三本勝負《二》
ちょっと長いです。
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「ィヤァァ!!」
化鳥じみた気合とともに疾駆し、
『
仏典に記された伝説の大鳥の名を冠したこの技は、一般の至剣流においては五十ある型の一つに過ぎないという扱いだが、宗家にとっては違う。
この型は「高級剣技」に位置する型の一つだ。
『
直撃すれば、人の身はおろか、岩すら削り取るだろう。
そんな一太刀が、一人の少女に向かって振り下ろされる。
並の剣客ならば、防御どころか反応すらできず打ち殺される……真剣ならば斬り殺されるだけだろう。
——だが、少女は小さく身を横へ動かすと同時に、自分と『迦楼羅剣』との間に己が木刀を割り込ませた。
『迦楼羅剣』のエネルギーを受けた木刀が強烈に弾かれる。それは螢の頭上で瞬時に円を描き、一周する形で雷蔵めがけて戻ってきた。
ここで『
しかしながら、苦し紛れで出した型な上に、螢の太刀は先ほどの雷蔵の『迦楼羅剣』のエネルギーを借りているため、明らかに力負けしていた。
結果、木刀同士が衝突した瞬間、雷蔵の巨躯が軽々と吹っ飛んだのだった。
その時のやり取りは——わずか一秒未満の間に行われた。並の人間には、何が起こったのか見当がつかなかったに違いない。
後方へ足を滑らせ、ブレーキをかけてから、雷蔵は一笑した。
(なるほど……やはり噂に
呼吸を整え、気を沈める。まるで密封された容器の中に火を閉じ込めるように。
——『望月派』の三人は、長兄の
あの三人の中で一番の足手まといは
であれば、どうするか。……言わずもがな。光一郎を一番最後にし、残った二人で二勝を獲りにいく。
さらに残った二人の順番も、予想ができる。
……望月螢を先鋒に添える。
これは、初戦で確実に勝ちを獲りにいくためだ。
ゆえに、初戦で確実に勝ちを拾い、残った源悟郎に全てを託す。
螢・源悟郎・光一郎——寂尊は『望月派』の順番をそう予測し、そしてその通りにしてきた。
木刀を握る雷蔵の手に、ギリリと万力のごとき力が宿る。
(初戦で確実に勝つ、か————舐められたものだな)
そんな思惑通りにはさせない。
そのような小賢しい謀など、この鍛え抜いた剣腕で一刀両断してくれよう。
絶対に勝つなどと無言で宣言している目の前の傲慢な小娘に、引導を渡してくれよう。
——ああ、そういえばこの小娘は「自分よりも強い者をこそ夫に」などと吐かしていたな。であれば自分が真っ向から打ち破り、
螢もこちらの殺気の再燃を感じたからか、「正眼の構え」に戻っていた。
真っ直ぐではなく、迂回するように徐々に距離を近づけていく。
螢もそれに合わせて、
まるで一つの渦に引っ張り込まれるような軌道で、二人は少しずつ近づいていく。
途中で、互いに構えを逐一変えて己の隙を潰し合う。
やがて、二人の間合いが重なろうとした、次の瞬間。
「トォォォァァ!!」
雷蔵が動いた。
螢も動いた。
雷蔵は鋭く近づきつつ、凄まじい速さで木刀を連続で打ち込んだ。
嵐の空に幾度も雷光が瞬くさまに似たその連撃の名は『
一発一発が光じみた速さで、あらゆる角度から螢へとひっきりなしに殺到し続ける。
だが、螢はそれらを全て剣で受け、または躱していた。
彼岸花の
『
太刀筋を纏うように振るというのは『
この型は『霹靂神』と違い、攻防一体が売りの技だ。連撃の速さでは『霹靂神』に劣る。
だが、
(この小娘、
手数の少なさと遅さを、鋭い「読み」と、『曼珠沙華』特有の小回りが利く歩法で補っている。……相手の剣を防ぐ直前にその次の太刀筋を予測し、防ぎながら身を逃している。
いつもの無表情のままそれを淡々と行う螢に、雷蔵は敬意と敵意を同時に抱いた。
なんという胆力。なんという緻密さ。なんという的確さ。
——同じ剣術を学んでいても、熟練すると、人間によって個性が現れる。
螢の今見せる剣技は、「望月螢」という人間そのものを現していた。
氷山のように冷めきって揺るぎない精神。それを中枢とした、流麗で無駄の無い太刀筋。
「嘉戸雷蔵」の剣技は、ソレとはまるで対照的だった。
細かい「読み」や謀は用いず、圧倒的な手数と力でねじ伏せる。雪崩のごとき連撃で、攻撃を潰し、防御も潰し、剣士本体も潰す。風林火山の「火」のみを重んじた戦術。
今まで戦った相手は、みなそのように制圧してきた。
しかし、今、これまでのやり方が通用しない剣客が、目の前にいる。
そのことに感動を覚えたし、同時に憎らしさも覚えた。
——若干十六歳で、これほどの域に達するとは。
この娘に、今までの戦術は通用しない。
雷蔵はすぐにその結論に達した。
であるならば、どうする?
——『至剣』を使う他無い。
であるなら、一度距離を取らなければならない。自分の『至剣』は、発動までに僅かにだがロスタイムが存在するからだ。
「ィヤァァッ!!」
雷蔵は『霹靂神』をやめ、『旋風』の動きに転じた。竜巻じみた太刀筋を纏って螢の『曼珠沙華』とぶつかった。
螢はぶつけられた剣の衝撃をそのまま自身の回転力にベクトルを変え、その旋転の勢いで木刀を薙いできた。そんな懲りずに繰り出された『風車』の一太刀に、雷蔵は火花が弾けるような一太刀『
螢の『風車』に込められた威力は、雷蔵の『旋風』のソレとイコールだ。
そして今雷蔵が放った『石火』は、それよりも威力が高い。——『旋風』を用いたのは、螢が『風車』で威力を跳ね返してくる可能性を見越した「
『風車』は、二連続で威力を跳ね返すことはできない。直前に取り込んで旋転に利用した威力と、次に受けた威力とがぶつかり合ってしまうからだ。二度目の受け流しはあり得ない。
雷蔵の『石火』に、螢の『風車』は押し負け、吹っ飛ばされるはずだった。
だが次の瞬間、驚くべきことが起きた。
お互いの太刀がぶつかり合う寸前、螢の太刀に込められた鋭さが爆発的に増したのだ。
その結果、
「ぬっ……!?」
雷蔵の巨躯が、後方へ跳ね飛んだ。
体勢を立て直すのに並行して、雷蔵は直前の出来事について思考する。
——螢の『風車』の太刀筋の中に突如生まれた、新たな勢い。
あれは『石火』の力だ。それも、極限まで動きをコンパクトにした『石火』。
型の動きを小さくしたのは、別に驚くべきことではない。熟練すれば、教わった動き通りにせずとも、その型の威力が引き出せるようになる。現に雷蔵も、螢と同じように小さな動きで『石火』が出来る。
真に驚くべきは——二つの型を完全に「調和」させたことだ。
『風車』が元々持っていた勢いと喧嘩させることなく、絶妙な力加減で二つの型をシームレスに繋げて、二つの勢いを一つにした。
それがどれほど難しいことなのか、至剣流宗家に名を連ねる雷蔵はよく知っていた。
型の中に、別の型の動きを混ぜるのは、基本的に悪手だ。複数の型の勢いがぶつかり合い、肉体の硬直を招くからだ。その硬直は、一瞬であっても敵にとって絶好の隙となる。
二つの型の合力。そんな難易度の高い芸当をこの土壇場で平然とやってのける技巧と胆力。
そんな少女は、雷蔵が跳ね飛ばされたのを好機とばかりに、急激に詰めてくる。
雷蔵は螢に対する見解を誤っていたことを悟る。
この娘は、冷え切った精神を核に、美麗で緻密な剣技を放つ剣客ではない。
——この娘は、水そのものだ。
せせらぐ小川のように優しくもなれれば、濁流のように激しくもなれる。柔らかくもなれれば硬くもなれる。静と動、硬と軟、異なる姿を一つに併せ持った水そのものだ。
それから二人は、何合と剣を交える。
時に緩、時に急。時に柔、時に剛。一定した顔を持たず、あらゆる性質に水のごとく千変万化を繰り返す螢の太刀筋。
暴風を吹かし、ひっきりなしに明滅と雷撃を繰り返し続ける荒天のような、雷蔵の太刀筋。
その剣戟は、一見すると、拮抗しているように見えたが、
(いかんな……このままでは、俺が先に精魂尽き果てる……!)
雷蔵は、この膠着状態は長続きしないと確信していた。
体力の問題だ。
別に、雷蔵の方が老いていて、体力が無いという話ではない。雷蔵は今年で三十になる。日々の修練もあって、体力的にはまだまだ余裕がある。
問題なのは、体力の使い方だ。
力と手数で敵をねじ伏せるという戦い方は、確かに勝負を短期で決着させやすいが、もしうまくいかなかった場合はエネルギーの凄まじい浪費となる。
対し、螢は違う。
女の身であるため、体力的には成人男性の雷蔵に劣る。しかしそんな劣る体力を、螢の剣技は非常に効率良く使っている。事実、今雷蔵の猛攻を凌いでいる螢の顔に、疲労の色どころか汗の一雫すら浮かんでいなかった。
——妖怪め。
やはり、勝つためには『至剣』を使う他無い。
なので、ひとまず雷蔵は、今の行動方針の最優先事項に「螢と距離を取ること」を添えた。
そのためには、自ら攻撃を受けるという恥すらいとわない。
雷蔵は剣を交えながら、機会を待った。
やがてその「機会」は訪れた。
螢が繰り出してきたのは『
雷蔵はその『鎧透』の延長線上で木刀の柄を構え、両足から力を抜いた。
剣尖が雷蔵の柄に激突した瞬間、二メートルに達する雷蔵の巨躯はものすごい勢いで吹っ飛んだ。
「ぬぅっ……!」
両足から力を抜いたことで威力は殺せたが、それでも刺突に込められた重みは絶大だった。明らかに女の刺突ではない。
それでも、距離は稼げた。
雷蔵は受け身を取って立ち上がると、すぐさま『至剣』を発動させた。
「ふぅぅぅぅっ……!!」
源泉がものすごい高熱を持った蒸気を吹き出すような、呼吸。
心音が大きく、速くなる。体が急激に熱くなってくるのを実感する。
——『至剣』というのは、技というより、身体機能に近い。
使う時、己の体の中で「スイッチ」を切り替えるような、そんな感覚で使う。
そこに、従来の型にあるような理屈は、いっさい存在しない。
ただ「それが出来る」だけだ。
だから「あなたの『至剣』は体をどのように使えば出来るのだ?」と問われても、免許皆伝者は誰一人満足に説明できない。
江戸時代、とある至剣流皆伝者が、己の『至剣』の謎を己で解き明かすことに生涯を捧げ、晩年期に新たな剣術を創ったという話があるが……それも噂の域を出ない。
だが、なににせよ。
すでに、雷蔵の『至剣』は発動した。
(————『
雷蔵は悠然と歩む。
構えもせず。
螢は構えを取り、それを逐一変えながら、少しずつ近づく。
まだ、両者の距離は十メートルほどもある。遠間。
しかし——その距離が、一気に埋められた。
雷蔵は螢の背後に移動していた。
「——っ」
螢はハッとし、ほぼ反射的に『旋風』を用いた。
渦巻く太刀筋。それが真後ろへ走った瞬間、螢の木刀を凄まじい重みが殴りつけた。
「っ……!?」
吹っ飛ぶ螢。この試合で初めての驚愕。
受け身を取って構え直すも、すでに雷蔵の巨躯は近くまで迫っていた。
螢は『
だが、雷蔵の姿が突如消えた——真横から迫る横薙ぎ。
螢は木刀の柄で、その横薙ぎを防御。木刀から手根、肩、背中、足、床へと威力が電撃的に伝わる。体軸を活かし、威力をアースのように床へ逃がせた。
反撃に転じようとする螢だが、またしても雷蔵の姿が消失。背後から木刀が急迫する感覚。
再び防御。だがまたしても背後へ瞬時に回られ、
「あぐっ……」
蹴りを浴びた。
どうにか防御することができたが、雷蔵に比べてはるかに小柄で華奢な螢は軽々と転がる。
仰向けに倒れた螢に、雷蔵が『
轟然と、深々と振り下ろされる木刀。
螢は木刀を眼前で横一文字に構えつつ、両足の裏を用いて雷蔵の両手を受け止めた。それによって雷蔵の一太刀の威力は大幅に落ち、苦し紛れの構えでもどうにか受け止められた。
仰向けのままである今の状況は芳しくない。しかしそれでもなお、螢の顔に焦りはいっさい無い。
螢の観察眼は、すでに雷蔵の身に何が起こっているのかを見抜いていた。
磨かれた黒曜石のように
(明らかに、先ほどまでに比べて拍子が減っている……)
剣客同士の戦いは、剣だけでなく、駆け引きも含まれる。
相手をよく観察し、その相手の動きが刻む「
螢もまた、雷蔵と剣を交えつつも、その動きが持つ「拍子」を読んでいた。
だからこそ、今の雷蔵の異質さに気づいた。
——四拍子で行われていたはずの動きが、一拍子で行われている。
それはすなわち、今まで一動作を行うために費やしていた時間で、四動作を行っているということだ。
「動作の短縮」という行為自体は不可能ではない。「一動作に二動作の性質を与える」だけなら、二刀流になれば可能だ。一動作で攻撃と防御を同時に出来る。
けれど、四動作を一動作の時間で行うのは明らかに異常だ。
言うなれば、生来持つ両腕の他に新しくもう一対腕を増やし、四本となった腕全てに木刀を握って操るようなものだからだ。
(持ち味である圧倒的な手数をさらに増やすための、身体機能の底上げ。……それが、この人の『至剣』の正体)
螢は劣勢な中でも、冷静にそう分析した。……雷蔵の顔が異様に赤いのは、心拍数が凄まじく高まっているからだろう。
冷静に分析できたからこそ思った。——早めに決着をつけなければ、圧倒的力押しで自分が負けると。
雷蔵が再び木刀を動かす前に、螢は雷蔵の筋骨隆々な両腕に抱きついた。手足で堅く締め付けるようにし、体重を思いっきり横へ傾けた。雷蔵の腕ごとその全身を引っ張り、体勢を崩させるためだ。いかに速く動けようと、体勢が崩れれば一時的に隙が出来る。その間に距離を取る。
「ぬ——おおぉぉぉぉ!!」
だが、『至剣』を発動させた雷蔵の膂力は想像以上だった。全体重をかけた螢の崩しを強引に止め、そのままハンマー投げの要領で思いっきり投げ飛ばしたのだ。
螢の華奢な体が、大きく、軽々と、宙を舞う。
それを雷蔵が、強化された瞬発力にモノを言わせた爆速で追う。
螢は受け身を取って体勢を立て直すと同時に、木刀を真後ろに隠すように構えた。「裏剣の構え」だ。
雷蔵の赤鬼のような形相が、視界の中で急激に大きくなってくるのを見据える。
しかし、螢は微塵も揺るがない。
(————わたしは、望月螢
「美冬」。
至剣流宗家出身の皆伝者に与えられる「
その「美」の他に、もう一つの字を自分で決める。好きな文字でもいいし、自分の人生の目標を表す文字でもいい。
螢は「冬」という字を諱に加えた。
全てを失った十年前の「冬」——その時の過酷を決して忘れず、剣客としての己の基盤とするために。
今は、銃や戦闘機、ミサイルなどが戦争の主役だ。刀という武器は、百年近く前の日露戦争を最後に戦場での主役の座から降りている。現在の帝国陸軍ではすでに機械化がはるかに進んでおり、明治期の面影は見られない。
どれほど剣技を磨こうとも、銃やミサイルには敵わない。
百錬成鋼の剣豪は、素人の押す発射ボタン一つによって容易に
しかし——そんな理屈は、「牙」を磨くことを怠る免罪符にはなりはしない。
時代遅れな武器しか持っていなくとも、日和ることなく、賢く果敢に侵略者と戦い、生き残った『
微力と無力は違うのだと、彼らは教えてくれた。
ちっぽけな牙でも、敵の喉元を食いちぎって殺せる。
細い針でも、肋骨の隙間を潜り抜け、敵の心の臓を刺し貫くことができる。
だから螢は磨いた。己の「牙」を。
そして、この技を身につけた。
この技は。
この『至剣』の名は。
(————『
一閃。
まるで世界そのものに線を引き、上下に切り分けるような、一閃。
それが、直前までの螢の立ち位置から、雷蔵の立ち位置までを、一瞬で結んだ。
そう。一瞬。
およそ十メートルという距離を、文字通りの一瞬で詰めた。
最初に雷蔵が見せた『迦楼羅剣』すらひどく鈍く思えるほどの、尋常外の速さ。
それに付随して発せられた太刀筋の鋭さは、刃が無いはずの木刀に斬れ味を与えるほどにまで研ぎ澄まされたものだった。
その横一閃の太刀筋は、構えられていた雷蔵の木刀を透過し、その喉元の薄皮一枚前で止まっていた。
ごとん。
雷蔵の木刀の片割れが床に落ちる。真剣で斬ったのと遜色無い、滑らかな断面。
桁外れに速く、桁外れに鋭い一太刀。
単純ではあるが、それゆえに攻略が非常に難しい、最速最強の一太刀。
それが、神殺しの剣と同じ名を持った、螢の『至剣』の正体であった。
「…………見事」
雷蔵は、そう一言告げる。
悔しげで、しかしそれ以上に強い敬意のこもった声だった。
勝者————望月螢。
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