好血病とは

 その奇病は、いつしか、『好血病』と呼ばれるようになった。初めの感染者が確認されると同時に、世界中で次々に『そのような人達』が増え始めた。


 『そのような人達』の数は『そうじゃない人達』の数をあっという間に超えた。やがて、『そのような人達』が世界の多数を占めた。


 気が付くと、『世界』はそうなってしまった。リチャード・マシスンの小説のように。


 ただ、ネヴィルを襲った『それら』と大きく違う点がいくつかあった。


 『好血病』に感染したとしても、大きな八重歯が生えたり、十字架やニンニクを嫌うようにはならなかった。日光を浴びても、灰にもならず、そして、噛まれたとしても、感染することもない。


 彼ら、そして、彼女達は、血を求めるようになっただけだった。これまでと同じように、食物を生存のための栄養として摂取し、水分補給として、飲料水を飲む傍ら、血を摂取しなければ、生きることが出来ない体となったのだ。外見も生活基盤も全く変わらず、今までの人生に『血を飲む』という行為のみが入り込んだ、と考えれば判りやすい。


 世界中の多数の人間がそうなってしまったたため、市場経済も変化を見せた。畜産業の需要が急速に高まったのだ。


 原因は、家畜の血を皆が求めた結果だった。一方、人間の血は市場には出回らない。仮に出回ったとしても、それがの血ならば、拒絶反応が起き、体が受け付けない。なのだ。


 一方、非感染者の血は、感染者にとってはなんら問題なく摂取出来る。むしろ垂涎の的と言えた。かつては闇でガソリンを超えるほどの高値で取引をされるほど、非感染者の血は感染者からの需要が高かった。


 しかし、感染者から非感染者へは不可逆であるため、感染者が増え続けた昨今、その取引すら激減していた。


 そのような背景があり、現在、世の中で飲む事が出来る血は、必然的に家畜の物のみとなる。


 もしも、血を飲まなければ、感染者はどうなるのか?


 感染者にとって血は栄養源ではなく、極めて強い嗜好品のようなものだ。麻薬や酒に近く、絶てば、強い禁断症状に襲われ、精神の均衡を失ってしまう。


 今では、誰もが、家畜の血が入った水筒やペットボトルを持ち歩き、事あるごとに飲んでいる。


 そんな光景が当たり前となった世界で、加柴広希かしば ひろきは日々、生活を送っていた。およその高校生がそうであるように、充実しているわけでもなく、かと言って空っぽでもない、つまらなくて楽しい、平凡な高校生活を過ごしていた。


 ただ一点を除いて。


 それは、広希が『そうじゃない人達』の側にいることだった。

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