第46話 バカな男

 ——数時間後——



 カエ達は朝食を摂る為に再び食堂を訪れる。


 そこには数名の、朝食目的の宿泊客が居るだけで……早朝会った男 (アイン)の姿はなかった。


 既に彼は、宿を後にしたようで——遂に、カエは散々に付き纏われた“通り魔告白ストーカー男”の『撃退』に成功したのだと思われる。



「——余計な手段を講ずること無く……言葉巧みに、あの男を猛省させるとは、流石はマスターです!」



 とはフィーシアの言——



 実は、後になってアインに対しては少し言い過ぎたかな……? とカエは若干の自省感を感じていた。

 そこには、カエの性格と前世の事が関係しており、自ずとそう思い至る現象ではあった。

 

 転生してからというもの、カエは自身の行動の思いっきりの良さに少し驚愕していた。

 今までの“俺”であれば、頭の中に想起した言葉を素直に話す場面は、そう多くなかった。だが……今朝の様に誰かに対し、自分の思いの丈をすぐ口から吐き出すなんて、転生前の“俺”自身を思えばありえなかった。


 ただ、今回に限っては——


 適度な睡眠により思考がクリアになったところに、変質者(アイン)がタイミングよく来訪した。そこへ、昨日の珍事件の追憶と……転生後の行動力の強化状況と……

 複数の要因が重なりあった結果が、カエにとって発言し易い環境が出来上がっていたのだと思われた。


 だが……アインに対し、怒りが込み上げた事もまた事実。


 彼の行動力 (付き纏い)も原因なのだが——今朝のアインの申し出は、幾ら何でも突飛にも程があると思えてならなかったのだ。それも、周りに相談も無く推し進める様な行為では決してない。

 杖の華麗な一撃をお見舞いした姿が印象的だった彼とパーティメンバーだと言う女性レリアーレ。彼女のアインに対しての気苦労の絶えない様子はよく覚えているが……

 今朝の彼の行動と相まって、そんなレリアーレに対し同情の念をカエは持たざるを得なかった。

 フィーシアの言うように「猛省しろ!」とまではいかないにしろ。

 彼は今回の件で、カエに対し……フィーシアに対し……レリアーレに対しても、少しは反省するべきである。

 後になってカエの良心には多少突き刺さるモノがあったにしろ。言い過ぎなんて事はなかったのかもしれない。

 それに少なくとも……ここまで言われてしまえば、彼の鋼メンタルであろうとも、これ以上付き纏われる心配はないだろう。





 そして……その後——



「すいません。ミュアンさん……部屋の鍵を返しに来ました」



 カエ達は朝食を済ませ、すぐ部屋へと戻った。

 そして身支度を整えると、入り口カウンターに部屋鍵を返却しにやって来ていた。



「はい、確かに受け取りました。お部屋はいかがだったでしょうか……? 良く寛げましたか?」


「あ……えっと……も、もちろんです。あはは……」



 鍵をミュアンに手渡すと、彼女から部屋の評価について聞かれる。しかし、カエは歯切れの悪い返事を返していた。

 と言うのは……確かに、カエは十分に寛ぐ事はできたものの、部屋の調度品をいくつか、匠(フィーシア)の手によって勝手ながら模様替えしてしまった手前……ミュアンの言う、真の意味で当宿屋のリザクレーションを体感したとは言えない。それが関与して、カエをうしろめたく感じさせていた。

 もちろん、部屋は元の状態に戻してきているので、カエ達及びミューリスが黙っていれば、ミュアンがこの件を知る事はまずないであろう。


 と、そういえばだが——



「ミュアンさん。ミューちゃんはどこへ行きましたか? ここを発つ前に会いたかったのですが……?」

 


 あれからミューリスの姿を見ていなかった事に気づいた。ここを発つ前に、一応挨拶と、ついでに秘密をバラさないか確認だけはと思っていたのだが……母親に預けてからというもの、その気配すら感じていない。



「それが……あの子、朝食を済ませて直ぐに遊びに行ってしまって……」


「……そうですか。それは残念ですね」


「お二人には沢山お世話になったと言うのに挨拶もしないで……本当にすいません」



 母親が言うには既に遊びに出かけてしまったのだと——相も変わらずあの少女は自由奔放であるようだ。



「いえいえ、そんな謝らないでください。私達、今日は街を散策してみる予定なので、ついでに彼女も探してみますよ」


「それでしたら……こんな事、お客様にお願いするのは変ですけど……もし、会えたら、うちの子に私が怒っていたと伝えて頂けますか?」


「ええ……もちろん、伝えておきますよ。では、お世話になりました」


「はい。またのお越しをお待ちしております」



 ミュアンとちょっとした約束を交わし、そしてカエとフィーシアは宿屋【孫猫亭】を後にした。





 宿の扉を開き、外へと出るとまだ朝方であるためか外套越しであっても薄っすら肌寒かった。

 見上げた空はすっかり昼の青を取り戻し輝いていたが、今居る路地裏はその逆で薄暗い。そんな路地の地表付近は朝靄が漂い、風下に向かって流れて行くのが分かる。



「よし! じゃあまずは昨日の中央広場だな……フィーシア? 分かっているとは思うけど、今日の方針は情報収集をメインで行動するよ」


「はい……承知しています」



 白靄の流れは偶然にもメインストリートへ向かっていた。

 そして、カエとフィーシアは、街の中央を目指すべく、流れに身を任せるかのように靄の下流へと歩き出す。



「目的は主に2つ。1つはこの街エル・ダルートの近隣情報と隣接した村や街の情報を得る事。この街からはなるべく早く発ちたいから、この情報収集は急務だね。そして、もう1つが素材の売却。ある程度のお金は持っていた方がいいだろうし、情報を集めつつ素材を買い取って貰えそうな店を探そう」


「わかりました」



 そして、カエは歩きながらもフィーシアと今日の方針を固めていく。

 大体の目標は、今カエが述べた通り——他にも知っておきたい事や、事細かな補足事項は多々あれど……フィーシアに言い聞かせた2つの事柄を主に据え置く考えだ。



「まずは大市場を目指そうか。ギルドには、あまり近づきたくはないんだけど……あそこなら、情報収集と素材売却を両立できると思うんだよね〜」



 この街の中央広場には大きな市場がある。あそこは昨日も訪れたが、一定の賑わいを見せて人もそれなりに多かった。

 あの場所でなら情報収集はおろか、御者の男シュナイダーが野菜を売りに向かった場でもある為、素材の取引をする商人でも見つけられる可能性が高いと踏んでいた。

 ただ……大市場はギルドと隣接している。

 昨日の連中(特に強請り女)と鉢合わせしてしまう危険性も増してしまうが……そこは、市場の人混みを利用すれば、最悪鉢合わせしてしまったとしても撒くことは容易いと思えたのだ。

 本来なら、気軽に街散策が出来ればベストだったが、懸念が発生してしまった以上、これも致し方なし。


 そうして、考えをまとめつつ……カエは靄の流れを踏み締め続ける。


 その時である——



「ギルドだと……毛皮が金貨一枚で売れた事を考慮すると……そこを目安にして、買い取って貰えるところを探すか……? う〜む……簡単に見つかってくれると助かるんだけどなぁ〜……」


「——ん? それだったら、俺が見つけた素材買取の良いお店を紹介するよ! そこは、場合によっちゃ〜ギルドより言い値で買い取って貰える!」


「へぇ〜〜ありがとう! それは助かるぅ〜〜〜………………ぅう?」



 カエはてっきりフィーシアと2人きりで歩いているとばかり思い込んでいた。


 しかし……路地裏を歩きつつ、方針の詳細を固めるかの様に言を呟いていると……明らかに、フィーシアとは別の人物による呟きへの返答があった。


 カエは既存の観念から思わず普通に返答を返したが……僅か数秒後に、事の異常さに気づいた。

 それに気づくのに数秒を浪したのは、その返答があまりにも自然体な流れによる乱入であったからだと言える。



(……ッえ? 嘘でしょ……?!)



 そして、カエがその正体に辿り着くのも時間の問題であった。

 それもその筈……何故なら彼女は数刻前に、その声を聞いているのだから。


 その受け入れ難い事実に気づきを得ると共に、カエの思考には困惑が入り混じる。

 そんな彼女は、壊れて錆びついたオートマタかの様に、ギギギッ——と首を動かして視線を返答の出所へと向ける。


 そして……



「……ッな……な、なんで……あなたが、いるんですか……?」

 


 “それ”を視界に捉えると、カエの口から恨み辛みの含みを感じさせる声音で疑問を“それ”にむかって発した。まるで、敵に対し威嚇する猛獣の唸り声にも似た響きの……



「——やぁ〜さっきぶり!」


「やぁ〜じゃねーよ……やぁ〜じゃ——!」



 そう……そこに居たのはカエが散々に迷惑を被った人物——アインであった。

 今朝『撃退』に成功した筈の彼が、何食わぬ顔でカエとフィーシアについて来ていたのだ。その事実を理解してしまった時、カエは血の気が引く思いに苛まれる。



「何であなたが居るんですかぁあ——本物のストーカーですか? 衛兵でも呼びます? 今朝言いましたよね? お引き取りを——って?!」



 そして……カエは、アインに対し最大限の警戒心を持って疑問を口にする。

 今朝あれだけ言ったにも関わらず、鋼メンタルの彼にはカエの苦言が通用しなかった様だ。

 もはや、彼のメンタルは鋼なんてモノではないのだろうか……チタン合金か何かか……異世界風で言えばミスリルと表現するのが適当か——?


 兎に角、そんなくだらない究明よりも……


 今後もアインの付き纏いが続くと想像すると……カエは思わず、ゾッ——とした。


 しかし、そんな恐怖を感じているカエを他所に、彼は思いもよらない理由を口にする。



「——そう! だから、カエちゃんの言った様に自分の愚かさを反省したよ。だから……先ずは言われた通り、俺の仲間のリアに謝りに行ったさ!」


「……んん〜? ほぉぉ……」


「でだ……あの後、自分の泊まってる宿に戻って速攻、リアの部屋にさ〜!」


「——ッはぁ?! “飛び込む”??」


「そう……そしたら、『朝っぱらから、五月蝿いー!!』ってめっちゃ怒られた……だから、めっっちゃッ——謝ってきたぜ!!」


「——バッかじゃねーーーのぉお!?」


「ッ!? ッふぇえ!!??」


「マスター……取り敢えずこの男、一回殴っていいですか?」


「………フィーシアちゃん……気持ちは分かるけど堪えて……」



 今朝——確かにカエは「彼女に謝って来い!」とは言った。だがしかし、彼の謝ってきた内容のジャンルが、カエの想像の斜め上を行ってしまっている。

 何処の世界に「謝って来なさい」と言われて、謝るべき人物を別件で怒らせた後に、怒りの増幅分含めて謝る奴が居るのだろうか?

 カエの隣では、フィーシアが無表情で何やら握り拳をつくっているが……それが振り抜かれないように、不本意ながらも一応はやめさせた。



「それで謝ったから、また会いに来たと——?」


「そう……君と話がしたくて、戻って来た! だから……」


「…………ねぇ——それって、お金のこと含め理解してもらった上で、謝罪は受け入れられたの?」


「…………ッあ……その事、謝るの忘れてた」


「「……………」」



 もう……くだらな過ぎて、カエ達は呆れて物も言えない……


 あの後のカエは、彼に対し“言い過ぎた”かと気に留めたのだが……どうやら、カエの反省心は全くの無駄な感情であった様だ。


 この男には、遠回しに事を伝えるのは無駄な行為だ。そう結論が付き……「遠慮はやめよう」と、今頃になってカエの決心が固まる。


 よって、彼女は諦めの境地に足を踏み入れるのだった。


 もう、言い過ぎなど関係ない。カエのモットーは『穏便に』ではあるが、この男の“バカ度合い”に、これ以上迷惑を受けたくはなかった。



「もう、いいです……あなたが反省(?)したのは分かりました。ですが、これ以上付き纏うのはやめてください! 迷惑です!!」



 だからか……カエは遂にキッパリと言い放つ。


 正直、初めからこうしていればよかったのだろう。しかし、カエの無駄な優しさが邪魔をし、なるべく相手を傷つけずに穏便に——と考え過ぎたがために、ここまでアインとは拗れた関係になってしまっている。


 時に優しさとは、付け入れられる隙となってしまう。


 カエにとっては、大切な教訓を得た気分である。



 だが……



 忘れてはいけない——彼は、そんな拒絶反応如きに屈する、柔な“メンタル”の持ち主ではないと言う事を……



 そもそも、カエの相対する男——アインが「やめて」で、簡単に言を聞く様な人物なら、ここまでカエが疲労困憊の精神的苦痛を受けてはいないのだ。



「——ッ……そ、そんな事言わないでくれないか。俺はただ……君を困らせたいわけじゃなかった。君の事を、もっと知りたいだけなんだ。カエちゃんの事を知れば、きっと“迷惑”と思われてしまった理由も自ずと理解できるし……そうすれば、君を困らすことはなくなる筈さ——! それに……君にも、俺の事をもっと知って貰いたいなぁ〜って……」


「……はぁ? いや、結構です」


「そんな照れなくても……いいんだよ?」


「いや、あのですね? あなたに向ける感情に決しって“照れ”とか、そういう好感傾向なニュアンスの……」


「お! そうだ! もし良かったら、この後お茶でもどう? お互いの事を一緒に語り合おうじゃないかー!」


(こいつ……マジで話し通じないなぁー!!)



 案の定……完全なる拒絶を呈されても尚——彼の態度からは“諦める”との言葉が全く想起されない。


 もしくは、彼の辞書には“諦める”なんて、鼻から無いのかも知れない。


 ギルドで、初めてカエがアインの存在を認識した時……アインの浴びていた脚光から察するに、彼は今までに女性から“拒絶される”なんて経験した事が無いのだろう。

 しまいに、彼は破竹の勢いでA級冒険者に上り詰めた——要は、エリート。

 これらの経験則が、彼の強すぎる自尊心を育み。そして、執念深さとが相乗的にマッチ——到頭、今になって最初の被害者になったのが、カエであったと……何とも迷惑な話だ。

 彼にとって唯一の救いは、それなりの美丈夫であった事だろうか……? もし仮に彼が、草臥た小汚い中年オッサンだったなら……とうの昔に獄中にでも放り込まれている事だろうに……



——マスター……この男は、いかがしましょう? もう……ヤってしまいましょうか?

——まって! こんなくだらない男に、フィーシアの手を汚しちゃいけない!!

——では、どうしましょう?

——えっと〜……そうだなぁ〜……なら、ここは………私が……ゴニョゴニョ………したら……ッ……

——………ふむふむ………ふん……ふん……ッ!? はい、了解しました。



 ここまでくると、もう彼への対処方法が無いように思えたからか、ついにはチャットを返してフィーシアが最終手段と取れる案を口にしたのだったが……カエがコレを止める——

 こんな男の血で大事なフィーシアの手を汚させるなど、たまった物じゃ無いからだ。

 そして、その代替案として最後となる作戦を話し合う。もう手段は尽くしたかにも思えたが……ただ1つ“コレしか無い”と思い至った秘技をカエは実行に移す。



「ん? どうしたの黙っちゃって? もしかして、お茶は好きじゃなかった? ああ〜と……お金の事なら俺が出すから、別に心配しなくていい……」


「え〜と……ごめんなさい。そう言うんじゃないんです。ただ……が……」


「……気になったコト?」


「ええ……あの〜あなたの後ろの……って、何ですかね?」


「——ッ?! って……何のことだい? ……ッ……何も無いけど……」


「もっと、奥です——そう、もっと、お〜く……」



 カエがアインの背後に視線を向ける。まるで彼女の瞳にはが写って見えているかの様に……


 カエがを指差し訝しむ表現を見せると、アインはの正体が気になり、思わず振り返った。しかし、彼の目に映るのは徐々に明るさを取り戻しつつある路地裏に、朝靄の流れがあるのみ……

 一見、その靄が彼女の言うの正体かにも思えた。

 確かに、この現象は幾つかの条件が揃わなければ見る事ができない自然現象である。この地域では特別珍しいモノでは無いのかもしれないが、見る人によっては珍しいと感じる者もいても可笑しくはない……


 だが……果たして……


 本当に彼女が指すとは靄のことなのだろうか——? 


 話し合いの最中に沈黙に陥る程の——?



「…………? いや……俺には何も…………って…………アレ??」



 アインは暫し、靄が揺らめく様をただただ見つめていた。それが、彼女の示したと同様のであるのかを思案しながら……


 しかし……やはりアインの中では、それらが結び付く事がなかった。


 彼女のには自分から発見、共感したい衝動でもあるかのように、この一時がとの仲良くなるキッカケになればと……打算的考えも無いとは言えない。


 だったが……アインは数秒で諦めた。

 

 答えを聞き出そうと再び彼女を視界に捉えるべく視線を元へと戻した。

 

 だが……


 戻した筈の彼の視線は、何故か同じ光景を目にする事はなかった。

 何故なら、視線を戻した先の光景もまた……靄が、ただ静かに揺れているだけなのだから——



「——ッええ!? カエちゃん??」



 そう……二人の姿がそこに無かったのだ。靄となって消えてしまったのかと思える様に……


 いや……


 薄暗くて分からなかったが、路地裏の遠くを黒の外套を羽織る2つの影が駆けて行くのが見えた。目の良いアインだからこそ気づけたことだ。



「——ッちょ……ちょっと待ってくれ〜! 話しを……」



 そして、アインは遠く離れて、すっかり小さくなってしまった黒い二つの影を慌てて追いかけ出した。

 


 流れる朝靄を逆流し、己の足で掻き乱しながら……


 

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