三本勝負《三》

「…………すごい」


 僕はあんぐり開いた口を閉じれずにいた。


 なんという、練度。

 なんという、攻防。

 なんという、技巧。

 なんという、神業。

 なんという、剣戟。


 ほたるさんが勝利できたことにはひとまず安心だが、申し訳ないけど、僕はそんな勝利より、目の前で繰り広げられた達人同士の凄まじい戦いに対する衝撃の方が強かった。


 雷蔵らいぞう氏も凄かった。爆弾が何度も爆発し続けるようなあの激しすぎる速攻。僕だったら十秒と保たないかもしれない。急に顔が真っ赤になったと思った後にさらに強まった速攻だったら、一秒未満かも。


 しかし、そんな速攻に顔色ひとつ変えず冷静に対応し、勝利を納めてみせた螢さんはもっと凄かった。


 何より、最後に螢さんが見せたあの一太刀。瞬きするよりも疾く、木刀なのに斬れ味が宿ってしまうほどの、あの一閃。……おそらく、あれが螢さんの『至剣』なんだ。


(これが、免許皆伝者同士の戦い……)


 勝ったというのに、僕の中では、ショックというか、悲観というか、そういうものが渦巻いていた。


 螢さんの見せた、圧倒的な実力。


 ——強いだろうとは、思ってたけど、これほどとは思わなかった。


 僕は、「あれ」に挑もうとしているのか。


 雷蔵氏に対しても勝てないと分かるのに、その雷蔵氏に勝ってしまった螢さんに、僕は挑もうとしているのだ。




『君はあの子に勝たんと燃えている。しかし、それはもしかすると、生涯叶わないかもしれぬ。決して掴めぬ空の虹を老いさらばえるまで追い続け、やがて掴めぬまま果てるかもしれぬ。君の歩む剣の道は、そんな虹を追うがごとき「徒労」に終わるかもしれぬ。——そんな果てしない「徒労」に、己の終生を賭ける覚悟があるか?』


 


 かつて、望月先生に弟子入りする時、言われた言葉。


 あの言葉が持つ本当の意味を、今、知った気がした。


 僕は、「徒労」を犯そうとしているのではないか。


 僕は、棒切れ一本で天災に挑もうとしているのではないか。


 僕は、一生かかっても、螢さんに届かないのではないか——


「コウ坊」


 望月先生に肩を触れられ、僕は我に返った。


「気持ちは分かる。だが、今は目の前の戦いをどうにかすることに、心身の全力を注ぐべきだ。……お前さんがいつか螢に勝つ道も、


「望月先生……」


 どこまでも穏やかな先生の言葉に、緊張していた僕の気持ちがほぐされる。


 そうだ。未来に行うであろう螢さんとの勝負は、


 この戦いに負けてしまえば、『望月派』は解体しなければならなくなる。


 もしそうなれば、僕は望月先生に教えを受けることはできなくなるだろう。宗家は嘉戸家一つに戻り、免状も、その発行権も奪われる。教伝資格も奪われる。それは流派の消滅を意味する。


 そうなった時、自分を失意から立ち直らせてくれた『望月派』の消滅という現実を目の当たりにした時、螢さんはいったい何を思うのか……察するに余りある。


 僕は、自分の事しか考えていなかったことを今恥じた。


 男だったら、惚れた女性をモノにできるか云々よりも、まずその女性の幸福を考えるべきだろう。


 剣士としては未熟でも、せめて男としては立派でありたい。


「勝った」


「うおぁっ!?」


 いつの間にやら隣に来ていた螢さんに今更ながら気づき、僕はびっくりして跳ね上がった。……男としても、まだまだかもしれない。


「お、お疲れさまでした」


「ん」


 僕の労いの言葉に螢さんが小さく頷く。流派の存亡を賭けた戦いなのに、彼女の様子は普段と変わらなかった。


「……さて、螢も頑張ったことだし、次はわしの番だな」


 望月先生は着ていた羽織を螢さんへ預け、肩を回しながら大稽古場の中央へ目を向ける。


 『嘉戸かど派』は、雷蔵氏と入れ替わる形で、長兄の寂尊じゃくそん氏が出ていた。


「ではな。——勝ってくる」


 そう言って、望月先生は去っていった。


 僕はそれを、何も言わずに黙って見送った。


 ——「がんばれ」と言わずとも、あの人ならば全力を尽くすと思ったから。






 †






 次鋒戦。

 寂尊対源悟郎。





(……俺の予想通り、望月閣下を次鋒に添えてきたか)


 大稽古場中央。寂尊は距離を離して向かい合っている源悟郎の威容を見て、そう思考した。


 そう、「予想通り」である。


 『望月派』が、次鋒を源悟郎に任せるであろうことは、簡単に予想できた。


 まず、秋津光一郎は明らかな戦力外。『望月派』でまともに戦えるのは、螢と源悟郎のみ。


 であれば、光一郎は無用な怪我を負わせぬよう大将に添え、残った二人で二勝を獲りに行くのが大前提。


 となれば、まずは『望月派』の中で最強といえる螢を先鋒に添えて、確実に一勝を得る。……そして、それは先ほど見事成功した。


 螢が一勝したところで、残る一勝を源悟郎に任せる。


 『望月派』がそう来ると思ったからこそ、次鋒は寂尊が買って出た。


 何故か?




 ——源悟郎の『至剣』に耐え得る者が、寂尊しかいなかったからだ。




 『泰山府君剣たいざんふくんけん』。

 鍛え抜かれた構えを見せ、その姿を真っ向から見た相手の精神に強烈なショックを与えるという『至剣』。


 十年前の日ソ戦にて、彼が襲いかかってきたソ連兵を『泰山府君剣』で触れずにショック死させたことは、軍部では非常に有名な話だ。そして軍部にいる至剣流門下から、嘉戸宗家もその話を聞いている。


 体ではなく、精神を殺す剣技。


 もはや剣術というより、呪術に近いものだ。


 ——源悟郎は必ず、初手から『泰山府君剣』を使ってくる。


 これは悲観論ではなく、ほぼ確定した未来だ。

 

 が、源悟郎にはあるからだ。


 そして……源悟郎と対する者は、その『泰山府君剣』に耐えられる人間でなければならない。


 アレを受けるには、剣の腕云々より、心の練度が必要だ。それが無ければ、ソ連兵と同じ末路を辿りかねない。


 それが、嘉戸三兄弟の中で一番適任なのが、寂尊というわけだ。


 無論、寂尊も「必ず耐えられる」と思うほど尊大ではない。確かに適任ではあるが、必ず耐え切れる保証は無い。


 だが逆に言うと、


「————始め!!」


 香坂伊織の号令がかかった。


 途端、


「ぬんっ!!」


 マグマの塊を呑み込んだような重厚な気合とともに、源悟郎が大上段に構えた。


 寂尊が思わず一瞬見惚れてしまうほど、見事な構えだった。


 全身の何処にも凝りが無く、垂直に立った切っ尖から足底にかけて重力が滞ることなく流れている。さらにその重力に対する反力が足底から切っ尖までを滞りなく伝わり直立を促している。まさしく天地の間に打たれた「人」というくさび


 次の瞬間、




 寂尊の首が、胴体から転がり落ちた。




 ——来た!!


 寂尊は、技の到来を確信した。……


 かと思えば、今度は心臓のある位置を、刀が貫通。明らかな致命傷。

 かと思えば、今度は全身が燃え上がり、火だるまになる。

 かと思えば、大型トラックの全力疾走に衝突され、腸をまろび出して死ぬ。

 かと思えば、雲に届く高さから千代田区の靖国通りに落下し、全身がバラバラに砕けて血と肉片をばら撒く。

 かと思えば、飛行中に不具合を起こした帝国空軍の戦闘機がピンポイントで落下し、機体もろとも全身がグチャグチャになる。


(これが…………『泰山府君剣』か……!!)


 拳銃を咥えて己の延髄を撃ち抜いて死ぬ。

 象に頭を踏み潰されて死ぬ。

 戦車の主砲に撃たれて全身を砕かれて死ぬ。

 あらゆる己の死に様が、無限に、写実的に、寂尊の精神に入り込んでくる。


 ——呑まれるな。


 落石で首だけを潰されて死ぬ。


 ——これは幻だ。


 股から頭部までを杭で串刺しにされて死ぬ。


 ——世界に漂う「気」を感じ取れ。そこから世界の存在を認識しろ。


 四肢を車裂きにされて死ぬ。


 ——認識に全精神を集中させろ。


 ひぐまはらわたを食い荒らされて死ぬ。


 ——目の前の泰山府君に、頑として「否」と言い続けろ。

 

 五十口径に撃たれて上半身が血煙となって死ぬ。


 ——否。否。否。断じて否。


 介錯無しで切腹し、数時間苦しみながらじわじわと死んでいく。

 



 俺は————!!




 瞬間、

 

 口で、鼻で、この世界に満ちた酸素を貪る。


 嗅ぎ慣れた匂い。嘉戸宗家の大稽古場の古木の匂い。


 それから、己の見ているものも実感した。


 見事な上段の構えを見せる望月源悟郎。


 大稽古場の端で自分と源悟郎の戦いを見守る、『望月派』、嘉戸宗家の面々。


「……我が『泰山府君剣』を、耐えるか」


 源悟郎は、驚いた表情と声で、独り言のように言った。

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