第76話 気絶はしたけど悔いはないし記憶もないし

 再び通路の奥で悲鳴が上がった。



 これにより、せっかく和んだ心に今まで以上の緊張が再来する。



 と言うのもだ。今の悲鳴は——





「——フィーシアッッッ!?」





 カエは耳を疑った。ソファーから飛び退き悲鳴の正体を口にする。


 今上がった悲鳴とは——先程のレリアーレのものではなく。響いてきた声音を聞く限りでは、フィーシアのものであったのだ。これにはカエにも動揺が走る。



 それも当然——



 彼女は、カエと同じくゲームの力を有した存在(化け物)だ。普段から冷静沈着、死すら恐れることなく主人の為に最善を尽くす冷徹無比な少女——それがフィーシアという人物。だと言うのに、狼や竜に恐れ慄く素振り1つ見せなかった彼女が、聞いた事のない『悲鳴』をあげた——



 これは、とんでもない事態である。



「フィーシァァアア!! ナニがあったァアアア!!」



 気づくとカエは声を荒げて脱衣所に続く通路へと駆けた。この時、カエは相当慌てていたのだろう。彼女の手には空のマグカップが握られたままだった。


 そして、そこでは……



「——ッマスターーー!!!!」


「よかった! フィーシア……無事……で——ッッッ!!?? うわぁああああ!! フィーシア!? ——ッ服はッッァアアア!!」



 突然、脱衣所の扉が横へスライドすると——そこから、すっぽんぽんのフィーシアが飛び出して来たのだ。



「マスター!! 助けてください!!」

「——ぎゃぁ嗚呼!!?? ふぃ、ふぃ、フィーシアぁあああ!!!???」



 そして、カエにしがみつき助けを求めてきた——異常事態——



(——ッッああァアアア! ——ッッッ裸のフィーシアがぁアアアア!!??)



 当然、カエに尋常ではない動揺が走った。


 フィーシアとは、年齢的にはカエと同じぐらいだが少しカエよりは幼く見える。その理由には、背丈が低い——とあがるのだが……その身体には、フィーシアの身長にはそぐわない『実り』をお持ちだ。

 これが俗に言う着痩せするタイプ——と言うやつか? フィーシアはいつもの服装はブカブカロングコートであるからして身体のラインは分かりずらいのは当然か……?

 そんな彼女(フィーシア)のふっくらとした2つの果実が、カエの服越しに触れ、柔らかな圧迫感が彼女(カエ)の胸にのしかかった。これには当然カエは動揺した。いくら、フィーシアの扱いに慣れつつある彼女でも、裸の状態でだきつかれるのは些か無理がある。耐えがたい羞恥がカエに降りかかり、真っ赤に染めた顔のまま、フィーシアに抱きつかれた勢いで尻餅をついて膠着してしまっていた。


 だが……


 

(——ハッ!?)



 この状況下で、カエに一つの気づきが……



「どうしたんだ! カエちゃん!!??」


「テメェーーはぁアア!! 見るナァァァアアア!!!!」



 心配して後を追ってきたアイン目掛けカエは手にした空のマグカップを思いっきり投げつけた。



「——グエッ!!??」



 すると、アインのオデコに見事に命中——カップの勢いに押され、後頭部から床に倒れ込み、ゴォン——と鈍い音が飛ぶ。

 カエの心理が羞恥に染まる中、微かに芽生えた『気づき』とは追ってくるであろうアインの心配であった。カエは我が妹(フィーシア)の裸体を、この変態男(アイン)に見せるのだけは何としても食い止めねば——と思考し、咄嗟に手にしていたマグカップを男目掛け投擲したのだ。この状況下で、これを成せた自分自身を褒めてやりたい——それ程までのファインプレーであろうと、この時のカエは自画自賛し思っていた事だろう。まぁ、そんな思考を傾ける余裕は彼女にはないのだが。



 と——そこへ……



「ちょっと! フィーちゃん? なんで逃げるのよ?!」


「「——ッ!?」」



 脱衣所より、声を荒げたレリアーレがフィーシアを追ってやってくる。当然、彼女も裸のままだ。これには瞬時にカエは素早く顔を逸らした。



「——ま、ま、ま、マスター! たすけてぇええ!!」

「——グエ!!??」

 


 すると……レリアーレの姿を捉えたフィーシアが、震えた身体でより一層カエに抱きつき腕を絞める。

 この事からも、フィーシアが悲鳴をあげた元凶はレリアーレであるようだ。


 一体なんだと言うのか——? 



「ど、ど、どうしたの?! フィーシア??」

「こ、こ、この女——こ、怖いです!!」

「——ッ怖い??!!」



 カエはこの状況でよく聞き返せたと思うだろうが、この時フィーシアが抱きつく力が思いの外強かった事で、先ほどからカエの身体からミシミシと音を発していた。つまり、締め付ける痛みが羞恥を緩和しカエは耐えているのだと推察できる。



「“怖い”ってフィーちゃん酷くない? 私はフィーちゃんに酷いことはしないわよ」


「——め、が怖いです」

「……め??」


「——そ、そんなことはないわよ!? 私は、ただ……フィーちゃんの体に興味があるだけで……ぐへへ〜〜」


「「——ッッッ!!」」



 思わず、カエとフィーシアの身体が跳ねた。


 この時のレリアーレの発言に、カエにもフィーシアの気持ちを多少なりとも理解してしまった。



「だって……フィーちゃんのお肌って、きめ細かくて〜スベスベで〜真っ白で——とッッッても綺麗なんですもの! それに、髪はツヤツヤ、サラサラ、ベタつく隙が一切なく光沢を放っている……これは女として、何としてもフィーちゃんの美の秘密を知りたくなるってものよ!」


「うう……この女、獲物を見る目で私を見てきて。ですがマスターの命令上、レリアーレを処分する事ができず……ですが私にとって、脅威で……それで……それで……!」


「——ッなにそれ?! ただフィーちゃんの肌に触ろうとしただけよ!?」



 どうもレリアーレは、フィーシアの綺麗な肌や髪が気になり、思わず触れてみたい衝動に駆られたそうだ。確かにフィーシアは白く輝く柔肌を持っている。その肌質は白魚のように透き通り恐ろしい程に色白。そして髪に至ってもサラサラのストレート髪が折れ曲がる素振り1つせず、床に届くんじゃないか——と思える程に長く伸び、絹のようなきめ細かさで、風に靡くたびに光沢を放つ程の美しさが備わっていた。これは、おそらくゲーム設定(キャラメイク?)……も関与してると思われたが——大凡、浴室に置かれたシャンプーやトリートメントが原因だとも思われる。この世界を見た感覚では、おそらく現代日本にあった便利なアイテムは存在していない。普通に馬車が行き交う程度の文化だ。シャンプーやトリートメントなんてそもそもあるはずもない(例え存在してても高級品?)。

 カエも浴室に設えてあったソープ等は使用していたが、とにかく髪はサラサラ、肌も赤子肌のようにモチモチ、スベスベになるものだから驚いていた。ただ……この件に関して、カエにはお風呂を利用した記憶がない。本日も、身体からは石鹸の匂いがするため、おそらくお風呂には入っていると思うのだが……この一部記憶喪失を深く追求する気が、何故か1ミリたりとも沸き起こらなかったことからもカエはこの件で考えるのをやめていた。


 それはそうと……


 この時のフィーシアは、レリアーレの狂気じみた美の探究を殺気に近しい感覚で拾っていた。だが……そんな彼女(レリアーレ)を脅威と断定しても、カエがレリアーレ(ついでにアイン)を助け保護し、そして今は彼女に“お風呂”の使い方のレクチャーを主より指示を受けているわけだ。

 よって、敵(?)を抹殺できない今——レリアーレを『始末できない脅威』という事で思考の中で葛藤が生まれたのだろう。まるで矛盾が生じオーバーフローでもした精密機械のように……



「そう言えば、カエちゃん? ふふふ……あなたもぉ〜〜……」


「——ッッッ!! やな予感!?」



 ここで突然、レリアーレはカエの名を呼ぶと笑い声を漏らした。カエはこの時、首を曲げて視界にレリアーレ(の裸体)を捉えないように必死であったが……彼女の笑い声を耳にした瞬間、カエの脳内には不敵に笑うレリアーレの姿を想像してしまっていた。



「カエちゃんの綺麗な黒髪も〜〜凄くサラサラよね? 肌も、フィーちゃんほど白くはないけど……スベスベしてそうで……」


「——ッそ、そ、そ、そうですか?!」


「ちょっと触らせてくれたり……」


「——ッむ、ムリですッッッ!!!!」


「ええ〜〜そんなコト言わないで……ッあ!! そうだ!!」


「——ッ?!」


「カエちゃんも一緒にお風呂入りましょう!」


「——ッえ!!?? いや……ワタシは、入った……から——!」


「そんなの関係ないわ。お風呂は何回入ったていいじゃない! それに、女の子同士でも照れちゃうカエちゃんの特訓にもなるわ。だから……特訓のついでで、肌と肌が触れ合っちゃうのは……致し方ない事で〜〜♪」


「いや、特訓なんて望んでないしッ——だから……私は……」

「えい! カエちゃん捕まえた!」

「ん!? わぁあああ——ちょっ……!!」



 気づくと、レリアーレはカエのすぐ目の前にいて、フィーシア同様カエに抱きつく……おそらくこれは彼女のちょっとした出来心による悪戯だったのだろうが……


 この時のカエの精神は——



「ねぇ〜〜いいでしょ? 一緒に入りましょう?」

「マスターに近づくなです!! マスターは私のモノ!!」



(……ははは……もうムリ……)



 レリアーレとフィーシア2人に揉みくちゃにされ——ついに……



「——ッッ……ゴメン……もう…げんか、い……ぐッふ…………」 

「……マスター? ……——ッ!? マスタぁぁぁああ!!!!」

「え〜? カエちゃん……そこまで?」



 ここで、カエの意識は飛んでしまった。





















 ………ま、す………



「…………」



 ……マス…ター……お……



「……ッ…」



「マスター……朝です。起きて下さい。」



「う〜〜ん? 朝……?」



「はい、朝です——おはようございます。マスター」



 意識の覚醒——



 カエは、フィーシアの呼び声が目覚まし時計代わりとなって目を覚ました。


 潜り込んだ布団から目をしょぼしょぼさせ顔を覗かせると——すぐ目の前にフィーシアの可愛らしい顔が……綺麗なルビーの瞳と自然と目があった。

 本来の彼女なら、ここで驚いて再び布団の中に、まるで亀に倣ったかのように顔を引っ込めてしまいそうなところだが……カエはフィーシアの距離感に慣れつつあるのか——時計のアラームのスイッチを切るみたいに、布団から片方の腕を伸ばしてフィーシアの頭を撫でる。ここまで大胆な行動に出たのは、おそらく眠気が関与して寝ぼけているのも一要因であろう。



「……おはようフィーシア」


「マスター起きましたら、早急に顔を洗って来る事を推奨します。直に朝食の準備が整いますので……」


「うん……分かったよ〜フィー……朝早くからご苦労様、ありがとね」


「これもマスターの為ですから……では、残りの支度をしてきますので、私は失礼しますね」


「ほいよ〜〜」



 カエが気抜けた返事をフィーシアに投げかけると……フィーシアの頭に乗せた筈の手が、髪を撫でるようにスルッ——と外れた感触が腕を伝う。そして、持ち場を失った腕は振り子の原理で勢いがつき、ベットの縁を叩いて止まる。



「う〜〜ん……ふぁ〜〜……」



 その時の痛みが眠気を若干晴らしたところで、カエは布団から這い出ると背伸びで体を伸ばしあくびを一つかいた。



「ああ……もう朝か——? なんか変な気分……そう言えば俺っていつ寝たんだっけ……う〜〜ん……ダメだ思い出せない……」



 カエの寝起きは「最悪」……とまでは言わないが、なんだか頭がポワポワっとして、何故か昨日の記憶が一部欠けている事に気づく。カエはこの感覚を多少気持ち悪く感じていたが、更に不思議な事に『記憶の欠損』については『思い出してはいけない』と——カエの勘が告げていた。以前にも、似たような経験があったが——この現象に引っかかりはするものの、自信の『カン』に近い警鐘はなるべく信用した方が良い気がしてしまう。



 ここは自分の勘を信じて、記憶の深追いをやめたカエはベットから降りて素早く自室を後にした。








 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る