。僕はその望月先生に剣を学んでいる。
『望月派』は、昔の至剣流を全く改変せず、そのまま伝えている。
余計な型を混ぜて薄められた『嘉戸派』のソレと違い、順序を守って地道に修行していれば、いつか必ず『至剣』は手に入る。
本来ならば、この『望月派』を多くの人に広めて真伝を残すべきではあるが、望月先生は心臓が悪いため多くの弟子を抱える余裕が無い。
なおかつ『望月派』を広めようものなら、嘉戸宗家が自分達の利益とメンツのために黙ってはいない。『嘉戸派』の門人は官民・政財界に死ぬほどおり、その影響力は計り知れない。本気を出せば『望月派』などという零細流派は簡単に踏み潰せるだろう。
『嘉戸派』との三本勝負に勝ったことで、『望月派』への永久不干渉が約束されたが、それでも何度もいうように望月先生はお身体の具合がよろしくないので無理は出来ない。
先生の義理の娘さんであり、僕の初恋の人(現在進行形)である螢さんも、免許皆伝者であるため教伝資格を有しているが、他人への伝承にはあまり乗り気ではない。
……なんというか、あの
「——ほら、コウっ。突っ立ってないで早く行ったっ」
背中を叩かれたことで我に返る僕。
叩いたのは、僕が「エカっぺ」と呼んで親しむ金髪碧眼の女子生徒、エカテリーナ・
彼女は稽古着の上に、
僕も、そんなエカっぺと同じ格好をしている。……稽古着は持参だが、防具と竹刀は学校側の貸出し品である。
僕はこれから先鋒として、相手組の先鋒と練習試合をするのだ。
ちなみに僕の組だけは、三人ではなく二人だ。
僕とエカっぺの、二人。
エカっぺとは去年のクラスから一緒の友達だ。今年も同じクラスになれて僕は嬉しかったし、エカっぺもとても嬉しそうだった。……彼女は僕以上に喜んでる感じがしたが、それはきっと自惚れだろう。
しかしエカっぺはロシア人。すなわち十一年前に侵略してきた敵国の民族だ。彼女に対する生徒達の目は決して暖かくはない。彼女と仲良くしている僕に向けられる目もまた同じ。
まあつまり、この撃剣授業で組を作るにあたり、どこの組にも入れてもらえずミソッカスとなってしまったのである。そのミソッカス同士で組んで、僕が先鋒と大将の二役を務めるということで、どうにか三人一組の
「頑張れー! やっちまえコウ! こてめーん!」
エカっぺが
相手の組の先鋒と、遠間で向かい合う。僕よりも背が頭ひとつ分以上に高く、体格も悪くない男子だった。
「……うるせえ露助だな。おい、秋津だったか。黙らせろよ。お前の女だろ」
太く声変わりした男子の発言に、僕はムッとした。
その苛立ちを、ことさらな笑顔に変換し、言い返した。
「じゃあ僕を剣でやっつければいい。そうすれば凹んで黙るかもよ」
「……このガキ」
「同い年でしょ」
彼は、上等だ、と吐き捨て「正眼の構え」を取った。
僕も同じように「正眼の構え」。
中段で真っ直ぐ構えられた竹刀の剣尖を通し、男子の姿を見据える。
——撃剣のルールは、以下の通りだ。
面・小手・胴……これらの部位のいずれかを竹刀で打つか、もしくは突けば一本。実際に刀で斬られれば致命傷となる部位だ。
さらに剣だけでなく、投げや崩しといった
それらいずれかの手段で、先に二本を取った選手の勝ち。
審判役には、闘う双方の組ではない、他の組の生徒が買って出ることになっている。公平を期すためだ。
「——始めっ!!」
その審判役の一声とともに、僕らの先鋒試合が同時に開始された。
「ィヤァァァ!」
始まるや否や、男子は時計回りで竹刀を振り回し、太刀筋を全身にまとうようにしながら急迫してきた。あれは至剣流の『
対し、僕は右足を引いて、右耳の隣で竹刀を垂直に構えた。「陰の構え」だ。
相手の『旋風』が間合いへ触れた瞬間、僕は「陰の構え」から手の内を一気に絞り、鋭く前へ切っ尖を走らせた。
「うぉっ!?」
火花が散るような速度で打ち放たれた僕の『
『石火』を終えた僕の切っ尖はすでに彼の面を向いていた。
足を素早く進め、
「……一本」
審判役の生徒が、どこか呆然とした声で僕の一本を告げた。
それからすぐに二本目の勝負が始まる。
相手の男子はムキになったようで、再び勢いよく迫ってきた。
「右上段」に竹刀を振りかぶり、袈裟懸けに振り下ろしてきた。……おそらく、『嘉戸派』の至剣流に伝わっている左右切り返しの型『
そうはさせない。
「いっ……!?」
僕は急激に手の内を絞りながら、身を鋭く捻った。
刀身を震わせて弾くような防御と、反撃の刺突。それらを一拍子に凝縮させた型、『
今度はその場から全く動くことなく、一本をとってみせた。
「……い、一本」
審判役が、唖然とした様子でそう告げた。
先鋒戦は、僕の勝利だ。
相手の男子は吹っ飛ばされた竹刀を拾うと、僕を見て何事か毒付いて去っていった。……「露助のイヌッコロ」と聞こえた。
さらに審判役の面の奥からも舌打ちが聞こえてきた。
周囲から見ていた他の級友達も、口々にささやき合っていた。内容はよく聞こえないが、好意的な発言でないことは雰囲気で察せる。
やれやれ、と僕はため息をついた。
勝ったというのに少し落ち込みながら僕は戻ろうとしたが、ふと今度は別の方向からささやき声が聞こえてきた。
また陰口かと辟易しつつ聞こえないフリを試みようとするが、少し違和感。
そのささやき声からは、少し楽しげというか、はしゃいでいるような、そんな響きがそこはかとなく感じられた。
気になったので見た。……声の元は、近くの壁の隅に固まった五名の女子生徒である。
各々がつけている防具のせいで表情はよく見えないが、全員僕をチラチラ見て何か話しているのは分かった。
「秋津くんって……ねぇ?」「なんか、あれだよね」「ちょっといいよね」「うんうん」「ちっちゃいけど、結構強いし」「いや、結構どころじゃないよ。撃剣じゃうちらの学年で一、二を争うっていう噂だし」「あと、よく見ると愛嬌のある顔してるし」「あと、他の男子に比べて気も利くし」「ていうか、あのロシア女とつるんでるのに目をつぶれば……かなり良くない?」「別にあのロシア女と付き合ってるわけじゃないらしいよ」「うっそ? やだー、じゃあちょっと狙ってみようかな?」
ところどころ欠けて聞こえるので、何の話をしているのかよく理解できない。僕が、いったいなんだろう……?
「おふっ」
不意に、脇腹に固いものがぶつかった。
見ると、いつの間にか隣にはエカっぺが立っていた。彼女が僕を肘でぶってきたのだ。
僕より十センチ近く高い背丈の彼女の顔を見上げる。面金の向こうには、気丈そうでありつつ愛嬌のある色白の顔立ちが見える。しかし、今は不機嫌そうに唇を尖らせている。
「エ……エカっぺ?」
「なにかしら」
「いや、それはこっちの台詞なんだけど……」
エカっぺは「むぅ」と拗ねたような唸りを出すと、ぐいっと腕を引っ張ってきた。
「ちょ、エカっぺっ? まじでどうしたのっ?」
「次、次鋒のあたしの番でしょ。コウの出番はいったんおしまいだから下がるのっ」
「そうだけどっ……エカっぺ、なんか怒ってる?」
「怒ってないし」
「怒ってるじゃん」
「怒ってねーってば! このスケコマシ!」
「す、すけっ?」
身に覚えのない言われように、僕は呆気にとられた。そこをズルズルとエカっぺに引きずり込まれる。
その時だった。
「——ェイイイッ!!」
稽古場のざわめきを斬り裂くほどの気合が込められた掛け声。女の子の声だ。
僕とエカっぺだけでなく、クラスのほぼ全員がその音源へ視線を移した。
他の組同士の試合だ。
そこでは、男女の生徒が闘っていた。
どうやら女子の方の勝ちで一本目が終わって、今から二本目に入るところのようだ。
「正眼の構え」を取る男子。
女子の方は、右足を後方へ引き、右耳の隣で竹刀を立てて構えた。
「あれは「陰の構え」? それにしては、剣が後ろに傾いているような……?」
至剣流の構えの一つ「陰(もしくは陽)の構え」は、耳元で構えた剣を垂直にする。
しかしあの女子の構えは、剣がやや後傾している。
両足の歩幅も「陰の構え」より少し大きく、かつ深い。
「陰の構え」が苦手なのか、という考察は浮かばなかった。……なぜなら、あの構え方がしっかりと練られたものであることが、一目で分かったからだ。
「始めっ」という審判役の号令とともに、双方が動いた。
正眼に構えていた相手の男子が、素早く一歩前へ出る。
その過程で竹刀を後ろへ隠した「
歩き方に付随した滑らかな構えの変更。
間違いなく学校教育以外でも至剣流を学んでいる「慣れた動き」だ。
だが、女子の動きは、もっと正確で最低限だった。
前にある左足を右斜め後方へ退げて、体の位置を小さく右へズラす。
その足さばきによって『波濤』の延長線上から紙一重で身を逃しつつ、右に立てて構えていた竹刀を袈裟懸けに放った。
——結果、男子の『波濤』は外れ、同時に女子の袈裟斬りが男子の面を打っていた。
「後の先」の雛形とも呼べる彼女の見事な一太刀に、審判役も「い、一本……」と動揺した声で彼女の勝利を告げた。
男女は開始位置へ戻り、一礼し、それぞれの組へ退がっていった。
「……あの技、至剣流じゃないわね」
エカっぺの硬い呟きに、僕も頷いて同意を示す。
彼女の使う剣は、絶対に至剣流ではなく、別のモノだ。
それが何であるかも気になるが、それよりもまず。
「あの女の子、誰だっけ」
二年生に進級してまだ一週間しか経っていないので、級友の名前はまだ覚えきれていない。
ため息をつくような声で、エカっぺは答えた。
「
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
大正天皇が「撃剣いいね!」したというのは作者の作り話です。主上は病弱であらせられました。
刀剣は好きだったそうですが。
今作は剣術モノであり、そして歴史IFモノでございます。
今作の撃剣は、現実の剣道と同じく防具竹刀を用いますが、ルールは異なります。
・剣道は技が統一されておりますが、撃剣はその人の剣術が使えます。
・なので撞木足もオーケー。
・竹刀が防具に当たれば一本と、判定が緩めです(技の統一がされていないため)。
・稽古着も、好きな色や柄を選んでも良い。花柄でも、ピ◯チュウ柄でも無問題。
江戸期の竹刀剣術に近い感じです。
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