まもなく、終点。
人影
まもなく、終点。
私は冷たくなっていた。それは高揚していた気持ちが段々凪いでいくように。ゆるやかに、内側から冷めていく。
私は今、誰もいない電車に揺られている。意識が希薄になるような、琥珀色をした夕陽が車窓から差し込んでいる。
かたんことん。かたんことん。
優しく私を抱擁するような音色。まるで、背中をとんとん叩いてくれているみたい。
窓の外には、どこか見覚えのある景色が広がっていた。そこは、山のふもとにある畑。たしか、大根とかきゅうりとかナスとか植えられていたっけ。そんな緑の中で、白いワンピースを土で汚した女の子がこちらに手を振っている。
そんな景色も瞬く間に過ぎ去っていく。あの子は多分、私の幼馴染だ。どうして、あんなに幼くなっているんだろう。
私には、幼馴染がいる。その子とはずっと仲が良く、大人になった今でも遊んでいるくらいだ。その子は少し、おかしなところがあった。
それは、虫を潰すことが好きなこと。アリとかバッタとかセミとかヤモリとか。そういうのを、親指の腹でぐりぐり地面に押し潰して遊んでいた。
正直、気味が悪かったけど、それ以外は普通の子で気も合うし、大人になった今では虫を潰しているところを見ていない。
「どうしてそんなにひどいことをするの?」
まだ幼いころ、私はその子に訊いた。その子はにこにこと、親指についたアリの死体を服でごしごし擦りながら答える。
「綿毛が飛ぶからだよ」
すると、地面に張り付いたアリの死体から、綿毛が浮く。バッタからもセミからも、ヤモリからも。タンポポの綿毛みたいなのが風に揺られてふわふわ空へと旅立って行く。
「綿毛なんて、飛ばないよ」
当たり前のことだ。生き物を殺したって、綿毛なんて出てこない。
するとその子は、交通事故で死にかけた話をした。
その子は親が運転する車の後部座席に座っていた。山道の蛇みたいにうねうねした道を走っていて、急カーブを曲がり切れずにそのままガードレールに突っ込んでしまった。
破けたタイヤからするきついゴムの匂い、それに混ざる煙の匂い。
そんなとき、その子は綿毛を見つけた。車内に浮かぶ、三つのふわふわ綿毛。
手を伸ばす。拙い手を精一杯広げて、ぐーぱーぐーぱ―と綿毛を捕まえようとする。でも、ひらりひらりと踊るだけで、捕まえられない。
うんと手を伸ばす。
掴めそうで、掴めない……。
でも、一つだけ捕まえた。
暖かい陽だまりみたいな綿毛だった。
すると、目が覚めた。その頃には病院に寝かされていて、お母さんは死んでいた。
お父さんに綿毛の話をすると、哀しげな表情を浮かべた。
「その綿毛を摘んじゃだめだよ。摘んじゃったら、二度と現実に戻ってこれなくなるから」
「私は、綿毛を摘むのが好きなんだ」
とその子は言う。「君の綿毛も摘んでみたいな」なんて。怖いことも言ってたっけ……。
かたんことん。かたんことん……
どくん。どくん。
そう言えば、この電車はどこに向かっているんだろう?
ふわっ。
車内に漂う、一つの綿毛。それが、私の隣に置いてあったナイフの上に着地する。
触れたところから赤色が滲んでいく。白くてふわふわな綿毛も、一緒に赤に染みていく……。
「まもなく、終点です」
遠い所から聞こえるアナウンス。
私のお腹から溢れる赤色の水。
私は、冷たくなっていた。
まもなく、終点。 人影 @hitokage2023
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