第16話 写本係 マリア
写本するのが、この頃早くなった気がする。魔力のコントロールが数段上がったからだろう。
写本する本を左側に置いて、ページを開く。右側には、写し取るための用紙を置く。インクは両方の本の上に必要な分を用意する。後は、左手の指で写本する本の文字をなぞり、右手の指で用紙にそれを移していく。
マリアの魔力とインクがほどよく混ざり合い、文字が用紙に浮かび上がる。ペンはマリア自身だ。
写し取られる本の魔力が強ければ、それだけ多くの魔力と様々な種類のインクが要求される。その受け手である紙も普通の物では受け止めきれない。
写し取られた用紙を製本するのもマリアの役目だ。表紙などは特別な紙や糸を用意して、魔力を用いて製本する。内容が逃げ出さないように。
写本室の奥には、インクや紙などを作るための作業部屋が用意されている。この部屋に入るのは、写本係だけだ。他の館員はこの部屋について、誰も知らない。
最初の頃は、1ページを終わらせるのも大変だった。大量の魔力と大量のインクが必要だった。様々な材料を取り寄せてインクや紙を作るのも、きつかった。
最初の写本の分については、前任者の写本係が、用意してくれていたインクと紙を使った。それで、どのくらいの質が要求されているのかを知るのだ。
次に用意された材料を使って、インクや紙を自分で作り出す。
前任者が用意してくれたそれらを使い終わった頃には、自分でその材料を注文し精製できるようになる。
写本係は、就任してから3ヶ月は練習に費やす。ひたすら、教本とされている物を写し、インクや紙などを作製するのだ。これだけの仕事にかかる魔力量を持つ者はそうそういないのだよ、そう館長は言っていた。
能力の無いものが同じ事をしようとしたら、多分、半分にも至らずに魔力切れを起こして倒れるだろうと。
そして、館長から十分だという承認を得て初めて本来の仕事に取りかかれるようになる。
写本係の仕事内容や方法、歴史、そして図書館の地下書庫につい書かれている一冊の本がある。これが教本だ。この地下書庫に初めて足を踏み入れた時に、館長から渡される。
最初の仕事は、この本を写すことだ。写し終わった物は綴じて棚に収めてある。写すのはオリジナルだが、この写本室には歴代の写本係が綴ったものが並んでいる。最新のものがマリアのものになる。
この本を綴り、この地下書庫にある本の目録を写す。そうすると、何故かこの地下書庫の様々なことが頭に入るのだ。
それがとても心地よかったのを覚えている。自分の居場所に戻ってきた、そんな気がした。
カーディフ卿にはそういった本はないと告げたが、嘘ではない。
なぜならば、この本は地下書庫に所蔵されている本ではないし、勿論閲覧用ではない。部外秘の本であり、この本の存在については館長と彼女だけしか知らないものだ。それ以外の者が手に取るのは許されていない。
部外秘の本は、あと一冊あるが、これはマリアには直接は関係のない本だ。
写本をしている姿を、誰にも見せたことは無い。見せてはいけないとされている。
この地下の入り口に人が来ると、リーンと澄んだ鈴の音が聞こえる。
そして、その人が写本室の前に来るとリーン、リーンと二度、鈴の音がする。最初の鈴の音が聞こえた時点で、手を止める。
マリアは、ここに来るまでの自分のことを明瞭には認識していない。何処の出で、これまでの人生はどうであったのかが、まるで本を読んだ出来事のように覚えているだけだ。それに、疑問を感じたことは無かった。
だが、シンディと話をしていて、世界が色付いたように感じた。『生活の知恵』、『図書館の魔法士』という本来の順番からはズレた本を読んだ事、ウイリアムやブラスターから聞いた話、それらが彼女の中で今までになかった不思議な感覚を呼び覚ましていた。
まだ、早い。そう、心の中で声がする。もう少し、時間が欲しいと。
この場所が、好きだ。
写本をする静かな時間、シンディとの他愛のないやりとり、他の館員との会話。
新しく搬入される本、新しいインクの匂い。白い紙に文字が写され、製本された時の達成感。
マリアの世界はこの中で閉じている。この中で十分満たされている。それだけあれば、十分だと思う。
ウイリアムやちょっとうっとおしいがブラスターと話すのも、楽しい。本のことで相談に来る様々な人との会話ですらも。
この居心地の良い時間が、いつ迄も続いてくれればいいのに、と思う。
そして、唐突に思うのだ。大事な人は、いつかいなくなってしまうものなのだと。だから、覚悟を持たなければいけないと。自分でも自分の中のその感覚に戸惑うばかりだが。
「ねえ、シンディ。私が何者であっても、貴方は友達でいてくれるのかな」
マリアは、誰に言うともなく呟いた。
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次回更新予定は11月2日です。
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