第83話 霧の中の戦闘準備
ある早朝……
——エル・ダルート(南)門前広場——
エル・ダルートの街は、幾つもの山々、渓谷に囲まれた立地にある。地表付近の空気は水分を多く含み一年を通して、じめっ——とした気候で、朝方はよく冷える。すると、ほぼ毎日この街は放射線冷却によってあたり一面は霧で覆い尽くされていた。
だからか……
この日も当然、朝はエル・ダルート一帯を包みこむ霧が発生し、人々の視界は数メートル先も見通せない程に視界不良に陥っていた。
この街の門前広場は、巨大な倉庫が立ち並ぶ商業エリアとなっている。通常の街であれば商人達は早朝といえども早馬を走らす為、こういったエリアに集まるモノなのだが……霧の発生は、そういった商人にとっては悩ましい問題で、安全性を考慮すると馬車を走らせることが叶わない。したがって、エル・ダルート門前広場の早朝は今か今かと濃霧が晴れる事を願う商人で騒がしく、ごった返すのだ。
ただ、この日に限って言えば……
「物資の搬入の進捗大丈夫? 間に合ってなければ手伝おうか!?」
「矢と爆薬の置き場はそこ——予備の武具は、そっちね!!」
「医療班〜〜ポーションの備蓄大丈夫? 確認は怠らないようにね」
「マジックポーションは、外壁の上部に運んで! 魔法部隊は上から魔法を飛ばすから、すぐ補給ができるようにね!」
聞こえてくる喧騒は商人のモノとは似つかわしくない。どれも物騒な準備に明け暮れるセリフばかり——まるで今から戦争でも始めるのかといった物々しさで溢れていた。
今、この場に居るのはとても商人のような旅支度を整える者達とは違う。皆が、鎧やローブを着込み、帯刀をしている姿から察するに——ほぼ全員『冒険者』と思える者達だ。その他で言えば、神官服やシスター服の聖職者……医療器具を管理している医者に……赤をベースとしたワンピース制服のギルド受付嬢と街の衛兵達といった面々だった。
そんな……錚々たるメンバーの中——
“とある”幼さ感じる1人の青年が、“とある”男の冒険者を見つけて声を掛けていた。
「…………ッお! お〜〜い! アインさぁ〜〜ん。おはようさんっス!」
「——ッん!? シュレイン君——ああ、おはよう」
その青年の名前はシュレイン——一見冒険者の装いだが……その正体は、ギルドの特殊な監査員。そして、今はこの場を取り仕切る【総司令】を担っていた。そして、彼が挨拶を飛ばした人物は、巷では半年でA級の冒険者になった事で有名な2人組の冒険者——パーティー名【清竜の涙】の1人。【シーフ】の男アイン——現在の肩書きは遊撃隊の【隊長】である。
「アイン、ちょっとそこまで歩こうかっス。ちょうど遊撃隊のテントに行く予定だったっスから——」
「そうなのかい? なら、一緒に行こう。俺も目的地は一緒だからね」
周囲は霧で覆われている事からも、シュレインがアインを見つけたのは偶然。たまたま目的地が同じだったが為に鉢合わせたモノだった。
そして、2人は南門の右手辺りの仮設テントを目指し、並んで歩いた。その場所とは、遊撃隊の集会所である。
「どうっスか? 緊張してるっスか? “遊撃隊”の隊長殿は?」
「茶化してるのかい——それ〜? …………まぁ、余裕——と言いたいところだけど、正直、緊張はするさ。なにぶん【隊長】なんて名役……やった事ないからね」
「ははは……そうっスよね〜〜初めては誰だってそうっス! だってね……僕も緊張してるっスもん。なんスか……【総司令】って? やる奴居ないからって……何で僕なんスかね? ふざけるのも大概っス——ああ、胃が痛い……」
「そうなのかい? でも、シュレイン君は実力者なんだから仕方ないさ」
「僕だって、仕方ない事ぐらい分かってるっスよ〜〜まったく……こんな事なら、実力なんて隠しとけばよかったスかね——って、どこぞの黒ちゃんの気持ちがよく分かった気分っスよ」
「——ッふふ……ほんとだね」
そんな2人は互いに自身の置かれた肩書きに愚痴を吐きつつ、それでも会話が緊張の緩和剤となり、この一瞬は意外と2人には心地良かった。
「……あれ? でも、シュレイン君って——確か、本来は“副隊長”だったと思うんだけど……【総司令】を『監査隊長』殿にやってもらえばよかったんじゃないの?」
と、ここでアインはふと気になった事をシュレインに問う。
「ああ……それ無理っス。監査隊のヒエラルキーって……純粋な『強さ』で決まるんスけど、【隊長】は武力の塊? と言うのか……彼女はいつも遊び歩いてるっスから……実質、僕が監査隊長みたいなモノっス」
「ああ……そうなんだ」
「それに……朝は“おねむ”で起きて来ないんで、大役を担ってもただのカカシってやつ。そんなの居ないも同然っスよ。だから、唯一真面目人間な僕が自然と【総司令】〜ってな感じなんス!」
「——ふむふむ……?」
「なんスか? その懐疑的な眼差しは〜〜?」
「——ん!? あ〜〜いやいや……真面目人間なシュレイン君にピッタリだなぁ〜と思ってただけさ」
「……本当っスか? まぁ、そういうことにしといてあげるっスかね……」
こんな風に——2人は、なんて事のない雑談を交えつつ、遊撃隊集会所のテントを目指して、濃霧を切り裂きながらただ歩く。
と——その道中で……
「——ッん! おっとッ!?」
「——キャッ!?」
1人の女性が突然飛び出してきた。
アインは驚きの声をあげてよろめきつつも、コレををなんとか避けた。慌ててしまったのには周囲に広がりを見せる濃霧が原因——これによりギリギリまで彼女の存在に気づけなかったのだ。
そして、肝心のその正体だが……
「あれ? リア!? こんなところで何してるんだい?」
アインが瞬時にその正体に気づいた。
「え〜? ッあ……アイン?! それに、シュンちんも……」
彼女はアインの相棒——【清竜の涙】のもう1人のメンバー。【神官】のレリアーレであった。
彼女はアインの発言を拾うと、並び立つ2人の男の顔を覗き込み驚きの表情を見せた。
「レリアーレは、一体どうしたっスか? 確か、君には“医療班”と“魔術隊”の兼任をお願いしたと思ったスけど、こんな広場の真ん中に居ていいんスか? てか……オイ——シュンちん呼びやめろっス」
「……え!? あ、ああ〜〜……そうよね、ここに居るのはおかしいわよね……そうなんだけど……」
「あれ? シュンちん呼びに関しては無視っスか??」
そして、アインに続きシュレインも彼女に対して疑問を口にする。レリアーレに今与えられている役目は、魔術隊にて魔法の砲撃と、有事の際には医療班にて回復の補助要員。それはもう、2つの役割を抱えている為に事前確認や準備に追われているはずの人物だったが……彼女は、その2つの部門を離れて、広場の真ん中を帆付き歩いていた。
この時、シュレインの話には意識半分で答える上の空……というより、レリアーレは何やら辺りをキョロキョロしていた。
「——どこか具合でも悪いのかい? リア?」
「——ん? どうしてキョロキョロなんてして? もしかして、何かあったっスか?」
「——ッえ!? あ〜……いや、そういうんじゃないの……ただちょっと気掛かりが……」
そのレリアーレの姿には、思わず2人の男が意に介する素振りを見せたが、それでも彼女の意識は周囲に向いていた。
「もしかして……誰か探しているのかい?」
「ええ……まぁ、探して居ると言うよりも……居ない事の方が、私の望むところであると言うのかなぁ……」
「「……?」」
ただ、彼女の反応に何度も探りを入れても、返ってくる答えというのはアインとシュレインにとっては図りかねるものばかり……レリアーレの思惑は2人には一向に伝わらないままだった。
「はぁ……このままじゃ埒が明かないっスね。悪いけどアイン。僕は先に(遊撃隊の)集会所に向かうっスね。彼女にも、早く持ち場に戻るように促しといてっス」
「……ッ!? ああ……分かったよ」
これに我慢できなくなったシュレインは、アイン、レリアーレの2人をこの場に残し、やがて霧の中へと消えていった。
そして、アインはそんなシュレインへと視線を寄越して見送ると、すぐさまレリアーレへと向き直った。
「リア? 本当に大丈夫かい? もし、無理してたなら、シュレイン君に掛け合って、片方の仕事を無くしてもらおうか?」
「へ? あ!? いや、別に無理はしてないの……もう多分大丈夫だから……きっと居ないと思うから……」
「……リア? 居ないって——さっきから一体誰を探して……」
レリアーレは尚も誰かを探している素振りを見せていたが、ここでついに諦めたようで落ち着きを取り戻した。ただ……そんな彼女の探し人が気になってしまったアインは、聞き返そうと言葉を口にするのだったが……
ちょうど、その時——
「——あ!? 居た居た! レリアーレ様——すいません、ちょっと医療班の方までお越しいただけますか? ポーションの使用範囲について確認したい事が、回復魔法との使い分けもありますので……」
アインが言葉を話し切る前に、レリアーレを探しに来た女冒険者の声量でかき消されてしまった。
「——!? はい! 分かったわ。直ぐに向かいます!」
「はい! よろしくお願いします!!」
「ごめんなさい、アイン。私行くわね」
「——あ?! ああ……分かったよ。頑張ってねリア」
「うん。アインこそ、【隊長】頑張って——それじゃ、後で——」
「ああ、後で——」
そして、話の腰を折られた事で、アインはそれ以上聞く事をやめた。そのまま両手で握り拳を作って胸の前で、グッ——として見せる姿と応援の声を残した彼女をそのまま見送る。そんなレリアーレの様子を見るに、今までの素振りが嘘のように感じ取れなかった事から、おそらくは大丈夫であると思われる……が……
「一体、なんだったんだ? こんな霧の中で、誰を探してたってんだよ」
アインの中には、シコリのようなものだけが残された。それでも彼は、その事について思案する程に暇ではなく、レリアーレを見送った方角をしばし訝しんで見つめていたのだったが、シュレインの後を追おうと気を切り替える思いで踵を返した。
その瞬間——
「……ん? あれ……」
アインの目の前を、外套を着込んだ1つの小さな陰が横切って行った。一見、冒険者の1人とも思える人物だったが……アインにはどうも……
それは見覚えのある“黒”の外套だったことが気掛かりだった。
「あれって……もしかして——!?」
次の瞬間には、アインは思わず黒い影を追っていた。集会所への集合時間にはまだ余裕がある。ただ、シュレインを待たせる事にはなるが……そこはアインの気掛かりが大き過ぎた為に、咄嗟に取ってしまった行動で……
濃霧の中を、黒い陰が消えていった方向を目掛け、見失わないようにと……
アインは必死に霧の中を泳いでいったのだ。
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