第89話 白に消え行く影を追って

 そして……



——2日後——



 早朝……



「……あれ、おかしいな。確かにこっちの方に来たと思ったけど……」



 アインは朝靄が発生する中、空を掻き分け黒外套の人物を追っていた。しかし……濃い霧が立ち込める状況では、そんな彼の捜索行為は困難を極める。


 頼りになるのは白く霞む視界の中、遠くに薄らと確認できる黒い影。


 アインの目は、スキル【鷹の眼】によって非常に優れていた。スキルとはこの世界に生きる存在にとって一種の特技のようなモノだ。先天性で生まれつきスキルが備わっている者もいれば、技術を磨き得意な分野を伸ばすことで、ある日突然——身につく者もいたりする。はたまた、人によっては「スキル」とはこの世界の主神【女神ルーナ】様が与えてくださった恩恵である——と仮説立てる者もいたが……実際、真実を知る者は誰1人としていなかった。


 アインのスキルだが、彼の能力は天稟てんぴんによるモノだ。生まれつき彼は視力が秀でていた——と言うより、彼の家系は決まって目が優れる傾向にある。アインは“この目”を生かし、家を飛び出す勢いで冒険者となったのだったが……彼の生い立ちはまた別の話である。今は置いておこう。


 ここまで黒外套を見逃さなかったのは、彼のスキルが大いにその能力を発揮したからだ。


 だが……


 ここ門前の広場は街に運び込まれる積荷の置き場所となっている。その為、アインは黒い影を追っていたかに思えたが、気づくと高く積み上げられた木箱の壁に衝突した。はたまたスタンピートに向けて物資の運び出しをの最中の冒険者とぶつかりそうな場面も……それを何度も繰り返す。



「ちょっと……そこの君! 待って……!!」



 この時、不思議だったのが……追跡した影はまるで木箱が置かれた場所全てを把握しているのかのようだった。アインは唐突に出現する木箱の壁を恐れたが、黒外套は物怖じ1つせず駆けるスピードをそのままに霧を切り裂き疾走していく——アインが呼び止めても気づく素振り1つせず……ついには、その姿をアインは見失ったのだ。


 そして、闇雲な捜索ののち、最終的に辿り着いた場所というのが……



「木箱の次は石の壁かぁ~……」



 影を見失った時点で、おおよその方向を当てずっぽうに突き進むが……やがてアインは大きな石壁へとぶつかってしまう。その壁は眺めた限りでは端を確認できることがなく、霧の中に吸い込まれて消えていた。


 それほどに巨大——


 アインは、どうやら霧中を闇雲に突き進むうち、エル・ダルートの周囲を取り囲む城壁まで辿り着いたようだ。



「クソ……見失ったかぁ……影が消えていったのは確かこっちだったと思ったんだけどなぁ〜……結構自身あったんだけど……」



 追いかけた影は、数刻前には見失った——が、そこより影が消えていった方向に、アインは真っ直ぐに突き進んでいた。それまで、木箱の壁には当っていない為……影の正確な方向感覚を信じるのであれば、おそらく後ろをピッタリと追っていたはずなのだ。アインの方向感覚の有無や——“外套を纏う者”が意図的にアインを撒く——こういった不確定様相があれど……これらを度外視すれば、まるで影が石壁に消えていった感覚だけがアインを深く悩ませる。

 

 あの既視感にまみれた影は一体……?


 端から影など見ていなかったのか……?


 立ち込める朝靄は……壁を見つめる男を嘲笑い、そう言った言葉を残すかのようにアインの思考を刺激する。



「仕方ない……シュレイン君も待たせてることだし、遊撃隊のテントに向かおう。テントは南門の前に立てられてるって聞くし……このまま城壁を壁伝い行けば辿り着く筈だからちょうどいい……」



 ついにアインは黒い影を追うことをやめた——彼はアレ(黒い外套の人物)は幻覚の類ではなかったと思っていたが……こうも濃い霧が立ち込めては、これ以上の捜索は現実的ではない。結局、影を追っていたこともアインにとっては「ちょっとした気掛かり」でしかなく、今の彼には無理して捜索を続けるメリットも時間もなかった。

 だから、ここで諦めて本来の目的に戻る事は、なんらおかしくない。どちらかと言えば、その選択の方が合理的であろう。


 そこでアインは、南門の正面を目指して城壁を壁伝いに歩き出す。アインは影を追ってる最中もなんとなく方向は理解していながら霧の中を疾走していた。そこで城壁に突き当たった段階で、右か左か……門のある方向は分かっているつもりでいる。


 おそらくだが……“左”……


 石壁を視界の右に捉えつつ、このまま壁傳かべづたいに行けば、いずれは大きな門が見えて来る筈——例え視界が悪くとも、壁を目印にしていれば方向音痴でも嫌でも辿り着く。


 だから……


 影の正体は気掛かりだったものの『遊撃隊隊長(課せられた責務)』を全うするため、仕方ないと気を切り替えてアインは隊のテントを目指して歩くのだ。



 だが……その時——



「——ん?」



 アインの視界は唐突に現れた“あるモノ”に目を向けることになる。



「……階段?」



 壁傳いに少し歩き出したアイン——彼の視界の右には城壁が絶えず写り込んでいたのだが……突然、城壁沿いに数メートル幅の石階段が霧の中から現れた。なんの変哲もない階段だが……つい、それが気になったアインは、すかさず観察を始める。

 霧の中より突然出現した石階段は城壁側面に長く続いていた。その先は、霧で覆われ完全に見えなくなってしまうことからも、長さ、段数はとても現状では把握できない——だがアインには、この石階段は城壁上に躍り出る為のモノではないかと思えてならなかった。

 と、言うのもだ——先程から、弓や弩を持った衛兵に、魔術師と思われる冒険者までもがその階段から上へと消えて行っているのだ。おおかた、城壁の上から魔物を狙い撃つ算段でいるのだろう。アインの予想もあながち間違いではなさそうだ。


 でだ——


 アインが何故……その階段を気にしているのかと言うと……



「もしかして……さっきの影はここを目指していたんじゃ……」



 先程、見失ってしまった黒い外套を纏った人物だが……もしかすると、この『階段』は、その人物が目指していた場所なのではと思えてしまったのだ。

 ちょうど、影が消えた方向と階段の位置は近い。アインが城壁を確認するまで、目立った箇所は見当たらず、こんな街の端までくる目的が他には考えられなかった。なら、追っていた影はおそらく今は城壁の上に……



「…………」



 気がつくと、アインは無言で階段に足をかけ上を目指して登っていた。時間の猶予は既にそれほど残されてはいなかったが……この時、何故かアインの優先順位は『黒い影』の方に奪われていた。

 そして……濃霧の中……アインが頼りとしたのは右手で軽く触れた城壁だけとなり、視界に写る石段を1つ……また1つと——夢中で踏み締める。



 ただただ城壁の上を目指して……







 五分……十分……あれからどれほど経っただろう?



 アインは時間の感覚が分からなくなるほど段差を踏み続けていた。昼間はそれほど高くは感じていなかった城壁だが……実際に上を目指せばコレほど不安になるほど時間がかかるものとは、彼は予想していなかった。アインの瞳には、体を支えるために触れた城壁の一部であろう壁……そして、永遠と思える階段だけが写し出されている。あとは一面を白く塗りつぶされた状態がアインに突きつけられる情報量——気が狂いそうになるのも仕方がなかった。

 幻想……と表現すれば、聞こえは良いが……彼が思考した想像は、まるで天国へと向かう階段だ。おそらく相当登ってきているとは思うが……まだ一向に頂上へと辿りつかない。そう錯覚するのも無理はなかった。

 アインの登っている階段は大した欄干などはなく、殆ど曝け出しの状態で安全性が疑わしい。

 あくまで上を目指すためだけのモノで、壁の反対はただ白一色の世界だけが存在していた。

 下を覗き込めば、本来なら相当の高さとなっているに違いない——気が狂いそうだと朝靄を恨んだアインだったが……そこだけは彼にとって恵まれていたことなのだろうか。しかしそれでも、彼は特に高いところが苦手——といったことがない為、大した徳とはならないのだがな。

 それよりも今は、ただひたすらに踏み続けている“無限”だと思える段差の煩わしさの方が——アインにとっての敵であった。

 時間の経過とともに足元の視界は広がりつつあったが……それでも一向と頂きをとらえる事は叶わないのだ。


 だがそれでも……


 “無限”だなんだと言っても、実際にそんな事はアインが夢や幻覚を見ていない限りありえない。そう、表現したのもアインに振り撒く環境が思い込ませた白昼夢に過ぎず——現実、時間すらも彼が最初の一歩目を踏み出してから、たかが数分ほどしか経っていない。


 だからか……アインが見飽きてしまった同じ光景にも、ようやく変化が現れる。



「——ッお!?」



 アインが踏み締め続けた段差は、唐突に横幅の長い一段が出現する——否、一段が長くなっているわけではない。そこは階段の踊り場のような場所で、ついに長かった階段は終わりを迎えたようだ。その証拠に右に見えていたはずの壁はなくなり、石畳の広い空間が形成されている。つまり……アインは遂に城壁の上に到達したのだ。


 ちょうどその時——



「すいません! 通ります!」


「——ッ!? おっと、すまない……」



 今、アインが登って来た階段の下から、数人の冒険者が駆け足でやって来た。その先頭を走る男の冒険者がアインに気付き声を飛ばし、これにアインは謝罪を口にすると石畳の空間の方へよろけるようにして道を譲った。

 そして、その集団はアインに目もくれず慌てて横を通り過ぎると、空間を“左”側の方へ……やがて霧の中へと消えていった。周辺の霧はだいぶ晴れつつあったが……それでもまだ遠くの方はぼやけて見ずらい、そんな様子を観察している最中も、また1人……2人と……階段を登ってくる者は左の空間へとまた消えていく……どうも、ここより左側には部隊の集合場所でもあるのか——人通りは多く感じる。アインが段差を踏み締めていた時には誰1人として横切らなかったのだが……少しおかしな体験をしたアインだ。


 ただ……しばらく、階段からくる人の流れを見ていた彼だったが……


 ふと、あることに思い至ると振り返り霧の先を凝視する。そこは、階段の踊り場から出て“右”側——今の人の流れを見ていて、向かった者が1人としていなかった方向だ。



「…………」



 この時、アインの頭にあったのは——数分前に追いかけていた“黒い外套”の人物だった。ここまで、億劫になった階段を登って来ているのも、元はと言えば“その人物”を追っての事——

 おそらくではある——だが、アインが思う“その人物”の正体が“予想”と寸分狂わぬ人物であるならばだ。その人物は人目を避けるのでは——と考えた。

 だから……アインは、霧を数秒と睨んだ後——ゆっくりと歩を進める。すると……歩き始めて数分、そこには荷物が乱雑と散らかるエリアに出くわす。その荷物を見た限りではスタンピートに向けての物資——っといった類ではなく、本当にどうでもいいような物ばかりで……作戦に向け、狙撃エリアを確保するため、角に要らない荷物を追いやった——アインはそんな印象を荷山から感じ取る。



 そして……



「……コードの………………上手くいか…………」

「コードですか…………それでしたら…………8番のコードを…………そこより6つ右隣に…………」

 


 そんな荷山の向こうより……なにやら“女の子”の話し声が聞こえてくる。



「やっぱりか……あの黒い影はやはり……」

 


 その声を耳にした瞬間——ここまで半信半疑だった想像が、遂に確信へと変化を遂げた。結果、アインのゆっくりとした足取りは、声の出所を目指し自然と速度を上げていた。荷山の谷を縫うように、徐々に近寄って行く。


 すると……



「——ッちょっと待って…………もう一回最初っから……」

「……了解しました……マスター……」



 歩むにつれ……次第に話声は大きくなり、一つ一つの単語をアインの耳は拾うようになる。この時、彼の頭には2人の人物が思い浮び——この荷物の壁の向こうに居る事は確定的とまでに自身の予想が告げている。



 しかし……

 


「——ん!? あれ??」



 荷物の壁を避ける為——迂回して回り込んだアインだったが……ちょうど角を曲がった時に問題の“とある人物”を視界に捉えた……のだったが……

 端的に言ってしまえば、そこに居たのはアインの想像していた人物と寸分の狂いはなかった。


 しかし……


 てっきり“2つ”あると思っていた人影は——


 そこには、何故か——1つしかない。


 見知った黒い外套姿は健在であったが、今はフードを頭から外し、顔だけは覗かしている。周囲に立ち込めた白霧と相まって消え入ってしまうのでは——と感じ入るほど白い肌と髪の……小さな少女である。



「君は……フィーシア、ちゃん……かい?」



 すかさずアインは、その人物の名前をボソボソと口にした。てっきり、もう1つの黒い影——黒い髪の少女の存在があると思いこんでいたものだが……思い込みの意表をつかれ、その反応が声の震えとなって出てしまっている。そもそも、彼女(フィーシア)の姿をアインが捉える直前まで、2人の話し声を耳にしていた。なら、アインが『2人居る』と考えてしまうのは当然であった。



 また、アインが驚く理由にはもう1つ……



「……ッ……はぁぁ……誰かと思いきや、あなたでしたか」



 アインの存在に気付いたのか——白い少女の正体——フィーシアは溜息1つ、憂鬱そうにアインに返答を返した。



「何かご要件でしょうか?」

「——ッあ?! いや……要件とかは、無いんだけど……」

「そうですか……でしたら、今すぐ立ち去っていただきたいのですが……おそらく邪魔になるので……」

「……うう……凄く辛辣だなぁ〜……てか、になるって?」



 続けてフィーシアの放った言葉は「用がなければ立ち去れ」との一辺倒。たかだか一言、二言ではあるが……アインにとって、彼女の喋っている姿は非常に珍しい。しかし、その珍事の言葉は、自分に当てられるのはほぼ初めてだと言うのに、どこか刺々しい印象で、アインを捉える双眸は凍えるように冷たい。


 だが……


 そんな『拒否』とも捉えられなくない反応を、こんな幼気な少女から向けられるのはアインにとって心を抉られる思いで気落ちしてしまうが、それでも彼はフィーシアの取り巻くに——と言うより、に興味を奪われてしまっていた。


 フィーシアの周囲には、長方形のガラスの板が何枚も浮遊していた。そこには幾何学な模様——外国のと思われる文字が書かれているものもあれば……おそらく風景であろう光景を映すガラスまでも存在した(風景と断定しないのは、ほとんど真っ白で微かに野草(?)が写って見えたから)。


 

「…………」

「あの……話が聞こえてますか? ジロジロと、どうしたと言うんですか?」



 アインは数日前に、彼女の拠点【セーフティハウス】にて、仲間のレリアーレが釘付けとなっていた大きなガラスの板を思い出していた。今、目の前の少女に取り巻くガラスの板たちは、大きさは違えどあの時見た物体と非常に酷似している。アインには、その用途や、構成する物質、何故宙に浮いているのか……と分からないこと尽くしだが、どうしても好奇の目は黙したままにガラスを捉え続けてしまう。

 そんな沈黙のアインを訝しむフィーシアは、男を見る視線をより鋭利な物へと研ぎ澄ませた。


 ただそんな時——不意に……



『……ッ……フィ……フィーシア?! ……どうしたの! 何かあった?』


「「——ッ!?」」



 宙に浮くガラスの板の1つより、少女の慌てる声が響いた。


 フィーシアはその事に視線を研ぐことをやめ、すかさずアインを視界から外し——アインは、驚くように体を撥ねさせると、声の出所へと目を奪われる。


 そして……



「こ……この声、カエちゃんか?!」



 アインは声の持ち主の正体を反射的に口にした。





 

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