第75話 服を着なさい!!

 ペタペタペタペタ——!!



 突然の悲鳴の後、通路に視線を飛ばしたリビングルームの3人だったが……誰もが身体を動かすよりも早く、フローリングを蹴る生の足音が通路の先から皆の耳に届いた。

 おそらく『悲鳴をあげた本人』がこちらに向かってくる音だと思い至ったことから、誰もが動く事なくその正体を待ち受ける。



「——ッリア!? 大丈夫か!!」



 だが……ここで慌て不動を破ったのがアインだった。ソファーから飛び退くと通路目掛けて大慌てで駆けていく。


 そして……



「——ッカ……カエちゃん!! アレは一体なんなのよ——!?」



 すると通路の角より姿を現したのは『お風呂』に向かったはずのレリアーレだ。声を荒げた彼女とアインは通路の角で出会い頭となる。そんなレリアーレは慌て口調であるものの、その姿を見る限りでは深刻な状況はまるで伝わってこないことから……3人の緊張も少しは解けるかと……



 思いきや——



「「——ッギャァァァアア!!」」



「——ッ!? ッえ? ッなに!?」



 そんな彼女を見た瞬間……アインとカエから悲鳴が飛んだ。レリアーレはそれに驚き思わず体が跳ねる。


 何故なら——



「——リアッーーー! ど、ど、ど、どうしてんだぁぁあ!?」



 彼女は、なんと“裸”——一糸纏わぬ姿が、そこにあった。



 レリアーレは棚から引き抜いたであろうバスタオルを抱えていたが、体に張り付いた布地からは、身体のラインを包み隠す事なくクッキリと写し出し、四肢は細く色白でスラっとしてタオルからハミ出てのぞいていた。寧ろ、アインの発言に彼女は、キョトン——として見せたことからも、端から隠す気は微塵もなさそうだ。

 そんなレリアーレの姿に、アインは状況説明ともとれる声をあげる。



「ええ……だって、お風呂に入るのに服を着てたらおかしいでしょう?」


「——ッだからって! 男である俺の前にその状態で出てきちゃだめだろぉお!?」



 そんな状況に、アインは驚き慄くと自身の顔を手で隠しつつ、レリアーレに叱責を飛ばした。

 だが……彼女は自分の裸体を見られる事などお構い無しのようで……



「別に同じパーティーメンバーなんだから、そんなに照れる事ないでしょ? いい加減に慣れなさいよ」


「何言ってるんだ! パーティーメンバー以前に、リアは“女の子”なんだから! そんな事、冗談でも言っちゃダメだろ!!」


「ええ〜別に冗談でもないのだけど……」



 “同じパーティーメンバーなのだから、裸体は晒しても問題は無い”とのレリアーレの持論的発言は——そんな彼女の態度を伺う限りでは一見、冒険者のパーティー事情では当たり前の判断なのか? と勘違いを思わせてくれるが……アインの反応を見る限りでは『当たり前』との範疇に収まる行動かは判断がつかなそうだ。



「いつも一緒にいるんだし、別に同じパーティーメンバーなんだから……私は気にしないわよ?」


「君が気にしなくとも俺が気にするんだ!!」


「ふぅ〜〜ん……そう…………ところで……」



 だが、彼女を叱責し慌てる素振りのアインを、お構いなしと呆れている。


 そんなどこ吹く風〜〜な彼女は……次に、カエへと視線を移す。

 


「……カエちゃん? アインはともかく、なんでカエちゃんも顔を手で隠してるのかしら?」


「——ゴメンナサイッゴメンナサイッゴメンナサイッゴメンナサイ……」



 そして……ソファーに座ったまま手で顔を隠し、天を仰ぐカエへと話しかける。そんな彼女は、譫言の様に小声で「ゴメンナサイ」との言葉を繰り返すばかりだ。

 だが……謝ったところで、レリアーレの意識はカエから外れることも、許してもらえるわけでもなく……



「——ところでカエちゃん!! あの“お風呂”はなに!?」

「ん!? え!? は!! ——ちょお……ち、近いから、近いからぁああ!? 離れてぇえ——!!」

「——ッん?! なによ……女の子どうしなんだから、別に問題ないでしょ?」



 彼女は、興奮しつつカエに近づき『お風呂』に付いて追求した。カエは、指の隙間から状況を確認しようと覗くと——すぐ目の前には、裸のままのレリアーレがカエの顔を覗き込んでいる。そして偶然にも、カエの視界にはタオルで隠しきれていないが……慌てて、声を荒げて彼女を突き放す。



「なに? カエちゃんは、女の子同士でも恥ずかしくなっちゃうタイプ?」


「——へ!? いや……そんなんじゃなくて……」


「あ! そんなことよりも……アレは——何!!」


「……ッえ!? 何が?!」


「お風呂よ! お風呂ぉお!! 広いし、外だし——不思議な水の出るロープとぉお!!」

「——はあ!? うわ……ちょっと!!??」

「風景だと思ったら触れたし!! あれは魔法なの!? 岩魔法? 光魔法?? 一体どんな魔法が使われているって言うの!?」

「——ちょ、ちょちょちょちょ——!!??」



 だが……レリアーレはカエに簡単に突き放されてもめげず——距離を詰めて言葉を畳み掛ける。



(——ッッッだからッッ近いんだってぇえええーーー!!??)



 思わずカエは体をのけぞったがソファーの背もたれに引っかかって逃げられない。では反対方向から……と逃げ出そうとするも、そこに居たのはフィーシアだった。カエの双眸には、慌てふためく主人に対してキョトンと心配するフィーシアの顔を捉えたのだ。


 すると……その時だ——



——た……た、た、助けて! フィーシアァァァああああ!!



 気づけばカエは、逃げ場を失ったことからチャットを通してフィーシアに助けを求めて叫んでいた。完全に無意識な行動である。


 すると……



「…………ッ!? ——わ、私のマスターです!? 取らないでください!!」



 相変わらずフィーシアは……何を勘違いしているか……


 カエがまるで自分のモノのような発言をして、彼女(カエ)の膝に滑り込む様にレリアーレとの間に割って入ってくる。

 だがおかげでカエはレリアーレとの距離を置く事ができた。

 ただ……この状況は、膝の上にはフィーシアがいて彼女と触れ合ってしまっている状況だったが、今のカエはそんな事に意識が行くほど冷静な思考を持ち合わせてはいない。既に羞恥はカエの精神を蝕み、臨界スレスレであるのだから……フィーシアと触れ合う状況に全く動揺はしなかった。



「むぅ〜〜……なんで私のこと、皆して拒絶するのよぉ〜〜……グスン……」



 そして、全員が『拒絶』と取れる反応を示したことで、レリアーレは唇を尖らせて不貞腐れる。


 その発言に——



((——それは君がだからだろぉぉぉおおお!?))



 心の中でツッコむ者が居た。


 この時——とあるストーカー被害の加害者と被害者、2人の意識は奇跡的なシンクロを見せるのだが、この事実を互いに知る日は永遠に訪れることはないだろう。

 そんなどうでもいい奇跡が水面化に起きていようとも……結局は状況はカオスな事に変わりなく……



 顔を押さえる男2人(若干1名は精神が)と——


 主の膝上で威嚇の唸り声を上げるサポーター——


 そして裸のまま落ち込む少女と——



 一体誰が……どう……収拾をつけるつもりなのか——?



 だが……ここで動きを見せたのがカエだ。


 いや……実際“動く”と言っても、ある人物に”指示“を出しただけなのだが……



「フィーシアちゃん……ちょっと……彼女にお風呂の説明してあげて……シャワーの使い方とか……君も一緒に入ってきてもいいから……」

「…………」

「あれ? フィーシアちゃん?? 返事がないけど、居るよね!? 膝の上には確かな重さを感じてるのだけど!」

「……もう少し、このまま……」

「フィー……君、いつから甘えん坊になったの?! お願いフィーシア! 良い子だから!」

「…………かしこまりました。マスター……」



 カエは、手で目を覆った状態のままフィーシアに指示を出した。彼女は、カエの膝上に覆い被さった状態を謳歌していたかったようで、気の進まない様子だったが……カエが念を押すと、嫌々と膝から降りた。



「では、レリアーレ……マスターからの指示です。浴室について解説いたしますので、ついて来てください」

「——え?! フィーちゃんが説明してくれるの?」

「…………」

「あ!? ちょっと待ってよぉ〜〜……」



 そして、フィーシアは彼女(レリアーレ)を引き連れ(?)て、『お風呂』に向かったようだ。リビングルームは次第に静かになった。

 ここでようやくカエは恐る恐ると手を退かし、周囲の気配に敏感になりつつ目を開く。するとやはり、少女2人はこの場を去った後のようで、姿は見当たらない。この場にあるのは、疲れた様相のアインがソファーの肘掛け部分にぐったりと脱力して座る姿だけである。その姿はまるで燃え尽きた後のボクサーを彷彿とさせてくれる。



「……はぁぁ〜〜……」



 カエは、深いため息を吐き捨てると、ソファーに深く座り込み両腕を広げて意気消沈と体の力を抜いた。だが……これでもカエは良く耐えた方である。危うく、気絶する寸前に差し掛かっていた彼女の精神は、ギリギリを耐え抜いた。


 そして……カエのため息が空間に溶けたあと——部屋全体に沈黙が訪れる。


 ただ……

 



「——カエちゃん……?」



 ほんの1、2分だろうか——? 僅かな時間経過の後、ようやく落ち着きを取り戻したアインがカエに話かける。



「……んあ?」


 

 これにカエは反射的に抜けた声で返事をした。



「……ありがとね」


「…………へ? にゃにが(何が)……?」



 静まる室内に突如としてカエの耳に聞こえてきたのは、アインの『謝意』だった。感謝の言葉を聞くのは、本日これで何回目になるかもわからなくなる程、聞き慣れてしまったセリフだが……

 この時、アインから感謝される理由に全く思い至れないカエは反射的に、回復しきっていない精神状態で素っ気なく聞き返した。



「いや……リアがさ、俺以外の誰かとこんなに楽しそうにしてる姿——初めて見たから……凄く嬉しくてね」


「…………」



 アインが語り出したのは、彼女(レリアーレ)の事だった。だが、カエには声にして感謝を伝えるまでの内容とは思えない。よって……黙ったままアインの声に耳を傾け続けた。



「リアってさぁ。想像できないと思うけど……凄く人見知りなんだ。普段、人との会話ぐらいはできるんだけど、他人に心を開くことがあまりなくてね。と言うより、関わり自体を避けたりするんだ。小さな子供とかなら平気みたいだけど……同い年以上の女の子とか——男に関しては萎縮ぎみかな? そんな時はいつも俺が助けに入ってるんだ」


「ふ〜〜ん」



 この時カエは、アインの身の上話の時にも上げた抜けた、相槌を溢している。

 

 ただそれにアインは……


 気づいてないのか——


 分かってても気にしてないのか——


 彼は声音を変えることなく話を続ける。



「彼女……実は良いところのお嬢様でね。幼少期は結構厳しく育ったみたい。それに、許嫁っていうのかなぁ……家庭の関係で、結婚も約束されてたらしい」


「ふ〜〜ん…………ん?」



 だが……


 カエが黙って傾聴していると……何やら話の内容が怪しい傾向に——



「だけど……相手の男にね。結構酷い扱いを受けたそうなんだ。なんでも……『僕の女なら僕に相応しくあれ』とか……『完璧なオマエじゃないと愛せない』とか言われてたとか……なんとか……」


「うわぁ……」


「で、結局——捨てられたって……」


「…………」



 と——なんとも胸糞の悪くなる内容に、カエは言葉を失う。



(おいおい……コイツ、なんつぅー話するの?!)



 カエの中ではもう、アインの話のチョイスに脱帽である。



「リアは当時だいぶ無理して頑張ったらしいんだけど……破談がきっかけで、家族からも疎まれて、それで人があんまり信用できなくなっちゃったみたい。そんな時に俺はリアと出会ったんだけど……」


「オイッ……ちょおっと待て」


「——え? なんだいカエちゃん?」


「これって——私が聞いてもいい話なの?」


「…………あ…………えっとぉ〜…………リアには内緒で——」


「——ッオイ!!」



 思わずカエが、『これは聞いていい話?』なのか問うと、アインは何事か考える素振りを見せたあと、手のひらを合わせて黙認を願った。



「やっぱりダメなんじゃないかよ!!」


「ごめん……つい……」



 先程、レリアーレは『私にも秘密はある』と言っていた。今のアインの語った内容はどうも彼女の『秘密』に関わりがありそうだ。女の子の秘密をしれっと暴露するアインの評価がまた一つカエの中で低下する。



「まぁ……俺が言いたかったのは——リアは昔のトラウマで人付き合いが苦手で……」


(話を逸らしやがったなコイツ……)


「だから……あんなに楽しそうにしている彼女を見て安心したんだ」


「…………」



 ただ、カエはアインに言いたい事があれど……この時の彼の表情を捉えると——つい口から溢しかけた言葉を飲み込んだ。



「凄く嬉しかったよ。他人との関わり合いで、リアがあんなに笑ってて……だからカエちゃん。リアを笑顔にしてくれてありがとう。これからも彼女の良い友人でいてくれ」



 泣き出しそうで……それでいて満悦感を漂わせた哀愁の微笑み。


 

 アインのデリカシーの無さに文句を言いたいところだったが……カエはこの事に指摘するのはやめた。


 何故なら……



「ええ……その謝意は受け取りましょう。まぁ、私は強いて大した事したつもりはないですがね」


「——ッ!? ふふ……ああ……」



 ここは1つ——レリアーレの心の底からの笑顔に免じて……今だけは彼を許してやろうと、カエが思っていたからだ。



 不思議と、カエの内包した悪感情は薄れて、この時のリビングルームには和やかな雰囲気が満ちていた気さえした。


 







 だが……そんな時——








「——ヒィヤァアアアア!!」


「「——ッ!!」」





 再び通路の奥で悲鳴が上がった。





 

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