三本勝負《一》

 『望月派』の存亡を賭けた三本勝負は、嘉戸かど家の敷地内に存在する大稽古場で行われることとなった。


 望月家にある稽古場の十倍以上の広さを誇るであろう場所だった。

 窓から差し込む正午の陽光が、黒ずんだ床に刻まれた数々の傷を浮かび上がらせていた。

 一番奥の床の間には、香取鹿島両神の名を大きく描いた二つの掛け軸と、鹿角ろっかくの台に据え置かれた刀。


 この稽古場が、数多くの皆伝者を生んだのだろう。……宗家の内輪だけで真伝を独り占めして。


 まず、勝負の前に行われたのは、起請文きしょうもんの作成だ。

 

 起請文とは、神仏にかけて、約束事を交わすための文書のことだ。

 両者の間で交わす約束事を紙に記し、互いの血判を押すことで成立する。

 そこに記された約束事を破った者には天罰が与えられる。

 ……宗教が退潮し、科学が世界を支配している今の時代でもなお、日本の武芸者の間では重い契約として扱われている。


 さらに、この勝負を見届け、その結末の証人となる立会人たちあいにんを立てることとなった。


 選ばれたのは、香坂こうさかさんだった。


 彼はどちらかというと『望月派』寄りの考え方だが、剣の勝負となれば話は別だ。宮本武蔵を自流の開祖として尊崇している彼にとって、勝負とは甘えや忖度の許されない聖域。たとえ『望月派』が負けたとしても、彼は決して自己欺瞞や誤魔化しには走らない。


 それから最後に——試合に出る人の順番を決めた。


 先鋒、次鋒、大将。ここにそれぞれ入る人を決めた。


 これが、『望月派』にとって一番重要なことだった。


 なぜかというと、だ。


 望月先生とほたるさんに比べ、僕は明らかに弱い。弱すぎる。


 『嘉戸派』の三人は、全員が免許皆伝者だという。そのうちの誰か一人と当たったら、ほぼ間違いなく負けるだろう。


 僕が勝負に出るということは、『望月派』が一敗することに等しい。


 そうでなくても、これは真剣勝負だ。大怪我もするかもしれない。下手をすると死ぬかもしれない。特に免許皆伝者の剣だ。その凄まじさは想像もつかない。


 なので、僕は必然的に大将に置かれることになった。


 この三本勝負は、である。つまり、望月先生と螢さんで勝ちを得てしまおうという算段である。


 こうして決められたのが、以下の順番だ。


 先鋒——望月螢

 次鋒——望月源悟郎げんごろう

 大将——秋津あきつ光一郎こういちろう


 『嘉戸派』が決めた順番は以下のとおり。


 先鋒——嘉戸雷蔵らいぞう

 次鋒——嘉戸寂尊じゃくそん

 大将——嘉戸輝秀てるひで


 両派の剣士が、神前で向かい合う。


 香坂さんが、その両派の間に立ち、宣言した。


「——この俺、香坂伊織いおりは、立会人として神仏に宣言する。この勝負において、いかに血が流れようとも、いかなる損害が起ころうとも、一切の遺恨を残さず、今日の出来事を生涯黙し続けることを」


 その言葉とともに、勝負は始まった。








 まずは、先鋒同士の勝負。


 すなわち、螢さんと雷蔵氏。


 二人は大稽古場の真ん中あたりで、遠間をとって向かい合っていた。


 螢さんは変わらず葦野女学院ヨシ女のセーラー制服だが、雷蔵氏は濃紺の稽古着に着替えている。


 その二人以外は、全員稽古場の端まで下がっていた。


「……身長差、凄いわね」


 僕の右隣に立つエカっぺが、そうこぼす。


 まったく同感だった。


 螢さんと雷蔵氏……二人の背丈はまさしく、子供と大人という表現すら役不足なほど差があった。


 女子としてもやや小柄な螢さんに比べ、雷蔵氏はまさしく巨人だった。


 濃紺の稽古着に身を包んだ、骨太で大柄な肉体。あの剛腕で首を絞められたら、螢さんなんか窒息どころか首の骨が折れてしまいそうだ。


「嘉戸雷蔵氏の身長は二メートルだそうだ。わしよりも高い」


 左隣に立つ望月先生の言葉に「にっ……!?」とびっくりする僕。


「——だが、螢は自分より大きな相手と何度も戦い、そして勝ってきた。あの子は身贔屓を抜きにしても、百年に一人の天才だ。体格差くらいで、あの子の剣力は揺るがないよ」


「望月先生……」


「むしろコウ坊、お前さんはこれを「良い機会」だと思うべきだろう。……相手は至剣流の免許皆伝。螢が今まで剣を交えてきた相手の中ではおそらく指折りだ」


「つまり……」


、ということだ」


 その言葉に、僕の中ではすっかり身長差に対する不安がなくなっていた。


 螢さんの、本気の実力。


 それが、見れるかもしれないのだ。


 僕にだって分かる。僕はいままで螢さんと二度剣の勝負をしたが、彼女はいずれも手加減してくれていた。螢さんくらいの剣客ならば、僕の実力がいかに低いか一目で分かるはずだろうから。


 だけど、今彼女と相対しているのは、彼女と同じ免許皆伝者だ。


 実力も高く、おまけに『至剣』も使える。


 である以上、螢さんとて本気で挑まないわけにはいかないだろう。


 つまり、僕からすると、本気が見れるということ。


 ごくっ。喉が鳴る。


 僕という弱者のせいで綱渡りじみたものとなった『望月派』の三本勝負なので、最初は気が気でなかった。だけど今は、別の意味で緊張していた。


 


 僕はそれを信じて疑っていなかった。


 しかし、ただ勝つだけではない。真の実力を見せて勝つのだ。


 彼女を本気にさせられる剣客は、この国には数えるほどしかいないだろう。


 ——確かに、これは得難い機会といえた。


 やがて、二人は木刀を構えた。……ちなみに今回の勝負で使う木刀は、嘉戸側が全て用意してくれた。細工がされていないことは、疑り深さに定評のある香坂さんが確認済みだ。


 螢さんは「正眼の構え」。

 雷蔵氏は、片足を退いて刀身を体の真後ろへ隠した「裏剣りけんの構え」。


 それを確認すると、香坂さんが声高に告げた。


「これより、先鋒試合を開始する。では————始め!!」


 開始の一声が鋭く発せられた次の瞬間、


「ィヤァァ!!」


 遠くにいたはずの雷蔵氏が螢さんの間合いへ急激に踏み込み、木刀を真後ろから凄まじい勢いと速さで振り下ろしてきた。まるで落雷のような一振りだ。


 当たったかと思った瞬間、耳をつんざくような激しい木音が響いた。


 かと思えば、雷蔵氏が後方へ吹っ飛んでいた。


 螢さんは、ほとんど最初の立ち位置から動いていない。


(…………え? 今、何が起こった?)


 最初に、勢いよく攻めかかったのは雷蔵氏だったはずだ。


 そのはずなのに、彼が弾き飛ばされている。螢さんが何かで反撃したことくらいは分かる。


 でも、その「反撃」が、全く見えなかった。


 



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 今作では、起請文のような宗教的儀式が現代の武芸界でも結構重要視されております。

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