第74話 一緒に入る?

「じゃあ、私はこれを飲んだらすぐまた寝るんで——それと、私とフィーには自室があるけど……2人の寝るスペースは、このソファーでも使ってください」



 カエはそう言うと、自身の手にしたマグカップを仰いだ。



 アインとレリアーレをこのセーフティーハウスに招いたのは、寝床の提供である。この深夜に樹海の中をレリアーレのような生娘を放り出す事を想像すると、どうしてもカエは心痛に耐えられなかったことから……2人を泊める事にした。

 そこで、2人の肝心の寝床であるが……カエとフィーシアにはちゃんとした自室とベットがあるが……では、2人には一体どこで寝てもらうかだ。

 正直、インベントリの中には調度品アイテムとしてベットはある。宿屋でフィーシアがしたみたいに、このリビングルームにベットを出す事は可能ではあるのだが……いきなりそんな行為をすれば、再び2人にはカエの可笑しな力をまた一つ公開する事になってしまう。既に、多くの秘密を見られてしまった後ではあるが……これ以上の情報公開はしないに越した事はない。

 それで、思いつく候補が今まさにカエの座るソファーだった。座った感触は、弾力はとても良く、沈み込み跳ねる感覚は悪くない。表面の質は毛布のようにフカフカ、触り心地も申し分なく、下手なベットに比べると寧ろこのソファーの方が快適な気さえする。少し、狭苦しいが……何が生息してるかも分からない樹海の中で野宿するより何万倍もマシであろう。2人の寝床はこれで十分と考え、カエは提案を口にした。


 すると……



「あのぉ……カエちゃん? ちょっといいかしら?」



 恐る恐るといった様子でレリアーレは小さく挙手をする。彼女のその姿は何か言いたそうな反応だ。



「ん? 言っときますけど……寝床に関しての文句は受け付けませんよ? まぁ……タオルケットぐらいは貸し出してあげますけど……」


「——ッあ! 違うの……寝床について文句がある訳でなくて……寧ろ、こんな上等なクッションのイスは初めてよ。凄く良く眠れそう! 王侯貴族が使うような高級な代物なんじゃ——本当にここで寝ていいの? 悪いことしてるみたい」



 だが、彼女はどうもソファーに関しては文句はないようで、大袈裟な評価が飛んでいる。至って普通のカウチソファーだと思うが……彼女の感覚では高級品らしい。



「なら……どうしました?」


「ああ……えっとね……お水を少し貰えないかなぁ……って……」


「水? 喉が渇いて……?」


「あッ、違うの——身体を拭きたくたね。桶ぐらいの水をね……」


「身体を……拭く……?」


「ええ——今日一日凄く大変だったから……服の下がもうドロドロなの。寝る前に少しでもサッパリしたくて……」


(ああ……なるほど……)



 つまり、彼女は身体を拭くのに水が欲しいと——それで、このような申し出をしているみたいだ。

 カエは、その事に気づくのに多少の時間を有してようやく納得がいった。というのは、カエの中身は男である為——なかなか考えが至らなかったと言える。

 良く考えてみれば、彼女は『女の子』であって身体の汚れは特に気にするところなのだろう。あの渓谷(飛竜の棲家)は砂煙が舞っていて、更に竜との対峙による冷や汗と——彼女の衣類や髪は砂や汗に塗れているのは容易に分かる事だ。実際、アインとレリアーレを観察すると2人の衣服が砂で煤けている。

 ただ……冒険者とは普段どうしているのだろうか? アインもサラッと口にしていたが……『水』は貴重。基本、野宿の冒険者が水を使って身体を拭くなんて、川や池があればその限りではないが、贅沢なのは否めない。


 だから……彼女は申し訳なさそうに『水』を欲しているのだろう。


 女性の気持ちには疎いカエだが……前世ではみじかに妹がいた為、ちょっと考えれば彼女の気持ちにも気づけたと思える。

 

 この事に関して、カエは心の中で少し反省した。



「——ッあ! わがままだって分かってるわ。これ以上、カエちゃんに迷惑は……」


「だったら……にでも入ってくればいいんじゃないかな」


「そ、そ〜よね! ダメよね! ごめんなさい無理言っちゃ……て……え? ??」



 であるなら……


 『水』で拭くよりも、このハウスには『お風呂』がある。なら、彼女にはそっちを薦めればいいと考えた。幸い、『お風呂』は常にお湯が沸いているからちょうど良い提案であろう。



「カエちゃん? この建物って……『お風呂』があるの?!」


「ええ……ありますけど……え?」


「ウソォーーーォオ!!」


「「——ッ!?」」

「——ッ!? え? ナニ……??」



 すると突然、レリアーレから絶叫があがる。それに、彼女の隣のアイン、そしてフィーシアまでもが驚いて身体を跳ねて反応した。勿論、カエも驚きから動揺するような言葉を漏らしている。



「『お風呂』って——貴族や王族のお屋敷にしかないものよ! たまに高級宿屋で入った経験があるけど……本当にここにも『お風呂』があるの!?」


「——ッえ?! ……ええ……」



 レリアーレは再び身体をテーブルに乗り出しカエに迫って『お風呂』について問いただす。カエもそれに釣られ身体をのけぞって簡素な返答をした。そんな興奮状態の彼女の顔色を伺えば、目を輝かせた喜色満面さを露わにしている。



「——ねぇ! アイン聞いた? お風呂ですって!!」

「……へ? ああ……お風呂…………え? お風呂??」



 次にレリアーレはアインに視線を移し、興奮に至る要因の情報を分かち合うべく、アインの肩をペシペシ叩いて話をふる。だが……アインは、レリアーレの悲鳴を聞くまで心ここにあらずと、先程から無言で今までの少女2人のやり取りを聞いてなかったようだ。まるで話題についていけてない。フィーシアに関して言えば無口で会話をしないのは分かるが、アインの方はどうもカエに『ストーカー』と呼ばれたことに堪え放心状態だったみたいだ。



「カエちゃん本当に入っていいの? 寝床の提供だけだったと思うのだけど……!」


「ええ……構いませんよ。レリアーレ、さ…………リア……は女性ですから……汚れとか、臭いが気になると思ったので……これぐらいは気を使いますよ」


「あら、ありがとうカエちゃん! とっても嬉しい!」


「それはよかった。お風呂は、そこの通路の奥——突き当たりの扉です。扉は近づけば勝手に開くのですぐ分かると思いますよ。あと、タオルとか……適当に棚に収まってるの使用してもらって構わないです」


「——ッ分かったわ!! では……早速〜〜♪」



 レリアーレはカエより『お風呂』の場所を知ると、急いでソファーから立ち上がり、カエの示した通路へとスキップを刻む。



「——あ!? そうだ……アイン!」


「……ん?」



 ただ……その途中、彼女は振り向きアインへと声を飛ばす。そして……



「——アインもどう? ふふふ……一緒に入る?」



 と——聞く。するとアインは……



「——ファア!? な、な、な……な訳……入る訳ないだろ!!??」



 一瞬で顔を赤面させ、慌てて提案を断った。



「うふふ……冗談よ。どうしたのアイン……顔、真っ赤よ?」

 

「……か、揶揄わないでくれ!」


「別に揶揄ってないんだけどなぁ……でも、アインもお風呂は入るでしょ? 私が先にいただくけど……いい?」


「——ッ……あ……ああ……」


「ありがとう! じゃあ、お先に——!」



 そう言うと、レリアーレの姿は今度こそ本当に通路へと消えていった。



「……ヘタレですね……」

「……うん、ヘタレだね」



 レリアーレの姿が見えなくなると、フィーシアとカエ……互いに思った事を口から漏らした。といっても、カエに至っては人のことは言えないのだが……



「……別に、“カノジョ”の戯言でそこまで照れるかなぁ?」


「——はい? カノジョ?! いやいや……リアと俺はそんな関係じゃないよ……」



 そして、カエは生姜湯をまた一口啜り、その合間に先ほどのやり取りについて、アインに茶々を入れる。が、アインはこれに素早く反応を見せ否定を口にする。



「リアとは、単なるパーティーメンバーだよ。昔、リアを助けた事があって……別に俺は助けたつもりじゃなかったんだけど——“お礼をするんだ!”って聞かなくて」



 アインは、レリアーレの姿がなくなると、落ち着きを取り戻したのか、ソファーに深く座り直し、膝の上の組んだ自信の手を見つめて語り出した。



「それで、リアが冒険者のパーティーメンバーとして俺について来てくれた。単なるギブアンドテイクなんだよ。お礼だって言っても、彼女には僕が施した以上の穏健をもらってるしさ、迷惑ばっかりかけちゃって……だから、彼女は俺にとっても恩人——なのかな?」


「ふ〜〜ん」


「あ!? ごめんね。急にこんな俺の身の上話なんてして……つまんなかったよね」


「——はい。とても……」


「カエちゃん……正直すぎない?」



 ただ……アインの話を拝聴しつつ、カエはつまらなそうにしていた。だが『つまらない』とは、何も『アインの身の上話』のことではなく……


 カエの予想ではレリアーレは……


 だから……『つまらない』とは……彼の……



「まぁ……俺が口出すことじゃないか……」(小声)


「ん? カエちゃん? 何か言ったかい?」


「いや、別に……」



 そして、再びマグカップを傾けるカエ……口の中では生姜とほのかに蜂蜜が香りが広がる。シンプルながらも、落ち着く良い味であった。流石はフィーシアだと思いつつ悦に入って、カエの生姜湯の啜るペースは一段と増すのだった。



「でも……カエちゃん。本当に俺たちを受け入れてくれてありがとう。リアはああして、平気に振る舞って見せてたけど、結構無理してると思うからさ」



 そんな落ち着きつつあるカエに、アインが話題を変えて会話を続ける。



「森の中で急に見えない壁とか、本当に驚いちゃったよ」



だが、この時——



「——ッ……だからって……攻撃……しちゃうんですか?」


「……え?」


「彼女、アナタの突飛な行動に驚いてましたけど、相方の心痛を労わるくせに……更に心配かけてどういうつもりなの——?」


「——ッウグ!?」



 アインの話題変更は、カエの地雷へと突き刺さった。アインはこの時、カエとただ少しでも『おはなし』をしたかっただけなのだが、この時彼が持ち上げた話題には問題があった。



「あと、止めるの一歩遅かったらんですからね?」


「——ッ……それは、本当に申し訳ない」



 カエも、特に追求する気はなかったのだが……あまりにも軽く話を振るアインに思わず、ムッ——として苦言を呈した。



「危うく、カエちゃんの拠点を破壊してしまうところで……」


「いや……おそらく、アレぐらいの攻撃なら、このセーフティハウスはほぼ無傷でしたよ?」


「……え?」



 だが……アインは反省する間もなく、カエの次の発言で驚愕を禁じ得なくなる。



「寧ろ……危なかったのはです」


「——え? 俺たち??」


「ええ……この拠点のが発動して、危うくにするところだった」



 カエの言う『危なかった』はセーフティハウスの『損傷』という意味合いではなく——アイン、レリアーレの2人の事を指していた。



「あはは〜……蜂の巣? それは……カエちゃんの故郷での言い回しか、比喩だったりするのかなぁ〜〜? なんだか、とっても嫌な響きだけど……」


「文字通りの、になるって事ですよ」


「…………う……嘘でしょ……?」



 このセーフティハウスは敵に対しての防衛機構を備えている。ハウスの外壁に一定の衝撃が加わると装置が起動し、すかさず迎撃システムが働く。そこから襲撃者は弾幕を浴びせられる事になる。身体を貫く鉛の弾幕を——蜂の巣とはよく言ったものだ。

 だから、カエはアインが武器を構える姿を画面越しで捉えた瞬間、大慌てで彼の奇行を止めに走ったのだ。


 因みに——


 ハウス内に戻って来たカエに、フィーシアが見せた反応を覚えているだろうか——? カエは、アインとレリアーレが無事だった旨をフィーシアに伝えたが、その時の彼女の顔には『無理解』が張り付いていた。この時の、2人の認識の齟齬は……カエはあくまで人命の心配をしていたのだが、フィーシアの心配とは、不要な防衛機構の発動を危惧したものであった。

 ハウスの防衛機構は有限であり、敵の攻撃を緩和する為の障壁は少なからず摩耗する。フィーシアの心配は、その障壁の修復と防衛機構摩耗の補填を危惧し、カエの口にした「無事だった」との言葉に安堵したのだ。





「——だから……無闇に攻撃するなんて馬鹿なんですか? 下手なことで、死んでい…………だめだな。聞いてないや……」


「……蜂の巣……穴まみれ……」



 そして、カエはこの事でアインに小言を畳み掛けようとするも……肝心のアインは譫言を呟く再生機と化し、彼の心は何処かへ飛んでいってしまっていた。



「…………」



 カエは、そんな彼に呆れはするものの「コイツ(アイン)も限界なんだなぁ〜」と憐憫な眼差しを向けて、これ以上の追求は許すこととした(ストーカー行為は許さないが……)。

 

 再びカエは、手に持ったマグカップに口を付けた。


 が——



(……ッ……ああ、もう飲みきってたか……)

 


 呆れる度に、呷る“生姜湯”は、既に飲み干した後だった。カップをひっくり返してみても一滴すらしたたることのない現状は、カエがどれほどアインに呆れていたのかを物語る。僅か5分かそこそこの合間のことだ。



「——フィー……もう、寝ようか?」

「——そうですね」



 カエは、ここを区切りとして、アインを放置——フィーシアに就寝を促す。

 すると、すぐに返答が返ってきた。彼女が返す答えなどはなから知っていたが、フィーシアの言葉が決めてとなり、自室を目指すべくソファーから腰を持ち上げようとする。


 

 だが、その時——



「キャァァァァァ!!」



「「「——ッ!!」」」



 この場に居る者が抱えた。



 「呆れ」と——


 「放心」と——


 「無関心」——



 それぞれの持つ感情が、突然通路から響いてきた悲鳴によって奪われた。








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