『蜻蛉剣』

 ————西暦2001年 11月10日 午前十一時。




 


 望月家の敷地内にある、小さな稽古場。


 季節が巡り、確かな冷たさが宿り始めたそこの空気は、シンと張り詰めていた。


 稽古場の中心にいるのは、僕とほたるさんの二人。


 お互いに稽古着に着て、遠間を取って向かい合い、「正眼の構え」を取り合っていた。


 木刀の切っ尖の向こう側で同じ構えをしている、黒髪黒眼の小柄な美少女。

 一本も拡散せずに一律の流れを保っている綺麗な長髪。

 澄んだ深い泉のように静かに輝く瞳。

 通った鼻筋と花弁のような唇。

 踏まれた形跡のないまっさらな雪原みたいな白い肌。

 細身だがその細さの中に強固な芯めいたものを感じさせる、硬軟併せ持った名刀のごとき四肢と佇まい。


 彼女と出会い、慕い始めてからすでに三ヶ月。だけど未だにその姿は見飽きないくらいに美しい。


「——とうとう、この日が来ましたね」


 僕は弾んだ気持ちを抑制し、努めて静かにそう告げた。


「この日、って?」


 螢さんが、上品な鈴の音みたいな声で尋ねた。


 僕は微笑した。だった。


「あなたと、お付き合いをする日です」


 張り詰めた周囲の空気を、再び強く実感した。


 何を隠そう、その空気を生み出しているのは、螢さんだからだ。


 稽古場の壁際には、望月先生、エカっぺ、そして香坂こうさかさんの三人が立っており、三者三様の表情で僕らを見守っていた。


「……コウ君、あなたは、本当に強くなった。だから……わたしもとうとう本気で臨まないといけないかもしれない」


「はい」


「だから、あなたも……どうか本気で。駆け引きなんて用いず、あのでかかってきて」


 必勝の剣——言われずとも、それを使うつもりだ。


 あれだけが、僕が螢さんに勝利できる、唯一の手段だからだ。

 

 しかし、勝つための手段がある。


 僕が、螢さんに、だ。


「もちろんです。——では、いきます」


 構えに、心身の力を込め、充実させる。


 剣尖の向こう側で同じ「正眼の構え」を取った螢さん。

 その存在感が、急に重々しいものに変わった。

 この稽古場の中に存在する重力が、彼女の足元に集中しているかのよう。まるでブラックホールだ。


 ごくり、と唾を呑む。


 気を引き締める。


 勝ちに行こうと、強く思う。


 やがて、望月先生が、雷鳴のごとき一声で勝負の幕を開けた。


「————始めっ!!」


 瞬間、僕は駆け出した。


 真っ直ぐ、螢さんへ向かって。


 僕は今日こそ——あなたを振り向かせてみせる。


 この技で。この『至剣』で!


「いでよ!! 僕の『至剣』——っ!!」

 

 僕は風のように螢さんの間合いへ踏み入り——












「————っはっ!?」


 


 視界いっぱいに広がっているのは、黒ずんだ木の天井。望月家の稽古場の天井だ。稽古の休憩中にいつもぼんやり眺めていたからすぐに分かった。


 僕は、稽古場の床で仰向けになっていた。


 あれ? 僕、螢さんと勝負してたはずじゃ…………いてて、なんだろう、おでこが妙にジンジン痛む。


 パチパチと目をしばたたかせて今の状況について考えていると、頭の違和感に気づく。稽古場の床は平面のはずなのに、頭が少し持ち上がっている。あと、後ろ頭の下が妙にやわらかい。


「あんた、大丈夫?」


 視界の左端から、ショートな金髪を揺らした碧眼の女の子がヌッと顔を出した。異人の血が混じっているであろうその色白の顔に、心配そうでありつつもどこか呆れを含んだ表情を浮かべている。


「……エカっぺ?」


 そこで僕はようやく、エカっぺに膝枕をされて寝ていることを自覚した。


 彼女が今着ている稽古着のはかま越しでも、その太ももの柔らかさとあったかさが頭に伝わってきて、寝心地は良いのだが、


「えっと……僕はどうしてこうなっているのでしょうか」


「どうしてって、そりゃ、あんた——」


 エカっぺが説明しようとしたのを、香坂さんがからかった声で遮った。


「そりゃお前、望月のお嬢が買って出ようとしたお前の介抱役を、そこのロシアの嬢ちゃんが強引にぶん取ったからに決まってんじゃねぇかよ! ふはははっ、女の戦いだねぇ!」


「黙んなさいよこの二刀流馬鹿!!」


 顔を赤くして反駁はんばくするエカっぺ。


「えっと……やっぱり僕、負けちゃったの?」


 僕のぼんやりした問いに、右隣で正座をしていた螢さんが「うん」と告げてきた。……心なしか、自分の膝元を物足りなそうに見下ろしていた。


 エカっぺが、でかいため息をついてその先を継いだ。


「あんた、のよ?」


「…………あ!!」


 思い出した。


 僕は、そうやって自滅して、そのままぶっ倒れたんだった。


 『至剣』を、使うことなく。


 ——いや、違う。


 使わなかった、のではない。


「…………『至剣』が、使





 †




 『望月派』の存亡を賭けた嘉戸かど宗家との戦いから、ひと月が経とうとしていた。


 もはや奇跡と呼んでいい方法で『望月派』が勝利したことで、起請文きしょうもんに記した通り、嘉戸宗家による『望月派』への不干渉が約束された。


 もともとは零細流派であった『望月派』への温情と侮りによって暗に守られてきたことが、きちんと明文化された文章の形をとって守られることになったわけだ。


 病院にお見舞いに来てくれた螢さんにそのことを聞いた僕は、率直に「約束、破られたりしないでしょうか」という懸念を伝えた。


 そう思うのは仕方のないことだった。確かに勝負には勝って約束はされたけれど、それでも嘉戸宗家の影響力は絶大なのだから。虎がねずみとした約束を律儀に守るとは、僕には考えにくかった。


 そんな僕の懸念に、しかし螢さんは断言した。


「心配いらない。そんなことをしたら、武芸界において体面を著しく損なうのは嘉戸宗家の方。起請文とはそんなに軽い契約ではない。神仏に誓う契約なのだから」


 日本神道は、現体制においては「宗教にあらず」という扱いである。そうすることで、たとえキリスト教やイスラム教などの異教を信仰する日本人でも、みかどという現人神あらひとがみを崇められるようにして、挙国一致を為すためだ。それでもなお庶民の間ではそれはあまり知ったこっちゃない感じで、帝都の外の村落では今なお氏神うじがみなどへの土着信仰が根強い場所が少なくない。同じように、武芸者の間における「信仰」も、形を変えることなく根強く残っているのだ——


 それが、彼女に同行してきた香坂さんの弁だ。理屈はよく分からないが、とりあえず大丈夫であるということは分かった。……毎回思う。香坂さんは不良の皮をかぶったインテリだ、と。


 僕は病院のベッドでひとまず安堵した。


 そう、病院だ。


 輝秀てるひでにボッコボコにやられた僕は二週間ほど入院になった。思ったよりも短かい期間だった。


 その間、エカっぺと螢さんは毎日見舞いに来てくれたし、ギックリ腰で入院していた隣のお爺さんとも将棋を指したりしていたので、入院生活はまったく退屈しなかった。


 螢さんから、望月先生のその後のご容体について聞いた。命に別状は無く、僕より短い入院期間で退院できるそうだ。それを聞いて、僕の中の心配事が全て解消された。


 あっという間に入院期間は過ぎ、僕は退院となった。が、その後も病み上がりなのですぐには稽古はできなかった。それでも剣術から離れているのが嫌だったので、せめて見取り稽古だけでもと望月家には顔を出した。


 退院後、最初に望月家へ訪れた僕は、予想外の光景に面食らった。


 なんと、望月先生に新たな門弟が増えていたのだ。


 それも二人。僕の知っている人達だ。


 誰あろう——エカっぺと香坂さんである。


 エカっぺは望月派至剣流を、香坂さんは二天一流を学ぶことになったそうだ。


 もともとエカっぺは剣術に興味があったけど、彼女がロシア人であることが原因でどの道場も門前払いされてきた。しかし望月先生なら人種的理由でそでにはしないだろうと、先生が退院したその日に弟子入りを志願した。そして思った通り、あっさり許してもらえたそう。弟子入りしたその日からすぐに稽古を始めたそうだ。


 しかし、香坂さんに関しては、弟子入りをする前に「みそぎ」を求められた。


 禊とは……『雑草連合』の解散である。


 剣術とは元来、闘争術である。ゆえに闘うことは否定しないが、いたずらに争うことは許さない。だから、二天一流を学びたいのなら、そのような環境からは足を抜くことだ——それが望月先生が香坂さんへ提示した、弟子入りの条件だった。


 言われた通り、香坂さんは『雑草連合』を解散した。そしてどうにか、望月先生の弟子になれた。


 望月先生が二天一流を皆伝していたことにも驚きだったが、それが香坂さんのと同じく「五方ノ形ごほうのかた」のみを伝えた純粋な二天一流であるのだから、これはもはや運命と言う他無いだろう。


 本格的な稽古は右腕の怪我が完治してからであるそう。香坂さんは早くやりたそうだった。


 ……とまぁ、こんな感じで、僕に妹弟子と弟弟子ができました。


「やれやれ。すっかり賑やかになってしまったな、この家も。忙しい老後になりそうだ」


 そう言った望月先生のお顔は、どこか嬉しそうだった。


 しかし僕はまたも心配事を抱いた。


 望月先生は命に別状こそ無かったものの、主治医から言われたそうだ。「激しい運動はなるべく控えるように」と。


 それなのに、こんなに弟子を増やして、先生のお身体は大丈夫なのだろうか。


 そう心配する僕の頭を、大きく硬い手で撫でた。


「わしがお前さんに教えていた時、一度でも苦しげにしたことがあったか? 心配するな、この程度なら大丈夫だよ」


 子供みたいに笑って、そう告げたのだった。





 †





 そして、今日に至る。


 退院後初の稽古を始める前に、僕は螢さんに再戦を求めたのだ。


 今の僕には『至剣』がついている。だから、勝てる。そう思っていた。


 しかし僕の『至剣』は、あの金色の蜻蛉トンボは、全く姿を現さなかった。


 起き上がった後、さらに何度も試したものの、やっぱり金の蜻蛉は音沙汰無しだった。


「そんなぁ……」


 どでかいため息をついて消沈する僕。


 そんな僕の肩を、エカっぺがぽんぽん叩く。


「まーまー、コーウっ♪ そんな簡単に覚えられるもんじゃないって。あの時は奇跡みたいなもんだったのよ。元気出しなさいって。ね?」


 妙にニコニコしたエカっぺに、僕はむっと唇を尖らせた。


「……なんかエカっぺ、嬉しそうじゃない?」


「そ、そんなことないわよ」


 焦って否定するエカっぺだが、その顔はやはりなんだか嬉しそうに見えた。


 なんだよぅ……僕の成長を応援してくれるんじゃなかったのかよぅ……


 そこで、望月先生が歩み出てきた。


「コウ坊、お前さん、その「金の蜻蛉」を?」


 先生のご指摘に、僕はいじけ根性が吹き飛ぶくらい驚いた。


「…………はい。実は、嘉戸宗家へ抗議に行く前の日に」


 ——金の蜻蛉になり、武人の群れが発する刃を次々とくぐりぬけ、螢さんの指先に止まる夢。


「妙にハッキリした夢だったので、まだ鮮明に覚えています」



 納得した様子で重く頷くと、望月先生は説明した。


「——至剣流の修行者は、全く同じ夢を何度も見ることがある。その夢は、妙にはっきりとしていて現実感が強く、いつもその内容が変わらない。その夢は、、それを示唆するものだ。を学んでいた場合、この夢は早い段階から見ることができる。その内容は人によって、良い夢でもあれば、悪夢であることもある……」


「そうなんですか……ちなみに望月先生はどんな夢を?」


「泰山府君に一太刀で斬り殺される夢だ」


「とんでもない悪夢じゃないですか」


 僕が引き気味に言うと、望月先生は苦笑を漏らしてから、真面目に言った。


「夢枕に見た光景から、剣の奥義を開眼する——剣術の世界ではそのような話が数多く存在する。特に夢というのは、その人間の潜在意識を表すこともあるものだ。いわば、。そして『至剣』とは、その人間の内から生まれるもの。与えられたものを練り上げ、あらゆる動きを己のモノとし、それらを材料として、己が本当に手に入れたい技を己の内で構築する——コウ坊、お前さんがあの日『蜻蛉剣せいれいけん』を使ったのは、修行期間を考えれば奇跡ではあるものの、だったのだ」


 『蜻蛉剣』——僕の『至剣』を、螢さんがのちにそう呼んだのだ。僕も気に入ったし、何より螢さんが下さった名前なので、この名前を採用することにした。


 僕にだけ視える金の蜻蛉が宙に飛んで描く、「必勝の軌道」。

 そこへ己の剣をなぞらせることで、その剣に「必勝」を与える。

 己の剣を必ず勝利へと導いてくれる、最強必勝の剣技。


「螢から聞くところによると……お前さんは輝秀氏との勝負で、満身創痍で、今にも倒れそうになっていた。極限状態に置かれると、人は心身ともに「本物」をさらけ出すという。お前さんは滅多打ちにあって地獄を見たことで、潜在意識の中に眠っていた『蜻蛉剣』を顕在化させたのかもしれん。……すまんが、わしが分析できるのはここまでだ。なにせこのようなことは、至剣流の歴史をさかのぼっても他に例が無いのでな。『四宝剣』しか学んでいない至剣流剣士が、一時的にとはいえ『至剣』を使った例など」


 望月先生はそれっきり、『蜻蛉剣』に関してこれ以上の追求はしなかった。渋面を保ったままになる。


 僕は螢さんへ視線を移した。彼女もふるふると無表情でかぶりを振る(可愛い)。


 ……お二人がこの様子なのだから、本当に前代未聞のことなのだろう。僕のやってのけたことは。


 しかし、それで解けない疑念をしつこく追求し続けることも、「前代未聞のことをやってのけた僕って凄いんだ!」と増長することも、僕にとっては不要だった。


 ——僕は嘉戸宗家の免許皆伝者に勝利し、螢さんの大切な『望月派』を守れた。


 それだけで、僕は十分だった。死にそうになった甲斐があったというものである。


 話の軌道を変えるためか、望月先生が壁のアナログ時計を一瞥してから、改まった声で言った。


「さて、これから稽古を始めよう——と言いたいところだが、その前にコウ坊、お前さんに渡したいものがあるんだ。ちょっとこっちに来なさい」


 望月先生は道場の奥の床の間——香取鹿島両神の名が描かれた掛け軸がかけられ、刀を乗せた鹿角台が置かれている——の前へと移動する。僕もそれについていった。


 望月先生は僕へ向き直る。向かい合うとやはりその背丈は見上げるほどに大きい。


 そして、ずっと片手に持っていた一枚の紙を、両手で僕へと差し出してきた。何度も折りたたんで小さくしたような、長方形の紙だ。


 先生は、いつもの気さくな喋り方ではない、荘厳な声色とともに告げた。





秋津あきつ光一郎こういちろう。貴殿に、この切紙きりがみ免状を授与する」




 突然そう告げられ、僕は唖然とした。


「お前さんが輝秀氏に勝ったのは、確かに奇跡のような側面が大きい。しかし、輝秀氏に向かって振るっていたお前さんの『四宝剣』は、すでに及第点と呼べるくらいに練られていた——これは螢の弁だ」


 先生のお言葉に、僕は螢さんの方を思わず向いた。


「一般的には明かされていないけれど、至剣流の切紙免状の授与条件は「『四宝剣』による基礎の構築」。あなたはそれをたった一ヶ月でやってみせた。わたしよりもずっと速く」


 螢さんの鈴音のような声色が、そのように説明してくれた。


 ぴゅぅっ、と香坂さんが口笛を吹く音。


 望月先生が微笑んだ。


「コウ坊、受け取りなさい。お前さんにはその資格がある。しかしここで浮かれてはならんぞ。お前さんは今、ようやく至剣流剣術の「入り口」に足を踏み入れたに過ぎんのだ。本番はむしろここからだぞ。く能く精進することだ」


 祝いつつも緩みを許さない発言。


 言われるまでもなく、僕は全く気持ちが浮かれることがなかった。


 というか、自分もいつか免状をもらうのだということを、今になって思い出したくらいだ。


 僕の目標は、螢さんに勝つことなのだ。


 螢さんが、僕にとっての奥伝目録免許皆伝なのだから。


 失礼だが、免状というのは、僕にとっては単なる道案内の看板に過ぎない。


「ありがとうございます。慎んで受け取ります」


 僕は一歩前へ出て、免状を両手でそっと受けとった。


 望月先生も満足したように頷くと、ややバツが悪そうに笑いながら言った。


「それともう一つ、わしからお前さんへ祝いの品というか……感謝の品を贈りたいと思う」


 先生は「螢」と呼びかける。その短い呼びかけに込められた意味を了解したように螢さんは頷くと、稽古場から出て行った。しばらくして戻ってきた彼女の手には、一振りの刀が握られていた。


 螢さんはその刀を、望月先生へ手渡す。


 さらに先生はその刀を、僕へと差し出した。


「——この刀を、お前さんに授けよう」


 それを聞いて、僕は切紙免状を渡された時より、ずっとうろたえた。


「そ、そのようなものを僕なんかに……?」


「お前さんにこそ、だ。切紙免状を得た祝いと、命をかけて『望月派』を守ってくれたことへの感謝としてな。切紙にまでなったのに、愛刀の一振りも無いのでは、格好がつかぬだろう?」


 いいから受け取れとばかりに前へ押し出してきたので、とりあえず僕はなおもうろたえつつもその刀を両手で受け取った。


 ずっしりとした重みが両手にかかる。人の命を容易く断ち切る、最強の刃の重み。


 光沢のある朱鞘しゅざや。柄は黒い柄巻に包まれている。


 が施された透かし鍔。


「抜いてみるといい」


 望月先生にそう勧められたので、僕は切紙免状を螢さんに預けた。左手で鞘を目線で水平に持ち、右手で柄を握ってゆっくりと引き抜いた。


「あ……!!」


 僕は刀身を見て、大きく目を見張った。


 冷たく、静謐に光る美しい刀身。刃文は直刃すぐは。窓から差す陽光を当てると、細かい粒子のような地沸じにえがひっそりときらめく。


 なにより。


 刀身に刻まれた——トンボの彫刻。


 枝に止まったオニヤンマが精巧に刻まれており、陽光を反射してプラチナのごとく美しく輝いていた。


 それを見た瞬間、僕の心臓が大きく高鳴った。


「どうだ? 立派な『蜻蛉剣』だろう? お前さんにちょうどピッタリかと思ってな」


 悪戯に成功した子供のように笑いながら、望月先生はうそぶいた。


 香坂さんが感嘆のにじんだ声で言った。

 

「へぇ、こいつは良いモンだ。望月師範、製作者は誰ですかい?」


「分からぬ。なにしろ無銘なのでな。途中で銘が擦り消えたという可能性もあるが」


 どうでも良かった。


 誰が作ったかなんて、僕にとっては些事さじだった。そもそも僕に刀剣の知識なんて皆無だ。


 鍔と刀身に刻み込まれた、蜻蛉。


 それだけでも、望月先生が自分の使い古した刀をただポンと渡しただけではないことが、よくわかったからだ。


 この刀が僕に相応しいと思い、授けてくれたのだ。


 こんなに嬉しいことは無い。


「…………ありがとう、ございます……!」


 瞳に涙が浮かび上がり、こぼれ落ちる。


 右手に集中する刀の重みを味わう。嬉しい重みだ。


「これこれ、泣くのは構わんが、まず鞘に納めなさい。危ないぞ」


 望月先生の苦笑気味な言いつけ通りに、朱鞘へと納刀する。


 一つに戻った愛刀を、僕は愛おしく抱きしめる。


「コウ坊よ。わしが今日譲り渡した『蜻蛉剣』は、あくまでも「道標」だ。本物の『蜻蛉剣』は、お前さん自身の中にある。これからも精進し続け、いつか本物の『蜻蛉剣』を手に入れてみせろ。


 望月先生はかつて言った。


 『修行を続けても徒労に終わるかもしれない』と。


 しかし、今は違った。


 精進すればいつか叶うと、そうおっしゃったのだ。

 

 至剣流皆伝の時が、僕自身の望みが叶う時であると。


 僕の中にいる『勝ち虫』が——いつか「初恋」に届くと。


 視線が、その「初恋」の方を向く。


 





 「初恋」は、普段は絶対見せないような、はにかんだ微笑を返してくれた。








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 最後までお読みいただいた奇特な読者の皆様、ありがとうございました!


 この「帝都初恋剣戟譚」はひとまずここで完結となります。


 正直、温存しているネタや構想はたくさんあるのですが、それらはバラバラで上手くくっつき合わない状態で、一筋の物語にできる状態にありません。

 数々の失敗の経験から、自分がストーリーの終始をきちんと作っておかないと失敗するタイプだと分かりました。そのことを痛感しておりますゆえ、バラバラの状態で場当たり的に使う戦略だと高確率で挫折すると見て、ここで一度完結という判断をさせていただきました。


 有難いことに、なろうの方では継続を望む声が寄せられておりまして、作者も心がメトロノームのごとく揺れております。

 続きが書かれるかもしれませんし、書かれないかもしれません。

 それでも、コウ君の一つの戦いは幕を下ろしました。

 そしてこれ以降もコウ君のやる事は変わりません。『蜻蛉剣』と、螢さんのお尻を追いかけることのみです。


 単純一途でちょっとえっちな、何をやるのか想像のしやすい子なので、どうか想像の中で好きなように暴れさせてあげてください。


 皆様にまた拙作を届けられる日を楽しみにしております。





 


新免ムニムニ斎

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