第65話 重い斧

「マスターお怪我はありませんか——?」



 フィーシアより討伐報告を受け待つこと数秒——竜の骸の袂で戦斧を杖代わりにし立ち尽くしたカエの元には気づくとフィーシアの姿があった。

 彼女は今の今まで遥か高所に居た筈だが……10秒少しの感覚でカエの視界は白い少女の姿を捉えることになる。常人から考えれば、尋常でなはない移動速度だ。



「うん——大丈夫……怪我は特にしてないから」



 だが、カエはそのことに触れず、足早に駆け寄るフィーシアに言葉を返す。

 恐らく、彼女は自身のを使ったのだろう。その力をフルに使ったのなら、この移動速度にも想像がつく。それが分かっているからこそ、カエは特に驚く素振りは見せなかった。

 そこまでして駆けつける彼女の憂慮の念を汲み取ったカエは、フィーシアを心配させまいと自身の無事を伝える。


 ただ……



「——怪我はね……してないんだけど…………き、気持ち悪い……」



 カエには目立った外傷はなかったが、竜の首を落とすために使用した薬品(強化剤)とスキル発動の反動で少なからずダメージを受けていた。竜目掛けて落下している段階では、力を振るえる期待と、“theドラゴン”に挑む待望が、カエを興奮させ幾らか苦痛を和らげていたが——事を終えた今になって、ようやく彼女に負担がのしかかったのだろう。心なしか、カエの顔色は悪かった。



「だぁーー!! 重いんじゃーーこの斧!」



 カエはここにきて、杖代わりの戦斧【デストラクション】を地面へと投げ捨てた。杖の代わりにした割に、カエの身体は全く楽にはなっておらず——身体の態勢など試行錯誤はしてみたが……寧ろ、斧の重さが無駄にカエにのしかかってしまう。遂には諦めて、負担からくる苛立ちを武器に八つ当たりした。デストラクションは地面に倒れると、ズシン——と重圧な音を発して地に伏してしまう。戦斧の重さが鼓膜を通してよく伝わってくるようだ。

 そもそも、武器が重いのなら宙に放れば自動的にカエの背に浮いて鎮座するというのに……この時の彼女はアビスギアの仕様すら思い至れない程、思考は不快感と苛立ちだけが募るばかりだった。

 これは決して褒められた行為ではないが、どうも自身の苦痛を誤魔化す為——と見て取れる。



「マスターどうぞ、回復薬と解毒薬です」



 そんな、苛立ちを隠せないカエにフィーシアはすかさず2本の試験管を手渡した。中には、攻撃上昇に用いた時とは違い、両方とも青色半透明な液体が入っている。その正体は、回復薬と解毒剤だ。

 今のカエは、スキルによって攻撃力上昇効果の一切が消え去ってしまっていた。その代わり、後に残ったのが戦技による30%のダメージと、絶えず上がって下がってを繰り広げる毒と自然治癒効果……そして、強いてあげるなら口腔内に残る苦味や酸味、更に痺れによる不味のマリアージュであろうか——?


 フィーシアは、この時のカエの状況を理解していて2つの薬を手渡したのだ。



「う〜〜ありがとう〜〜フィー……」


「あちらに椅子をご用意致しましたので座って体を休めてください。風通し良好の場所であれば少しは気がほぐれるかと……」



 そして、カエは泣きそうな声を漏らしつつ薬を受け取る。すると、フィーシアはすかさずある地点を示して言葉を続けた。

 そこには、竜の骸から離れた位置にイージーチェアとサイドテーブルが設えてあった。昨夜、宿でフィーシアが用意したものと同一のモノ。明らかに、ここ【飛竜の棲家】で浮いた存在となっている。



「うわ〜ん、至れり尽くせりかよ……フィーに精一杯協力するって宣言したばっかりなのに……情け無い……」


「そんなことないですよ。マスターは私にとって最高のマスターです。マスターはドラゴン討伐に尽力して、身体にはスキル行使で負荷が掛かっています。ですので、ここは休んでください。武器の事は心配いりません。私が拾ってお持ちしますので……先に腰を落ち着けて待っていてください」


「ありがとう。じゃあ、ここはお言葉に甘えるよ。はぁ……年甲斐もなくはしゃぐもんじゃないね……」


「……年甲斐?」


「あ、いや〜何でもないよ〜〜フィーシア——後、お願いね?」


「はい、マスターのサポーターのフィーシアにお任せください!」



 カエは、渋々といった感じにイージーチェアを目指しおボツいた足取りで歩き出した。その間、フィーシアに手渡された試験管の薬剤を、クピクピ呷りながら……

 【飛竜の棲家】最深部では、フィーシアに家族だ何だと言っておきながら、竜討伐のサポートに討伐後のアフターケアと……おんぶに抱っこ……

 思わずカエはこの事に不甲斐なく感じてしまっていた。だが……身体がダルく、体感が重いことは事実。少しの間だけ、フィーシアの敬虔けいけんたる謙信に甘えてしまおうとの欲求に折れてしまったのだった。必然的にカエはイージーチェアへと吸い寄せられていく——



 そして、フィーシアは自身の主を送り出すと、戦斧を拾おうと踵を返した。



 すると……



「……ッ——ッッ——アレ? 嘘でしょ!? ——重ッ!! 持ち上がらない?!」


「…………」



 フィーシアの視界には、横たわった戦斧【デストラクション】を持ち上げようと奮闘するアインの姿があった。

 彼は、両の手でデストラクションの柄を握り締め、力を込めている。身体が小刻みに震えていることから、それなりの力を戦斧に込めていそうだ。

 

 だが……戦斧は微動だにしない。



「一体……何をしているのですか?」



 フィーシアからして見れば謎の奮闘。アインへと近づく彼女からは、思わず絶賛奮闘中の彼への疑問が呟かれる。



「——ん? ああ……すまない。他意はないんだ。カエちゃん……なんだか疲れてそうだから、せめて重たそうな武器ぐらい持ってあげようと思って……てか、この斧凄く重いんだけど? コレ実戦で使える人いるの?!」

「……それ程? ふぅ〜ん……アインが持ち上げられないなんてよっぽどね。エンチャントでも使ってみたら?」

「いや〜〜それは、なんだか男として負けた気が……」



 アインは、フィーシアの怪訝な声と雰囲気を拾い、すかさず弁明を口にする。そんな彼の傍では、手伝うでも無くただただ傍観に務めた神官服の女性、レリアーレの姿もあった。



「……ッ——ッッ〜〜っだぁあ〜〜もう無理だぁあ」



 アインはしばらく斧と格闘するも、遂には諦めて柄から手を離した。そんな彼の表情には悔しさが滲む。

 戦斧【デストラクション】はアビスギアでも随一装備重量が重いとされる武器。カエ達は、システム、仕様といった補助ありきで持つ事ができるが、直人のアインには、持ち上げるには至れなかった。そもそも、カエ自身の装備も装備重量制限をオーバーしている為、デストラクションを何度も振り回した扱いはできないと言うのに……


 ただ……それでも——



「殊勝な心がけですね。お気持ちは褒めます……ですが、まだまだですね」


「……ッ?! あれ?? 簡単に持ち上がって——!?」



 フィーシアは戦斧【デストラクション】に近づき柄に手を掛けると、ヒョイ——っと持ち上げる。これを目の当たりにしたアインの表情に驚愕が滲み出る。それもそのはず、男であるアインが一生懸命に持ち上げようと試みてもビクともしなかった斧を、幼気な少女が軽々持ち上げたのだ。驚くのも無理はない。

 そして、フィーシアは柄の斧刃に近い部分を両手で抱え踵を返し主の元へと戻って行く。



「アイン? いつまで惚けているの? ほら行くわよ」


「いや、だって……あの斧をヒョイって?」


「アイン……大丈夫。私はアインがだったって事。誰にも言わないから〜」


「——んん?! えぇぇ——……? 俺がいけないのか?」



 そして、フィーシアに付いてアインとレリアーレの2人もカエの元へと向かう。









「マスター……デストラクション回収してきました」


「ん……ありがとう〜フィ〜」



 フィーシアの帰りを待っていたカエは、彼女に謝意を伝える。その時の彼女は何故かティーカップを仰いでいた。

 カエの座るイージーチェアのすぐ横。サイドテーブルの上には、鼻からティーポットが置かれていた。ポットの蓋を取れば、芳醇な香りが広がる事から、自ずと紅茶だと理解できる。カエは口の中の不味成分を濯ぐ意味を含め、それを仰いでいたのだった。

 それは、カエの求めたモノを瞬時に提供してくれるフィーシアのもてなし。まさにサポーターの鏡のような所業だ。フィーシアは実に気の利いた良い子である。

 カエはフィーシアが近づくのを確認すると、カップをサイドテーブルに置いた。そしてフィーシアからデストラクションを受け取ると、すかさずインベントリにしまう。巨大で主張の激しい大戦斧は、一瞬にしてその姿をかき消した。



「「——ッえ!? 斧が消えた?!」」


「——ん?」



 その時、フィーシアの背後から2つの驚愕と取れる声が上がった。アインとレリアーレのモノである。どうやら2人は、瞬時に消えた斧を目撃して、その事象に驚いたようだ。カエはこの時、悲鳴を拾って自ずと2人に視線をよこす。

 A級冒険者の存在は、近くに居ると認識に留めていたが——視界にあらためて収める事により、この時カエはようやく2人を知覚した。

 ただ、彼女の表情は途方もなく濁っている。あからさまに不機嫌を顕にしていた。それは2人の内、特に男の方に向けてのモノだ。



「——あ……や、やぁ〜カエちゃん体は大丈夫? す、すごかったね〜あの一撃。ドラゴンを倒しちゃうなんて」



 そして、そのくだんの男——アインは、驚く表情をすぐさま引っ込めると、気を切り替えてカエに話しかける。



「カエちゃんって〜〜だれのことですかぁ〜〜?」



 ただ……それには、アインを突っぱねるが如く惚けたカエ——



「いやいや……その綺麗な長い黒髪はカエちゃんでしょ? 顔は仮面で隠れて外套姿じゃないけど……その格好は……異国の装いなのかな? 不思議な印象だけど、うん! 凄く似合ってるよ!」


「ムスゥ……そりゃど〜〜も」



 が——誤魔化せない。ここまで状況証拠が出てれば正体など隠せるはずもなく……いくら馬鹿なアインでも無理があったのだ。

 

 今のカエは、いつもの外套を纏っていない——黒い戦闘服姿だ。顔には目を覆い隠すSF仕様のゴーグルが装着されているが、頭の高い位置で結ばれた長い黒髪と、彼女自身の声は全く隠せていない。ゴーグル1つで誤魔化しなんて聞く由もなかったのだ。

 正体がバレバレだと悟るや否や、カエはゴーグルを外しインベントリへと放り込む。そこで覗く彼女の表情は、ブスゥ——とした不満顔。せっかくの清楚美人が台無しだ。

 それも、全ては、目の前のアインが原因。彼と鉢合わせたのは『森』『ギルド』『喫茶店』に、『宿屋』『路地裏』そして『今』と……カエの表情にも納得いく。次こそ出会えば、“鬼の形相”にでもなっていそうである。



「それに動きやすそうで、戦いに適してそうだ! ッあ! ここは1つ——A級冒険者のパーティーに加入してみたり〜〜なんたり〜〜……」


「——ッしません!」



 そんな彼は、カエの気持ちを汲み取る気がないのか……軽口と共に、どさくさに紛れあり得ない提案を振る。

 今のカエは、フィーシアの癒し空間で回復しつつある思考を有していたが、それでも気分はまだ全快ではない。アインの発言に心底イラッとしてしまう。



「あの〜〜私、今イライラしてるんですけど〜〜? 命を助けて貰っといて、仇で返す気ですかぁ〜?」


「——ッええ! あ、や……そんな、つもりじゃ〜〜……」


「そもそも、今朝追い払ったのに、何でこんな辺鄙な所にまで追いかけて来るんです!? パーティー加入は断りましたよね? ここまでくると……あなた、生粋の変態ですか? ストーカーですか? 本気で怒りますよ!?」

 

「あ! それは、違う——ここに来たのは依頼で……偶然なん……」


「信用できるかぁぁあああ!! ——ッガルルル!!」



 アインは事の詳細を『偶然』だと語るが——カエはこれを信用しない。実際は、レリアーレの持ち出してきた依頼だけあって、アインの言は正しいのだが……

 アインがカエ達に対して働いた問題行動の数々では、信用を勝ち取るのは難しい。完全に自業自得であった。

 カエはそんなアインに対して動物の真似事のように威嚇をする。


 だが……



「あの! カエちゃん……いや、カエルム……さん?」


(——ッ? ?)



 ここで、話し掛けてきたのは、彼の相方のレリアーレである。ただ、その言葉使いにはどことなく敬意を感じる。



「違うの、アインの言っていることは本当よ」


「依頼でここに来たってやつが……ですか?」


「ええ……依頼は、私が朝ギルドを訪れて探してきたもので……それで……」



 ただ、この時のレリアーレは以前会った時ほどの元気が感じられない。竜との邂逅に余程堪えているのだろうか? ただ……


 その時——



「私が……ワタシが……原因で……う……うう……」


「「——ッ!!??」」



 そんな彼女の頬に涙が伝った。



「——ッリア!?」


「え、え、え……何で泣いて……?! なんか悪い事言った!?」



 これに動揺したのは、アインとカエである。あからさまな態度が表情から滲み出ている。

 フィーシアはというと、そもそも彼女はアイン、レリアーレの両名には辛口意見を表明していたので、どこ吹く風でカエの口をつけたティーカップに追加の紅茶を注いでいた。我関せずの構えだ。



「ああッと——依頼でここに来た事は分かりました。分かりましたから……だから……え〜とぉ……泣き止んで? いや、元気を……? 出してください?」


「うん……グス……ごめんなさい。あなたが悪いわけじゃないのに……私ったら……」



 レリアーレはかなり無理をしていたのか……ここへきて依頼受注の失敗を思い出して気が動転してしまったのだ。カエからすれば何の事かさっぱりだが……大凡、竜との戦闘に堪えたのだと勘違いしている。ただそれも原因の一要因ではある為、あながち間違いではないが。



「あなた達は一体どういうつもりなのですか——?」

「……? フィーシア?」



 だが……ここで、状況を観察していたフィーシアが口を開く。



「あなた達が、この地に何の目的で来たかなどどうでもいいです。ただ……些か、考えが甘かったのではないですか? ギルドの規約によれば、冒険者は基本自己責任——どの地に足を踏み入れようが勝手ですが……力不足であれば、直ぐ命取り。もしもの時の対処も考えられないのであれば、鼻からこの地に訪れるべきではありません」



 フィーシアの語るのは、助けに入る前にカエに話した内容のモノだ。彼女は、アイン達の竜に対しての対処の爪の甘さを鼻から指摘していた。



「それは勿論だ。お恥ずかしい限りだよ。耳が痛い」


「冒険者のプロを語るなら、その名に恥じない行動を。今回、たまたまマスターの気まぐれで助かったようなものです。マスターに感謝してください」


「うん……助かったよ。今日の教訓は忘れることはないさ。君達が助けてくれなければ、絶対死んでいた」


「——そうですか……」


「——だから……ありがとう!」


「「…………」」



 アインはフィーシアの叱責を否定するでもなく受け入れた。そして、カエ、フィーシアに向き直ると哀愁漂う微笑みを見せて感謝を伝える。

 カエ達に散々付き纏う彼でも、竜との死闘とはアインの精神に少なからず影響があったのだろう。この時の表情からは無理が祟ったかの様子が読み取れた。


 カエ、フィーシアはこれを黙って聞き及んだ。


 

 それで——


 カエ達は本来、アイン、レリアーレに関わるつもりはなかった。


 なら、助けた事に関して、アインより感謝が述べられたのなら2人との関わりも一旦は終了であろうか。


 周辺も薄暗くなりつつある——


 それもあって、カエは2人の冒険者に意識を向けていると同時に「終了」との文字が思い当たると次の行動を考え始めていた。ただ……そんなものは既に決まっているも同然。とりあえずはこの場からの移動が最優先だ。自身のダメージ回復を図ってからが最善であろうが、そんなのはフィーシアに手渡された薬で既に回復済み。


 そして……



(あとはメンタル的な話だけど、今はとにかくセーフティハウスで盛大に寛ぎたい気分だ。それに腹の虫もそろそろ……)



 だったら……



「謝意は受け取ります。なら私たちは急ぎますのでこの辺で失礼しますよ」



 2人の冒険者と別れ早急にここを離れる。


 フィーシアにあれだけ言われたのなら、今後この2人はもっと慎重に事にあたる筈だ。カエとしても、悪戯で誰かの命が無くなるのは心苦しいと思っていたが……

 全てはフィーシアが代弁してくた。ならもう大丈夫であろうと結論付け、カエは撤収の段取りを付けようと行動に起こし始めたのだった。


 すると……

 

 

「あの……ちょっと待って……」


「……? まだ何か?」


「あ……あのね……えっと……」


「…………ああ……ゆっくりでいいので少し落ち着いてみては? 私は、待ちますから」


「……ごめんなさい」

 


 レリアーレはまだ何かを言いたそうに、カエを静止した。ただ彼女はまだ気持ちの整理が行き届いていないのだろう。なかなか言葉を出せずにいる。

 ただ……カエは、せめて彼女の伝えたい言葉ぐらいは聞いてあげようと——それぐらいの良心は持ち合わせていた。レリアーレが落ち着くのをただただ待った。女の子を無碍にしない紳士さぐらいは、カエでも持ち合わせているのである。



 だが……次に言葉を発したのはレリアーレではなかった。


 

「——ん? あれ〜〜? もう、終わっちゃってるッスね〜〜?」



「「「「——ッ!?」」」」



 この時——唐突に、この場で5人目となる声が、4人とは別の離れた位置より上がったのだ。

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