第47話 鬼ごっこ

 カエが、アインの対処として用いた最終手段。


 それは……秘技【逃げる】であった。結局は、昨日と同じ二の舞である。


 だが……それと言うのも、仕方のない事。


 RPGで言うところの【逃げる】とのコマンドは決して臆病者の為にある訳じゃない。男に対し、どんな説得(攻撃)や拒否(魔法)を使ってもダメージが入らないのなら、もうカエに残された選択は【逃げる】のみだったというだけの話し……

 彼との出会いは結局のところ“逃げイベント”であったと、カエは心算し決定付けたのだ。


 まだ、フィーシアの手を出させる【仲間に頼る(◯る)】より、何倍も良い選択であろう。



 そして……



 まず、逃げるにあたり最初に取った行動はストーカー(アイン)の視線誘導である。

 彼が居るのはカエとフィーシア両名から僅か数歩の距離しかない。この近接状況で逃げ出したとしても、監視された状況からではすぐにバレて追いつかれてしまう。

 そこで、まずは彼の視線から外れようと考えた。



 では、どうやって誘導したのか——? 



 その答えは至ってシンプルである。



 アインの態度は、最初からカエに好感を持って接触して来た事は一目瞭然であり、彼女の事を良く知ろうとする欲求が異常だと感じ取れた。

 で、そんな執念深く執着心に塗れているこの男であれば……もしカエが「“気になったコト”がある」とでも言い出したなら……自然と“気になる子”の“気になったコト”を知りたいと思うのは男のサガだと思考した。

 あとは、カエとフィーシアが居るのとは別の空間を指差して不思議そうな表情を見せれば、自然とアインの視線の誘導は容易だった。

 因みに、“気になったコト”や“ソレ”と、示した対象を暈した言い方を多様したのは、対処を謎にする事でアインに思案させ、僅かでもそれに集中し隙が伸びる事の打算が含まれているからである。


 後は、そのちょっとの隙を利用し、男とは反対を目指し駆けて逃げるだけで良いのだ。


 ただ、ここで直ぐに光学迷彩を起動するのはNGである。


 視線を誘導したと言っても、それは数秒程か……良くて十数秒にしか満たない僅かな隙でしかなく、こんな隠れられる場所の少ない路地裏で、数秒でいきなり姿をくらますのは、いくら何でも怪しまれてしまう。


 光学迷彩を使用するにしろ……まだ、その時ではないのだ。



 そして……



「——ッちょ……ちょっと待ってくれ〜! 話しを……聞いてくれ!」



 やはり、男は直ぐ事態に気づき追いかけて来た。アレほどの執着を抱えた人物だ。拒否されて逃げられた位では諦めないと、既にカエの中では予想されていた。

 要は、アインという男は、いやな意味で予想通りに動いてくれるイヤ〜〜な奴であったと言う事だ。



「——ッフィーシア! 数十メートル先! 次の角を左に……そしたら…………」


「はい……ッ……了解しましたマスター」


 

 そして、カエはフィーシアに次の指示を出す。







「なかなか……早いね! でも俺から逃げるなんて無理だよ! 風よ……エンチャント【エアリアル】」



 カエとフィーシアはすっかり遠く離れ、アインからしたら影は限りなく小さくなってしまっていた。

 だが……諦める素振りを見せない彼は、余裕そうな表情のまま何やら言葉を呟く。

 すると、彼の腰の鞘に収められた短刀の片方……その鍔に煌めく宝玉の輝きが増したのだ。

 次の瞬間、アインの両足に青白い奔流が渦巻く様を展開し、彼の駆けるスピードが明らかに早くなった。それはもう“駆ける”と言うより“飛び跳ねる”かの様に……

 この速度であれば、おそらくアインが彼女らに追いつくのは時間の問題であると思われる。



「あと……もう少し…………ッん? 角を曲がった!? でも無駄だよ……一瞬視界から外れても、もうすぐ追いつく!!」



 彼女達は暫く路地を直進して駆けていた。だが、ある地点で角を左へと曲がったことにより、アインの視界から一瞬外れる。

 おおよそ路地裏の角を利用し、撒こうとの腹づもりだろうが……これはアインであっても容易に想像のつくことだろう。


 だが……彼女達が角を折れてから、彼がその角に差し掛かるまでは僅か数刻。

 

 隠れる余裕など、おそらくは存在しないと、アインは考えていた。



 しかし……



「……角を左に……と……って——ッ!? ええ!? 居ない——!!??」

 


 2人の少女の姿は今度こそ、アインの視界から消えてしまったのだった。



「ええ!? 隠れた? でも……そんな場所は……もしかして——そこか! その隠れて見えずらい傍に入った細道……クソ! 絶対追いついてみせる。俺の話しを聞いてもらうんだぁああーーー………」



 アインは路地の角を曲がると、そこには先ほどまで目の前を走っていた筈の2人の少女の姿がない事に驚愕し、辺りを見回す。

 すると、少ししてから小さな小道を見つけ、叫びながらその小道へと走り抜ける。彼の木霊した声は次第に小さくなり……やがて聞こえなくなった。



「…………行った……かな?」

「……はい、おそらくは……」

「そっか……じゃーもういいかな? 【光学迷彩】解除」



 そして、アインが居なくなった事を確認すると、誰も居なかった筈の路地裏の通路にカエとフィーシアの姿が現れた。



「ふふふ……無事逃げる事に成功したみたいだね〜」

「さすがは、マスターです。マスターの素晴らしい作戦に、私は驚愕の念に堪えません」



 そう……カエ達は無事、アインから逃げる事に成功したのだった。



 一体、そこで何が起こったかと言うと——



 作戦はこうだ——カエとフィーシアが角を曲がった後、アインの視界から外れた瞬間、直ぐ真上へと跳躍した。それは、到底人の筋力では成し得ない程の跳躍力を発揮する。

 流石は異世界転生パワーだな〜と自身の備わる力に、カエは関心しつつも……その跳躍直後に建物3階部分にあった窓の欄干へと捕まり、そこで光学迷彩を起動したのであった。

 そして、後は男が過ぎ去ってくれるのをただただ、ジッ——と待つだけ……


 という事だった。

 

 ただ……


 先ほどは直ぐ起動しなかった【光学迷彩】を、一体何故今頃になって、更に言えば高い所に逃げてまで起動したのか……?

 カエの行動には非合理的な部分が見え隠れしているようだが——コレにはちょっとした理由があるのだ。


 まずカエは前提として、アインに自身の力に気付かれる事を避けたかった。

 そこには【光学迷彩】と言ったRPGな異世界とは不釣り合いな、科学技術もそうだが……カエの身体能力も含まれている。

 

 正直、あのストーカー男を撒くだけであればカエが全力で走るだけでも余裕で達成できていた。途中、男の速度が上がった場面では多少驚きはしたが、あんなのは目では無い程の速度で疾走する事ができる。


 これは、森での散々な力の検証で気付いた事の1つであった。


 だが……アインにその人間離れした力がバレたくない彼女は、男に怪しまれない適度に手加減した速度を維持していたのである。

 そして……角を曲がった直後の跳躍してからの迷彩起動にも当然理由がある。

 ある程度距離を空けてから迷彩を起動すれば、男の懐疑心を煽る心配は無いと考えていたカエは、男の視界が外れた段階で直ぐ【光学迷彩】を起動した。

 しかし、迷彩とはあくまで姿を見え難くするモノであって、実際人の姿が消える訳ではない。

 この狭い路地で使ってしまえば、視界から外れ手当たり次第になりがちとなった人物の側では、偶然見つかってしまう可能性は勿論高まる。

 それに……この地表付近に漂う朝靄も不味かった。全体が霧に覆われる様な場面ではそんな事は無いのだが……うっすらと地表付近に漂った靄では、迷彩に何故か微妙な違和感が窺えたのだ。おそらく、光の屈折具合が上手く噛み合わない事が原因だと思うのだが……ゲーム由来のチート装備でも、若干の不具合がある事に初めて気付いた瞬間であった(ただ、早くにこの事実に気付いたのには、思わぬ暁光ではあるが……)。


 よって、迷彩の不具合を跳躍して高所に逃げる事で誤魔化したのだ。


 ただ、この跳躍にはもう一つ理由がある。


 この【光学迷彩】なのだが……一見、高機能過ぎる様に見えても、幾つか弱点も存在する。その1つには迷彩使用中に、高機動、武具等の性能を発揮できないと言う点にある。

 狭い路地裏で見つかりたく無いのなら、迷彩起動後にそのまま走って逃げるといった手も作戦立案の1つに想像できたかもしれない。だがこの迷彩、起動中には、走る事はおろか……(銃系統を例外に)武器等も抜刀する事ができなくなってしまうのだった。

 迷彩はあくまで姿を隠すモノ……その他の用途では融通が効かない代物となっているのだ。

 そして、他にも重要な欠点もあるのだが……現在の話では関係がない為、今は特に触れないでおこう……


 今回の場合——


 『走って逃げれない』という欠点を補う立案として、跳躍し高所に逃げる事になったという訳だ。



 と……アインを撒くに当たり、カエが用意した方法は以上である。





「——ほんとに迷惑な奴! おかげで市場から遠ざかったよ〜〜はぁぁ……」


「どうか気を落とさないでくださいマスター。次こそは、このフィーシアが全力でもって屠りますので、安心してください!」


「慰めてくれてありがとうフィー……でも、“屠る”のはなしだからね?」



 アインを撒く事はできたが、おかげで目的地からは反対方向に逃げてしまい、市場からはだいぶ遠ざかってしまった。この時のフィーシアは自身満々に屠る宣言をしていたが……その姿こそ可愛らしのだが、可愛くないセリフとのギャップが激しく。カエはそんな彼女の頭を軽く撫でて諌めて見せる。

 そして、カエは振り返り……来た道を戻る事を考えてしまうと憂鬱とした気分が彼女を苛んだ。


 だが、悲観していても仕方がないので……



「仕方ない……戻ろうかフィーシア……」

「はい、マスター」


「じぃーーーー………」


「はぁぁ……昨日から災難続き……コレだけ不幸に見舞われれば……そろそろ、幸運が来てもいいんじゃ……ないか……な……って——」


「じぃーーーー………」


「——ん……視線? なんだか既視感がぁ……」



 兎に角……疾走した道を戻ろうとするのだが……


 その時——カエにとっては身に覚えのある“視線”が突き刺さっている事実に気づく。



「——ッおねーちゃん!!」


「うわッ!! って、ミューちゃん!!」



 そして、カエがその正体を突き止めるも早く、その既視感の方から声が掛けられ、その正体が露わとなった。

 そこに居たのは……今朝まで泊まっていた宿屋【孫猫亭】。その宿を営む夫婦の娘のミューリスであった。

 視線の正体……それは彼女の、毎度の如く旺盛な視線がカエの姿を捉えて離さないでいたのだ。その少女の瞳は、路地通路の暗がりでさえ、まるで太陽の輝きかと感じさせる程に輝いて見える。


 おそらくは、“また”光学迷彩を解いた瞬間を目撃したのだろう。



「あはは……おねーちゃん! また、消える魔法使ってどうしたの?」


「え〜と〜………」


「“かくれんぼ”でもしてたの〜?」


「——ッえ?! あ〜〜そんなところ……かな? まぁ……“かくれんぼ”よりは“鬼ごっこ”かな?」


「ふ〜〜ん〜〜」



 彼女は獣人と言う種族の少女である。その特徴は、誰が見ても気づくであろうケモ耳と尻尾。現在も、カエが何も無い空間より飛び出して来たのを目撃してか、興奮冷め止まない様相で、少女のケモ耳がピコピコッと動く姿が確認できるのが何とも可愛らしかった。

 ただ……この少女とカエは数奇な運命? で結ばれているのか……唐突な出会いを昨日より繰り返していた。

 カエは“光学迷彩”の取り扱いには細心の注意を払っていると言うのに……何故かこの、ミューリスというネコミミ少女にはカエの秘密が頻繁に見つかってしまう。

 迷彩に限って言えば、見られたのは今ので2回目……まるで昨日のお浚いかの様なデジャヴな状況を……わざわざ狙ってやっているのか? と疑わしくなる一幕が出来上がってしまった。


 この広い街で……たった1人の少女に……同じ状況下で出くわす——



 これを“数奇”と言わずして、なんと言えばいいのだろうか——?



 不思議な現象である。



 

 しかし……その不思議現象を徹底的に追求した所で……謎が解ける訳でも、何か得を得るわけでも無い……


 カエはその事を一旦頭の片隅へと追いやり……少女へと意識を戻す。


 どんな出会い方をしたにしろ……ミューリスに対しては、ちょっとしたお使いを頼まれていたと……思い出したのだ。



「ところで……ミューちゃん? こんな処で何しているの? ミューちゃんの事……おかあさん、怒っていたよ!」



 宿を発つ時に、宿の女将ミュアンより……彼女を見つけた際には、呼び戻す様にと頼まれていたのだ。



「ええ!? あたし、もっと遊んでいたいの〜〜まだ帰らない!」



 しかし……彼女は、そんな申し出に対して拒否的な姿勢……子供らしいと言えば、子供らしくあるが……わがままな子を持つ母親は大変だな〜と遠い目線でもって、カエは内心でミュアンの心労を気にした。



「でも……ミューちゃん? 遊ぶにしても、何でこんな路地裏なの?」


「ええッとね〜〜探検ごっこしてたの!」


「いけません! 危ないからもっと明るい場所で遊びなさい! 人攫いに襲われちゃうよ!!」


「——ッふみゃ!?」



 だが……ミューリスの事は、何も心配するのは母親だけではない。


 カエ自身、こんな可愛らしい幼い少女が、こんな人通りの少ない路地裏で遊んでいる事実に困惑しているのだから……



「ダダダ……大丈夫……だもん! 人攫いなんていないもん!!」


「ほんと〜? 私たちも今……変態男に追いかけられてたんだよ?」


「——ッ!? 嘘!!」


「嘘じゃないよ〜〜凄い勢いで〜〜どこまでも執拗に追いかけてくる〜〜『通り告白魔男』が出るんだよ〜〜!」



 そして、心配したカエがミューリスに言い聞かせる為にちょっとした脅しを掛ける。少し、可哀想だが……彼女には少し警戒心を持って貰いたいが為の措置だ。何たって……この子が人攫いに会ってからじゃ遅いのだから……

 


「ミューリス……あなたはマスターの言葉を素直に受け入れるべきですよ。今、この付近には執着心に囚われた男が徘徊しています。見つかると『逃げる何て無理だよぉ〜』『絶対、追いついてみせるぅ〜』と、言ながら追いかけて来ますが……あなたは、そんな人物と出会いたいのですか?」


「ガタガタガタ——い……いやにゃぁあーー……」


「フィー? もしかしてアイツのモノマネ? 真似る気ゼロだけど……何処となく悪意がある様な……まぁ、事実なんだけども……」



 すかさずフィーシアも説得の援護へと回る。まさかのユーモラスを交えての参戦にはカエもこの時は驚いた。



「……でしたら、ここは素直に帰路に着く事をオススメします。分かりましたか?」


「……グスン………は、はい……グスン」


「はい……賢明ですね」



 フィーシアが自分から他人を心配するのは珍しい……

 だが、彼女はミューリスの事を気に入っていたのは、宿にいる時より知っていた。

 純粋に友達を心配する1人の女の子……何もおかしくない。普通な事だ。

 カエは、そんな普通を、ただただ自分のことの様に嬉しくなって自然と隣にいるフィーの頭を撫でる。



「ミューちゃん……1人でお家まで帰れる? 一緒に行こうか?」


「——ッだ、大丈夫!! あたし1人で帰れるモン!!」



 やっとのことで、帰宅を了承させる事ができたカエとフィーシア……ただミューリスが「1人で帰れる」と言い出した事には心配だったが……あの宿屋までは、そう遠く無い距離だ。おそらく1人でも大丈夫であろう。



「バイバイ……おねーちゃん!!」


「うん……バイバーイ」


「あ、そうだ……今日も、おねーちゃん達。あたしん家に泊まってね!」


「ん? あぁぁ……とぉ〜……予定が合えば……ね……」


「うん! 約束だからね……絶対だからね!!」


「え? 絶対? 予定が……って、行っちゃった……」



 少女は強引な約束だけを残し宿屋の方へと駆けて行き……やがて路地には静けさだけが残る。



「では……マスター、市場を目指しましょ!」

「うん、そうだね……こんな予定じゃなかったのに……結構時間掛かっちゃったね」



 そして、静かになった事でカエ達は漸く……気持ちを改めて、市場を目指す準備が整った。


 路地は既に、宿を出た当初に比べて、大分明るくなり始めている。つまりはそれ程時間が進んでしまったと言う事だ。既に、朝靄も見えなくなっている。

 昨日もそれなりに不運な厄介ごとには見舞われたが、今朝からのイベント遭遇率には驚かされる。

 まさか……続け様に思わぬ遭遇を果たすとは……不思議なモノだ。


 しかし……そう偶然なんてモノ……頻繁には起こるモノではない。

 ここからは、きっと——平穏な1日が訪れるはず……と希望を胸に仕舞い込み……


 カエとフィーシアは再び、街の中央を目指し歩き出す。




 だが……




 カエの抱いた希望は……容易く打ち砕かれる事となる。



 カエが元の道に戻ろうと再び、曲がって来た路地の角に差し掛かると……



「「——ッ!?」」


「「「——ッ!?」」」



 路地の角を出会い頭に3人組の女性と鉢合わせた。



「あ……すいません……」


「え、ええ……ッて!? ウソ……黒い外套? 2人組の……?」


「「……?」」


「もしかして……あなた昨日ギルドに居た!?」


「「——ッ!!」」



 そして、その出会いは再びの“鬼ごっこ”の再開を意味していたのだ。

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